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ジルテレイ  作者: 小町
2.オルスタシアの王
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透過性フラン

「過去に取り残された、貴様らなど」

 女は耳下で黒髪を切りそろえていた。その幾房かの髪に遮られた遺伝的な赤茶色の瞳孔を、女はニアだけに注いで笑った。その強張った笑みの裏側に隠された真意になど、死の淵にいるニアには気付くことなど出来はしなかった。夥しい浮遊感と共に、ただニアは黒い女と見つめあった。


 女の眼はどんな沼よりも淀んで止まなかった。その眼によって齎される、唾液すら喉を通らない苦しみは想像を絶した。感覚のない両足は独りでに痙攣を始め、喉を掴んで離さない女の手をいくら引っ掻こうとも、張り付いた五本指はきつく締め付ける拘束具のように決して外れてくれはしなかった。


 ニアは明確な死を目前にし、前頭部が割れそうになり、腰が揺れ動き、視界に赤が混じり始めた。呪詛のような女の言葉も聞こえなくなった無音の中で、ニアは恐ろしさという枠の中に込められた気さえした。

 視界は歪曲を重ね、女の赤い唇や眼球は次第に面積を増して広がっていき、そのまま彼女の顔の上でぐちゃぐちゃになった。


 だが呼吸が途絶えてからいくら経とうとも、まったく死は訪れなかった。この強靭な体は簡単に死ぬことすら許してはくれないようだった。

「漸く死んだか」

 女は手を離した。動かなくなったニアを死んだと判断しての事だった。現に脈はなかった。

 ニアは仰向けでベッドに倒れ込んだ。螺旋のように渦巻く天井が見えた。ニアの眼球は乾き、口はだらりと開いて空洞になっている。ベッドに転がった頭はレイシャの方を向いていた。


 燃え盛る火炎の中で彼女は蹲っていた。必死で伸ばされた左腕には十字架を模した長大な剣が突き立っており、それはまるで彼女の墓標のようだった。レイシャは此方を見て、何か叫んでいる。その表情はまるでこの世の終わりを目撃した少女のようだった。

 そしてその少女の背を、女が踏みにじった。小さな背中をヒールを履いた足で押さえつけ、ゆっくりと腕から剣を引き抜いていく。レイシャは空無を握りしめて、頭をもたげて痛みに泣いた。これは罰だとレイシャは思った。柱に炎が燃え移り、火の粉はベッドにまで到達するに至っていた。


 ニアはその光景を眺めやりながら、頭部が発熱していくのを感じていた。愛する従者が足蹴にされているのをただ黙ってみていられる訳がなかった。自分は彼女にあんな顔をさせる為にここへ帰還したのでは無かった筈だ。

 ニアの眼球に、瞼の裏から皮膜が降りてくる。不明瞭だった視界は晴れ渡るように引いていき、今までおぼろげにしか映らなかった物全てがくっきりと視認できる。

 そしてニアの思考は塗り潰されるようにして瞬く間に汚染されていった。全身は急激に変異し始め、ニアは襲い来る破壊衝動に身を明け渡した。

 それに誰よりも早く気付いたのは、余りの重圧に振り返ってニアの姿を仰ぎ見たドレスの女だった。


 炎に包まれるベッドの上でニアは四つん這いになっていた。その姿は明らかに普通では無かった。ニアの体は弾かれるように何度も震え、隆起した。薬物に頼りきった女の働かない頭でも、それがおかしなことであると咄嗟に理解できた。

 やがて外皮を突き破るようにして内側から何かが現れた。羽化するようにニアを捨てて中から現れた白銀の異形は、体液を辺りに撒き散らし、それらはすさまじい音を立てて蒸発した。


「馬鹿な……」

 ベッドを軋ませてシルバーブロンドを振り乱すその異形を見て、女は正気を失した。それは正しく、かのバインケストの幽鬼だった。

 先ほどまで侮っていた筈のニアの変貌に女は為す術もなかった。それは、それとしてそこにいるだけで女の精神を殺めたのだ。彼女の姿はまるで主である狂気の王を真似たが如く醜悪で、臭い立つ程だった。根元から折れ曲がった両翼や湿った体躯は出来の悪い爬虫類を思わせ、頭部に至っては見る事すら耐えられなかった。


 両足を引き摺って白銀は女へと這った。開け放たれた口腔から、唾液を吐き散らかしながら迫りくる姿を見て、エイメン、と女は祈った。そしてその祈りは誰にも届くことなく白銀の鉤爪は女の腹部を切り裂いた。女は舞う飛沫の中心で絶叫した。

 その足元で這う這うの体だったレイシャは、それを聞いてカーペットに顔を押し付けた。抑えきれない嘲笑の念をニアに悟られたくは無かったからだ。

 だからベッドから離れろと言ったのに。レイシャは含み笑いを漏らした。


 白銀となったニアに最早理性や人間との類似点など残されてはいなかった。つまるところ女の肉を多少削ぎ落としたくらいでそれは満足しなかった。四肢をもいで腹に口を突っ込みその粗方を食い散らかすことで、漸く異形の気は済んでくれるのだ。





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