レイケン・シリーズ
急いで宿へと帰ったニアをボーンが出迎えた。出迎えたといっても佇んで主の帰りを待っていただけではあるが。それでも孤独なニアには満足であった。無骨な骨だけの姿の彼だが、一緒に過ごせば次第に愛着も沸く。ニアは背伸びしてボーンの頭蓋をこつんとつついた。
彼、ボーンは不死ではあるが死なないという事では無い。アンデッド系の召喚モンスターは頭蓋が飛んでも砕かれても死にはしないが、HPゲージを削り切られると送還される。そうなればその戦闘では再召喚が出来なくなる。
ボーンは一度の戦闘で無限に呼べるために、再召喚不可の法則は当て嵌まらないが、例えばリッチなどは一度の戦闘で一体しか召喚出来ないとの制約がある為にその戦闘で死ねば再召喚は不可となる。一度戦闘が終われば再召喚できるようになるが、ここでもそうだとは限らない。
ニアは足の折れかけた椅子に座り、熟考した。この世界ではゲームの時のように戦闘はエンカウントなどによる区切がされていない。となると、リッチは一度死んでしまうと文字通り二度と召喚できなくなるのではないか。そう思うと安易に召喚する事が出来なくなる。
ニアはある考えが浮かんで、椅子から立ち上がった。すぐさまインターフェースからアイテム欄を開いた。死ねば再召喚が出来なくなる、ならばそう易々と簡単に死なないよう強化すればいいだけの話ではないか。パワーレベリングし、伝説級の武具を装備させる。リッチにしてもそうだが、先ずはボーンだろう。再召喚不可を恐れる余り、彼等を使わずして自分が死ねば本末転倒である。
ニアはボーンに装備させられそうな物が無いかアイテム欄を探った。彼、ボーンは能力をレベルに換算すると10程度と非常に脆弱であり、耐性に関して言うと穴が非常に多い。いや穴しかない。
それは最早貧弱を通り越して無防備である。
ボーンは雑兵の名に相応しい耐性を持っており、闇以外は全て弱点という素晴らしいまでの欠点をもっている。火だろうが雷だろうが全てダメージは倍。聖に至っては種族特性によりダメージ3倍という恐るべき数字を叩きだす。闇に関しては完全にダメージを無効化するとはいえ、これでは安心して背中を任せる事など出来まい。
ニアはボーンを呼び寄せると、その粗末なレザー装備を剥ぎ取り、アイテム欄へと戻す。腐食している盾も粗末な直剣も奪い取り、ボーンを丸裸にすると、良しと頷いた。代わりにアイテム欄からSランク防具「ゴールド・ウッド」シリーズを取り出して手渡す。
ヘルム、キュイラス、グリーブの3種で1シリーズとして扱われるそれは、7柱いる内の異形の王の一人「深淵の王ノウァ・レメゲトン」関連のクエストを最後まで完了する事でレメゲトンから御礼として貰えるものである。
しかしこのサブクエストの受注条件がレベル85以上と非常に高い為に、上級プレイヤーでもなければ持っている者は必然的に少ないだろう。
しかしゴールド・ウッドを装備した際の恩恵はその苦労を補って余りあるものなので、カンスト勢でも愛用する者は多い。聖・雷の耐性を無効にまで上げてくれ、更に麻痺を軽減してくれる。この重装装備の難点といえば、重量が重すぎて戦士系のクラスしか装備できないことだろう。装備すれば要塞が如き防御力を得られるが、適合したクラス以外が装備すればまともに歩けなくなる。
アサシンやキャスターの系統のクラスは基本的に軽装以外とは合わないためにニアはまだ未使用のままだった。
ボーンは一応アンデッドなので装備制限はなかったはずである。ニアが手伝いながら着せると難なく装備できた。余談であるがゴールドと名が付きながら、ゴールド・ウッドの色は黒である。黒い骨格染みた全身鎧に身を包んだボーンは恐らくこれだけで既に防御力が軽く1000を突破しただろう。ボーンに着せるには些か高価すぎる装備である。
後は適当に、3本ある霊剣シリーズの内の霊剣オルブランド 霊剣オルブリンガーを彼に持たせ、強化は完了した。これで彼の攻撃力は1800近くにも上る筈である。最早ボーンではなくなってしまった。黒々とした棘の生えるヘルムの隙間から見える眼窩にも、少しの凛々しさが垣間見えるというものだ。
ニアはボーンに追従と見敵した場合の対処を命令し、椅子に深く座って仮眠を取ることとした。明け方にはここを発つ心積もりである。
ここルドワより北に町は1つしかなく、そこも後数年で飲み込まれると店主は言っていた。最北の町トルン・ヤード。にぎやかだった昔の姿は既にないのだそうだ。侵食に怯えた住民が続々と南下するために過疎化が進んで、残されたのは町と共に死ぬと決めた年寄りばかり。
働き手がおらず、何の生産性もなくなったトルン・ヤードは外からも内からも見捨てられたのだ。そしてトルン・ヤードより北は完全に人のいない寂寞した地帯になる。あるのは腐り落ちた集落群と灰の海。200年前の戦禍の名残が今も広がり続けているのだ。その中に、きっと私の古城も。
ニアは思考の微睡みの中で、やがて船を漕ぎ始めた。紫斑のボーンだけが静かにそれを見守っていた。
明け方、冷え込む中でそばかすの目立つ少年は店の品物を表に並べ、まだ起きてこない主人がすぐにでも働けるよう準備に勤しんでいた。まだ薄い霧が町には立ち込め、湿った地面の匂いがした。
少年の仕事は裏に積んである重たい木箱を店先に運ぶことだが、それだけでも腕の細い非力な彼には辛い仕事だった。手袋も貰えずに、着古した服一枚で働く彼の手のひらは擦り切れている。
それにこれが終わったら主人の朝飯を作ってやり、わざわざ店から5軒も離れた場所にある家へと主人を起こしに行かねばならない。それが終わったら仕入れを行って明日の準備をする。そんな毎日の繰り返しだったが、今日は違った。
「これ、売ってもらえる?」
少年が食べることなど出来ぬ熟れた果実の詰まった木箱を店先に下ろしたその時だった。女の澄んだ声がした。店が開いていないことくらい見れば分かるだろう。そう文句の一つでも言ってやろうと上げた顔のまま、少年は固まった。
喉元まで出かかった言葉は、生唾を呑み込んだことで簡単に胃の腑まで押し流されていった。目の前に立っていたのは17、8くらいの少女で、その白さに少年は見惚れた。
「はい。も、勿論」
少年はたどたどしく返事し、黒いグローブに包まれた手で指差されたそれを一つ手にとって彼女に手渡した。触れ合った冷たい指先に熱が灯る。本来の値よりも少々安い価格で売ってしまったが、彼を責めるのは酷といえるだろう。このような冷たい美貌と対峙するのは、少年にとって初めての経験だった。
手にした果実を不思議そうに眺める彼女を少年は眺めた。こうやって食べるんですよとレクチャーしようにも喉が固まって、声を出せない。
全身を黒装束に身を包む少女だが、不思議と悪趣味な印象は受けない。今までに見た事の無い異郷の顔立ちがそうさせたのかもしれない。フードの下から零れるシルバーブロンドの頭髪が、朝の陽に照らされて眩い。
「ありがとう」
そうこうしているうちに、僅かな微笑みを見せて、彼女は去ってしまった。少年は彼女の残す影を追うように見つめていたが、やがて我に返った。主人を起こしに行くのを忘れて彼が盛大に怒鳴られたのは言うまでもないことである。
12/13.PM4