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第十四話 第九回御前会議

更新が遅れに遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。

本話は本来は状況説明回のつもりでしたが、なかなか執筆が出来なかった分、妄想が色々と進んでしまいました。おかげでネタを詰め込み過ぎてしまった気がします。その分、楽しんで頂けると幸いです。

――宮城 東一之間


 一般に宮城の名で親しまれている明治宮殿は旧江戸城の西ノ丸にある天皇陛下の御所である。その場所にはかつて西ノ丸御殿と呼ばれる御所が建っていた。だが残念ながら明治期に一度焼失している。明治宮殿はその跡地に新たに造営された御所と政務の場を兼ねた建物である。


 5800坪もの広大な敷地を持つ宮殿は、御所造りに洋風内装を施した木造総銅瓦葺の和洋折衷の建物である。西ノ丸御殿の焼失当時は明治政府の財政も大変厳しく、時の明治天皇は御所の再建を当面禁じられ御自らは赤坂離宮に移られ、15年もの長きにわたり質素な生活をなされたという。


 西ノ丸大手門を抜け二重橋の鉄橋を渡り奥へ進むと見えてくる唐破風屋根の車寄せ、その左側の一般用入口から表宮殿に入り右手回廊の角にある部屋が「東一之間」である。謁見が行われる正殿や晩餐会が執り行われる豊明殿に比べれば造りは多少質素ではあるものの、それでも段天井には彩色が施され磨かれた板床と分厚いカーテンが重厚な雰囲気を醸し出している。


 昭和十七年(1942年)十月、その東一之間において日中戦争の開戦以来九回目となる御前会議が執り行われた。この会議が開催されるのは英米蘭との開戦が決断された昨年十二月以来である。御前会議は基本的に余程重要な案件でなければ開催される事はない。だがここ最近、わずか1、2ヵ月の間に戦争と世界の情勢が大きく変貌していたため、政府や軍は今後の戦争方針を改めて確認し見直す必要があった。


 今回の議題は『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』とされていた。奇しくも昨年七月に開催された第五回御前会議と同じ議題である。会議は陛下の出御の後、東條英機内閣総理大臣による開会の辞と議題の説明により開始された。


挿絵(By みてみん)


 最初の議題は外交概況の報告である。報告は東郷茂徳外務大臣より行われた。東郷は、まずは最も大きな変化である英国の停戦から説明を始めた。


「全般状況として我が国を取り巻く外交状況は昨年末の開戦時点より大きく好転しております。先月にはスペインが我が国と新たに同盟を結び連合国に対し宣戦布告を行いました。そして今月、我が国を含む同盟4ヵ国と英国および英連邦諸国との停戦が成立いたしました」


 東郷はもともと反ナチス、対米協調派の人物である。開戦前もギリギリまで戦争回避に奔走していた。現状は枢軸側が有利に戦争を進めているものの東郷の本意としては戦争の速やかな終結を望んでいる。最近は外務省を分割する様な大東亜省設立の話も出ており、この後に行われる議論も事前に説明を受けているため、日本にとって良い報告をしている割に彼の表情はどこか憮然としたものが感じられた。


「英国本国に続いてオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インド等の主だった連邦諸国も停戦に合意しております。アフリカの植民地も英国本国からの停戦指示に従い戦闘が終結しております。唯一カナダのみが停戦に合意せず連合国側に留まっておりますが我が国への影響はほとんど無いものと考えております。なお英国に退避していた欧州各国の亡命政府は英国の停戦とともに米国へ脱出したとのことです」


 カナダは非常に難しい立場にあった。連合国に名を連ねてはいるものの地理的に枢軸国から直接脅威を受ける事はない。英連邦の有力な一国ではあるが経済的には米国とほとんど一体となっている。つまり英国王室への忠誠を棚に上げれば英国本土との交流が絶たれてもすぐに困る事はなかった。


 むしろカナダにとって現在は米国の方が脅威となっていた。英国の停戦後、米国はすぐに多数の陸軍部隊をカナダ国境地帯に展開させた。カナダ侵攻作戦(クリムゾン・プラン)が検討されている事もあからさまにリークされている。更にカナダ東岸にある英領ニューファンドランド島を安全保障の名目で占領していた。さすがに前英国王エドワード8世が総督を務めるバハマにまでは手を出していないが、これはもしカナダが枢軸国と停戦すれば同じ目に遭わせるという米国からの露骨な恫喝であった。カナダには連合国に留まる以外の選択肢は無かったと言える。


 英連邦の状況に続き、東郷の説明は欧州概況の説明に移った。


「英連邦の脱落により欧州にある連合国の拠点は米国に不法に占領されているアイスランドのみとなりました」


 当初アイスランドは第二次世界大戦において中立の立場をとっていた。しかしドイツがノルウェーを占領したことにより、北大西洋航路の要衝であるアイスランドをも押さえられる事を恐れた英軍は昭和十五年(1940年)にアイスランドを強襲し占領してしまったのである。その後、占領地管理は英軍から米軍に移管され現在に至っている。当初の占領作戦を行った英国は戦争終結後の占領解除と保障を約束していたが、英国が枢軸国に停戦してしまった現在の状況ではその約束が守られるかどうか微妙なところであった。


「ジブラルタル、地中海、スエズも同盟国が管理する所となりました。アフリカ、インド洋から東南アジアにかけての地域の英国植民地、連邦諸国も停戦しております。以上より我が国と欧州を結ぶ地中海からインド洋にかけての航路はほぼ開戦前の状態に復する事となりました。既に活発な交流が再開されております」


 アレキサンドリアの降伏時、枢軸側は英軍が貨物船を沈める等で運河を閉塞させる事を危惧していた。しかし意外な事に英国がそのような妨害行為は行う事は無かった。これは停戦後に植民地や連邦諸国と通商を行うにはスエズが使える方が得策と考えたものらしい。つまり英国はこの時点で既に枢軸国との停戦を考え、米国へ義理立てする事を止めていた事になる。


「仏国につきましては我が国と同盟国に対し積極的に協力する姿勢を見せております。各地の植民地につきましても亡命政府からヴィシー政権へ鞍替えする所が増えておりアフリカと南米の一部を除きほとんどの植民地が支持を表明しております。特に我が国とは非常に良好な関係となっており、仏印およびマダガスカルから我が国が撤収した以降も引き続き交易と協力は滞りなく行われる事になっております」


 カサブランカ沖海戦とスペインのジブラルタル占領で連合国の地中海方面での反抗作戦は当面の間は絶望的となった。更に英国の停戦で亡命政府が米国へ脱出した事により自由フランスの求心力も急激に衰えていた。その結果、ほとんどの仏植民地がヴィシー・フランス政府の支持と枢軸側への協力を表明していた。


 現在、自由フランスを支持している植民地はアフリカ中部とギアナとカリブ海の島々のみである。北米に近い植民地はカナダ同様に地理的に仕方なくという側面が強いが、アフリカについては経済面の損得からいずれ遠からず鞍替えするものと思われた。独の仏統治政策が大幅に緩和された事もあり、今では仏は枢軸国の一部と言っても良い状況であった。


「連合国の情勢につきましては、英国が脱落して以降、新たな賛同国は増えておりません。英連邦各国が宣言の破棄を行ったため、現時点での実質的な我が国との交戦国は米国および中華民国のみとなっております」


 連合国(United Nations)という呼び名の由来となっている連合国共同宣言は、昭和十七年(1942年)一月に英米中ソの4ヵ国を中心に26ヵ国の政府・亡命政府により署名された枢軸国に対して徹底抗戦を行うと言う宣言である。その後にメキシコ・フィリピン準備政府・エチオピアが署名し29ヵ国に拡大していたが、前述の様な情勢変化により英国・オーストラリア・ニュージーランド・インド・南アフリカの5ヵ国が宣言破棄を行ったため現在は24ヵ国に減少している。その後新たな署名国は現れていない。おそらくどの国も戦争の勝ち馬を見極めようと様子見に徹しているものと思われた。


 このため枢軸国との実質的な交戦国は米中ソの3ヵ国のみ、日ソ中立条約のある日本に限れば米中2ヵ国に減少していた。逆に枢軸側はポルトガルや南米各国へ枢軸側への協力を働き掛けている。未だ各国から明確な回答は無い物の悪くはない反応を得ていた。


「その中華民国についても国民党軍は連合国からの支援が長らく途絶えているため、同様に支援の無い共産党軍共々抵抗は下火になっております。現状は国共合作もほとんど有名無実と化し内戦が再び激しくなっております」


 日中戦争の開戦後、蒋介石の率いる国民党は米国で活発なロビー活動を展開した。これにより日本が世界平和の敵であるという世論誘導と英米ソからの支援取り付けに成功している。しかしその支援も太平洋戦争の開戦により香港・仏印が日本の勢力下となった事と独ソ戦の激化により途切れていた。連合国はインド・ビルマ経由で支援を継続しようとしたが日本のインド洋・豪州遮断により今では完全に途絶している。


 その結果、困窮した国民党は自らの支配地域の維持にも事欠くようになり、同様にソ連からの支援が途絶えている共産党との支配地域を巡る争いが再発していた。つまりほとんど内戦状態に逆戻りした状況である。日本が新たな作戦準備のため内陸への進出を控えている事もあり現在では日本軍への攻撃はほとんど行われる事が無くなっていた。


「以上の様に、現在連合国で直接戦火を交えるのは米ソのみとなっております。特に我が国に限れば相手となるのは米国のみの状況であります。米国に対してはソ連および英国経由で停戦交渉の打診をしておりますが米国の反応は無い状況であります」


挿絵(By みてみん)


 東郷が概況説明を締めくくる。続いて陸軍参謀総長 杉山元陸軍大将と海軍軍令部総長 永野修身海軍大将より戦況と今後の陸海軍の戦争方針について説明が行われた。


 その後、質疑応答と意見陳述が行われたが誰からも発言は無かった。陛下からも御発言が無い。これは特別奇異な事では無い。御前会議とはあくまで天皇陛下の御前で会議を行い陛下が御納得なされたという形をとる事が目的だからである。


 軍部の方針については御前会議に先立ち一週間以上前より首相官邸にて連日討議が行われてきた。陸海軍の草案を基に修正が行われ既に各方面の調整も済まされている。そして討議結果は二日前に杉山陸軍参謀総長と永野海軍軍令部総長から陛下に上奏済みであった。上奏をお聞きになられた陛下は最初はたいそう不服のご様子であったという。「軍部はまた戦火を拡げるのか」とのお言葉も発せられた。だが戦争を早期に終わらせるために必要であると説得され最後にはご納得されたと言う。


 東條は列席者を見まわし最後に陛下を見た。陛下が軽く頷かれる。それを確認して東條は閉会を宣言した。


「全員異議なしと認め、此れを以って閉会とする」


 陛下入御の後、出席者全員が書簡に花押を記す。憲法上、国策の決定過程における御前会議の位置づけは明確にされていない。このため御前会議の決定事項は後日の閣議決定を経て正式な国家の方針とされる。


 こうして新たな『帝国国策遂行要領』が決定された。



――横須賀 料亭 小松 紅葉の間


「閣議も無事に通った様だが……その、あれで本当に良かったのかね?」


 小松の新館の一番奥に位置する応接室で米内光政は座卓の向かいに座る山本五十六に尋ねた。既に馴染みの芸者は下げてある。部屋には山本と米内の二人しか居ない。卓上には数本の徳利とお互いの好物のみが並べられていた。


「何の問題ありませんよ。南方が片付いてインド洋方面も今ではフランスが肩代わりしてくれています。欧州打通が成ったおかげで長期戦になっても燃料弾薬の不安も減りました。同盟国との戦訓や技術交流も進んでいます。緒戦からの戦い詰めだった艦艇の整備と改装も粗方完了しました。海軍うちの作戦の他に陸さんの手伝いを多少したところで戦力に十分余裕はありますよ」


 米内の質問の意図は判っていた。だが山本は敢えて的を外して答えた。どうにもこの人は肝心な時に腰が据わらなくて困る。山本は水まんじゅうを一つ口に運ぶと手酌で杯を煽りながら心中で愚痴をこぼした。


「いや、もちろん戦力について不安が無いのは分かっているよ。しかしやはり米国とも停戦は出来ないものかね……」


 この優柔不断さで海軍大臣まで務めたと言うのだから驚きだ。所在無げにおからを箸でつつく米内を眺めながら山本は思った。


 神輿は軽い方が良いと担ぎ上げたのは自分だったな、そう言えばすっかり忘れていたと山本は思い直す。人の意見を良く聞いてくれるし支えた分だけ頑張ってくれるから上司としては良い人なんだが。ちょっと目を離した隙にまたぞろ誰かに変な考えでも吹き込まれたらしい。どうもこの人は最後に話をした人や親切にしてくれた人の考えに靡く癖がある。私欲は薄いから基本は善人なんだろうが。一緒に飲んで騒ぐ分には良い人なんだがねぇ……山本は感情を顔に出さない様に気を付けながら答えた。


「奏上の際に陛下もこれが最善手であると最後にはご納得されたでしょう?だいたい今の米国が交渉の席に着く事なんか有る訳無いじゃありませんか。我が国とドイツで両大洋を封鎖しても平気な国なんですよ、あの国は。彼らを停戦の席につかせるにはもう一押し二押しが必要です。そこら辺は米内さんも良くご存知でしょうに」


「その通りだがね……敵国とはいえ市井にまで被害が及ぶ事が本当に良いのかどうか……」


「今更何を甘い事言ってるんですか!戦争をしているんですよ我々は!我が国も4月の空襲で民間に多くの犠牲が出たのをご存じでしょう。欧州の方じゃ万単位で死んでるんです。そんな中で米国だけが戦場から離れて安穏としている。あの国は本当の戦争というものを知りません。多少なりとも米国の本土と国民を戦火に晒して教育してやる必要があります」


「米国民の戦意を却って高める事にならんかね?」


「それならそれで今と変わらないじゃないですか。何の問題もありません。しかし米国本土を攻撃すれば直接の被害以外に生活にも必ず翳りが出てきます。日常生活に影響が出れば戦争反対の声も少なからず出てくるでしょう。そして米政府はその声を絶対に無視できない。なにしろ民主主義を標榜してる国ですからね。その事はもう十二分に話し合ったでしょう?」


 山本は杯を卓に置いた。それは思いの外大きな音を立てた。その音に山本は少し顔を顰める。


 だいたい停戦になってしまえば自分はこれ以上の名声を望めなくなる。名声は今の戦況を作り出した南雲と潜水艦隊のものになってしまう。そしていざ停戦交渉となれば米内は親米派の筆頭と言う事できっとまた他の誰かに担ぎ出されるだろう。だが自分は開戦劈頭から連合艦隊を引っ張ってきた身だ。例え開戦前は戦争反対派だったとしても絶対に自分には声が掛からない。この先もずっとそうだろう。開戦前に身を引いて戦争の泥をかぶっていない米内とは違うのだ。山本は苦労した自分が報われず米内だけが良い思いをするのが許せなかった。



 山本の機嫌が悪くなったことを察した米内は慌てて話題を変えた。


「あぁ、もちろん理解している。陛下もご納得された事だ。今更反対なぞしないよ。それよりソ連の方はどうかね?米国と戦争中なのに本当にソ連とも開戦してしまって良いのかね?」


「昔、浦塩に残してきた情婦らが心配ですか?」


 いやいやもごもごと口を濁す米内を白けた目で眺めながら山本は考えた。そう言えばこの人は赤でもないのにどういう訳か親ソ派だったな。ソ連駐在の間に余程良い思いをしたらしい。まったく、この人がウラジオストクに居たのはもう20年も前だと言うのに。私欲は薄いくせにこういう所は公私混同が怪しくなる。まさに愛すべき善人の小人だな。外聞だけは良いから人望はあるが……次第に表情が悪くなっている事に流石に自分で気付いた山本は表情を取り繕うと意識して明るい声で答えた。


「大丈夫ですよ。むしろソ連とは積極的に早く開戦すべきでしょうね。昨年とは状況が大きく変わっています。今のソ連は本当に困窮しています。南方の油田地帯をドイツに脅かされて、今では浦塩に着く米国からの支援だけが生命線になってますからね」


 これまで日本はソ連とは開戦しない方針をとっていた。


 だが日本がまだ英米蘭ソとの開戦を決断していなかった昨年の七月頃、この時点では日本はソ連との開戦も本格的に検討していたのである。この事は「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」として第五回御前会議で決定されていた。これに伴い陸軍は関東軍特種演習、いわゆる「関特演」として兵力や資材の集積を進めている。しかし英米蘭との開戦可能性が高まり南方作戦が重視される様になった結果、対ソ開戦は見送られ現在に至っていた。


 関特演の検討時、陸軍はソ連極東方面軍30個師団が対独戦に引き抜かれて半減する事を開戦の条件としていた。一方ソ連も当然ながら日本の開戦を警戒しており対独戦の苦戦にもかかわらず、当初は極東方面軍から兵力を引き抜く事は無く、バイカル湖軍からの兵力抽出で凌いでいた。


 だが地中海の制海権を獲得し中東の油田を得て兵力と燃料事情の改善した独は、トルコとの交渉により黒海経由でソ連南部コーカサスの油田地帯へ何の支障も無く直接兵力を送り込めるようになった。コーカサスの油田に燃料を依存しているソ連は当然これに激しく抵抗する事になる。モスクワ方面でも苦戦しているソ連はこれまで控えていた極東方面からも大きな戦力抽出を行わざる得なくなっていた。


 そして現在、ソ連極東方面軍の兵力は関東軍が開戦条件とした半減レベルに落ち込んでいる。後詰となるべきバイカル湖軍も既に痩せ細っていた。日本が開戦したとしても苦戦の続く欧州方面から増援が送られてくる可能性も低く、それもシベリア鉄道を封じれば防ぐことが出来る。更に米国の対ソ支援は現在ウラジオストクルートのみとなっており、今これを断つ事は欧州戦線にも大きな影響を与える事が簡単に予想された。



「そうは言ってもソ連にはあのドイツですら苦戦しているじゃないか。先日ちょっと勉強会をのぞかせてもらったけど我が軍と独ソの装備の差は……戦車なんか素人の私が見ても大人と子供かって言うくらい違ったよ。あれじゃいくら頭数を揃えても乗せられる兵隊が可哀相だ。陸軍の方は本当に大丈夫なのかね?」


 英連邦との停戦により欧州との交流が復活した結果、日本にも欧州の戦いの実情や現物が入ってくるようになっていた。もちろんこれまでも、特に陸軍は熱心な情報収集を欠かしていなかったが、現物を見るのと聞くのでは大違いであった。わずか1年の間に欧州の戦争は様変わりしていたのである。


「私もそれは見ました。私も陸戦は素人ですが、まぁ関東軍の元の計画と装備じゃ勝ち目は薄いと感じましたね。ソ連は満州国境に恐ろしい程の地雷原と縦深陣地を築いているそうです。それに加えて仰る通り装備も雲泥の差だ。芸も無く攻め込めばあっという間に殲滅されるだけでしょう。だから陸さんも慌てて装備と計画を見直してきました。素直に海軍うちにも協力を依頼して来ましたしね」


 陸戦の実情を知った陸軍はすぐに計画の見直しを行った。それは作戦・攻略範囲・政略・装備等、多岐に及ぶ。


 まず陸軍は素直に海軍に協力を求めてきた。元の計画でもソ連太平洋艦隊の撃滅は海軍が行う事となっていたが、それに加えて陸軍が求めてきたのは地上部隊の航空支援であった。つまり機動部隊を常時近海に張り付け、洋上からの積極的な制空権確保と地上支援を行って欲しいと求めてきたのである。これは欧州戦線の実情から特に装備が劣る地上部隊の支援には制空権の確保と航空支援が欠かせないという認識が出来ていたからである。


 もちろん陸軍もドイツに倣って戦線と共に航空基地を前進させ自前の航空隊を展開するつもりであるが、作戦時期となる冬季に極東地域でそれを行う事は非常な困難が予想された。それが出来るのは洋上を自由に動ける空母を持つ海軍だけであった。海軍もこれまで手柄を独り占めしていたという負い目もあるため協力を了承した。海上からの航空支援を当てにするため、当初はイルクーツク辺りまで予定していた攻略範囲もアムール川以東と樺太北部、海岸から300km以内に縮小されている。目立つ攻略拠点もウラジオストクとニコラエフスク位しか無い。支援爆撃には密な連絡が必要となるため、海軍は司令部の連絡要員だけでなく現地部隊の観測員も陸軍へ出向させる予定であった。



「いくら航空支援があっても装備の差は如何ともし難いのではないかね?」


「いやいやそれが聞いた話だと、どんなに強力な戦車でも航空機の攻撃にはひとたまりも無いそうですよ。なんでも75mm砲を跳ね返す重戦車でも20mm機銃にあっけなく殺られるとか。それでも陸さんの戦車は弱すぎるらしいですから、慌ててドイツや英国から戦車を買ってくる事になったそうですがね」


 海軍が陸軍に協力するくだりから機嫌の戻ったらしい山本が米内に説明する。酔いが回っているせいか少し饒舌になっていた。そして山本の言う通り、いくら航空支援があっても陸軍の装備する戦車には不安が有った。


 当時陸軍が装備していた主力戦車は九七式中戦車チハである。制式化された頃は世界的に見ても十分優秀な戦車であったが、その後の戦車の急速な進化により現在では陳腐化している。かろうじてソ連の戦車に対抗できると思われる47mm新砲塔を備えた改良型も今年に入って漸く量産が開始されたばかりであり、まだ数十両しか存在していない。75mmの九十式野砲を備えた一式砲戦車ホニも制式化はされたものの未だ一両も量産されていない。


 ソ連開戦を主張していたはずの陸軍は、いざ開戦となって現実を知ると青くなり慌ててドイツに泣きついた。しかし一両でも戦車が必要なドイツにその様な余裕は当然なかった。フランスやイタリアも日本より多少マシな戦車しか持っておらず、そもそも日本に渡せるだけの数も無い。そこで陸軍は停戦したばかりの英国に目を付けた。目当てはレンドリースで米国から大量に受け取っていたはずのM3やM4等の米国戦車である。


 しかし英国に問い合わせてみると残念ながらレンドリースの戦車はほとんどが米国に返却された後だった。考えてみれば敵を利する様なマネを米国が許す訳もなく停戦時点で返却可能な状態だった艦船・戦車・航空機等の主なレンドリース品は最優先で返却が行われたと言う。


 一時は意気消沈した陸軍だったが、英国から逆に提案された内容に驚くことになる。なんと英国内には手つかずの新品戦車が千両以上あり、それを格安で売却してくれると言うのだ。その話に陸軍は飛びついた。


 その戦車の性能は残念ながら陸軍が期待した独ソの最新戦車に匹敵する程ではなかった。攻撃力は新砲塔チハと同程度に過ぎず防御力もチハより多少マシな程度である。しかし何しろその数と価格が魅力であった。戦争は数である。そして軽量快速という特徴も陸軍の好みに一致した。


 こんなに優秀な戦車を使いもせずに大量に保管しているとは、さすがは腐っても英国だと陸軍は感心した。交渉を担当した陸軍担当者は契約時に英国の担当者がなぜか妙に愛想の良い事が少々気にはなったものの、その価格と性能に間違いないことを確認し輸入契約を結んだ。そして現在は次々と日本へその戦車が運び込まれ部隊編成と訓練が行われている最中であった。慣習に従い倫敦型戦車と命名されたその戦車はチハより強力であるにもかかわらず軽快で冬季のシベリアでも車内が暖かかった事から陸軍戦車兵に非常に好評であったという。


挿絵(By みてみん)


 尚、大量に保有する旧砲塔チハについては、ドイツの三号突撃砲を参考に最新の傾斜装甲を取り入れた低姿勢な砲戦車に改造し活用する計画を立てていた。これは翌年に三式砲戦車(ホニIII)として制式化される。


挿絵(By みてみん)


 また質量ともに不足する機甲戦力を補うため、ドイツのHs129を参考にした対戦車攻撃機も計画されていた。これは丁度急降下爆撃能力を付与しようとしていた九九式双発軽爆撃機(キ48-II)の爆撃能力をなくす代わりに装甲と機関砲を追加する形で実現し、こちらも翌年にキ48-II丙として制式化される。


挿絵(By みてみん)


 これらの兵器は対ソ開戦時には間に合わなかったものの、翌年中盤からソ連戦車を相手に活躍する事となる。



「ふむ。陸軍もちゃんと考えてはいるんだねぇ」


「今回は海軍も協力しての上陸作戦ですからね、浦塩の裏口から攻め込みますから装備も良くなれば攻略は難しくないでしょう。あとはシベリア鉄道さえ押さえれば東部沿岸と樺太の確保は陸さんの言う通り難しくありません」


「しかし時期的にハワイ方面と同時作戦になるだろう?海軍うちの方は大丈夫なのかい?」


「ソ連太平洋艦隊は数だけは多いですが旧式艦の寄せ集めです。練度も低い。地上支援とあわせても一航戦の空母二杯で十分でしょう」


「また今度も南雲君に任せるのかい?君は本当に南雲君がお気に入りだねぇ」


「彼は泊地攻撃に慣れてますからね。適任でしょう。作戦予定時期には北方も流氷で閉ざされますからソ連艦隊を逃がす事もありません。釜山や舞鶴も近いから陸さんへの支援が長期にわたっても大丈夫です。ハワイ方面については私が直率しようと思っています」


 そうだ南雲は据え物切りなら得意だからな。今回もお似合いだろう。それにソ連方面は陸軍主体の戦いだ。いくら南雲が手柄をあげても称賛は陸軍に行く。南雲がこれ以上称賛される事はない。彼にはしばらく陸さんに付き合ってもらって、その間に自分はハワイの方で稼がせてもらおう。年末の定期異動は作戦で延期になるだろうが作戦後にはどこか静かな所で休養してもらうのも良いな。兵学校の校長なんか適任かもしれない。経験が大いに役立つはずだ。そうだそれがいい。気楽に頷く米内を横目で見ながら山本は暗い笑みを浮かべた。



「ソ連は良いとして、ハワイ方面のフネは足りるのかね?」


「足りない分は六艦隊から一時的に潜水航空母艦を引き上げます。小松君には代わりに英国から購入する小型空母を渡すことになってますしね」


 英国は危うい所で米国のレンドリースの軛からは脱したものの戦争で疲弊した経済を復興するために現金を必要としていた。そこでどうせ軍も縮小するからと不要となった兵器の大セールを行っていたのである。陸軍への戦車売却の話もこの一環であった。


 当初日本海軍も建造中で間もなく進水するインプラカブル級航空母艦の売却を打診したが、さすがにこれは英国海軍再建の柱となる艦のため断られた。その代わりに英国から提示されたのが老朽化した空母フューリアスと護衛空母アクティヴィティ、そして就役間近であった中型空母ユニコーンの売却であった。特にユニコーンは最初から支援任務を重視した設計となっており日本海軍の潜水航空母艦任務に最適と考えらえた。


 既にこれら3隻の空母は日本へ回航する準備が進められており、それぞれ風龍、活鷹、角鳳と命名される予定である。回航後は潜水航空母艦としての改装を受けた後に第六艦隊へ配属される事も決定していた。


「急に潜水艦隊から母艦を引き上げて混乱は起きないのかね?すぐに空母として運用できるのかい?」


「こういう時のための空地分離ですよ」


 日本海軍は第六艦隊へ空母を潜水航空母艦として融通する際、これまで一体運用だった飛行部隊と支援部隊を分離し任務に合わせ個別に配置する方式に切り替えていた。これを空地分離と言う。この方式は既に陸軍航空隊では戦前より導入されており実績もあった。空地分離方式の採用により、送り込む飛行部隊を変えるだけで空母任務と潜水母艦任務を柔軟に素早く切り替えられるようになっていたのである。まだ細かな問題は多々あったものの、今の所、新方式は概ね順調に運用されていた。


「しかし今度は敵の前面に拠点を築く事になるんだが……心配無いのかね」


「陸さんの方もそれは心配しています。それで今、千葉の茂原と神奈川の藤澤で急速設営の工法研究を陸海共同でやらせています。年内には結果が出るでしょう。重機の方も英独からの輸入と国産の両方で賄えるらしいです」


 陸軍は対ソ開戦にあたり不足する地上戦力を補うためドイツ式に前線の移動に合わせて航空基地も移動させる予定であった。一方海軍もハワイ攻略の足掛かりとしてミッドウェーに素早く基地を構築する必要があった。このため陸海軍ともに飛行場や掩体を急速設営する工法を必要としていたのである。


 共同研究の結果、掩体の急速設営工法としてZ工法と呼ばれる各種工法が編み出された。この中からミッドウェー攻略には現地で水の調達が困難な事からZ1工法が採用される事となる。これはあらかじめ所定の形状に作成した鉄筋コンクリートブロックを現地で組み合わせるもので、いわば現代のプレキャスト工法に相当する。一方陸軍は土饅頭の芯を鉄筋コンクリートで覆い、硬化後に土を掻き出すZ5工法を採用した。


 滑走路の設営工法についても掘削した表土にセメントを直接混ぜて舗装する表土コンクリート工法が開発された。ある程度の機械化が必要な工法であるが、前述のように輸入と国産で何とかなる目途がついていた。


 特に排土車ブルドーザーについては、開戦前の昭和十五年にもともと対ソ戦を検討していた陸軍が小松製作所に設計を依頼済みであった。関特演時には既に設計が完了していたものの太平洋戦争の開戦と対ソ戦中止によりお蔵入りとなっていた。しかし今回あらためて対ソ戦が決定した事によりこの排土車はトイ車として制式採用され量産が開始されている。この車両は海軍でも一型均土機として採用され攻略後のミッドウェーに持ち込まれる予定であった。



 いつの間にか話がえらく細かい所に逸れてしまったため、山本は話題を変える事にした。


「そうそう、米内さんの心配されている市民への被害も意外と少なく済むかもしれません」


「あぁ例の新皇帝さんの話だね」


「陸さんも満州で味をしめたんでしょう。同じ手管とは芸が無いですが今回も有効だとは思います。わざわざドイツから海軍うちの潜水艦で連れて来てやったんです。海軍としても少しは役立って欲しい所ですね」


 伊34の木梨艦長がドイツから帰国する際に乗せてきた外国人こそが米内が新皇帝と呼ぶ人物、ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフであった。彼の父、ロシア大公キリル・ウラジーミロヴィチはロシア革命で殺害された皇帝ニコライ2世の従弟でありロマノフ家の生き残りの中で最も帝位継承権が高い人物であった。その父の死後、長子であるウラジーミルはロマノフ家の正統継承者を主張している。


 第二次世界大戦の開戦時、フランスに居たウラジーミルはドイツに拘束された。そして対ソ戦への協力を求められたが拒否したため強制収容所に監禁されていた。その彼に英国停戦後にソ連開戦を再検討していた陸軍が目をつけ日本に連れて来ていたのである。


 来日当初、当然ながらウラジーミルは日本への協力も頑なに拒んでいた。しかし日本がドイツと異なり小なりとはいえ国家としてのロシア帝国復活を提案している事で逡巡する様子を見せる様になっていた。陸軍が提案している東ロシア帝国と名乗る予定の新国家はアムール川以東を領土としウラジオストクを帝都とする計画であった。


 最終的に決め手となったのは密かに行われた天皇陛下との面談であった。陛下はウラジーミルに天皇家同様に永き歴史をもつロマノフ帝室が途絶える事が忍びないこと、困窮しているロシア国民を早く救いたいというお気持ちを直接お伝えになられたと言う。そしてウラジーミルは直接の戦争協力は行わない事を条件に陸軍の計画に同意する事となった。


「最初はなかなかに強情だったらしいよ。結局、陛下御自らが、ドイツや我が国への戦争協力ではなく、あくまでロシア国民と帝室を慮っての事だと説得されてようやく首を縦に振ったそうだ。今はどこぞの御用邸で保護されているらしいね」


「革命の時にはニコラエフスクなんかで赤軍は好き放題やりましたからね。今も独ソ戦で人や物資を無理やり出させられているそうですし、陸軍の見立て通り現地ではソ連共産党への反感が相当あるでしょう。それにロマノフ帝室再興となれば米国に亡命している各国王室も血縁絡みで対応に迷うでしょうね。陸軍の策は意外と効果的かもしれません」


 嬉しそうに相槌を打つ米内を見ながら山本は別の事を考えていた。こういう方面の情報は相変わらず早いな。それに米内さん本人は気づいていないかもしれんが取り巻きにソ連に近い人間がいる可能性がある。米内さんから新皇帝の話が漏れて暗殺でもされたら元も子もない。一応釘をさしておくか……


「米内さんもよくご存知ですね。ところでこの話は誰かに、特に軍関係以外の人に話しましたか?」


「いやいや、機密だって事はわかっているよ。もちろん大丈夫だ」


「それなら安心しました。何しろ彼は対ソ戦の肝ですからね。情報が洩れて暗殺などされたら大事です」


 目を泳がせながらコクコクと頷く米内を眺めながら、山本はどうやって角を立てずに陸軍に注意を促すか算段を立てていた。



 こうして陸海軍は昭和十八年(1943年)の年明けを待って、ソ連に開戦すると共にハワイ方面ミッドウェーへ攻勢をかける事となった。

チャンドラ・ボース?そんな人知りません。

それとこの世界ではミッドウェー海戦は起きないと言ったな。あれは嘘だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] そして米政府はその声を絶対に無視できない。なにしろ民主主義を標榜してる国ですからね。 ジェイムス・ジョンソン「君は「民意」が社会に反映されるのを見たことでもあるのか?」
[一言] 1000両の新品の戦車…担当の愛想が妙に良い、冬季のシベリアでも暖かい、カヴェナンター…あっ(察し) ジョンブル共、欠 陥 品 押 し 付 け や が っ た ! !
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