第十二話 魔槍の進化
大変お待たせしました。
今回はクールダウンして魚雷の話に戻ります。
――フランス西岸 ロリアン港
伊30と伊34は機雷掃海作業の終わった軍港の中を掃海艇に先導されて進んでいた。甲板上には最小限の操艦要員を除き、乗組員のほぼ全員が登舷礼のため整列し敬礼している。木梨も先任と一緒に司令塔上の見張甲板に立ち、敬礼していた。木梨ら士官は白色の第二種軍装、水兵は同じく白色の作業衣を着用している。併走している伊30の方は何か事情があるのか士官の第一種軍装は黒色だった。
「いや~うちらは白い方を持ってきといて良かったですな。伊30は出撃時に目的地が極秘だったそうで可哀そうに黒の方しか持ってこんかったそうです。やっぱりこういう華やかな時は白に限りますな」
横に立つ先任が木梨の視線に気づいたらしく疑問に答えた。顔は前に向けたまま真面目に敬礼を続けている。普段通りの気楽さを装ってはいるが、やはり彼でも今日は緊張しているのだろう。それを隠すように先任は軽口を続けた。
「しかしこいつはまた……手荒くでかいですな……」
分厚いコンクリートで出来たブンカーが近づいてきた。水兵や士官の中にはポカンと口をあけて見上げている者も多い。それも仕方ないと納得してしまうほどロリアン港のUボートブンカーは巨大であった。敬礼しながら艦内に操艦指示を出していた木梨は、彼らと同じように見上げたくなる気持ちをぐっとこらえた。
「カメラに撮られてるんだ。君まで馬鹿面を晒すな」
木梨は同じく口を開けて見上げていた先任に注意する。遣独潜水艦の到着は独宣伝省によりその全てが撮影されていた。先に水先案内役の士官らと一緒に乗艦してきた撮影隊の話では「週間ニュース」とかいうものに編集され独全国の映画館で上映されるらしい。英国艦隊を葬り去り、更に米国艦隊も退けた日本海軍潜水艦を英雄扱いして日独の結束のアピールと戦意高揚に活用する魂胆らしかった。
その英雄がみすぼらしい恰好をしていては様にならない。何しろ潜水艦の生活は不潔極まりない。風呂等は望むべくもなく、せいぜい洋上で運良く遭遇したスコールをシャワー代わりできるくらいである。このため乗員は垢まみれで髭も髪も酷い状態だった。上陸時には独高官の歓迎式典も予定されている。そのため木梨らは港に到着する前に護衛艦艇の設備を借りて航海の垢を落とし身ぎれいにされていた。伸び放題だった髪も髭も今は綺麗に剃られて青々としている。
ブンカーが近づくと軍艦マーチの演奏が始まった。だが桟橋で独海軍軍楽隊の演奏するそれは、木梨らが日本で聞き慣れた勇壮な感じと違いどこか柔らかく聞こえた。
「同じ軍艦マーチでも国が変わると何やら違って聞こえますな」
「ちょっと優しい感じがするね。まぁ彼らも日本の演奏なんか聞いたことが無いだろうし、きっと真面目に楽譜通り演奏してるんだろう」
艦がブンカー手前の艀に横付けされると軍艦マーチに代わって君が代の演奏が始まった。こちらは軍艦マーチとは逆に日本よりも重厚な感じがした。しかし曲の雰囲気は多少違えども、やはり君が代だった。士官や水兵の中には君が代を聴いた途端に涙を流す者や中には大泣きまで始めた者も居る。普段はあまり感情を表に出さない木梨でさえも異国の地で久しぶりに聴く君が代は彼の目を潤ませた。
演奏が終わると通訳役の駐在武官と共にエーリヒ・レーダー海軍総司令官とカール・デーニッツ潜水艦隊司令長官が乗船してきた。そしてカメラの前で彼らと木梨は握手を交わす。艦上での式典が終了すると伊30と伊34はブンカーに引き入れられた。
その後、乗組員らは保養施設でたっぷり休養した後にパリやベルリン見物したり、ヒトラーユーゲントや独海軍兵との交流会を楽しんだりと、まさに観光を満喫した。だが木梨と遠藤はそういう訳にはいかなかった。ロリアンに着いてからの1ヵ月間は、それはそれは目が回る様な忙しさであった。
レーダーやデーニッツら独海軍高官との会談に始まり、独と交換する物品や技術の交渉やマダガスカルで鹵獲した英軍装備品の実験や会議、そして実務者レベルの九九式魚雷や連合国の対潜戦術に関する会議など、そのほぼ全てに木梨らは付き合わされる事となったのである。彼からすると畑違いの案件も多かったが海軍関係者が少ない以上、断る事は難しかった。
更にパリではフィリップ・ペタン主席に面会しマダガスカルとカサブランカの件でこちらが恐縮する程に大袈裟に感謝され、アドルフ・ヒトラー総統にはベルヒテスガーデンに招待された上、直々に勲章を授与された。それらの様子も当然ながら宣伝省によりフィルムに記録され週間ニュースで放映される事となる。こちらも日独友好のためと言われれば断ることなど論外であった。
ヒトラーに勲章を授与されながら、木梨は緊張するどころか「天皇陛下から始まってこれで大体枢軸側の偉い人に会った訳だな、あぁイタリアがまだだったか」等とどうでも良い事を考えていた。もう彼も色々と情勢に流される事で諦めの境地に達していた。
ちなみに遠藤が授与されたのは第一級鉄十字章のみであったが、木梨はこれに加えて騎士鉄十字章も同時に授与されている。これはセイロン沖でインドミタブルを撃沈し今日の日本潜水艦の活躍を導いた功績を加味してとの事だった。ちなみに騎士鉄十字章は鉄十字章を与えらえた者しか貰えないものである。山下将軍や野村大使でさえも鉄十字章しかもらっていない。後でその事を聞き、騎士鉄十字章を日本人で貰うのは木梨が最初だと教えられると、これから先の面倒を想像して木梨はげんなりした。
――ポーランド ヘクセングルント魚雷実験場
ロリアン到着から三週間後、なぜか独空軍の管轄となっているヘクセングルント魚雷実験場で、先日ようやく独への譲渡が決定した九九式魚雷の試験が行われる事となった。試験とは言っても実際はヒトラーやゲーリングらへのお披露目会の様なものである。
当初日本は独へ九九式魚雷を提供する事に難色を示していた。これは潜水艦1、2隻で持ち帰る事ができる程度の機材や技術では割が合わないと考えていたためである。その代わりとして日本は九五式航空魚雷と九五式酸素魚雷を提供したのだが、九九式と同じ噴進式魚雷であり独も欲していた航空魚雷の方はともかく、酸素魚雷に対しては独側はあまり関心を示さなかった。
しかし情勢の変化によりスエズ運河を使える見込みが出た事で交渉に大きな転機が訪れる。潜水艦や柳船などでなく輸送船を自由に使えるとなれば大量の機材や技術交流も絵に描いた餅でなく現実味を帯びてくるからであった。すぐさま独は、当初から提案していたUボートの提供に加え、あれやこれやの新兵器や工作機械等の譲渡と、日本の欲していた人材も含めた技術の提供までも新たに提案してきた。
この独側の大盤振舞に関しては、ヒトラーからの強い指示があったのはもちろんであるが、デーニッツやアルベルト・シュペーア軍需相の強い要望もあったからとも言われている。特に武器弾薬の生産に日々悩んでいたシュペーアは、九九式の原価を漏れ聞いてからというもの、日本に何を与えてもいいから九九式を手に入れて欲しいと連日ヒトラーに訴え続けていたと言う。
こうして九九式魚雷の提供が決定された結果、本日の試験と言う名のお披露目が行われる事となったのである。
そして当然の様に木梨もその場に呼ばれていた。なぜか隣にはこれも当然の様な顔をしてデーニッツが座っている。この2週間で木梨はデーニッツから随分と気に入られていた。木梨の方もデーニッツとは話が合うので悪い気はしていない。
木梨も海軍兵学校の出であるから独語も一通り勉強はしている。だが同期255名中255番という最下位の卒業席次からわかる通り木梨は勉強は大の苦手であった。この2週間で随分と独語も話せるようになったもののまだ決して上手とは言えない。それにもかかわらずデーニッツは辛抱強く木梨の話を聞き、木梨が理解するまで話をしてくれた。いわばデーニッツは木梨の独語の先生のようなものであった。
気さくに話しかけてくるデーニッツに比べ、レーダーの方は日本の潜水艦にあまり関わらなくなっていた。当初はそうでも無かったのだが、日本の潜水航空母艦の話がヒトラーに伝わり、感心したヒトラーの鶴の一声で建造中の空母グラーフ・ツェッペリンもその様に改装運用される事が決定して以来、元気が無くなったと木梨はデーニッツから聞いていた。大艦隊の再建が夢であったレーダーにとっては少々可哀相な話である。だが中型空母1隻だけの運用ならばヒトラーの判断もあながち間違ってはいない、話を聞いた木梨はそう思った。
「今日は3本の魚雷を試験するそうだ。最初は我が国のG7a、次に貴国の九九式、最後がマダガスカルで回収されたイギリスのMark Xだ」
試験プログラムの資料を読み解こうと苦戦している木梨を見かねたデーニッツが説明してくれた。デーニッツの言った3本の魚雷は全て直径533mmであり運用上は同クラスの魚雷である。元々今日の試験はG7aと九九式の2本だけの予定だったらしいが、マダガスカルで大量に鹵獲され木梨らが運んできた英国の魚雷が、調査と捕虜の証言でどうやら新型である事が分かり、あわせて試験を行う運びとなったとの事だった。
今年4月のマダガスカルを巡る戦いでディエゴ・スアレスで壊滅した英軍の上陸艦隊の内、何隻かは港外への脱出が間に合わず沈没を避けようとして浅瀬で擱座していた。このため日本は陸上に放置された物資とあわせて大量の英軍装備を入手していた。特に艦上装備については日独がはじめて目にする物も多く、その内のいくつかは独側の要望もあり今回の遣独潜水艦で持ち込まれていた。
「そう言えばマダガスカルで貴国が回収してくれたイギリスの装備には驚かされた。信じられない事だがレーダーを調査したテレフンケン社の話では明らかに我が軍の物より性能が良いそうだ。彼らはイギリスより自分たちが遥かに劣っていると知って焦っていたよ」
その件については木梨も参加した会議で聞いていた。マダガスカルから持ち込まれたいくつかの英軍の最新レーダーの性能が判明した事から、当初譲渡される事が予定されていたウルツブルク・レーダーの価値は大暴落した。交換交渉の席で独側が頭を抱えていた事を木梨も記憶している。
木梨が頷くのを見てちゃんと理解している事を確認したデーニッツは話を続ける。
「お蔭で配備を進めていたメトックスも早晩役立たずになる事が分かった。せっかく君の艦にも装備したんだがな。まぁ君が帰国するまでならば有効だろう」
木梨が再び頷く。木梨らの潜水艦には帰国に備えて整備が行われると共にいくつかの新装備が取り付けられていた。その一つがメトックス(Metox)である。これは英国の対潜哨戒機の装備する機載レーダーが発する波長1.7mの電波を捉える簡易的な逆探知装置である。デーニッツは本年度からUボートへメトックスの装備を推し進め航空機による被害を減らす事に成功していた。
しかし今回鹵獲された英軍のレーダーには波長10cm未満の電波を発する物も含まれていた。一般的に潜望鏡の様な小さなものを検出するには波長が短い電波の方が向いている。今回捕獲された短波長レーダーは射撃管制用ではあったが、いずれ艦載用や機載用の捜索レーダーにも短波長の物が導入されるのは時間の問題だというのが調査したテレフンケン社とメトックス社の見解であった。
「それより連中がHF/DFとか呼んでいる物の方が大変だった。あれの目的が判明して以来、我が軍の潜水艦隊司令部は上から下まで大騒ぎだ。今は襲撃戦術と連絡通信手段の見直しを大急ぎでやらせている。今回あれがマニュアルと一緒に鹵獲されたのは本当に幸運だった。そうでなければ我が国の潜水艦隊は遠からず壊滅していたかもしれん」
独軍は群狼戦術を行うにあたり、各潜水艦と司令部が密に連絡を取り合う方法を取っていた。英軍はこの連絡に使われる短波通信に目をつけ、通信電波の方位を検出するHF/DF (High-frequency direction finder:短波方向探知機)の装備を進めていたのである。これにより英軍はUボートの襲撃を事前に知る事ができただけでなく、複数の検出結果から三角測量によりUボートの位置まで特定する事に成功していた。今回の鹵獲品でこの事実を知った独潜水艦隊司令部は作戦手順の大幅な見直しを余儀なくされていた。
「そう言えばメトックスと共に機銃を付けて頂きありがとうございます」
木梨が拙い独語でデーニッツに礼を言った。伊30と伊34は整備の際にメトックスと共に4連装の20mm機銃が装備され対空能力が増強されていた。
「あぁそうだったな。そちらもメトックスと一緒で帰国まで使う機会は無いだろうがな」
「いえ、いくら九九式魚雷が有っても航空機には無力です。機銃の増設は助かります。しかし……」
「しかし、なんだね?」
「はい、少し即応性について考えていました。甲板や司令塔の機銃は確かに有効ですが射撃準備が整うまで時間がかかります。航空機の様な早く接近する相手に対しては、もっとこう、噴進式魚雷の様にパッと出してすぐ使える対空兵器があれば便利かなと……あぁ申し訳ありません。どうも九九式の楽さに慣れて馬鹿な事を言ってしまった様です。どうかお忘れください」
「いや、貴重な意見だ。ありがとう……ロケット式の携帯型の対空兵器か。陸軍でも興味を持つかもしれんな。兵器局に相談してみるか……」
木梨の思いつきにデーニッツが何やら考え込んでいると試験開始を告げるアナウンスが流れた。
「おっと、ようやく試験が始まりそうだ」
木梨とデーニッツが雑談をしている間に、彼らが聞き流していたヒトラーやゲーリングらの長演説がようやく終わった様だった。そしていよいよ魚雷の発射試験が始まった。
まず最初に発射されたのはUボートが一般的に使用しているG7a魚雷である。ごく普通の構造の魚雷であり雷速44ノットで射程6000mの性能を持つ。発射された魚雷はまっすぐ進み2000m先の標的に命中して爆発した。会場に拍手が起こる。
続いて九九式が発射された。木梨にとっては今や見慣れた光景だが、その驚くべき雷速と爆発力は初めて見る独人にとっては非常に衝撃的だったらしい。魚雷が爆発した後、会場は水を打った様に静まり返った。誰一人として拍手どころか声も発さない。巨大な爆発音の残響が周囲に木霊している。たっぷり30秒くらい経った後、ようやくパチパチとまばらに拍手が起こりはじめ、それはすぐに割れんばかりの拍手と歓声に変わった。あちこちで「これで勝てる!」という興奮した声が聞こえる。ヒトラーも興奮した様子で大島大使の手を握りしめて振りまわしている。そして感極まったのか臨時でヒトラーが再び演説を始めた。
ようやくヒトラーの興奮も収まり最後の英国魚雷の試験が行われる事となった。すでに会場は消化試合のような弛んだ雰囲気となっている。だが直後に事件が起こった。
英国の魚雷もG7a同様に一般的な構造の魚雷であり雷速47ノットで射程3000mの性能を持つ。試験自体は問題なく進み、魚雷は目標に命中し爆発した。雷速は独のG7aと大差ない。問題だったのはその威力であった。
「なんだあの威力は!なぜ我が軍の魚雷はイギリスより弱いのだ!」
英軍魚雷の爆発を見てヒトラーが怒り出した。ヒトラーは数字に細かい事で有名である。特に兵器の仕様に口を出すことが多かった。当然今日の試験でも各々の魚雷の諸元を把握している。それを信じる限り英軍魚雷の炸薬量は300㎏であり独軍魚雷の280㎏に対して1割弱しか差が無いはずである。だが試験で見えた英国魚雷の爆発威力は控えめに見ても独軍魚雷の3割増しくらいに見えた。
「爆薬が違う!」
木梨の背後から日本語が聞こえた。振り返ると分厚い黒縁眼鏡をかけた日本人が居た。
確か名前は村田とか言ったなと木梨は思い出した。彼はUボート引き取り要員と共に遠藤中佐の伊30に乗って来た何名かの一人だった。平塚火薬工廠所属の造兵大尉らしく火薬の専門家である。技術移転の会議では爆薬とアルミ粉の製造技術移転を強く主張していた事から木梨も彼を覚えていた。
結局その会議で村田の要望は認められた。今後はTNTやアルミ粉の製造技術移転が技術者の派遣も含めて行われる事となっており、製造が軌道に乗るまでは独から日本へ輸出が行われる事も決定していた。日本にとっては至れり尽くせりの話であるが、村田の話を聞けば、それが認められたのも当然な事であった。
木梨もその時まで知らなかったのだが、実は日本は火薬・爆薬が絶望的に不足していた。日本は日清日露で弾薬の大量消費を経験し、第一次世界大戦で弾薬の量が戦争の帰趨を決める要素である事を知ったはずだった。だが驚くべきことに火薬・爆薬の生産技術と生産量は村田が言うには現在でも日露戦争当時とほとんど変わっていないのだと言う。
その結果、今だに日本の爆薬の主流は下瀬火薬に代表される不安定で危険なピクリン酸系やトリニトロアニソール(TNA)系であった。最近世界で主流となりつつあるトリニトロトルエン(TNT)系の爆薬はTNTの生産量が極めて少ないため魚雷用の九七式爆薬くらいにしか用いていない。しかも当初はそのTNTすらも輸入に頼っていた程であった。現在でもTNTの生産量は微々たるものであり魚雷以外にTNTを使う事が出来ないほどである。爆薬全体の生産量にしても日本は独の十分の一にも及ばなかった。仕方なく日本はカーリット等の代用火薬を多用せざるを得ない程だった。
つまり日本は火薬・爆薬に関しては30年前とほとんど変わらぬまま第二次世界大戦に突入していたのである。いくら日本が立派な戦艦や戦闘機を持っていても、放つ弾が無ければそれは張りぼてと変わらなかった。
アルミ粉もまた問題であった。あまり知られていない事であるが、アルミ粉は爆薬の重要な原料の一つである。特に含水爆発の威力を増すため魚雷や爆雷に多用される。だがそのアルミ粉を製造する技術を日本は持たなかった。アルミ地金を砕く方法で少量生産を試みてはいたが、粉末状や鱗片状まで細かくする事が出来ず実用化には至っていない。
これらの話を村田から聞いた独側担当者は、そんな状態でどうやって日本は戦争が出来るのかと呆れ果てたという。東南アジアを手に入れ中国が落ち着いた今、日本が戦争を継続する上で今最も重要なのは鉄でも石油でもなく爆薬であった。独側も日本に戦争を続けてもらう必要から爆薬製造に協力する事を即座に決定した。
「爆薬が違うとはどういう事だ?大尉は何か違いが分かるのか?」
木梨は村田に問いかけた。村田は驚いて木梨を見た。どうやら今初めて木梨の存在に気付いたらしい。そう言えば会議でも直接会話を交わしたことは無かった。
「あっ、はい、中佐。私は平塚火薬工廠の村田です。木梨中佐ですね。お会いできて光栄です。あの九九式魚雷を活用して頂いて本当に嬉しく……」
「挨拶はいい。君は英国と独逸の爆薬が違うと言ったな。何が違うのか見ただけで分かるのか?」
「はい、申し訳ありません。私の見た所、独逸の爆発では黒煙が混じって見えました。確かG7aのSW18爆薬はTNTが5割にHND(ヘキサニトロジフェニルアミン)とアルミ粉を混ぜていたはずです。TNTはその組成に酸素が少ないため黒色火薬程ではありませんが黒煙が見えます。一方英国の方は独逸に比べ明らかに黒煙が少なく感じました。TNAやHNDではあれ程の威力は出せません。TNTを使っていないか量が少ないなら恐らくRDX(ヘキソーゲン)を主成分にしているのではないかと愚考します。RDX自体は我が国でも生産していますがその量は非常にわずかで……」
例によって村田の話す内容は専門的すぎて木梨には半分も理解できなかったが、村田が爆発威力の差について何か考えが有る事は理解できた。そして事実は村田の推測通りであった。この日試験された英独の魚雷は爆薬組成の違いから、その威力に約4割もの差があったのである。特に九九式を見た後ではG7aの威力の低さは非常に目立った。これではヒトラーが腹を立てたのも無理もない事であった。
独 G7a魚雷
SW18爆薬 280kg
(TNT50%、HND24%、アルミ粉15%)
TNT換算 336kg
英 21インチ Mark X改 魚雷
Torpex爆薬 300kg
(RDX42%、TNT40%、アルミ粉18%)
TNT換算 480kg
日 九九式改二型 魚雷
九七式爆薬 750kg
(TNT60%、HND40%)
TNT換算 900kg
「ヘル木梨、何を話している?その日本人は何か知っているのか?」
デーニッツが会話に割り込んできた。言葉は分からないものの木梨と村田が何やら今の試験結果について大事な事を話している事に気づいたらしい。
「はい閣下。貴国とイギリスの爆発威力の差について考察しておりました。おそらく差の原因は爆薬の組成にあります。英国はRDXを主成分にしていると小官は推測致します」
村田はデーニッツに答えた。その意外に流暢な独語に木梨は驚く。そう言えばこの男は会議でも通訳に頼らず熱弁を振るっていた事を思い出した。その時の独語はまだ片言だったが今は驚くほど上達している。木梨は自分も学校でもう少し真面目に勉強しておけばと少々後悔した。
「君、ちょっと一緒に来たまえ。総統閣下の怒りを鎮めるのを手伝ってもらおう」
そう言うとデーニッツは兵器局の担当者を激しく責め立てているヒトラーの元へ村田を引っ張っていった。
その後の調査により、英国の爆薬の組成については村田の推測が正しい事が確認された。そして同様の爆薬がすぐに独で開発生産されると共に、日本へのRDXの大量生産技術の供与と当面の輸出についても交換条件に付け加えられる事となる。
独は提供された九九式魚雷の実物と資料から、わずか一ヵ月後に九九式とほぼ同一仕様の新型魚雷G7rの量産を開始した。一方日本も伊30と伊34の帰国後、Torpex相当の爆薬を翌年に三式爆薬として制式化した。その生産については当面は独から輸入するRDXに頼ることになる。そして九九式魚雷自体も爆薬が九七式から三式に変更され改三型となった。
これによりその威力はTNT換算で1200kgにも達する事となり、九九式魚雷は更に凶悪な魚雷へと進化したのであった。
ドイツ土産は色々と考えましたが火薬にしました。というより日本の火薬事情がやばすぎてドイツに同情された形です。もちろん工作機械や兵器も色々ともらいましたが、どうせ輸送船が使えるので今後は普通に輸入する事になりそうです。
ホワイトサンダーの威力がTNT換算で1.2t……重巡クラスまでなら一発撃沈でしょう。輸送船や駆逐艦だとオーバーキルです。正規空母や戦艦でも一発で大破か下手すれば沈みます。大和ですら2発もくらったら危ないです。
文中でサラッと流している情勢の変化やイギリスの顛末については次話でお話する予定です。