ウラマナと手下たち
あの頃の私たち、いや彼らに敵は無く、大陸のどこへ行こうとも一党の名が響き渡っていたものだった。ニア・ジルテレイはあの懐かしき時代の象徴であったし、あの時代を血に染めたのも彼女だ。彼女が行く先々にはまるで吹き溜まりのように争いが舞い込んできたし、その足元には常に血溜まりが出来ていた。
だがすべてはもう過去の話だ。同胞達は消息を絶ち、古城はがらんどうになってしまったのだ。
レイシャは堆く積み上げられた品々を避けて歩きながら宝物庫の中を見て回った。眺め歩くだけで遥か昔の思い出が甦り、余計に彼女は後悔に苛まれた。思い返せばこの数か月間は今まで生きてきた中で最も酷い日々だったかもしれない。
遺物の山を漁って拾い上げた飾り気のない短剣を、頼りない蝋燭の明かりの下に照らし出してレイシャはそう思った。この短剣は同胞のうちの一人ウラマナが使用していたものだった。謂れも名も知らないが、彼は何時からかこれを用いて一党に大きく貢献していた。
刺した箇所のあらゆる状態を本来のものへ戻すという効果を持つこれを使えばニアの傷も、障害も、何もかもがきっと治るだろう。そして、出来ることならばあるべき姿にもどって二人でまた一からやりなおすのだ。レイシャは決意の元に短剣を両の手でしっかりと握り締めた。
宝物庫を出て錆臭い重扉を閉ざし、再び彼女は暗闇の中で延びゆく階段に足をかけた。ニアが悲惨な状態になって帰還した時から、既にこの短剣の事は頭にあった。だが何度ここへ足を運ぼうとも、これを使うことがどうしても出来なかったのだ。
その償いをこれから長い時間をかけて自分はしていくべきだろう。今からでもすべてはきっと間に合ってくれるはずだった。
冷たい階段を上りきり、ニアの自室へと続いていく廊下の両端に反り立った壁に取り付けられた古びた窓から外の世界をふと見た時だった。何かが喉を絞ったような鳴き声がした。それはどの位置から聞こえてくるものなのか判然としなかったが、レイシャは短剣を今一度強く握った。それは思い違いでなければ古城の中から聞こえたような気がしたのだ。
そして壁龕に落ちた暗い影の奥にレイシャは不吉を見出し、駆けだした。昼夜を失った城外では、ある筈のない欠け月が蒼染みた月光を放っていた。
ニアの眠る自室へと舞い戻ったレイシャは、呼吸を整える事もせずに扉を愕然と眺めた。先程閉めて出たはずの扉はどうしてか僅かな隙間が空いており、その空隙からは中の光が廊下側へと漏れ出ていた。鍵こそかけて行かなかったが、今のニアに自力で動くことは不可能な筈だった。ならば、どうして扉が開けられているのか。
レイシャは只ならぬ予感を喉底に詰まらせながら、そっと扉を開けて中へ入った。そして余りの恐怖に思わず蝋燭を手から取り落とした。
部屋にはニアともう一人いた。燭台が床で跳ねて転がる。溶けた蝋がルクソア調のカーペットに飛び散った。その古ぼけたドレスを纏う侵入者の後ろ姿を見ているだけで、どうしようもなく脚の震えが止まらなかった。
「ああ、見つかってしまったか」
カンテラに明かりを受けたドレスの影は勿体ぶるようにゆっくりと振り返ってレイシャへその眼を向けた。
「どうやって、ここに……」
ベッドの脇に悠然と立つ人影を見てレイシャは猛烈な吐き気を催した。膝から崩れ落ちそうになった。ニアとレイシャの二人だけの世界は、たった今壊されたのだ。私たちの前に立つに相応しくないこの人間によって。
「やあ、初めまして」
ドレス姿の女は蠱惑な笑みで一礼し、腰に挿した明らかに不釣り合いで長大な剣を鞘から抜き放って肩に担いだ。レイシャは短剣の切っ先を女に向けて今すぐにそのベッドから離れろと警告したが、女は気にも留めずにベッドを覗き込んでから、またレイシャに視線を移した。
「可哀想に、ニア・ジルテレイ。怪我してる。これは君がやったのかな? 酷い女だ」
「黙って。そして今すぐ、そこを離れて」
レイシャが一歩女に近付くと、彼女は口許を滲ませながらニアの首元へその生白い腕を伸ばした。
その指先がニアの喉へ触れたのを見た瞬間レイシャは走り出していた。怒りでどうにかなりそうだった。だがレイシャは向かっていったところで女に触れることすら叶わなかった。ウラマナの短剣を握りしめた右腕を蹴り抜かれ、レイシャは無様に床を転がり、歪に折れ曲がった右腕を俯せになって抱きかかえた。
「私はシャハートの剣だ。ましてや、お前如きが立ち向かえると思わない方が良い」
女は長剣を下向きに構え、ゆっくりと此方へ歩み寄ってくる。
短剣を右腕へ突き刺して治療し、立ち上がろうとした時だった。レイシャは長剣が自分の左腕に落ちてくるのを見た。切っ先は簡単に肉や骨を貫いて床に達し、カーペットに血が広がっていく。そのまま腕は床へ縫い付けられ、手元を離れた短剣は女に踏み砕かれた。
「そこでゆっくりとニア・ジルテレイの死を見るがいい」
女は侮蔑混じりの視線を投げかけ、ベッドへと歩んでいく。レイシャは堪らず慟哭した。どうしてこんなことになってしまったのか。自分の無力を怨み、レイシャは歯を噛み締めて涙を流した。
女は眠るニアの頬を撫でてから辿るように喉元に指を滑らせ、その首を片手で締めあげた。ニアは咽かえりながら眼を覚まし、充血した目で弱々しく女の手を掻き毟った。
恐怖に打ちのめされたニアの口から声にならぬ声が漏れて、女は手の力を強めた。そして首だけを掴んだままニアを宙へと浮かせながら、女は天を仰いだ。
「これが、こんな女がかのバインケストの幽鬼だというのか」
余りある失望をため息と共に吐き出した女は、宙吊りになったニアの怯え切った眼を見て吐き捨てた。女の背後ではレイシャが泣き叫び、先程の蝋燭の火がカーペットに燃え移っていた。
「伝説を打ち倒すため準備してきたこの数か月が無駄になった」
女は燃え盛る炎を背負って、ニアに笑いかけた。
「過去に取り残された、貴様らなど」




