第十三話 帝国の落日
大変お待たせしました。
二話に分けようかと思いましたが切りが悪いので一話としました。そのため少し長めになっています。ご容赦ください。
――英国 ロンドン ウェストミンスター寺院
ロンドンの中心地、ビッグ・ベンのある国会議事堂の隣に建つウェストミンスター寺院は、日の沈まぬ国と言われた英国の歴史そのものと言ってよい。11世紀に建てられたそこには千年近く前から歴代の王族や政治家達、そしてこの国を代表する多くの芸術家や科学者らが葬られている。
その薄暗い霊廟を男が一人歩いていた。既に日も暮れた時刻であり霊廟には男の他に誰も居ない。壁にまばらに備えられた弱々しいランプの光が男の周囲に複雑な影を編んでいる。男は何かを探すように足元を見ながら歩いていた。そして漸く目的の物を見つけたのか霊廟の一角で立ち止まった。
「シャンパンを持ってきた。確か君の好物だったな」
その声は小さかったが男の他に生者の居ない霊廟に意外なほど大きく響いた。まだ8月末とはいえロンドンは既に肌寒い季節となっている。黒いフロックコートを着たその男は英国首相のウィンストン・チャーチルであった。
「ちと冷たいが火照った体には丁度いいな」
彼は冷たい石の床に胡坐をかく。そして懐からシャンパンのボトルと二脚のグラスを取り出すと床に置いた。
「悪いが私の好きな銘柄にさせてもらった。君の好みを知らんものでね。ご子息に聞こうかと思ったが門前払いされたよ。こんな事なら一度くらいは君とサシで飲んでおくべきだったな」
グラスが置かれた床の先には四角い墓碑が埋め込まれていた。
†
NEVILLE CHAMBERLAIN
1869-1940
PRIME MINISTER
1937-1940
それはチャーチルの前任者であったネヴィル・チェンバレンの墓であった。装飾のひとつも無く小さな十字架と簡潔にすぎる銘が刻まれただけのそれは、近くにある彼の父の大きく立派な墓と比べると、一国の首相を務めた者の墓としては酷く質素なものであった。チェンバレンは戦争の責任を取って首相を辞任し、そのわずか7ヵ月後に胃癌で失意のうちにこの世を去っていた。その床に埋め込まれた寒々しい程に質素な墓碑は、人に踏まれる事でせめてもの贖罪を求めているかの様だった。
チャーチルはボトルの頭をコートの端で包むと栓を開けた。くぐもった音が霊廟に響く。彼は二つのグラスにシャンパンを注ぐとチェンバレンの墓碑に語りかけた。
「枢軸国と休戦することにしたよ。おそらくこのまま講和となるだろう。君の努力も稼いでくれた時も私は全て無駄にしてしまった。せっかく君が命を賭してまで憎まれ役を買ってくれたというのにな。それに報いるどころか、謝罪の一つもできなかった……今更もう何もかもが手遅れだがね」
英国のみならず世界ではチェンバレンは無能の代名詞となっている。ヒトラーの真の姿を見抜けず宥和政策を続けドイツへの宣戦布告の時期を逸し、最終的に英国はおろか欧州や世界をも危機に陥れた愚か者という評価だった。散々な評価ではある。だが表面上の事実は間違ってはいない。遺族が強く反論してはいるものの英国内で耳を貸す者は誰もいなかった。
だが事実を注意深く見ていくと真実は全く逆であった事が分かる。
ドイツは1935年(昭和十年)に再軍備宣言を行いラインラントへ進駐した。これは1937年(昭和十二年)に首相に就任したチェンバレンの責任では当然ない。ドイツと国境を接しており、もっと危機感を持つべきであったフランスの中途半端な対応もチェンバレンの与り知らぬ事である。
それ以降のドイツへの対応も、むしろチェンバレンは低迷する英国経済の中で非常に良く行っていたと言える。彼はドイツの膨張と枢軸国との戦争は避け得ないものと考えていた。だが彼が首相になった当時、英国にはドイツに対抗する準備が成されていなかった。武力で対抗する術が無い以上、交渉で時間稼ぎをする以外に手は無かったのである。このためドイツに対しては宥和政策をとりつつ彼は自国軍備の増強に一切手を抜く事は無かった。そしてギリギリまで開戦を引き伸ばし準備を整える事に成功したのである。
例えば当時英国は無条約時代に向けて新標準艦隊と呼ばれる10ヵ年の建艦計画に従い艦隊を整備していた。その計画は宥和政策の裏で枢軸国の脅威にあわせて毎年の様に見直され着実に実行されていた。開戦初期から英国海軍を支えてきた新型戦艦や空母、多数の巡洋艦や駆逐艦はすべてこの計画により建造されたものである。またスピットファイア等の新型機の開発や大量発注もチェンバレンの政権下で行われていた。
チャーチルは政権を執ってから派手派手しくドイツへの反抗を宣言したが、その軍備はすべてチェンバレンが苦労して計画的に用意したものである。つまりチャーチルの功績はチェンバレンの努力を横から掠め取った様なものだとも言えた。
もちろんその事はチャーチルも十分理解していた。だが当時は国内を取りまとめるために憎まれ役が必要であった。チェンバレンはそれに打って付けな存在であったのである。チャーチルはチェンバレンの努力を知りつつも一切擁護する事無く攻撃し挙国一致内閣をまとめ上げた。チャーチルはいつかは謝りたいと思っていたが、その機会も無いままチェンバレンは早逝してしまった。
チャーチルはシャンパンを煽るとグラスに注ぎ足す。彼はここに来る前に既に酔っている様だった。
「大英帝国の誇りを捨てて植民地人らに頼り過ぎたツケだな。いや、かつての忠実な同盟国を裏切った報いか」
実は日本と米国を第二次世界大戦に引きずり込んだ張本人はチャーチルであった。当時日本は日中戦争の最中であり新たな戦争を回避する事に必死であった。一方米国でもルーズベルトは戦争を行わない事を公約に大統領に当選していた。両国とも欧州の戦争に関わる気は全く無かったのである。
このため日本はフランス崩壊後もすぐにインドシナへは進駐せず、イギリスへは蒋介石への協力を行わない様に要求したのみであった。その日中戦争にしても日米交渉の結果、日本は中国からの撤退を一時は決めかけていたくらいである。
だがマスコミ工作と外交情報の暴露で日米交渉をぶち壊しにしたのがチャーチルの率いる英国であった。それも全て日本を通して米国を戦争に引きずり込み、積極的な戦争協力を引き出すためだった。
「元々彼らは戦争なんぞする気が無かった。それを上手く戦争に引きずり込めたと最初は手を叩いて喜んだものだったが……甘かったな」
チャーチルの誤算は日本が予想外の強さを見せた事だった。増強した東洋艦隊で抑え込めると思っていたアジアの植民地はあっさり崩壊し、頼りにしていた米国は太平洋方面で封じ込められている。今更悔やんでも仕方が無い事ではあるが、元を辿ればその誤算は20年前のワシントン海軍軍縮会議で米国の口車に乗って日英同盟を破棄してしまった事が遠因かもしれない。
そしてとうとう地中海に破局が訪れた。
「戦況がちょっと酷い有様でね。君が苦労して準備してくれた海軍戦力もとうとう底をついてしまった。英国は地中海から叩き出されてしまったよ。議会の方も、あれ程徹底抗戦を叫んでいた癖に、今じゃ皆手の平を返して休戦派がほとんどだ。米国が参戦して希望が見えた後にこれだから国民の失望も大きい。もう我が国は身も心も戦争を続ける力が無くなってしまったよ」
トーチ作戦失敗の2週間後、スペインのフランコ政権が突然枢軸国側での参戦を表明しジブラルタル要塞を急襲したのだ。この攻撃には多数のドイツ軍も加わっていた。英国もジブラルタル要塞がスペイン側からの攻撃に弱い事は承知しており、これまでいくらか改善も行っていた。だが途絶え気味な補給と空軍戦力の引き抜きにより弱体化していた要塞はわずか半日の戦闘であっさりと陥落してしまった。更に長く補給を絶たれ既に限界を迎えていたマルタ島とアレキサンドリアもジブラルタルの陥落で補給の望みが完全に絶たれたため、その二日後に相次いで降伏した。
こうして地中海は今や完全に枢軸国の海となっていた。枢軸国の軍事同盟もすぐに日独伊西の四ヵ国に拡大されている。一方英国はと言えば強大だった海軍は見る影もなく痩せ細り、世界中の植民地や連邦諸国との連携もとれない。誰が見ても追い詰められている状況であった。
「休戦しても今のフランスより酷い事にはなるまい。だがこの先アメリカに頼って戦争に勝った所で戦後に食い物にされるだけだ。戦後世界の経済覇権はアメリカ一国が握ることになるだろう。そこに我が国の未来は無い……ケインズ君にも今度は国を潰すつもりかと罵られたよ」
チャーチルのもう一つの誤算は米国の野心を軽く見た事だった。確かに米国はその巨大な経済力と生産力で英国を支援してくれた。だがそれは完全に善意からのものでは無かった。レンドリース法で貸与される物資は無限でも無償でもなく英国の対外資産額と一致する様に常に巧妙にコントロールされていたのである。つまり米国は戦争の裏で英国を経済的に侵略し丸裸にしていた。このままでは戦後は米国が世界で唯一の超大国となり英国は欧州の片隅の一属国に成り下がる事は明らかであった。金本位制復帰の頃からチャーチルと激しく対立している経済学者ジョン・メイナード・ケインズもレンドリース法による米国の経済覇権と英国の凋落を非常に危惧していた。
「もちろん責任は取る。後はハリファックス卿に任せる事にした。今の情勢なら適任だろうよ。もともと彼が首相のはずだったからな。もしそうだったら戦争なんぞ端からしておらんかったかもしれんな」
ハリファックス伯爵エドワード・ウッドはチェンバレン政権で外相を務めており宥和政策の推進者であった。チェンバレンの後任は本来はチャーチルでなくハリファックス卿であったとも言われている。そしてチャーチル政権でも駐米大使を務めていた。このため彼はドイツにも米国にも顔が利いた。
チャーチルはグラスのシャンパンを一息で飲み干した。
「まったく……こんな時でもポル・ロジェは旨いな。最近は手に入れるのも一苦労だったが、じきにまた楽に手に入る様になるだろう。これを飲みたいがために苦労したはずだったんだがな……皮肉な話だ」
チャーチルは立ち上がった。酔いのせいか少しふらつく。
「さて、そろそろ行くとするよ。私もただ退くだけじゃ無責任だからな、近々ルーズベルトに会ってくる。アメリカもさぞかし怒るだろうが理解してもらうしか無い……君への詫びの方は、いずれそちらに行った時にでも改めてさせてもらおう」
そう言うとチャーチルは霊廟を立ち去った。後には空のボトルとグラスが残されていた。
翌日チャーチルは、枢軸国との休戦と宥和を主張するエドワード・ウッドを後任に指名し首相を辞任した。
――米国 ワシントンDC ホワイトハウス 大統領執務室
「明確な共同宣言違反ではないかね?これは我が国だけでなく世界平和に対する裏切りに等しい。これまで我が国は貴国を十分に援助してきたと思っていたのだが。いつから貴国はこんな恥知らずな国になったのかね」
1942年(昭和一七年)9月、チャーチルは特使として米国を訪れていた。既に駐米大使だったエドワード・ウッドは本国に帰還し首相に就任している。後任の駐米大使は決まっていない。もっとも現在の情勢では新たな駐米大使が送られてくる事は当面無いと思われた。
チャーチルに対するルーズベルトの態度は非常に冷たい。5月にワシントンで会談した時とは真逆である。それは会談の場に表れていた。ホワイトハウスには複数の貴賓室があり重要な外交会談は普通そこで椅子を並べて行われるものである。だが今日は執務室の大統領デスクを挟んで会談を行っていた。チャーチルには椅子も用意されていない。彼は特使として米国を訪れていたが実際は米国が詰問のために大使を呼びつけた形に等しかった。
「これまでの貴国の我が国に対する援助にはもちろん大変感謝している。だが我が国にはもう物理的に枢軸国に対抗する力が無くなってしまった。貴国と違って我が国は直接彼らと対峙しているのだよ。現実問題として対抗が不可能となってしまえば宣言になど意味はない。それとも貴国は今すぐ枢軸国の脅威を取り除いてくれるのかね?」
英国首相に就任したウッドはすぐに枢軸国との停戦交渉を開始した。これは今年1月に調印されたばかりの連合国共同宣言に明確に反するものである。英米を含む26か国で調印されたその宣言では、各署名国は単独で枢軸国との講和や休戦を行わないことを宣誓していた。
だが当時は条約の脱退や反故はよくある事であり、現代と違いその遵守が重視される時代ではなかった。またあくまで共同「宣言」であり条約のような明確な規定や罰則もない。現実に脅威に直面した国を各国が協力して援助する事が謳われているが、実際に救えない場合どうするのかも語られていない。つまり宣言はあくまでも基本方針を確認した努力目標のようなものであり、一時的な単独講和はやむを得ない事も暗黙の了解であった。ルーズベルトもそれは承知しており冒頭の言葉はあくまで嫌味のようなものであった。
「その割には王室も国外脱出せず亡命政府も立てないそうじゃないか。限界だと言う割には随分と余裕がありそうだがね」
「陛下は常に国民と共にある事をご希望されている。国外への脱出は望んでおられない。余裕だと言うがアメリカは我が国の都市が全て灰塵に帰するまで枢軸国に徹底抗戦しろとでも言うのかね?アメリカ一人が安全な所に居たままで。あぁそう言えばそれが君たちの望みでもあったな。これはご期待に添えそうも無く申し訳ない事をした」
チャーチルの明け透けな嫌味にルーズベルトは一瞬目を逸らした。
「連邦諸国や植民地はどうするつもりだ?」
「さあね。植民地は本国に従うが連邦諸国がどう対応するかは我々の与り知らぬ所だ」
英連邦は1931年に制定したウェストミンスター憲章により英国国王に忠誠を誓う独立国家の緩やかな集合体に変貌していた。そこには連邦各国に対する英国の絶対的な命令権はない。枢軸国と停戦するもしないもチャーチルの言う通り各国の自由意思であった。
「オーストラリア方面については年末には補給の再開が見込めるのだがね。来年には太平洋方面での反抗作戦も始まるだろう。それにカナダはそもそも被害を受けていないはずだ。それでも彼らは停戦を考えるのか?」
「彼らも歴とした独立国だ。陛下への忠誠さえ違わなければ判断は各国の自由に委ねられる。まぁ本国が戦争から降りる以上、自国に枢軸国から直接的な脅威が無ければ彼らに戦争を続ける意味が有るとは思えんがね」
米国も既にオーストラリアとニュージーランドが日本から停戦交渉が持ちかけられている事を掴んでいた。両国とも英国本国のみならず米国やインド方面との通商を遮断されており経済的に追い詰められている。これまで英国支援のために差し出した人的物的負担も大きい。国土への侵攻や攻撃が無い事が保障されれば停戦を飲むのも時間の問題と思われた。そうなれば両国に駐留する米軍も撤退を求められるのは明らかである。現時点では補給が途絶え遊兵化しているとは言え、両拠点を失えば米国の防衛ラインは一気にハワイ・ミッドウェーまで後退する事となる。
更にカナダまで停戦に同意すれば米国は潜在的な仮想敵国と9000km近い長大な国境線で接する事となる。おかげで米国は大昔に作成した対カナダ戦争計画の再検討と陸軍・州兵の大幅動員を余儀なくされていた。
ルーズベルトはため息をつくと室外に待機させていた男を呼んだ。
「貴国と連邦諸国が宣言を無視して枢軸国と勝手に講和するつもりだという事は理解した。だがこれまで我が国が貴国らへ行った援助が無償ではない事は忘れておるまい。あくまであれはレンドリースだ。貴国が戦争を遂行しないならば今すぐ返済する義務がある。ホワイト君、説明したまえ」
銀縁眼鏡の奥に冷たい目を持つ男が手に数枚の紙を持って入室してきた。彼、ハリー・デクスター・ホワイト財務次官補はレンドリース法の実質的な推進者である。また実はソ連のスパイという裏の顔も持っていた。ソ連のアジア方面の脅威を取り除くため本来は穏健だったハルノートの内容を過激なものに変え日米を戦争に駆り立てた張本人でもある。チャーチルが英国の思惑で日米を第二次世界大戦に引きずり込んだ犯人ならば、ホワイトはソ連の意向で戦争を煽ったもう一人の犯人と言えた。
ホワイトはチャーチルに数枚のレポートを渡した。
「そこに書かれているのが現時点でのレンドリース品目の一覧と総額です。凡そ120億ドルとなります」
ホワイトはレンドリースの各品目について淡々と説明した。当時の英国のGDPは凡そ250億ドル(1990年国際ドル換算で3500億ドル)である。レンドリースで米国が英国に貸し付けた額はGDPのほぼ半分に相当していた。そしてこの額は英国の対外資産額の範囲内に抑えられていた。これはソ連に対するレンドリースがほぼ無制限である事と対照的である。あと2年も戦争を続ければこの借金は英国の対外資産と同額に膨れ上がる見込みだった。つまり米国は同盟国を装いつつ英国がいつ戦争を止めても取りっぱぐれる事が無いどころか身包みまで剥ぐつもりであった。
「確か我が国からも基地や武器の提供をしていたはずだが」
「もちろんリバースレンドリース分は差し引いてあります。ごく僅かな額ですが。その一覧については最後のページをご覧ください」
英国は米国から兵器や物資を一方的に受け取るだけでなく、逆に米国に対して自国の兵器を供給したり一部の基地の使用を認める等のリバースレンドリースと言われる事も行っていた。だがその額は10億ドルにも満たないものである。レポートを見終えたチャーチルにルーズベルトが話しかけた。その表情にはもはや温かみの一片も無い。
「貴国が戦争を継続するならばレンドリース額を割り引く事も検討しよう。長期の分割返済も考慮しよう。だが枢軸国と講和するとなれば話が違ってくる。いわば敵国に寝返る様なものだからな。貴国とのこれまでの付き合いを考えると非常に申し訳ないが、割引も分割返済も認められん。一括で返してもらう必要がある。こちらも国民を納得させる必要があるものでね。まぁ断った所で貴国の我が国にある資産を凍結、差し押さえするだけだが」
当然英国には一括で支払うだけの財力は無い。米国にある資産を差し押さえられれば英国経済が一瞬で麻痺する事も明白である。これで英国が翻意する事を米国は期待していたのであろうが、英国も米国がその程度の恫喝をしてくるだろう事は予想していた。
「それは困るな。経済は生き物だ。金と言う血の流れが止まってしまえば死んでしまう。ここに来る前にケインズ君にそう教わったよ。だから金は払えない。申し訳ないがね」
「そう言われてもこちらは資産を差し押さえるだけですが」
「代わりに土地を差しだそう。カリブ海の西インド諸島でどうかね。我が国にとってはただの飛び地だが貴国ならば有効活用できるのではないかね」
ルーズベルトはホワイトを見た。確かにキューバ―、ハイチからベネズエラにかけて弧を描く様に連なる英領西インド諸島はカリブ海の支配も目指す米国にとって喉から手が出るほど重要な拠点であった。当然その資産価値もホワイトら財務省で英国の対外資産の一部として既に査定済みである。だがジャマイカ以外は小さな島々に過ぎない。戦略的な価値を無視した資産価値はそれほど高くなかった。
「残念ながら少々足りません」
ホワイトは英国の対外資産を調べ上げ査定した分厚いファイルで確認すると冷たく答えた。だがそれはチャーチルら英国側も想定済みの回答であった。
「だろうね。我々もそう考えている。ところで近々、我が国の艦艇が大挙して貴国に到着するはずだ。どうやら我が海軍は今回の停戦交渉に納得できない様でね。貴国への亡命を希望しているらしい。ドイツからは艦隊の保全を要求されていたが残念ながら出航を止める事ができなかった。もったいない事に我が国の最新鋭の戦艦と空母も行ったようだ。せっかくだから、それらの艦を返済に充ててもらえんかね。我が国の見立てではカリブの島々にそれらの艦を加えれば凡そ足りるはずだ。ちょうどカサブランカの損失の埋め合わせにもなると思うが、どうかね?」
停戦交渉が始まった事から英独はしばらく戦闘を控えていた。この隙をついて英国艦隊の大部分はスカパ・フローやポーツマスを出航し米国へ脱出したのである。その中には修理中の空母ヴィクトリアスや戦艦KGV、デュークオブヨーク、そして進水したばかりの戦艦アンソンとハウも含まれていた。(建造中の空母インプラカブル、インディファティガブルは工事進捗は進水間近であったが自力航行できないため脱出していない)
確かにカサブランカで戦艦と空母を失った米国にとって、それらの艦は入手するだけの価値があった。主な脱出艦艇リストを聞いたルーズベルトは再びホワイトを見た。ホワイトは頷いた。
「いいだろう。その線で債務処理の詳細を事務方と詰めてくれ。あと分かっているとは思うが、今後もし貴国が枢軸国に協力すれば我が国も貴国を敵として攻撃せざるを得ない。その点は理解しておいてもらいたい。こんな形で敵味方に分かれる事になるとは誠に残念だよ」
「もちろん理解している。我々がフランスに行ったのと同じ事だからね。ではもう会う事は無いとは思うが、お互いの国の未来が明るい事を願うよ」
そう答えたチャーチルは執務室を出ようとして、何かを思い出したかの様に振り返った。
「そうだ大事なことを思い出した。Tube Alloys(原爆計画)については枢軸国に黙っておく努力はしよう。だが情報が洩れる可能性はある。まぁ研究は貴国の方が進んでいる様だから漏れたところで情勢に影響はあまり無いだろうがね。その点は一応了承してくれたまえ」
この時期、米国はちょうどマンハッタン計画を本格的に始動しようとしていた。だが既に研究は進められており予算や人材の差から先行していたはずの英国の研究はあっさり抜き去られていた。更に英米の情報共有も不十分であったため英側の研究は足踏みをしている状況である。それでも枢軸側の研究に比べれば実は遥かに進んでいたのだが、その事実を連合国側は把握していなかった。
これで話も全て終わったとばかりに部屋を出ようとしていたチャーチルだったが、ドアの所で再び振り返った。
「あぁそうそうもう一つ忘れていた。もうすぐ到着する艦艇だがね、我が国に居候していた亡命政府の方々も乗船している。どうか彼らも引き取ってくれたまえ。ド・ゴール君も乗っているはずだ。これについては只でお譲りするよ。元同盟国のせめてもの誼だ。それと艦の乗組員だが、おそらく皆が亡命を撤回すると思う。申し訳ないが彼らは後で全員本国に送り返してもらえないかな」
英国には多くの政府が亡命していた。海外植民地の協力や義勇兵の募集など役に立つ面もあるが、戦後の枠組みを考えると扱いに困る面もあった。特に自由フランスのシャルル・ド・ゴールは立場を弁えない傲慢な振る舞いや要求も多く英米ともその扱いに非常に困っていた。英国はこの際それらの面倒を一切合財米国に押し付けるつもりであった。
英国への戦争支援の裏での経済侵略を狙っていた米国に多少の意趣返しが出来たチャーチルは、苦虫を噛み潰した様な顔をしたルーズベルトを残してホワイトハウスを後にした。
一週間後、英国は連合国共同宣言の破棄を宣言し、独と休戦協定を結んだ。
その独英休戦協定の主な内容は、ドーバー海峡に面した東部諸州の非武装化・基地の廃却/一部を除いた軍の動員解除と武器の引き渡し/駐留連合国軍の退去/商船については枢軸国および英国領・英連邦諸国との通商のみ許可(枢軸国による監視・臨検あり)/休戦監視委員会の設置、等々である。
軍隊の保有は100万人のみが認められた。海軍艦艇の引き渡しも求めていない。占領地域も無いため占領経費負担も無かった。監視はあるものの英国の全土で自治が認められる。
ジブラルタル要塞はスペインが、マルタ島はイタリアがそれぞれ領有し、スエズ運河はドイツが管理する事となった(エジプトとの条約見直し含む)。
このように独英休戦協定は独仏休戦協定に比べかなり甘いものとなっている。独は英国全土を直接占領した訳でなく、また占領する気も無かった。むしろ独としては早期に英国と停戦し対米ソ戦に集中するため、せっかくの停戦の機会を逃したく無いのが本音であった。
英艦隊の主力が米国に脱出した事を報告されたヒトラーは表面上は怒り狂ったが、それが休戦協定の交渉に影響する事は無かった。往時より弱体化したとは言えツーロンの仏艦隊のように忠誠の定かでない有力な艦隊が身近にいるよりは遠くへ離れてくれた方がマシだったからである。また新型魚雷を入手した今、もともと評価の低かった水上艦艇の価値が更に低くなったとヒトラーが判断した事もあった。
一方、独仏休戦協定の方はフランス国民や軍の対枢軸国感情が上向き、外部支援が途絶えた事によりレジスタンス活動も下火となったため大幅に緩和される事となった。仏領や枢軸国との通商再開、独軍占領地の大幅縮小と占領費負担の軽減、軍の規模と活動の拡大がその目玉である。特に仏海軍主力はツーロン港を出て地中海からインド洋にかけての哨戒や護衛を積極的に担当する事となった。実質的に枢軸国の一翼を完全に担う事となる。
旗色を明らかにしていなかった仏植民地も英国の休戦とド・ゴールの米国脱出により次々とヴィシー・フランス政権の支持を明らかにしていた。このため自由フランスはその求心力を急速に弱めていくこととなる。
これに絡み日本は仏領インドシナから撤退する事となった。元々フランスの降伏時もすぐには進駐を行っておらず戦闘もほとんど行われていない。進駐後もジャン・ドクー総督がそのまま統治を行っている。日本としてはそれ程苦労して手に入れた土地でもなく日仏関係も好転している事から南方の安全と資源貿易が確保されるのであれば撤退に異論があるはずも無かった。
こうして枢軸国は日独伊西の四か国に実質的に英仏を加えた形となり、そのGDPはついに米国に匹敵する規模となったのである。
――スエズ運河 地中海側 ポートサイド 伊34
「まさに行きはよいよいの逆ですな。マダガスカルに寄れないのがちと残念でありますが……」
昭和十七年(1942年)九月末、伊34は突然の帰国命令を受け伊30を残し単艦で日本へ向けて出港した。英国との休戦が成立しスエズ運河の管理も独の手に渡ったことから往路と異なりジブラルタル~スエズ経由の航路での帰国である。距離の短縮もさることながら、全行程が枢軸国の支配地域となったため安全性も飛躍的に向上している。
現在、伊34はちょうどスエズ運河の手前で通過の順番待ちをしている所であった。木梨は先任とともに見張り甲板に出て外を眺めている。甲板にも水兵らがでて日向ぼっこをしていた。周囲には同じく順番待ちの商船が並んでいる。
英独の休戦後、枢軸国間だけでなく英仏に対する通商規制の緩和もあり地中海やスエズ運河は多くの商船で賑わっていた。とても今が世界大戦中である様には見えない光景である。もっとも地中海を東へ向かう輸送船の何割かはソ連南部への侵攻部隊と物資を運ぶものらしかった。ここに来る前に立ち寄ったイタリアで聞いた話では、東部戦線へ枢軸国の戦力集中が可能となり補給が大幅に改善されたことから、ソ連のコーカサス油田の占領も時間の問題だとの事であった。
「マダガスカルの根拠地隊や潜水隊司令部も撤収だそうだ。現地では随分と惜しまれたらしいよ」
「それはそれは。現地娘と仲良くなった奴も多いでしょうから、きっとあちこちで愁嘆場が見られたんでしょうねぇ」
ヴィシー・フランスの枢軸国への協力が強化された結果、マダガスカルにも新たな仏軍部隊が到着しており、入れ替わりに日本は撤収している。木梨らの訪独中に太平洋方面の情勢も大きく変わったため、潜水戦隊の再編も行われていた。
「しかし枢軸四か国の一番偉いさんに全部と会った事がある人間なんて世界中探しても艦長以外おらんでしょうな。いやぁ実にうらやましい」
「止してくれ、本当に。セイロン沖の後でもそりゃあもう大変だったんだ。今度も帰国したら面倒になるのが分かり切ってる。せめて今だけでも思い出させないでくれないか」
ジブラルタル海峡を日本海軍の艦艇が通過するのはジョージ6世戴冠記念観艦式に参加した重巡足柄以来という事で、スペインが新たに得たジブラルタル軍港に招かれた伊34はフランコ将軍を表敬訪問している。もちろん本当はスペイン側からの要望によるものであった。更にイタリアでも補給の名目でタラント軍港に無理に立ち寄らせられムッソリーニに表敬訪問させられている。そのどちらでも木梨は慣れた様子で危なげなく会見をこなした。もっともその実態は以前に他の偉い人々に語った話をテープレコーダーの様に機械的に繰り返しただけであったが。
天皇陛下に続いてヒトラー総統、フィリップ・ペタン主席に会い枢軸の結束を宣伝する材料に使われた木梨を、新参で立場が弱いスペインと蚊帳の外が許せないイタリアが放っておく訳が無かった。相手が一介の中佐であっても、注目を受けている以上、同じように会見する事で他の枢軸国と同等である事を主張する必要があったのである。
「しかしあの連中は一体全体、何もんでしょうかねぇ。陸軍さんの依頼とは言え閉じこもったきり顔もみせやしないのは気味悪いったらありゃしませんぜ」
先任が艦前部の発射管室辺りをあごで指さして言った。一昨日、伊34がタラントを発ってスエズへ向かう途中、陸軍からの依頼という事で飛行艇で追いついてきた数名の人間を急遽乗船させる事となったのである。そのほとんどは陸軍の人間であったが外国人らしき人物も混じっていた。だが彼らは乗船時に顔をフードで覆っており木梨も素性を全く知らされていない。更に隔離された部屋を要求されたため発射管室を提供したが航海中もそこに閉じこもって出てこなかった。発射管室についてはどうせ魚雷はほとんど残っておらず戦闘の恐れも無いため占拠されても問題はなかったが、気味が悪い事この上なかった。
「多分彼らが急な帰国命令の理由だろうね……妙に荷物が少なかったのも同じ理由だろう。まぁシンガポールまでの辛抱だ。問題を起こさない限りは気にしない事にしよう」
昭和十七年(1942年)十月、こうして伊34はシンガポールで「積荷」を降ろした後、4ヶ月ぶりに日本に帰り着いたのだった。
英独が停戦となりました。これで欧州西部の戦火はほぼ収まりドイツはソ連へ集中できる様になります。
史実では米国が行ったレンドリース総額500億ドルの6割を英国支援が占めています。しかもその総額は英国の対外資産額内となる様にコントロールされていました。返済については大幅にディスカウントされたものの、結局完済に2006年までかかっています。英国の対外資産は1950年には完全に枯渇してしまいました。英国の没落はすべて米国によって仕組まれたものだったと言えます。本作では独と休戦し損失もありましたが米国の罠からは逃れる事が出来ました。
枢軸4ヵ国+英仏のGDPを合計して、ようやく米国と並びました。こうして見ると本当に米国は巨大国家だと実感できます。
英米の手切れにより史実で行われていた様々な技術協力が行われなくなります。
英国の原爆研究は米国に合流できませんでした。これにより米国のマンハッタン計画は人材や原料調達の面で史実より遅れをとる事になります。また米国よりやや遅れているとは言え、遥かに進んだ研究情報が枢軸側に流れる可能性が出てきました。
停戦交渉のゴタゴタによりマーリンエンジンを搭載したP-51B/Cの将来も微妙な物となります。独軍の音響追尾魚雷G7es(ツァーンケーニッヒ)の英軍による鹵獲と米軍への譲渡も行われないため史実でUボートの天敵となったMk.24/27対潜ホーミング魚雷の開発も大幅に遅延する事となります。
次話では久しぶりに太平洋方面の話にもどります。