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傷だらけの悪魔の戸惑い  作者: 斉藤弦一郎
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一つの終わり

鏡に映った己の顔をじっと見つめる。


根本から立ち上がるようにはね、光に透かすとやや茶色がかった太くて硬い髪。鼻の下と顎、顎の下にだけ伸びていく髭。それらを出勤前に綺麗に整え、スッキリした表情で商談に向かう溌剌とした会社員5年目、29歳の己。


そんな自分はここにはいなかった。過去のものであった。たった3ヶ月。初めて管理を任されたプロジェクトの失敗。「仕方ない」、「気にしなくていい」。励ましてくれる人は大勢いた。ただ、己の未来が閉ざされる幻聴が聞こえた気がした。


私の日々は次の通りだ。残業を終えて日付が変わる直前に帰宅する。簡単に食事をとってささっとシャワーを浴びて床に就き、眠りに落ちるまで、翌日の仕事について考えながら眠る。朝は6時に起きて洗面と着替えを済ませ、家を出る。電車に揺られ、今日中に済ませるタスクを脳内で整理して出社したらメールを処理していく。直に始業のチャイムが鳴り、てきぱきとタスクを片付けていく。飛び入りの電話、メール、会議に対応し、ひたすらタスクを片付けていく。終業のチャイムが鳴り、未処理のタスクを片付け、退社するのは日付が変わる1時間前。そしてまた翌日に備え床に就く。


たまの会社の懇親会では、積極的に盛り上げ得られた周囲の評判。熱心に仕事に取り組み、場の空気を盛り上げる社員として上の覚えもめでたく、社内でも目立つ存在。


思えば、私はこれまで挫折を知らない人生を歩んできた。子供の頃から大人に好まれる優等生の己の姿で振る舞い、高校、大学、大学院と推薦で進学。学生時代には己にはもったいないような恋人と3年間同棲し、就職で遠距離恋愛に変化したことからその年の暮れに別れた。仕事に夢中だった私はなおのこと仕事にのめり込んだ。


しかし、自分でも張り切っていたプロジェクトの失敗から、これまで順調に回っていると思い込んでいた歯車は狂いを大きくしていった。あれほど燃えていた仕事に集中できなくなり、タスクを消化できなくなった。しかし、己のプライドがヘルプを求めることを躊躇わせ、消化できないタスクが積み上がっていくにつれ、ミスが増えた。ミスが増えるほど焦りは募り、より仕事の能率は下がっていった。


その日も退社したときには、今日という日が残り1時間を切っていた。29歳の誕生日。


29歳にもなって己は何をしているのか。恋人もいない。友達も皆疎遠になった。貯金もない。仕事もミスばかりで集中できない。己の歩んできた道を振り返ったとき、己には何も得たものがないように思われ、これまでに感じたことのない徒労感に襲われ、その夜は眠ることができなかった。


翌朝、初めて会社をずる休みした。休んだはいいものの、特にすることはなかった。布団のなかでダラダラとすごし、トイレと食事以外を布団で過ごした。明日は今日の分を取り返さなくては。そう考えた己はこの日の夜も眠ることができなかった。


翌朝、2日続けて会社をずる休みしてしまった。このような日々を繰り返し、繰り返したことで今度は会社に行きづらくなり、言い訳を求めて、出勤しようとすると体調が崩れるということにし、有休をすべて消化した。


有休をすべて消化しきる頃には、仮病を重ねた言い訳を求めて心療内科にかかることにした。診察は問診と心理テストのみであり、事前に有休いっぱい休んでいたこともあり、初診で鬱の診断書を手に入れることができた。


会社は正式に休職となり、己に言い訳を重ねる堕落した日々を3ヶ月過ごした。堕落した日々は、ゲームをしたり、ネットで小説を読み、食事は出前を取った。やがて、その生活にも飽きを覚え、ネットカフェに入り浸り漫画を読み漁った。休憩に通常のカフェでコーヒーを飲みながら紫煙を燻らし、ふと顔を上げたときその鏡が目に入った。


生え際から立ち上がり、セットに苦労した髪は今はボサボサ、出勤前にいつも綺麗に剃っていた髭は今はだらしなく伸び放題で、不健康そうに肥えた男がそこには映っていた。目は濁り、重い身体をだらしなく背もたれに預けていた。己が過ごした日々を思い返した。ようやく気づいた。仮病を重ねた己は、まさに病んでいることに。


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病んだ己に気付いたとはいえ、怠惰な日々は何ら変えることができずそのままダラダラと過ごした。

気付くと銀行口座の残高は18円。それからの日々はまさに地獄であった。

手元のクレジットカードで生活費をねん出し、それでも足りなくなると消費者金融に通うようになった。復職することは考えられず、金のみを消費していく生活。

気付けば降り積もった督促状の山。人に会うことに恐怖を覚え、家からも出ることができなくなった。


そして、その日は訪れる。

私はその日、自身で自身の命を絶った。

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