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ジルテレイ  作者: 小町
2.オルスタシアの王
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針金のシチュー

 放浪者然とした女は、酒場の主人に何か食い物を持ってくるよう頼むと物思わしげな顔つきでグレアの方を見た。その細い左手は誰かが樫のテーブルの上に忘れていった(あるいは残していった)カードを弄んでいる。ふと気付けば、何時の間にかジョングルールの歌は止んでいた。

「お前はここの人間か?」

 ジョッキをかち合わせてお互いのこれからに乾杯をしたところで、突然彼女はそう訪ねてきた。無遠慮かつずいぶんな言い方にグレアは些かむっとしたが、ええと答えた。

「そうなのか」

 女はまるで既知の事実を宣告されたように頷く。まるでそれはそうだろうなと言っているようだった。間違いなど無く、グレアは生まれも育ちもここルートハイデンだった。胸を張ってここを誇りある故郷と呼ぶほどに好いてはいないが、この酷い時代をこの土地を共に上手く折り合いをつけつつ過ごしてきたのだ。


 粉を溶かしただけの水のようなシチューが運ばれてくると、女はそれに食らいつくようにして貪った。シチューに入っている肉は恐らくこの酒場の犬のものだった。昨日から番犬の姿が見えないのだ。そうでなくとも、そこらの野犬の肉であろうことは想像に難くない。

 そんなにお腹が空いていたの? とグレアが尋ねると、三日は何も口にしていないんだと女は返答した。そして三日前に食べたのは、酷使した名も知らぬ騾馬の肉だという。グレアは神妙そうに相槌を送った。彼女は問題なく酷い人生を送っているようだった。


「どうしてルートハイデンに?」

「人を探してる」

「男?」

「女を探してる」

 後仕事もだと彼女は答えた。グレアは頷く。放浪の理由など人それぞれだし時代や情勢によって様々だ。女は皿の底に僅かばかり残った粉が固まった泥水のようなシチューを流し込むと、皿とスプーンをテーブルに放った。そして口に残った不味い肉の筋をビールで流し込んでから、忌々しそうに吐き捨てた。

「くそ。ルテーラ汁の方がまだ美味い」

 ここの酒場の飯の不味さを知るグレアは曖昧な笑みを返した。


「その額を、たたき割ってやる」

 誰かが叫んだ。酒場のカウンターの方では、何やら喧嘩が起こっていた。しかし女はそれらに注意すら払っていなかった。その様からは、およそ何があろうと対処できる、といったような彼女の底知れぬ自信が垣間見えた。

 後ろでは木箱が転がり、酒瓶が割れる音がした。大柄な男がジョングルールの髪を掴んで床に引き倒している。そこへ馬乗りになった辺りでグレアは興味を失って視線を切った。


「でも奇遇ね。私も人を探してるの」

 グレアが改まって言うと、女はジョッキを揺らしながら何の気なしにそうかと言った。彼女は他人の事情にはさして関心が無いようだった。その態度からは誰かと話題を共有しようという気すら感じられなかった。

「実はさっき、お前が領主の館から出てくるのを見た」

 ジョッキを傾けて、酒を少しずつ口に含みながら女はグレアの目を覗き込んだ。この女は明らかに酒を飲み慣れていなかった。もしくはこの胃をむかつかせるような安酒の対処の方法を知らないかだ。


「つけてきたの?」

「そういう訳じゃない。領主とはどういう関係なんだ?」

「それは貴女に何の関係があるの?」

 エク・グレアは蒸留酒で酔った頭で冷静になろうとした。この女は何か目的があって私を追い、この酒場に来たのだろうかとぼんやりと考えた。この酒にすら不馴れな余所者が、グレアに何の用があるというのだろうか。


「さっきも言ったが仕事を探してるんだ」

「それで?」

「彼の下で働きたい」

「領主の下で? 貴女が?」

 そうだと彼女は答えた。そこに気後れした様子はない。だがきっと彼女はここルートハイデン郡の領主の名前やもしかしたらその顔すら分からないに違いなかった。それとグウィンに対しての礼儀やタブーも。

 この放浪者は、ルソルヴィンの娼婦にでもなりたいのだろうか。それか洗濯女だろうか。もしかしたら両方かもしれない。このような時代、何の能力もない女が食べ物を得るために身を売る事も珍しくなどないから、彼女もその一人になろうとしているのかもしれないし、放浪を止めて安定を求めているのかもしれない。


「私は兵士になりたいんだ」

 エク・グレアの単なる勘違いなどでなければ、その女の言葉には推し量れないほどの意志が秘められているようにグレアは感じた。それは水面をただ眺めてもその水深が判明しないように、彼女の覚悟の重さはグレアの眼では漠然とも判別できなかった。

「どうしてドフネイフの兵士に? 貴女北から来たのよね」

「北と戦いたいんだ」

「でも貴女は女よ。無理だわ」

「性別は関係ない」

「でも国籍は関係あるわ」

「そんなものは知らん」

「故郷は?」

「ない。私は故郷を捨てたんだ」


 女の表情からは、とても自発的に捨てたようには見えなかった。捨てられたのかそれとも失ったのか。とにかく、彼女はその小さな胸の内に耐え切れぬほどの悲劇を抱えているらしかった。グレアはテーブルの木目に目を落とした。あたかもそこに、彼女が経験した不当に侮辱された人生が描写されているとでもいったようだった。


「そうなの、貴女名前は?」

「エリスだ」

「私はエク・グレアよ、よろしくね」

「何をよろしくするんだ? 領主に話をつけてくれるのか?」

「それは無理ね。今の私と領主は上手くいっていないの。それはもう、何もかもがね」

 エリスと名乗った放浪者は、その思慮深そうな目をグレアに注いだ。そうか、でも話はしてくれそうだな。エリスは言って、グレアも固い握手を交わした。

「ええ、でも待って。この話の続きは私の家でしましょう」

「どうして?」

「ここは空気が悪いわ」

 グレアが顔を下げたまま言うと、エリスはまるで今自分を取り巻く環境を思い出したように樫のテーブルの周縁を見回した。先ほどの喧嘩を火種として、酒場からは道理が失われていた。


「ああ、そのようだな」

 口から血を吐いて動かないジョングルールや、酒場の片隅で行われている度を越えた喧嘩を見てエリスが言った。赤らんだ顔の男が、酒場の主人の目元を殴りつけて、あふれ出た血をアルコールで洗い流してはまた殴っていた。その周囲では酒であらゆる道徳的信条とは無縁になった酔漢達が囃し立てている。

「すぐにここを出ましょう」

 グレアはテーブルに金を置いて席を立った。

「この町はいつもこうなのか?」

 椅子を引いてゆっくりと立ち上がりながらエリスはグレアに訊ねた。このような事態だというのに、彼女からはジョッキに残った酒への名残惜しさすら感じた。

「戦争が長引くようになってからはね」

「ああいう連中に対して、お宅の領主様はどういう対応を?」

 エリスは主人を殴りつけている男や、その周囲の始末の丸い連中を顎で示した。


「処刑よ。明日にはみんなルテーラの餌にされるか、広場のロッカの木に吊るされてるわ」

 そうかそうかと呟きながら、エリスはレイピアを抜いた。

「ここの領主は加減を知らないんだな」

「公正なのよ」

「私もだ」

 じゃあ行きましょう、とグレアが先導した。彼女らは、こんなことはもう慣れきっているといった自然体を装って、カウンターの横にある酒場の入口へ歩いた。この異常な事態に恐れをなしてもう酒場にはあまり人がいなかった。グレアがカウンターを通り過ぎようとしたとき、行く手を誰かが遮った。

「どこへ行くんだ。穢れた女め」

 それは床に唾を吐いたあの男だった。彼はカードゲームに興じるのを止めたようで、どうやら新たな嗜虐的遊びをグレアの中に見出したようだった。


「向こうで俺と飲めよ。お前のような屑にも俺は酒の飲み方を教えてやれる」

 男がグレアの手を強引に鷲掴みにした。痣になるほど強く握られて呻いたグレアを見てエリスが一歩前に進み出た。男が薄汚い風体の放浪者の方へ眼を向けた途端、彼の右肘から先が斬り落とされた。グレアは叫んで、左手にぶらさがった男の血塗れの腕を払い落として後退った。

「彼女は私の友人だ。口の利き方に気を付けろ」

 エリスは血の付着したレイピアを袖で拭いながら吐き捨てた。片腕を喪失した男は断末魔を上げて床に転がってのた打ち回り、血を床に撒き散らした。後ろから怒鳴り声が聞こえて、エリスはグレアの手を握って酒場から逃げだした。





エリスとグレアがどうこうなることはありません

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