第一話 今日は猫が人に変身してオス同士のお付き合いが始まる日
吾輩は猫である。
一度言ってみたかったので満足である。
「ぐふふ、もう少しだ。もう少しで夢のねこみみとの同棲生活……ぐふふ」
このキモい笑い声を上げながら前屈みで踊っているのは、数分前に吾輩を捕獲して自宅へと連れ込んだキモい人類のオスである。
吾輩は人の住処を囲む壁の上で器用に日向ぼっこを楽しんでいた所、地引網を用いて捕獲されたのだ。
町内一の逃げ足と評される吾輩をもってしても、地引網のマクロ的な捕獲能力の前ではどうすることもできなかった。
唐突に絡めとられた件に関して特に憎しみとか恨みは抱いていない。しかし、捕獲されてからすぐに着用を義務付けられたピンク色のふりふりがたくさん付いた衣服はいただけない。吾輩の記憶が正しければこれは人のメスが好んで着用するレディースファッションというやつだ、吾輩ももう一歳になるのでいつまでも女子供のような扱いをされるのは心外である。
そういった抗議の意味も込めて「ふしゃー!」と威嚇して鋭い猫パンチをお見舞いしてやったのだが、このキモい人は「ぐふふ、ご褒美です!」と言ってキモさに磨きがかかるだけだった。
吾輩の連れ込まれた部屋はカーテンが閉め切られている影響で昼間なのに薄暗い。部屋の各所で灯された蝋燭の明かりで怪しい雰囲気が満たされている。
キモい人は部屋の中央でおおぬさ(神社とかにありそうな棒)を振り回して遊んでいる。
相変わらず前屈みで踊り続ける人は大声で判別のつかない言葉を喚きだしていた。
これだから人類というものは気持ち悪いのだ。たまに餌をくれる話の分かる人も居たりするが、大抵の輩は餌も用意せずにキモい笑みを湛えて「きゃーかわいい」「きゃーかわいいって言ってる私かわいい」とか言いつつ、吾輩のデリケートゾーンを撫でまわしてくるのだ。人類どもには公共良俗や貞操観念などの最低限度の慎みが無いのだろう、とんだ変態生物だ。
こんな変態空間に居られるか吾輩は部屋に帰らせてもらうぞ、と、部屋を出ようとしたところで吾輩の身体が眩い光に包まれた。
キモい人が「ぶひひー、きたきたきたーっ!!」と叫んでいる。方角について言及しているのであろう、吾輩には関わり合いのないことだ。
「ふふん、気持ちの悪い人類よ、さらばだ。せいぜい長生きして気持ちの悪い死を遂げるがいい」
おかしい、猫語にしておよそ「にゃにゃん」ぐらいの捨て台詞を放った筈だが。吾輩の口からは普段使いなれない言語がスラスラと発せられた。
「うっひょーツンデレだー! わっしょーい」
キモい人がキモい横走りを披露しながら吾輩に近づき、吾輩の両肩を掴んだ。
そこで吾輩も気が付いた。普段は見上げるばかりで首が痛いと思っていた人類の顔が、吾輩のすぐ目の前に迫ってきているのだ。こやついつの間に縮んでしまったのやら、可哀想に。とか考えたけれどすぐに改めた。
大きさが変わったのは吾輩の方である。もっと言うと吾輩の身体が猫から人へと驚異的なメタモルフォーゼを遂げていたのだ。
「なるほど、今日はそういう日か」
吾輩ほどの年齢にもなればこの程度の変化などにいちいち慌てたりはしない。空から氷の結晶が降り出した日に比べればどうってことはない。あの日は腰を抜かして失禁してしまったものだ。
「ぼぼぼ、僕と交尾を前提に付き合ってくださいいいいいー!!」
「交尾も何も吾輩はオスだ、子孫繁栄には貢献できないぞ」
「うええええ!? ででもかわいかったらなんでもいいです。突きあってくださいいいい」
これは困った。キモい人はオスでもお構いなしに食ってしまうようなやつらしい、本当にキモい。このキモさは過去最高かもしれない。キモい繁殖の片棒を担ぐのは嫌なので、にべもなしに無視して立ち去ろうとするが、キモい人の手が吾輩の双肩に食い込んで離れない。
吾輩はどうやら逃げられにゃいようだ。