9 おとうさま
しばらくして、自身の仕事を終えたジロが両手に大きな紙袋を抱えて名前屋の店に戻ってきた。
「メシ買ってきたっすよー。みなさんもどうぞー」
声を掛けると、孤児達は歓声を上げてジロに群がった。
買ってきたパンを順番に渡していくが、その中に肝心な人物の姿がないことに気付く。
「あれ、あにさんとお嬢は?」
「ヤタは気分が悪くなったって言って、奥で寝てる」
リーダーの少年が衝立の奥の部屋を指差した。
ジロは三人分のパンを紙袋から抜き取って、残りを少年に渡した。
「あにさん大丈夫ですかー?」
衝立の奥を覗き込むと、部屋の中に一つだけあるベッドの上にヤタが横たわっていた。少女はその隅に人形のように腰掛けている。
ジロの声に気付いて、のそりと起き上がる。
「どうしたんですか?」
「んー……ちょっと神経使い過ぎて知恵熱……」
「あにさんここ数日長時間の移動続きでしたし、慣れてないと体調も崩れますよね。メシ食えます?」
「うん、食う」
ヤタがそう答えると、少年が一瞬だけ衝立から顔を覗かせて「吐くなよ!」と怒号を飛ばした。苦笑して、ジロからパンを受け取る。
「なんか成果ありました?」
「まーね」
少女にもパンを渡して、ベッドの上にノートが置いてあることに気が付いた。自分の分のパンを咥え、ジロはノートを捲った。
「らんふかほれ?」
日記だと思われる内容の中に、名前の羅列が目に留まった。パンを咥えたままノートを見せて尋ねると、ヤタはああ、と頷いた。
「それはとある殺し屋が依頼されて殺した人間の名前だよ」
んぐ、とジロの喉が鳴った。
「それってあにさんがってことですよね? つーか、これで何が判ったんですか?」
「知りたくなかったこと含め色々、記憶を引っ張り出すのには役に立ったよ。あの女の人を迎えによこした人間もなんとなく見当がついた。あとは、ファラリスさんの尋問の結果を待って事実との擦り合わせをするだけかな」
「じゃあ、ここでの調べ物は終了ですね」
「うん。これ食べ終わったら出よう」
食事を終え、ヤタは孤児達に店を出る旨を伝えて礼を言った。
孤児達は思っていたよりも早い出立に驚いた様子だ。すぐさま店を出て行こうとする三人を、リーダーの少年が引き止めた。
「少し待ってくれ、おれ達もここを出る準備をする。荷物は少ないから、そんなに時間は掛からない」
そう言って、すぐに荷物を纏めるように指示をした。指示に従って散り散りになる孤児達には少し前までの元気がない。年少の女の子が一人、悲しそうな表情で少年の裾を引いた。
「ねぇ、おうちなくなっちゃうの?」
「そうか、あにさんが鍵持って行ったらもう出入りできなくなっちまいますもんね」
荷造りを始めた孤児達の行動にジロは首を傾げていたが、女の子の言葉で事情を理解した。
少年は今にも泣き出しそうな女の子を宥めている。それを見て、ヤタは少年に向かって手を差し出した。
「はい、これあげる」
そう言ったヤタの手には、この店の鍵が握られていた。
「いいのか……?」
「使わない店の鍵を持っていたって仕方ないからね。使われない建物ってすぐに傷むし、使うヤツがいるならその方がいいでしょ」
少年は戸惑った様子で、差し出された鍵を受け取った。
「その代わりまた来ることもあるかもしれないけど、その時はいきなり飛び掛ってくるようなことはやめてよね」
ヤタがそう言うと、少年は深く頭を下げて礼を言った。
冷やかすようなジロの視線を鬱陶しく思いながら、ヤタは少女の手を引いて名前屋の店を出た。
「キミも一緒にファラリスさんの所に戻るの?」
「はい。仕事の方はばっちり終わりましたんで、こっからはお嬢に専念しますよ」
拳を握り、やる気を示すジロ。でも――と、握った拳をすぐに解いた。
「お嬢の帰る場所が見付かったとして、本当に帰しちまっていいんでしょうか? あにさんの情報が当たってるとしたら、その子を探してるのは殺し屋と関わってるようなヤツですよ。こんな小さな女の子をそんな所に帰しちまっていいんですかね?」
「それは――……」
ヤタの答えを遮るように携帯端末の呼び出し音が鳴り響いた。一言断って、ジロは電話に出た。
「ファラリスさんから? 代わって」
どうやらファラリスからの連絡のようだ。ヤタは繋いでいた少女の手を離してジロから端末を受け取った。
「ファラリスさん、あの女の人から話聴けました? 名前は?」
「―――はい、あの方はアコヤさんと仰るそうです」
端末越しに穏やかな声が答えた。ファラリスは無事に捕らえた女の尋問を終えたらしい。その報告にヤタは一瞬険しい顔をしたが、報告の続きに耳を傾けた。
「―――ヤタさんの仰った通り、アコヤさんは人に頼まれてお嬢さんをお迎えに来たようです」
「その依頼主は?」
「―――彼女の養父で、六十から七十歳の男性だそうです。その方のことはずっと『お父様』と呼んでいたそうで、本当の名前は知らないと言っていました」
「おとうさま…………判りました、充分です。ありがとうございました」
端末をジロに返して、考えに耽る。ジロはファラリスと二言三言交わして通話を終了した。
「どうでした?」
「うん、大体思った通り……って、ジロ! あの子はどうした?!」
「え?」
少女の姿が見当たらない。電話をしていたわずかの間に姿を暗ませていた。
「す、すんません! まさか勝手にいなくなるなんて……!」
辺りを見回し、狼狽するジロ。しかし不注意を責めている場合ではない。大人しいからと油断して目を離していたのはヤタも同じだ。手を離すべきではなかった。
「反省は後だ、とにかく捜そう!」
「あにさん端末は?」
駆け出そうとするヤタに、連絡手段の有無を問い掛ける。
「持ってない! そう遠くには行ってないと思うけど、もしもの時は駅前で落ち合おう」
「了解っす!」
簡単な取り決めをして、二人は少女を捜してそれぞれ別の方向に向かって駆け出した。
駆ける、とはいえ片足を引き摺るヤタの走る速度は健常者の早足歩きの速度に等しい。
それでも前方に一人歩く少女の姿を見付けることが出来た。人攫いではなかったことにひとまず安堵するが、姿を見付けただけであってなかなかその背に追いつけない。
「ちょっとー、止まってー! ええと……あーもうっ、名前が判らないって不便だな……お嬢ー!」
何と呼ぶべきか迷いつつ声を張って、それに気付いたらしい少女は足を止め振り返った。その隙に距離を詰め、逃げられないように手を捕まえた。
「た、頼むからどこかに行くなら一言……はムリだからせめてもう少し自己主張を……とにかく何もなくてよかったけど……あー、しんどい……」
息を切らしながら注意事項と感想を伝えた。一度に色々と伝えた為かYES・NOの返事はない。
息を整えていると、掴んだ腕が小刻みに引かれた。無理に逃れようとはしていないようだが、手を離して欲しそうではある。
手を離すと、少女は手の平を正面に翳して先程まで進んでいた方向を向いた。しばらく静止して、それからまた振り返ってヤタの腕を引いた。
「どこかへ行きたいの?」
〈YES〉と答えてもう一度腕を引いた。
「俺にもついて来いって?」
〈YES〉
一旦ジロと合流すべきか、少し考えた。
普段は人形のように大人しい彼女が自ら行動を起こすことは非常に珍しい。珍しいからこそ、行動するからには必ずその先に何かあるのだと解る。
彼女にとって重要な何か。
そしてヤタにとっても、きっと無関係ではない何か。
「……判った、行こう」
ヤタがそう答えると、少女は手を離し先立って歩き始めた。ヤタはそれについて歩く。
少女は時折立ち止まり、手を翳す。ゆっくりと左右に動かし、最後に止まった方向へ向かって歩を進める。
歩き続ける内に人の数が疎らになってきた。明らかに人通りの少ない方へと向かっている。
そうしてしばらく歩き続け、打ち捨てられた廃工場に辿り着いた。
開いたままのシャッターの奥に、誰かが佇んでいる。距離と薄暗さで顔は識別出来ないが、立ち姿からそう若くはない男であることは判る。
男は手にした杖で地面を何度か小突いた。それを合図にしたかのように、少女は小走りになって工場の奥へ向かっていった。
白い杖を男の杖にぶつけ、それから胸に飛び込み鼻面を胸に擦り付けた。男は少女の頭をいとおしむように撫でる。
「よくここまでついて来ることが出来たね、さすがは私の娘だ」
娘と言うよりは孫と言った方が納得のいく歳の差だ。
ヤタは杖を突き、歩いて二人の前まで進んだ。接近に気付いた少女が男の腕を引き、何かを訴える。
「ああ、そうだね。解かっているよ。よく連れて来てくれた」
少女は言葉を発することはなかったが、男は言いたい事は全て理解していると言うように頷いた。
「久し振りだね、元気にしていたかい? ヤタ」
そう言って、目元に皺を作って笑い掛けた。
引き出した記憶の中の顔と比べると随分と皺が増えているが、予想していた通りの人物がヤタの目の前にいた。
「はじめまして。久し振りだね――『お父様』」