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ジルテレイ  作者: 小町
1.アンダーワーツの死
11/26

サタリネット エピシナ

ニアのサポートキャラ

 少女は足取り重く、廊下を突き進んでいた。その後ろには3メートルを越えるほどの体躯を持つ異形の重装騎士が付き従った。恐らく人間用に造られたものではないであろう鉄の大斧を持ち、腰から伸びる10数本の鎖を垂らしながら500キロ近い体重を引き摺って歩いている。

 鉄塊を担ぐ上に恐ろしく重い装備であるから、彼が歩く度に頑強な筈の床がみしみしと音を立てる。びっこをひくその足が、間違って床を踏み抜いてしまいそうである。

 本来、少女に護衛など必要はなかったが、物言わぬ彼はその身を崩しながら毎日着いてきた。それはまるで幼子のようで、彼は世界をこの城のみだと考えているのだ。

 だがこの騎士も、所詮は少女の造った者の内の一人にすぎず、彼と似たような失敗作が城の地下牢には3000体近く詰められている。戦闘能力に欠けていたり著しい言語能力の欠如が原因だったりと、失敗の原因は様々だ。主人に献上する兵は、何処までも完璧であらねばならない。


 少女は古臭いマットのような匂いがする宝物庫を出て、ぼんやりと足元に視線を落とした。ここにも彼女はいなかった。

 彼女が出ていった日から、朝の木漏れ日などこの城にはやってこない。外は薄汚い風が吹き荒れ、突然変異した獣で溢れかえっている。戦禍の侵食が進み、ずっと前にこの城も飲み込まれた。だが決して住みやすいとは言えぬここに彼女は留まり続けた。昔とはかけ離れてしまったこの城の番を、あの日主人に任された日からずっと彼女は務めている。

 その主人はも今はなく、彼女の居ないこの城など息苦しいだけだ。背の低い彼女には両端の壁が次第に幅を寄せてくるように錯覚してしまう。もう毎日ここを歩いているというのに、未だ隣にあの人がいない感覚に慣れない。


 永遠に共に居ると信じて疑わなかった彼女は、ある日突然消息を絶ち、そしてそのままだ。そしてそれから幾年かの後、城に住まう主人の同胞たちも姿を消してしまった。もう200年になるだろうか。

 その間彼女は去った同胞の隙間を埋めるように、異形をその手で産み続けてこの城を守って来た。それは彼女がいつ帰ってきても良いようにという一心だ。彼女が帰ってきても、同胞の喪失に悲しまないように。私が空いた穴を埋めてあげるのだ。そうすればきっと、寂しくはないだろう。

 少女は広大な城の徘徊を夕方になって漸く止めた。この城のどこかにひょっこりと彼女が姿を現してくれるのではないかと、あれから毎日思うばかりで彼女は一向に姿を見せない。もう死んでしまったのではないかとも心配したが、彼女ほどの人物がそう簡単に命を落とすようには思えなかったのだ。


 少女は主の部屋のベッドに座り、あやとりをした。くすんだ太陽から放たれる紫外線が、明り取り窓から差し込んでくる。どぎつい光に焼かれながら、少女は昔を懐かしんでいたが、やがて虚しくなった。

 私は魔法だって使える。どのような相手だろうと戦える。それに、彼女の望むものならなんだって作り出せた。他には……そこまで考えて、彼女は自分がそれしかできない事に気付いた。

 それが原因で彼女は去ったんだろうか。他に自分より素敵な従者でも見つけてしまったのか。そうだとしたら、なんと悲しい。ニア・ジルテレイの従者として生きれないならば、彼女から存在価値が奪われたも同然であった。


 赤い紐が指に絡まる。少女は何度流したか分からぬ涙をこぼし、おうおうと嗚咽を零した。このがらんどうとなった城に200年。もう彼女の精神は摩耗しきって限界だった。もう一度だけで良いから、名前を呼んでほしい。それだけで自分は満たされるに違いなかった。ニア、と声が漏れた。彼女はベッドの上で丸くなって、窓から目を逸らした。




 薄闇の中、遠目には集落のようなものが見えた。あれか。あれがトルンヤードなのか。ニアは呆然とした。ここまでくるのに、あの巨狼との戦いから丸二日も要したのだ。最早ニアの身体は木偶と成り果て、恐らくは足先などは凍傷になっている。灰は北へ行けば雪のように冷たく、また風も凍てついている。

 身体が必要以上に疲労を感じているのは、ニアの全身が武器で溢れ返っているせいだろう。強さは重さに直結した。ニアは、腰に左右一本ずつ名のある妖刀を携え、背中にはSランク盾のレイジスの壁を背負っている。この盾はその名の通りに、ある城の壁を切り出したもので、装備するだけで不落の要塞となる。全盾中最も耐性に優れ、一つとして穴がないが、持てば殆ど動けない。


 さらに暗器として袖には幻惑の効果のある短杖を仕込み、懐には召喚系カードを忍ばせた。咄嗟の事態への対処としては、片腕に原初の魔法が書かれたスクロールを包帯のように巻いたことで、最高火力の魔法が常に発動できる状態にある。そして見敵した場合には、首に紐で掛けたあの店主の袋を使用する。この小さな麻袋には、金貨ではなくヴォイドの原石が詰まっていた。

 それは、投擲すると落下点を消し飛ばすという類のアイテムで、その効果は先程実証済みである。その証拠に、一つ後方の丘が焼失している。

 二日前のような事態に陥らぬように、ニアは最早単独で戦争が起こせるほどに武装し、武器庫と化していた。


 だから進行は遅々として進まず、たかが町一つ見つけ出すのに苦労した。だがやっとの思いで発見した町、いや町にはとても見えぬあの集落は、灰に沈没していた。家々の床下など、殆ど埋まっているのではなかろうか。

 このような環境下に置いても、まだトルンヤードでは人の営みがあるというのか。それはニアには信じられぬことだった。もう夜だ。そのせいか、集落には明りがない。

 それでもニアは這う這うトルンヤードへ足を進めた。力の大部分を山のどこかへ置いてきてしまったのかもしれない。全身が、滞って上手く動かないのだ。

 

 ニアはオーンブレイカーを杖代わりにして、灰に埋もれてしまった道を探すように歩いた。果たして、あそこが目的の地か?トルンヤードに近付けば近づくほどに、その疑念は大きくなっていく。まるでそこは廃村のようで、人など居ないのではないか。そもそもこんな灰の真っただ中で、周囲と孤立して生きていけるものなのか。

 ニアは、静かにトルンヤードへと踏み入った。柵も何もなく、ただ家々がぽつぽつと大地の上に並んで、その間に申し訳程度の畑の残骸が点在している。トルンヤードには驚いた事に家以外、何も存在しなかった。

 モーテルやホスピタルセンター、レストラン。住居はあるのに人はなく、ゴーストタウン染みた不気味さと寂しさを感じる。これでは、あと数年は浸食から逃れられると言っていた店主の話は殆どが間違っていることになる。もう、侵食はトルンヤードなどとうの昔に過ぎ去っていたのだ。

 

 ニアは暫くトルンヤードを徘徊して、人気の無さに宿泊は諦めた。人気どころか生活の痕跡すらをもなかったのだ。そこで近くにあった廃屋の中へとニアは向かった。ここで夜を明かすのだ。火は焚けぬが風は遮る事が出来るだろう。もしこの町に人がいたのなら、明日の朝になればわかるに違いない。

 まるで百年も昔に建てられたように古びた廃屋の、錆び付いた蝶番をオーンブレイカーで断ち切った。その外観はセント・エピシナの如く、壁は腐食し、元の色がどうだったのかなど窺い知れない。


 ニアは鍵の壊れたドアをゆっくりと引き開けた。その空隙へと、月光が帯となって地を這い滑り込んでいく。ぼんやりと夜の明りが灯された廃屋の中に、ニアはドアを開けたままに入り込んだ。完全に閉じてしまえば光源を絶つことになるからだ。

 廃屋の床は灰に埋もれてしまっている。天井は低く、古びたゴムのような匂いがして、鼻を押さえた。ニアがオーンブレイカーを白杖のように使って、奥へ進んだ時だった。背筋を撫でられたように、思わず身体が硬直した。最奥の暗がりと目が合ったのだ。闇と目が合ったのではない。闇に目が現れたのだ。ニアは後ずさる。すると、背中に何かがぶつかった。

 ドアだ。当たった拍子に、閉じかけていたドアが大きく開いて、より強く月光が室内に差し込んだ。すると、朧げな青白い光の元に、女の顔が浮かび上がった。コバルトブルーの美しい瞳が、こちらを驚いた様子で見ていた。

 ニアは思わず妖刀に手を翳す。殺そう。獣染みた警戒心がむくむくと起き上がった。それに比例するように、床に映るニアの影は伸び始めていく。


「待ってくれ」

 声は女のものだった。機先を制したことで、会話の主導権は暗がりに潜む女にあった。武器を下ろしてくれないか。そう女は懇願した。ニアは女の弱ったような声色に、幾分引き締めた精神を解かれて、渋々といった具合に従った。

 確かに、いきなり先客に剣を向けてはただの人斬りではないか。……獣との戦いで気が立っているのかもしれない。恐らくは。物騒な考えが浮かんだ自分をニアは戒めた。

「私はここで夜を明かそうと思って。お前もだろう?」

 女は暗がりから月明かりのもとに姿を現した。彼女は黒革を使用した軽装な出で立ちだった。夜に溶けていられたのはそのせいか。武器など彼女は一つとして持ってはおらず、ニアは武器庫のように成り果てた自分を少しばかり恥ずかしく思いつつも、頷いた。


「なら目的は同じだ。剣など持つ必要はない」

 ニアは驚きに加速していた鼓動が戻るのを感じながら、頷く。女は闖入者の危険物染みた姿に内心畏れながらも、だろう?と頷く。

 闖入者は、何やら文字の刻まれた壁の一部らしき石板を背負い、何本もの奇妙な剣を所持していた。剣など高価でそう何本も買える訳はないというのにあろうことか女は三本も挿し、加えてその全てが業物と見える。

 だが剥き出しになった両腕を見るに、ただの金持ちとは思えない。それほどに彼女の腕は気味が悪かった。

 右腕には夥しい数の人名の刺青が彫られていて、まるでその人物を祟っているようであった。刺青などは魔を宿すと言われ、皆怖がって一文字足りとも入れないというのに、この女はびっしりと腕に書き連ねてあるのだ。


 反対に左腕には奇妙な、陣めいた文様の描かれた紙が何枚もべたべたと張り付いており、何だか良からぬものを連想させるのである。もしや呪術師の類ではなかろうか。しかして危害を加えぬのなら問題は見ぬようにすべきだ。あまり人に踏み入るものではない。女は、一先ず敵意を収めた様子を見て、安堵した。

 ニアはすまないと謝罪しながら、灰の積もったフードを脱いだ。シルバーブロンドの頭髪が、灰燼と共に煌めいて零れ落ちる。薄汚い外套から現れたその透き通った美貌に、女は暫し視線を奪われた。じいと見つめられ、恥じらうように顔を背けた彼女がまた愛らしく、女は先程の気味悪さなど忘れてしまった。




「お前もこの灰の海の調査に?」

 女は懐から何やら鉱石を取り出して下に置いた。そしてその前に座ると何やら石を磨き始めた。そうすると、仄かに鉱石は発光し始めた。マジックアイテムの類ではなさそうである。此方ではそういった鉱石でも新たに発掘されたのだろうか。

 ニアも、夥しい武器の数々を暗がりに下ろして、彼女の前に光を挟んで座った。

 勿論ニアは調査のためにここへ来たわけではなかったが、あえて否定するのも憚られて、なんとなく話を合わせた。ここに来るまでの経緯を脚色して、それを上から黒で塗りつぶしたような、言い換えれば全くの嘘を、女は恐ろしい程の愚かさで鵜呑みにした。

「そうだろうと思った。でなければ、こんなレディンの跡地までくる必要なんてないものな」 

 素直な女の言葉に、ニアは驚いて声を上げた。ここはトルンヤードではないのか。そう言うと、女は目尻を下げて優しげに笑った。ニアは何だか、自分が迷子になった子供のように思われた。

 彼女によれば、ここはトルンヤードよりもずっと北にあるレディンと名の付いた地らしい。ああ、なんということだろう。

 灰の海の真っただ中にいれば、自然方角を見失うものだと、女はニアを慰めるように言う。

 ニアは半ばで進み違えてしまったのだろう。想定以上に時間がかかってしまっていたことへの疑問が今氷解した。


 



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