執事とお嬢様+α
食器室にて銀器磨きをしていると、慌しく戸が開き侍女であるマリアが入ってきた。よほど急いでいたのか手を胸にあて肩で息をしている。
「何事ですマリア、そんなに息を乱して。ローランド家の人間として品格を疑われるような所作は控えてください」
「あ、ああ! ツツジさんこんなところにいた! 早く来てくださいお嬢様が!」
お嬢様という単語で全てを察する。
「すぐに向かいます、お嬢様は今どこに?」
ビターンビターンと何かを打ち付ける音が食堂内に響き渡る。マリアの案内で調理場まで急ぐと、白くモチモチとした物体を一心不乱に台の上にぶつけるお嬢様の姿が映った。
嬉々とした表情を浮かべながら物体Aを親の敵のごとく叩きつけるお嬢様の姿は見る人が見れば気でも触れたかと邪推してしまう光景だ。
「……なにをなさっているのですか?」
「あ、ツツジ」
白い物体を押しつぶすようにこねくり回しながら、やっほーと気の抜けた返事が返ってくる。さらさらと流れる金色の御髪の間から見えるさわやかな汗を拭いながら、宝物のように白い物体を見せ付けてきた。
「うどんを作ってるんだよ」
「……」
むふーとご満悦な表情のお嬢様に頭痛を覚える。
「……何故お嬢様が手打ちでうどんを作っているのですか」
「教えてもらったんだ、うどんはダイエットにいいって」
「……サヤ様にでしょうか?」
「そう、うどんこねるのって意外と体力使うし、うどん自体も腹持ちがよくてダイエット食にぴったりって。まっててねー、できたらツツジとマリアにも食べさせてあげるから」
止まない頭痛に思わず米神に指を当てる。なんとか止めて下さい! と小声で嘆願するマリアはすでに涙目だ。確かに旦那様に見つかったら雷が落ちる光景であることは言うまでもない。
「困りますお嬢様、ローランド家のご息女がこのような場に立たれるなんて。いくら日々醜聞をこさえることが生きがいのお嬢様だとて見過ごすわけにはいきません」
「誰がオルウェイズ黒歴史だ」
じとっとした眼で睨まれるが、涼しい顔で受け流す。
「いいじゃない、うどん作るぐらい。それにツツジもダイエットしてナイスばでーになった私を見たくない?」
あっはん、と謎ポーズをとりながらクネクネと身体を揺らすお嬢様の姿に精神を持っていかれそうになる。
「申し訳ありません、劇物をまともに直視したため眼をやられました。どうやら私はここまでのようです」
「あなたの目に私はどう映ってるのよ!」
大仰に眼を押さえながら深刻そうに言うと、ようやく致死性のあるポーズをやめてくれた。
「それにお嬢様にダイエットの必要はないでしょう。十分お綺麗ですよ」
「え、えー……そうかなー、改めて言われると照れちゃうね。最近腰周りが太くなった気がしたんだけど気のせいだったのかな?」
「いえ、最近肥えてることは私も感じてました」
「上げて落とすのやめてくれない?」
肥えてるいうなーとお嬢様が抗議の声をあげる。
「誤差の範囲ですよ、危機感を抱くほどのことではありません。それに無理にダイエットしてしまうとないものがさらになくなりますよ」
「今、どこ見て言った?」
「ははは」
「今、どこ見て笑った?」
Dあるもん! とポカポカ叩かれる。Dはねーよ。
「しかし真言です、胸は脂肪ですから優先的に減るものかと」
「マジで!?」
「マジですマジです。ささ、後始末は私がやりますからダイエットなんて止めてそろそろティータイムにいたしましょうか」
「あ、でもうどん……せっかく作ったのに」
「まだ言いますか、安心してください無駄にはしませんよ。せっかく上手く作られたのです、揚げてドーナツにしちゃいましょうか」
「なんと、うどんがドーナツになっちゃうのですか」
「なっちゃうのですよ」
スイーツに目がないお嬢様はキラキラとした瞳で私を見上げる。お子様だ。
「ではお召し物を着替えて暫しお待ちください。マリア、お嬢様のことは任せましたよ」
「了解しました、ツツジさん!」
元気よく返事をするマリアとともにお嬢様がやったーと調理場から離れる。その姿にうまく話を摩り替えられたと安堵の溜息をついた。
◇ ◇ ◇
皆々様ごきげんよう。
ローランド家にて執事をしておりますツツジと申します。しかし同時にあのあーぱー……もといクレアお嬢様の従者も兼ねておりますので私の業務はお嬢様のお世話が主となります。クレア・ローランドお嬢様、私の主人となるお方です。マグワイト王国南西部を治めるローランド伯爵家のご息女であらせられます。
お嬢様とは私が五歳、お嬢様が三歳のころ、ローランド家筆頭執事である義父に引き取られてからの付き合いになりますのでかれこれ11年程の時間を共に過ごしたことになるのでしょうか。
出会ったころのお嬢様はそれはそれは愛らしく、領民からも”ローランドの華”として聞こえの高いものでした。そう、でした。過去形です。
始まりはお嬢様が五歳の誕生日を迎えた日です。パーティーの半ばで意識を失ったお嬢様が次に目覚めたときにはすっかり別人に……とまではなっていませんが、なんというか、その少し残念になってしまわれたのです。
『異世界だ、ここ!』
目覚めた第一声がこれです。以後、お嬢様の行動に不審な点が見受けられるようになりました。
特に顕著だったのが魔法と食に関することです。今まで何の興味もなかった魔法の勉学にのめりこみ現在は同年代に並び立つものがいないほどの魔道を手にいられております。
次に食、特にワショクなる食べ物に非常に興味がおいででした。ショーユ、ミソなる調味料を試行錯誤しながら開発し、これらはローランドの民にも大変好評ですでに名産として広く販売されております。
いずれも喜ばしいことです。それらが生まれる過程で被害者になったのが私でなかったら。
『えっと、空気中のスイソ? サンソ? あれ、どっちだったっけ? いいや、やっちゃえ』
『……お嬢様? 急に爆音が聞こえたと思ったら屋敷裏の林が五分の一ほど消失しているのですが』
『サシミって言うんだって、食べようとしたらお父様に怒られちゃった。早く食べたいから毒見お願いね?』
『……お嬢様? この魚、火が通っていないように見えるのですが』
『健康にいいんだって! だからハイ、飲んで生卵!』
『……』
何度、暇乞いの手紙を書こうと思ったことか。
唯一の救いはお嬢様の行動は悪意のないことだけでしょうか……いえ、逆に問題ですね。
地獄までの道は善意で敷き詰められてるとはいいますが、あんまりなのではないでしょうか。
閑話休題。
あまりにも以前のお嬢様との差異を大きく感じ、思い切って尋ねました。誕生日のあの日何があったのかを。
『えっとね、前世の私にあったの』
お嬢様の話をまとめるとこうです。
五歳の誕生日に倒れてから毎夜、夢枕に女性が現れるようになった。その女性は異世界の住人であり、お嬢様の前世であるという。サヤと名乗るその女性と就寝後、毎晩語り合いお互いの仲を深めたらしいです。
お嬢様が魔法や食に急に興味をもたれたのは、夢の中でサヤという女性が話す御伽噺やニホンという国のバリエーションに富んだ食事に魅せられたからのようです。
すぐに私は教会にお祓いに行きましょう、と進言しましたがすげなく断られてしまいました。悪霊かもしれません祟り殺されるかもしれませんよ、といくら言ってもまたまたーと相手にされません。いいえお嬢様、このままでは祟り殺されるのは私のほうなのです。生卵はもう嫌なのです。
ここから、悪霊憑きのお嬢様との関係が本当の意味で始まりました。
◇ ◇ ◇
「すごいね、ホントにうどんがドーナツになっちゃった」
「材料はほとんど変わりませんからね、少し手を加えるだけでできます」
午後のティータイム、着替えたお嬢様のもとへうどんドーナツを差し出す。
うどんもドーナツも悪霊から貰ったレシピだ、この他にも様々なレシピをお嬢様から教えていただいた。これによりローランド領は美食の都市としても栄えている。間違っても悪霊には感謝はしないが。
悪霊からもたらされる知恵は意外にも有益なものが多い。この世は眼には見えない無数の粒子で構成されている、地の果てなどなく世界は球体である、などエトセトラエトセトラ。
正教会からしてみれば異端裁判ものであるが理屈も同時に説明されては納得せざるを得ない。これは私が子どもながらに強く生きなければと理解したことから異世界の情報も忌避なく取り入れたことも大きい。なにせお嬢様は伯爵令嬢だ、その身分から自由に動けない場合は私が実働することになる。そのおかげもあってか、魔法も料理も荒事もお嬢様の従者として恥ずかしくない実力はあると自負している。
「うまー」
「……はしたのうございます、お嬢様」
そばにいるのが私しかいないためか、礼儀も作法もあったものではない。一応、他人の前では完璧な伯爵令嬢を演じるのだからハイスペックなお嬢様なのだろう。
「そうだ、サヤに教えてもらったんだけど……」
「……」
そのままゆるやかな午後のティータイムとはいかず、またトラブルの種を持ち込んだようだ。
あの悪霊はいつか必ず祓う。
そう胸に誓いお嬢様の口から流れる音に耳を傾けた。
正直、酒の勢いであることは否めない