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ジルテレイ  作者: 小町
1.アンダーワーツの死
10/26

ボーン・ヘドゥー

 見間違えようがない。あれは巨狼ルアドだ。推奨レベル35のフィールドモンスで、様々なクエストにて登場した。確か行動パターンは噛みつき、叩きつけ、雄叫び、破壊魔法と少なかった筈である。ボスでは無い為にゲームの中ではルアドの行動パターンは簡略化され、そこまでAIも賢くはなかった。

 しかし、ここは現実であるのだ。奴はパターンに従って次の行動を決めるのではなく、意思をもって動く。頼みの綱であるオーンブレイカーがなく、攻撃力が著しく低下した今のニアでは、残念ながら御せる相手では無いだろう。AIの穴を突いて嵌め殺すことも現実では実質的に不可能だ。


 巨狼が動き出す。奴は大岩を砕かんばかりに踏み締め、跳躍した。窪地へと着地した巨狼は、下顎に涎を伝わせてゆっくりとニアへ忍び寄ってくる。赤みを帯びた歯肉には鋭牙が並び、美しい体毛は逆立っている。この汚染された大地で、彼等は限りなく餓えていた。斜面を登ろうとしていた狼達は漸く諦め、丘陵の周りを舐めるように周回しだした。

 ニアは流れる汗をそのままに、アイテムを開き、一ページ目を流し読みする。エーテル、遮光草、マジックカード、ミルチの毒薬、夢見の帽子……。ない。急ぎ二ページ目へ移る。スキール、エール、レキの邪眼、自爆のアミュレット……。ニアは絶望した。武器が見当たらない。巨狼は徐々に速度を速めながら着実に迫ってくる。奴との距離は目測にして40メートルほどか。ニアはそこで、紫斑の骸の存在を思い出した。


「ボーン召喚」

 ニアは咄嗟に地面を指差し、ボーンの名を呼んだ。灰の上に瘴気溢れる魔方陣が浮かび上がった。それは深淵ドーン・ヨリュードより漏れ出る有害な気体である。せり上がってくるそれが段々と輪郭を形作っていき、やがて一体のボーンへと変質した。

 漆黒のゴールド・ウッドシリーズに身を包み、両手には霊剣オルブランドと霊剣オルブリンガーを携える。まるで覇者の如き風体のボーンは、召喚されるや否や見敵した。攻撃1800、防御1000という数字の暴力でもってして、彼は巨狼ルアドへと目掛けて飛来した。


 爆音がした。砂塵が舞う。重装のボーンの着地により大地が沈み、取り巻きの狼は蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。ニアとの間に突如現れた黒装の雑兵と数秒巨狼は対峙する。だがその差は火を見るよりも明らかであった。

 均衡を壊すように、迎え撃って薙ぎ払われた巨狼の前足がボーンを叩きつけた。熊などとは比べようもない一撃だった。腐りかけた爪がゴールド・ウッドに食い込み、ボーンを亡き者にしようとした。だが紫斑は揺らがず、ダメージを負う様子も無いままに、追って振るわれたもう一方の足を斬り飛ばした。

 胴体を失った前足は飛翔し、胴と離れて空転する。放物線を描いたそれは、ニアの横へと落下して転がった。撒き散らされた血飛沫の一部がニアの頬に飛び散る。


 破れたホースのように巨狼の足の付け根からは血が噴き出した。その血が黒装を無惨に染めた。余りの激痛に巨狼は伏せ、痛みに悶え苦しんだ。情けなどなく、ボーンがその首断ち切って止めを刺そうとしたその時だった。

 巨狼が雄叫びを上げた。起死回生。衝撃波を伴ったそれにボーンが脅かされている隙に、巨狼は苦し気な声で鳴いた。それは、ニアには分からずともれっきとした魔法詠唱だった。


 巨狼の血交じりのその口許に、白光の渦が発生する。ニアはそれを見て、戦慄が走った。一筋のホロウ。肉を根刮ぎ削り落とす中級の破壊魔法だ。中級ならば、ニアに放たれても魔法で防げば問題ない。だがその属性は光だ。ボーンに放たれれば彼は一溜りもない。HPなど一瞬にして蒸発してしまうだろう。しかしてそれは雑兵の心配などでは無い。

 彼に着せたゴールド・ウッドシリーズのロストという事実がニアの頭を掠めたのだ。S相当の装備を失うのは何としても避けるべきである

「ホロウの立上がり」

 ニアは咄嗟にボーンへと防御系の魔法を放った。それを受けて、ボーンの足元から光のベールがゆらりと立ち上ると、一撃に限り完璧に魔法に耐性を持つ盾へと変貌した。透き通る魔法遮断の盾。しかし一筋のホロウを咥えた巨狼の口許は、予想外にもニアへと向けられた。息を飲む。

 螺旋を描く、一筋の光がニアへと向かって放たれた。

 一種、ニアの周りを取り囲む情景の全てがとても緩やかに感じられた。


 新たに魔法など使用する暇はなかった。だが避けようにも足は凍り付いて一歩たりとも動かない。そのスローの中で、ニアは向かってくる死を目前に、ボーンへと命令を与えた。

「……私を守るよう行為せよ!」

 その言葉を聞き届けるより早く、ボーンは瞬時に身体を反転させると、オルブリンガーを腰だめに構えた。そして、虚空を薙ぐように振り払った。瞬間、刀身から不可視の刃が射出される。空間を揺らがせながら真空派は高速で飛んだ。


 それは丘陵上のニアを射殺さんとしていた一筋のホロウへと直撃し、切り裂きながら内部を通過した。次いで、巨狼の魔法が二つに断裂し、霧散した。崩壊した魔法の残滓がニアの眼前を舞い落ちていく。

 続けざまにボーンはオルブランドを構えて、巨狼へと接近し、渾身の力で刀身を振り下ろした。虫の息だった獣にそれは重すぎた。巨狼の首筋を捉えた次の瞬間巨狼の喉笛が爆散した。オルブランドの特殊攻撃によって頭蓋の破片や脳漿といった汚物染みた残骸が辺りに散らばって、大地が気味の悪い色に変色した。


 喉から上が吹き飛んだ巨狼は、頽れるようにその巨体を地面に横たえた。ニアはそれを見てへたり込んでしまう。ここを現実だと認識してから初めての命のやり取りだった。膝が震え、歯の根が合わない。どうしたニア。そう自分を叱咤した。

 雄々しき灰の山の王である巨狼は、ゲームのように消えることはなく、その骸を地に晒している。埋葬などされる事なく奴はここで朽ち果てるのだろうか。

 ニアは丘陵の斜面を尻で滑落し、地へと降り立つ。怯えを混ぜながらも巨狼の骸へと近付けば、獣臭さと血の混じった異臭がした。狼の周囲は真っ赤に染まり、今もまだその身体からは湧水染みた出血が続いていた。


 今まで仮想空間での生臭ったようなものでしか戦闘経験が無いニアにとって、前足と首の無いその死骸は鮮烈だった。脳に焼き付けられたように、巨狼の姿が目に残って離れない。

 この厳格な世界で生きていこうにも、ニアの世界の倫理観が絶えず邪魔をするだろう。今まで小さな動物すら殺したことの無いニアにとって、一度とはいえこの身に明確な危険が迫った事実は、恐れとなって彼女の心の底に残る事となった。今まで何の争いも痛みもない環境で育ったニアにとって、それは当然の事だった。自分の柔らかい、僅かな傷すら無い掌が、酷く恥ずかしく思えた。


「嘘……」

 ふと廃坑での出来事を思い出して、ニアはステータスを覗いた。そして慄然とした。精神汚染の状態異常ゲージが、また少し上昇していたのだ。戦闘中にのみゲージが上昇するのだから、今のは戦闘に該当したのだろう。だがニアは剣も抜いていなかったし、背を向けて逃げていただけである。

 だというのにゲージは容赦なく進んでいる。これが溜まり切った時、きっと自分は異形になってしまう。その時は思うより近いように感じてしまう。


 背骨が肉を突き破り、己の皮膚が破裂する。自分という皮の下からあの醜い獣の腕が出てくると思うと堪らなく恐ろしい。ニアは自分がいつかああなってしまうことに恐怖した。

 エン・オーター・オンラインでは、異形化は便利なクラス特性だなとしか感想を持たなかった。だが現実でああなった時、ニアはまた醜悪極まりない異形の姿から元の姿に戻れるのか分からない。クラス特性からは、絶対に逃れられないような気が漠然とした。未知の恐怖に脅かされて、ニアは思わずボーンに縋りついた。

 



今年も一人でした

1/3

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