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閑話一 映画「インド・マダガスカル沖海戦」

挿絵(By みてみん)


 マダガスカル沖海戦後に制作された架空の映画のお話です。本話は山口多聞氏の主催する「架空戦記創作大会2017春」の参加作品となります。お題は「架空のプロパガンダ」です。


 追記:本話は本編連載中に執筆したため映画公開日と本編完結時の流れに祖語が生じております。いずれ修正致しますので何卒ご容赦ください。

 ――インド洋上


 雲海の上を一機の九六式陸攻が飛んでいた。眼下に広がる雲の隙間から海面が見え隠れしている。操縦席の窓から操縦士や偵察員らが下を覗き、必死に何かを探していた。その時、操縦士が何かを見つけた。下方を指さし後席の偵察員に叫ぶ。


「あれは何か!?」


 慌てて偵察員が双眼鏡で確認する。雲の隙間から洋上を航行する複数の大型艦の航跡が見えた。彼らはついに英国東洋艦隊を発見したのだ。その報告を受けた元山航空隊、美幌航空陸、鹿屋航空隊の陸攻隊が集結し敵艦隊に攻撃を開始した。


 敵艦隊は激しく対空砲火を打ち上げる。九六式陸攻と一式陸攻は炸裂する砲弾に怯まず海面すれすれに飛び次々と魚雷を投下した。魚雷は白い航跡を引いて海中を進む。そして敵艦の舷側に命中し水柱が高々と立ち上がった。敵艦隊は激しく炎上しながら沈んでゆく。最後に敵新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズは大爆発を起こし巨大なきのこ雲を残して沈んでいった。


挿絵(By みてみん)


 昭和一六年一二月、帝国海軍陸攻隊の活躍により最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズを含む英国東洋艦隊はマレー沖にて撃滅された。しかし翌年二月、英国は東洋艦隊を強化するため今度は最新鋭空母をインド洋へ送り込んできたのであった。


挿絵(By みてみん)


  海軍省檢閲濟 海檢第三一二號

  企畫 大本營海軍情報部

  情報局國民映畫參觀作品


  愼みて此の一篇をマダガスカルにて共に戰った日佛の英靈に捧げまつる。



 ――インド洋セイロン島西方 潜水艦 伊62


 昭和一七年二月、帝国海軍は英国東洋艦隊の増強を阻止するため潜水艦隊をインド洋へ派遣し警戒を行っていた。その内の一隻である伊62はセイロン島西方にて警戒配置についていた。見張りデッキでは艦長と見張り員が双眼鏡で周囲を警戒している。その時一人の見張り員が何かに気付き水平線に目を凝らした。そして水平線の一点を指さすと叫んだ。


「艦長!艦影らしきものが見えます!」


 すぐに艦長が双眼鏡で見張り員の指さす方向を確認する。


「良くやった。どうやら目的の英艦隊の様だ。急速潜航用意!」


 見張りデッキに居る全員が足元のハッチを通りラッタルを伝って艦内へ滑り降りていく。艦長はもう一度敵艦隊を確認すると最後に艦内へ入った。ハッチが閉じられると同時に潜水艦は水飛沫をあげながら潜航していった。


 潜航後、伊62は潜望鏡深度で進んでいた。司令塔では艦長が潜望鏡に取り付き敵艦隊を観察している。その隣で先任士官が艦長の伝える観測結果を聞きながら艦型識別帳をめくっている。周囲では下士官や水兵らが不安そうな顔でそれを見守っていた。


「敵艦の特徴から、空母は英軍のイラストリアス級空母、駆逐艦はN級の様です。通報しますか?」


 先任大尉が不安そうな顔で艦長に問いかける。艦長は潜望鏡から顔を離すと強い意志を持った顔で答えた。


「いや、このまま襲撃する」


 艦長の答えを聞いた先任が息を吞んだ。周囲の下士官らも表情を強張らせる。


「敵は空母に駆逐艦3隻の艦隊です。それに対して我が方は本艦1隻しかおりません。やり過ごして通報した方が良いかと愚考致します」


 先任が艦長に意見具申した。だが艦長の強い意志は変わらなかった。艦長は先任、そして周りの下士官や水兵を見回すと、ゆっくりと語った。


「通報すれば敵に気取られて逃げられる可能性がある。ここであの空母を見逃がせば、この先味方に何百何千と被害が出るだろう。だから困難であっても今我々が襲撃すべきだ。無謀だと思うかもしれない。だが私は本艦と諸君らの能力に疑いを持っていない。ここは私を信じて命を預けてくれ。宜しく頼む」


 そう言うと艦長は皆をじっと見渡した。


 司令塔内を沈黙が支配する。最初に沈黙を破ったのは先任であった。彼は一歩進み出ると艦長に言った。


「やりましょう。我々が厳しい訓練を日々続けてきたのは今この時のためです。艦長、どうかやらせてください」


 それに続くように他の士官や水兵らも次々に「やりましょう」「やらせてください」と言った。それを聞いた艦長は大きく頷いた。


「皆ありがとう。宜しく頼む。先任、敵は乙字運動をしながら航行している。目的地はセイロンのコロンボかトリンコマリーだろう。敵の次の変針の先に回り込む。進路計算を頼む」


 戦意を新たにした伊62は細心の注意を払いながら敵艦隊に忍び寄った。そしてついに空母へ雷撃する絶好の位置につく事に成功した。艦長が覗く潜望鏡の十字の先には空母の舷側が大きく見えている。だが伊62に気付いた駆逐艦が向きを変えたのが見えた。


「1番2番発射管、発射!」


 艦長は伊62に向かってくる駆逐艦に構わず魚雷発射を命じた。大きな泡と共に2本の魚雷が潜水艦の艦首から発射される。魚雷は白い航跡を引きながら海中を突き進む。そしてその1本が空母を捉えた。空母の舷側に大きな水柱が上がった。


「魚雷命中!」


 潜望鏡を覗く艦長の声に艦内が沸き立つ。先任がすぐに静かにしろと手で制し皆が押し黙った。


挿絵(By みてみん)


「残念ながら命中した魚雷は一本のみだ。空母はまだ生きている。止めを刺すぞ」


 その時、伊62の周囲に駆逐艦の砲撃が着弾しはじめた。激しい音と共に衝撃で艦が揺さぶられた。


「艦長、潜航退避はしないのですか!」


 砲撃で揺れる艦内でパイプに掴まりながら先任が叫ぶ。しかし艦長は落ち着いた様子で首を振った。


「安心しろ。この砲撃はただの威嚇だ。潜航中の相手に砲撃はほとんど効果が無い。逆に今潜航すれば敵の爆雷攻撃で良いようにやられるだけだ。それにまだ空母に止めを刺していない。先に駆逐艦共を沈めてから空母を追う。ここが踏ん張りどころだ。日頃の皆の訓練の成果を信じろ」


 そして伊62は艦長の巧みな指示で駆逐艦を一隻また一隻と葬り、ついに空母を丸裸にする事に成功した。伊62は煙を吹きながらノロノロと進む空母に近づくと止めの魚雷を発射した。


 立て続けに雷撃を受けた空母は大きく傾くと大爆発を起こしてインド洋に沈んでいった。


 この戦いで最新鋭空母を送り込んだ矢先に失った英国は東洋艦隊をインド近海からアフリカ方面へ後退させた。しかしそれは思いもよらぬ所で友邦フランス国の危機に繋がるのであった。



 ――セレベス島泊地 空母 赤城


挿絵(By みてみん)


 南洋の島陰に空母部隊が停泊している。南雲提督の率いる第一航空艦隊である。その旗艦赤城の司令官室で南雲提督は腕を組み、じっと机に置かれた海図を見つめていた。部屋は電球が一つ灯されただけで薄暗い。しばらくして南雲は組んだ腕をほどくと指を海図の一点に置いた。そこはセイロン島であった。そして指を西へ滑らせる。指はある一か所で止まった。アフリカ東岸のマダガスカル島である。


「山本長官に至急相談する必要が有る。友邦フランスのマダガスカルが危ない」


 隣に控えていた草鹿参謀長が答えた。


「分かりました。早速、呉に向かいましょう」



 ――呉 連合艦隊司令部


挿絵(By みてみん)


 南雲提督は草鹿を伴い急ぎ呉の連合艦隊司令部を訪れると、山本五十六長官にマダガスカルに迫る危険を説いた。話を聞き終えた山本長官は大きく頷いた。


「南雲君の言う通りだ。友邦フランスのマダガスカルが危険に晒されているのは間違いない。早速、救援作戦を検討しよう。軍令部と大本営の方も私が説得しよう。任せたまえ」


「将来の禍根を断つためにも、この機会に英国の戦力を大きく削ぐことが肝要と考えます。そのためにも情報収集と奇襲が大切です。今回は空母部隊だけでなく潜水艦隊と合同で作戦に当たりたいと考えます」


「なるほど分かった。潜水艦隊についても考慮しよう。南雲君には連戦で申し訳ないが急ぎ出撃準備を整えてくれ」


 こうして日本海軍はマダガスカルを救援する作戦を決定した。しかしこの時、連合国はマダガスカルの侵攻に向けて密かな活動を既に開始していたのであった。



 ――マダガスカル ディエゴ・スアレス総督府


 その日、総督府ではアーモン・レオン・アネ総督の娘エルザの誕生日パーティーが華やかに開かれていた。エルザは父アネ総督の横で招待客達の挨拶ににこやかに応対している。彼女は美しいブロンドの髪とくっきりした顔立ちの美しい娘であった。


 エルザが何かを見つけたのか、壁際に佇む招待客の一人に目を凝らす。そして父に顔を向けた。


「お父様、お客様方のご挨拶も一通り終わったようです。少しお休みしても宜しいかしら」


「エルザよ、お前も疲れただろう。少し奥で休んできなさい。でも今晩はお前が主役だから後でもうひと頑張り頼むよ」


 エルザは先程目を留めた客の居た壁際に目を向けた。しかし既にそこには誰も居ない。彼女は招待客達と父に礼をすると会場の奥へ下がった。そして誰かを捜すように総督府の中を歩く。しかし目的の人物は見つからないらしい。途方に暮れた様子で人の居ないテラスへ出ると背後から突然声をかけられた。


「エルザ!」


 振り向くとそこにはエルザと同じ年頃の青年が居た。


「ジェームズ!やっぱりあなただったのね!どうしてここに?!」


「どうしても君の事が忘れられなくてね。南アフリカから密航船に乗ってやってきたんだ。先週マダガスカルに着いた所だ」


 ジェームズと呼ばれた男は口に指をあてて秘密だよと言うとエルザにウィンクした。彼の話すフランス語には少し英国訛りがあった。事実彼は英国人である。アネ総督とエルザがまだパリに居た頃、エルザと恋仲であった男であった。ジェームズはエルザの隣へ近づこうとしたが、エルザは警戒する様に半歩下がった。


「あなたはヴィシー政府に反対してた。パリで別れた後はイギリスへ戻ったと思っていたわ」


「確かにあの時はヴィシー政府に同調する君と君の父上にも反感を持っていたよ。でもロンドンに帰ってから、どうしても君の事が頭から離れなかった。それにヴィシー政府もそんなに悪くないとだんだん分かってきてね。今じゃパリもすっかり落ち着いているそうじゃないか。むしろ連合国の方が君の国に対して酷いことをしている事に気付かされたよ」


 そう言うとジェームズはエルザの手を取り甲に口づけをした。


「あぁエルザ、会いたかったよ。あの時からほんの2年しか経っていないのに君はまた美しくなったね」


 エルザは答えない。ジェームズは苦笑するとエルザの手を放した。


「いきなり信用してくれと言うのも無理な話か。あの時は君を裏切った様なものだからね。今日は時間も無い様だから一旦帰る事にするよ。また会えるかな?」


「えぇ、お互い色々と積もる話もあるでしょうし。また会いましょう」


「ありがとう。また会ってくれると聞いて嬉しいよ。今度はちゃんとした身分を手に入れて大手を振って会いに来るよ。ではまた」


 そう言うとジェームズはパーティの人混みに溶け込むように消えていった。



 その後、ジェームズはエルザと逢瀬を重ね少しずつ彼女の警戒心を解いていった。そしてエルザを通してマダガスカルの軍の様子や総督府の対応について様々な情報を引き出していった。もうお気づきかと思うがジェームズは英国の工作員であった。英国はマダガスカル侵攻作戦を前にジェームズら諜報員を現地に送り込み情報収集を行っていたのだ。


 ジェームズはエルザと別れた後、隠れ家に戻ると隠してあった無線機を引き出した。


「馬鹿な女だ」


 そうジェームズは呟くとニヤリと笑って無線機の電鍵を叩きはじめた。



 日本海軍は英軍の動向を掴むため潜水艦隊を先発させた。その後を追うように南雲提督の率いる空母部隊も急ぎマダガスカルに向かわせていた。しかし残念ながら日本海軍の動きは一歩及ばず、英軍はマダガスカルを占領しようとディエゴ・スアレスに押し寄せたのであった。


挿絵(By みてみん)


 その朝、アネ総督やエルザはいつも通り朝食を摂っていた。突然爆音が窓を震わせた。何事かと外を見ると港の方に黒煙が見えた。上空を見慣れぬ航空機が乱舞している。しばらくすると急使が執事と共に食堂へ飛び込んできた。


「総督、大変です!イギリス軍の攻撃です!」


「なんだと!軍の対応はどうなっている!」


「奇襲を受けたため混乱しております。現在、司令部要員の招集をかけております。総督にも至急要塞司令部へお越し頂きたいと」


「分かった。すぐに司令部へ向かう」


 そう告げるとアネ総督は妻と娘エルザの方へ向いた。彼女たちは恐ろしい事態に顔を青ざめ震えていた。総督は出来るだけ優しい笑顔を作ると安心させるように彼女たちへ語りかけた。


「聞いての通りだ。いよいよここにも欧州戦争の火の手が回ってきたらしい。恐らくイギリス軍は間もなく上陸してくるだろう。だが大丈夫だ。きっと助けが来る。お前たちは私と一緒に要塞へ来なさい。要塞なら安全だ。安心するがいい」



 その頃、ディエゴ・スアレスの港と街は英軍艦載機の激しい空襲を受けていた。港湾施設や艦船が次々と爆撃を受け吹き飛んでいく。仏軍艦艇は必死に港から脱出を試みるが一隻また一隻と爆弾を受け炎上していく。上空を我が物顔で飛び回る英軍機に仏軍機が寡兵ながらも果敢に挑んでいくが、奮戦むなしく次々と撃墜されていく。英軍機は軍事施設だけでは飽き足らず、地上で逃げ惑う市民へも機銃掃射を行っていた。


 ついに港の沖合に英軍の艦隊が姿を現わした。戦艦の主砲塔が旋回し港へ照準を合わせる。そして巨大な発砲炎と共に主砲が発射された。ディエゴ・スアレスの港が、街が、着弾の度に爆発と共に無残に破壊されていく。空と海の両方から狙われ、爆発と火災の中を住民達が逃げ惑う。その激しい攻撃に晒されながらも仏軍の兵士達は必死で住民達を避難誘導していた。


 一人の老婆が人に押されて道に倒れた。このままでは人の波に踏み潰されてしまう。それに気づいた仏軍士官が指をさして近くの兵士に何か命じた。兵士は素早く老婆に近づくと背中に背負い市民と共に駆けだした。


 親にはぐれた子供が道端で泣いてる。しかし誰も構う余裕が無い。それに気づいた兵士が子供を抱き上げて避難させようとした瞬間、近くに砲弾が落下した。兵士は素早く子供に覆いかぶさり庇う。兵士の犠牲により子供は救われた。その時、母親が子供を見つけて駆け寄ってきた。何も知らない母親は兵士に頭を下げると子供を連れて避難して行った。残された兵士は笑顔で二人を見送る。その背中には酷い傷があった。二人の姿が見えなくなると共に兵士は倒れた。その顔には笑顔が浮かんでいた。



 沖合の輸送船から次々と上陸舟艇が降ろされ港に向かってきた。海岸へ大量の英軍兵を吐き出していく。ついに英軍がマダガスカルに上陸を開始したのだ。仏軍は建物や土嚢の陰から必死に応戦するが多勢に無勢でずるずると後退していく。


挿絵(By みてみん)


 要塞司令部ではアネ総督が次々と寄せられる報告に決断を迫られていた。既に海軍と空軍は全滅に等しい状態となっている。陸軍も数が少ない上、装備も敵が上回っている。それに敵は海と空からも支援を受けることが出来るのだ。100年も前に作られた要塞に籠っていても殲滅されるのは時間の問題であった。総督は司令部要員を集めると決断を伝えた。


「このまま要塞に籠っていても勝ち目は無い。幸い敵はこのディエゴ・スアレスを中心に北部へ兵力を集めている。誠に遺憾ながら、我々はこれから島の南方へ脱出する。脱出にあたっては市民の避難を優先しろ。軍は遅滞防御を行い出来るだけ彼らが避難する時間を稼ぐのだ。いずれ本国や友邦が必ず救援に駆けつけてくれる。それまでの辛抱だ」



 ――空母 赤城


 洋上を南雲提督の指揮する艦隊が一路マダガスカルを目指して進んでいる。その空母赤城の艦橋で南雲提督は厳しい表情で海を見つめていた。伝令が電文を持って入室してきた。それを受け取った草鹿が表情を変える。


「現地の潜水艦からの報告です。今朝より英軍がマダガスカルのディエゴ・スアレスへ上陸を開始したそうです」


「やはり一歩遅かったか。我々は後どのくらいで攻撃位置へ辿り着ける?」


「明朝未明には攻撃隊を発進できる位置へ到達する見込みです」


「明日の日の出と共に攻撃をかける。攻撃目標はディエゴ・スアレスの英軍上陸部隊とする。友邦を救う事が第一優先だ。ダーバンとキリンディニは後回しとなるが仕方がない。潜水艦隊へは港から逃げ出した艦艇を逃さず攻撃する様に伝えろ」


「分かりました。すぐに攻撃準備に取り掛からせます」


 草鹿はすぐに幕僚へ指示を出し始めた。その様子を見ながら南雲提督は祈るように呟いた。


「助けが間に合わず申し訳ない。なんとか後一日がんばってくれ……」



 ――マダガスカル ディエゴ・スアレス郊外


 翌日になると英軍の攻撃は更に激しくなり、仏軍は早々に要塞を放棄し島の南方へ向かって脱出を開始していた。英軍は戦車を先頭に立てじりじりと進撃してくる。更に上空からも空母の艦載機が攻撃をしてきていた。仏軍は街道に障害物を設置し必死で防戦を続けるものの苦戦を強いられていた。


 アネ総督は後退を続ける部隊の野戦司令部で陣頭指揮にあたっていた。そこへ既に南方へ脱出したはずの妻と娘のエルザが現れた。


「なぜお前たちがここに居る?逃げろと言ったはずだぞ」


 しかし気丈な顔でエルザが答えた。


「お父様を残して逃げるなんて出来ません。皆さんも戦っています。私にも何か手伝わせてください」


「聞き分けの悪い事を言うんじゃない。お前たちの様な女子供を守るために男は見栄を張って頑張れるんだ。恥をかかせるんじゃない。さぁ、お母さんと一緒に逃げなさい。私は大丈夫だ。心強い兵士たちも居る。安心しなさい」


 アネ総督は笑顔で諭した。周囲の仏軍兵達も笑って頷いている。


「でも……」


(パチパチパチパチ……)


 その時、場違いな拍手の音が聞こえた。慌ててアネ総督や仏軍兵士らが身構える。すると目の前の茂みから英軍兵士達が銃を構えて出て来た。その数は仏軍兵士らより遥かに多い。既にアネ総督ら仏軍司令部は包囲されている様だった。英軍兵士の先頭で笑顔で手を叩いているのは英軍の軍服に身を包んだジェームズであった。


「いやぁ実に素晴らしい家族愛だ。良いものを見せてもらいましたよ」


「ジェームズ!」


「やぁエルザ、三日ぶりかな。多少やつれている様だけど相変わらず君は綺麗だね」


「誰だ君は?」


 アネ総督は妻と娘を背後に隠すとジェームズと向かい合った。互いの兵士たちも銃を向けあう。


「これはアネ総督、初めてお目にかかります。イギリス陸軍情報部のジェームズと申します。お嬢様とは日頃から大変仲良くさせて頂いております」


 ジェームズは慇懃な仕草でわざとらしく礼をした。


「エルザ!どういう事だ?」


 アネ総督は慌てて娘に振り向いた。エルザは顔色を変えて震えている。


「ジェームズ!騙したのね!」


「騙したなんて人聞きの悪い。僕は最初から君の味方だよ。今もこうして君を助けるためにやって来たじゃあないか。さぁエルザ、こっちへおいで。悪いようにはしないよ」


 そう言うとジェームズは両手を広げた。顔には悪気の欠片も無い爽やかな笑顔を浮かべている。周囲の英軍兵らもニヤニヤと笑っていた。


「お父様、ごめんなさい……彼はパリに居た頃からの知り合いなの。最近マダガスカルに来て、ヴィシー政権に協力するから、また昔の様に付き合いたいと言われて……それで何度か会ってお話をしただけ。でももしかしたら、お父様達が不利になる情報を彼に話してしまったかも……私はなんて事を……本当にごめんなさい……」


「エルザ、お前は悪くないよ。悪いのはあの男とイギリスだ。お父さんはお前を恨んだりしない。お前はいつまでも私の娘だ。安心しなさい」


 打ちひしがれるエルザにアネ総督は優しく微笑んだ。


「いやいやエルザ、君は実によく役立ってくれたよ。本当に感謝している。だから僕もぜひ君に恩返しをしたいと思ってね。お父上にも酷いことはしないと約束しよう。だからエルザ、こっちへ来るんだ」


「ふざけないで!あなたの様な人間の元に行くくらいなら死んだ方がマシです!」


 エルザの拒否を聞いたジェームズは肩を竦めた。実は最初から大してエルザに関心は無かったらしい。彼はエルザの説得をあっさり諦めるとアネ総督に顔を向けた。


「どうもエルザは強情な様ですね。やっぱり女だからか状況が良く分かって無いらしい。しかしアネ総督、あなたは良くお分かりでしょう。もうあなた達に勝ち目は有りません。こんな世界の果てまで誰もあなた達を助けに来たりはしません。抵抗するだけ無駄ですよ。奥様や娘さんが可愛かったら、どうか武器を捨てて降伏してください」


 アネ総督は妻と娘を後ろに庇いながら少しずつ後退した。


「私達が時間を稼ぐ。お前たちは南へ逃げなさい。必ず助けは来る。希望は絶対に捨てないで頑張りなさい」


「そんな!お父様!」


 その様子を見たジェームズは、これまで顔に張り付かせていた嘘くさい笑顔を消すと冷たく言い放った。


「まったく娘も馬鹿なら親も馬鹿だな。こっちはこんな田舎の仕事はさっさと終わらせて早くロンドンへ帰りたいんだ。無駄な手間をかけさせるな。もういい。やってしまえ。あぁ総督の娘だけは出来れば傷つけるな。まだ使い道があるからな」


 ジェームズは今度は本物の厭らしい笑顔を浮かべて周囲の英軍兵らに命じた。



 その時、突然、航空機の爆音が鳴り響いた。空を見上げると数機の単発機が正にこちらへ爆撃を行おうと急降下を始めていた。


「ちっ!海軍の馬鹿共め。余計な邪魔をしやがって」


 ジェームズは舌打ちすると爆撃の巻き添えを避けようと兵を下げた。アネ総督は死を覚悟して妻と娘を抱き寄せ二人を庇うようにしゃがみ込む。


 そして数瞬後、激しい爆発音と衝撃があたりを揺さぶった。爆発が収まった後にアネ総督は自分達が生きている事に驚きながら目を開けた。爆煙が晴れ周囲を見渡すと倒れているのは英軍兵ばかりであった。更に航空機は爆撃を終えた後も機銃掃射で英軍兵に追撃をかけている。


「これは一体……?」


 そう呟いて空を見上げた総督は、上空を乱舞するスマートな飛行機の赤く丸い国籍マークを見た瞬間、全てを理解した。


日本人ジャポネだ!彼らは味方だ!我らの友邦が助けに来てくれたぞ!これで我々は勝ったぞ!」


 彼は思わず両手を突き上げて叫んだ。周囲の仏軍兵たちも歓声をあげる。ジェームズは悔しそうな顔で残った英軍兵を率いて去って行った。


 アネ総督ら仏軍兵の上空を一機の日本機が気遣うように旋回していた。目を凝らすとパイロットが風防を開けてこちらに手を振っている。アネ総督と仏軍兵も手を振りかえした。パイロットは彼らに敬礼すると鋭く機体を翻して去っていった。仏軍兵らはその機体が見えなくなるまで、いつまでも手を振っていた。


 知らず知らずのうちにアネ総督は涙を流していた。彼がいくら窮状を訴えてもヴィシー・フランス本国もドイツもイタリアも、誰も救いの手を差し伸べてくれなかった。このまま逃げ場のない島で追い詰められて死ぬ事を覚悟していた。だが日本人は来てくれた。日本人だけが来てくれたのだ。地球を半周もした遠い遠い場所から。



 いまや危機に瀕しているのは英軍であった。これまで傍若無人の振る舞いをしていた英軍兵らは我先にと上陸舟艇に乗り込み、急いでマダガスカルを離れようとしていた。その混乱の中にジェームズの姿も見える。彼は先に乗り込んでいた兵士を海に突き落とすと舟に乗り込んだ。舟が岸を離れた瞬間、上空に日本機が現れジェームズの乗る舟艇に向けて爆弾を投下した。爆弾は驚いた顔で固まるジェームズに向けてまっすぐ落下すると彼と舟艇を粉々に吹き飛ばした。


 攻撃をしているのは航空機だけでは無かった。海中に潜んでいた潜水艦達が魚雷を放つ。そして英軍の戦艦や空母が次々と爆発し海に沈んでいった。


 戦闘後、南雲提督の率いる艦隊がディエゴ・スアレスに入港し、南雲提督はアネ総督と固い握手を交わした。こうして英軍のマダガスカル侵攻部隊は全滅し、マダガスカルとインド洋の平和は守られたのであった。(完)



 ――解説――


 本映画は1943年8月に公開された国策映画である。制作は前作「ハワイ・マレー沖海戦」と同じ東宝映画で、監督・特撮も同じく山本嘉次郎、円谷英二が務めている。


 前作では戦闘機搭乗員の訓練風景と成長が主体に描かれていたが、本作ではマダガスカルでの英軍の謀略と英仏の攻防を中心とした話となっている。特撮や戦闘シーンも潤沢な予算により前作の30分程度から映画の半分以上を占める一大スペクタクル映画となった。また前作と異なり艦艇や航空機も実機が多数登場している点も大きな違いである。


 だが本作の最も大きな特徴は、最初から日本国外での公開を念頭に制作された点であろう。このためマダガスカル現地での撮影がほとんどとなり、仏人や英軍兵も多数登場している。出演者も日本側の南雲提督らよりアネ総督と娘エルザに重点が置かれている。日本公開後に制作された海外版としては独語版、仏語版、伊語版、英語版があり、いずれも字幕ではなく吹き替え版として制作された。


 脚本が実際の戦闘の推移や事実と大きく異なっている点にも注意が必要である。例えば実際の戦闘では潜水艦による攻撃が主体であったが、映画では南雲艦隊の攻撃が中心に据えられている。これは当時日本が使用していた新型魚雷の情報を隠匿する目的もあったと思われる。また仏側の主人公の一人であるエルザは架空の人物であり、当時アネ総督に年頃の娘はいなかった。英軍の行動も意図的な悪意をもって残虐さが誇張されている。


 このため本作は実機が多数登場するにも関わらず記録映画としての評価は非常に低いものとなった。だがプロパガンダ映画としての評価は高く、その現在でも通用するフォーマットはブラッカイマーら現代の作品と比べても遜色ないものと評されている。


 本映画の制作が海軍省より指示されたのは戦闘の翌月の1942年5月である。当時はまだハワイ・マレー沖海戦の制作どころか脚本を作成中の状況であり、脚本の初期草案は山本嘉次郎ではなく「女學生と兵隊」(宝塚制作、東宝配給)を手掛けた京都伸夫が担当した。このため戦闘より恋愛色の強いものとなっている。これを気に入った海軍省が国外公開も考慮し修正したものが本作のストーリー原案となった。


 撮影は特撮や戦闘シーンを後回しにして9月より大々的にマダガスカル現地で開始された。マダガスカル現地は仏軍も市民も撮影に対して非常に協力的であったと言われる。特にアネ総督は自らの強い希望で本人役を熱演している(娘エルザと妻は本人ではない)。英軍兵役も仏軍兵らが英軍の残していった大量の装備を身に纏い演じている。


 ――登場兵器や特撮について――


 戦闘シーンや兵器の登場するシーンの撮影は、ハワイ・マレー沖海戦のクランクアップした11月より開始された。撮影にあたり、前作で実機を撮影できず非常に苦労した経験から、東宝側は海軍省に実際の兵器を撮影させて欲しいと強く要望した。ハワイ・マレー沖海戦の興業が非常に好評であった事と、実機を積極的に映画に出している陸軍への対抗意識から海軍省もこれを認め、本作では多くの実物兵器が登場する事になる。


 海軍省が機密性が低いと判断し撮影を許可した空母赤城や加賀、戦艦長門、海大型潜水艦、一式陸攻らのクリアな映像は現在でも資料的価値が非常に高い。残念ながら戦艦大和は未だ機密であり長門が連合艦隊司令部の代役を務めている。また他の空母や巡潜の撮影は許可されなかったと言われる。


 英軍や仏軍兵器も実機が多数登場している。特に英軍兵器は多数が鹵獲されたため、上陸舟艇や戦闘機、装甲車は全て英軍の本物であり映画の現実感を高める事に大きく貢献している。


 特撮についてもスクリーン・プロセスに加え、円谷自らが設計したオプチカル・プリンターによる多重合成が使用され格段の進歩を遂げている。


 特に潜水艦のシーンは、水中ではなく空中に吊った模型を使用して撮影された。水中の表現はカメラの前に薄い幕と海面の代わりにクシャクシャにしたセロハンを張る事で実現し、水中から見える敵艦や魚雷、水中爆発は多重合成で表現されている。これは現代の目で見ても一級品の仕上がりであり、CGが全盛となる前までは潜水艦映画撮影のスタンダード手法となった程の技術であった。


 また、戦闘シーンでも新たな試みが行われている。英軍機がマダガスカルの市民を銃撃するシーンでは機載カメラと地上映像のカットに、ミニチュアの市街模型を用いて撮影した地を這うようなカットを繋ぎあわせる事で、非常に臨場感のある映像となっている。爆撃や雷撃のシーンも爆弾や魚雷の着弾の瞬間まで背後から追いかける特異な映像となっており、特に英国諜報員のジェームズが爆死するシーンは非常に印象深いものとなっている。


 これらの特撮は非常に膨大な予算を必要としたが、ハワイ・マレー沖海戦の成功から予算が10倍にも増やされた結果実現したと言われている。このため冒頭のプリンス・オブ・ウェールズ撃沈のシーンも前作の使い回しではなく新たに撮り直されている。


 ――本作の影響について――


 本作は日本だけでなく、マダガスカルやドイツ、イタリア、ヴィシー・フランスでも公開され大成功を収めた。作中での日本の活躍は戦闘シーン以外は控えめであり、意図的に仏軍を英雄的に、英軍を残虐非道に描いているため、特にフランスでは元々あった反英感情から大好評であったと言われる。特に英軍役は本物の装備を用いているため実際の映像と誤解されヴィシー・フランスどころか密かに映画を地下公開した自由フランスでも反連合国感情を高めたと言われている。


 本作はその公開に先立ち戦艦武蔵の連合艦隊司令部で上映会が行われた。宇垣参謀長は「色々と言いたい所は有るが、娯楽映画としては非常に面白い」とのコメントを残している。山本長官のコメントは伝わっていない。尚、宇垣参謀長の日記には、その日の山本長官の機嫌は非常に悪かったと記されている。

 基本的に映画パールハーバーの様な英軍悪役能天気プロパガンダ映画です。映画カサブランカも似たようなものですが、英軍の装備は本物だし特撮もすごいので記録映像に見える分、余計に性質が悪くなっています。戦闘シーンのイメージはパールハーバーやレッドオクトーバーを想像してください。


 映画と言う事で今回は画像が多めになっています。出来るだけサイズは小さくしたつもりですが不評であれば画像は削除いたします。


次話で遣独潜水艦の到着編に戻ります。お待たせしてすいません。

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― 新着の感想 ―
変わり種で面白く。 実際にあったら見てみたいかもw
[一言] 英国諜報員のジェームスって、ボンド君でしたか… ラストの爆死では死ななかったんやろなぁ…
[一言] 架空戦記ものでの劇中劇、しかもプロパガンダ映画とはなかなか曲芸的な閑話ですね。 すごいです。
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