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ジルテレイ  作者: 小町
2.オルスタシアの王
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アルコールの指先

 エク・グレアの家へと逃げ込んだ二人は玄関に座り込んで互いに顔を見合わせた。顔を蒼白にして怯えるグレアとは対照的にエリスは得意げだった。エリスにとってはあのような光景は日常の域を脱しない程度の物であり、あの酒場に居た誰からもあの時のアサシンほどの恐怖も殺意も感じなかった。つまりはどいつもこいつもぬるかったのだ。

 どうしてこんなにもグレアがおびえた様子を見せるのかすら、彼女には理解できなかった。


 助かった、とグレアは泣きそうになりながら息を吐き、壁に寄り掛かったところで横からのからかいの視線を感じた。それを誤魔化すように「それにしても。あ、貴女って大胆なのね」とグレアは震え混じりに慌てて強がって見せた。

 あのような事態に置かれていたとはいえ、まさか何の躊躇いもなく腕を切り落とす人間がいるとは思わなかったのだ。グレアならもっと事を穏便に済ませることが出来ただろう。恐らくは。


「お前こそ」

 そう言ってエリスは自分の手を持ち上げた。グレアの手も上がる。エリスの手はグレアによってきつく繋がれていた。はじめこそエリスに手を引かれていたグレアだが、知らぬ間に彼女の手を自分から固く握りしめていたようだった。

「いつまで握ってるんだ?」

 グレアは指摘されると弾かれたように飛び上がった。情けない姿を見せてしまった羞恥に頬を染めるとずかずかと居間の方へと歩いて行く。今度は何も言わずにグレアも立ち上がってそれに続いた。グレアの家は女性らしさが皆無に近かった。そもそも家を空けることが多い彼女にとっては時たま帰っては寝るだけの空間と化しつつあったのだ。


 グレアは様々なものが放棄され積みあがっている台所に立って、茶を用意した。横目にエリスを見れば彼女は勝手に椅子に座ってテーブルに体とレイピアを投げ出していた。血が付くから止めてほしかったが、助けてもらった手前注意せずにグレアは彼女の前に茶を出した。

 すぐに飲み干した彼女に向かって「落ち着いたかしら?」と声を掛ければ、エリスは「私は初めから落ち着いている」と答えた。

「ええそうね。私もよ」

 グレアは言って、未だに震える手を膝に置いた。


「さっきはありがとう。助かったわ」

「ああ」

 エリスはもともと余り話す方でも無かった為にそこで会話が途切れ、沈黙が下りた。グレアは慌ててまた話し始めた。

「明日一緒に彼のところに行きましょう」

「彼って?」エリスは首を傾げた。

「領主よ。グウィン・ルソルヴィン」

「話をつけてくれるのか」

 ええ、と言ったもののグレアの顔は曇ったままだった。彼との関係が上手くいっていないのは勿論の事だが、よくよく考えてみれば目の前の彼女の事など何も知らないのだ。知っているのは名前と旅の目的くらいのものだ。

 酒に酔った頭ではいはいと安請け合いしてしまったが、完全に頭が冷えた今考えると大きな厄介事を抱え込んだような気がしてならない。だが助けて貰った手前グレアが何か言うことは無かった。


「でも期待しないでね。さっきも言ったけどここのところ何もかも上手くいってないの」

「わかるよ。上手くいかない事ばかりだ」

 エリスは苦い顔でここまでの道程を思い出した。故郷を追われてからの当てもない放浪の日々は凍えんばかりに辛く険しいものだった。

 賊に襲われた日もあれば、飢えに任せて見知らぬ男を襲ったこともある。騾馬の上で眠りこけ、泥水の上へ振り落とされた日もあった。川の水を飲み腹を壊し夜の真ん中で動けなくなったこともあれば、旅を共にした騾馬を殺しその肉を食った日もあった。つまりは何もかもが酷い有様だったのだ。


「紹介はするわ。それで貴女、どれくらい強いの?」

 グレアの問にエリスは目を丸くした。溜息さえ吐きそうになった。彼女は先程のあれを見ていなかったのだろうか。レイピアで男の太腕を綺麗に切断したのだ。見る者が見れば間違いなくその技量に驚いていたことだろう。だというのに、グレアは何も分からないといった雰囲気を醸している。


「どれくらい、か。そうだな。私は一度しか負けたことが無い」

 考えてから漸く絞り出したエリスの自信に満ちた台詞に、グレアは「あらそう」という溜息でもって返答した。強さの尺度など、曖昧なものであるからおおよそを答えてくれればいいとグレアは思っていたのにも関わらず、エリスの返事は予想の更に上をいく曖昧なものであった。


 グレアにとってみればエリスは女で、加えて兵士志願であるから中途半端では困るのだ。

 ルソルヴィンの信用を失い、更には不名誉極まりない同性愛者疑惑まで掛けられている身としては、また推薦をしたいですとエリスを突き出して、弱かった使いものになりません、では困るのだ。また欲に目を晦ませた結果だとして、落ちた信用が更に底を破って落ちていきそうなものである。


 であるから、エリスがそこら辺の男の兵士よりも腕が立つことを願うのみだった。

「負けたことが無いといっても、そんな説明をルソルヴィンに言う訳にはいかないし、何か今までの功績とか無いのかしら?」

 エク・グレアの言葉に、エリスは自分の経歴を明かすべきか暫し悩んだ。以前は騎士であり、しかも聖国の騎士団に務めていたと告げれば彼女はどう受け止めるだろう。

 聖国の騎士団は厳格で、規律を重んじその優秀さでもって大陸に知られているが、それを言ったところでどう事態が転ぶかエリスには分からなかった。


「まあ大丈夫よ。心配しないで」

 グレアはその沈黙を肯定的に受け取って励ました。功績なんてものはこれから作ればよいのである。取り敢えずルソルヴィンに紹介して、ここの私兵と一緒に訓練を受けて貰えばよいだろう。先程の自信たっぷりな言葉を聞くに、弱いわけではなさそうだとグレアは自分を鼓舞した。

 もう少しすれば獣狩りの時期であるし、なんといっても今は戦時中だ。彼女を晒す機会はごまんとある。彼女の優秀さを示せば、きっと自分の株も急上昇であろう。

 ご機嫌取りの為に、素敵な言葉と共に酒など持って行かずとも良いのである。己の短絡的な考えにすっかり安堵したグレアは、エリスに茶のおかわりを用意する為立ち上がった。









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