7 名前屋
名前屋とは、文字通り名前の売買を生業としている店だ。
そこには名を替え新たな人生を得ようとするものが訪れる。
名を替える、と言うがそれは改名などといった単純な話ではない。
別人の名と入れ替えることによって得られるものはその者の社会的地位、戸籍、過去。人生そのもの。
名を替えることにより、全くの別人になることが出来る。
単なる偽装とは訳が違う。例え親しい人間が別人と入れ替わっていたとしても不思議に思うことはない。違和感に気付くことすらない。
ただし如何なる方法を以ってそのような現象を可能にしているのか、また、真偽のほども定かではない。
「―――けど、名前屋の店主さんは亡くなったって聞きましたよ?」
名前屋の店へと向かう道中、ジロはヤタにそう尋ねた。
古い記憶の手掛かりを求めてかつて拠点にしていた地に足を向けたヤタと少女に、ジロも同行していた。ファラリス一人に捕らえた女の尋問を任せることに不安はあったが、ジロは心配ないっすよー、と軽く言ってついて来てしまった。
そもそも、ジロは北の地へは仕事で訪れていたのだ。本拠地はこの土地であり、自身の仕事の都合で戻る用事もあるからということで同行したらしい。仕事だと言われてしまえば、現在無職のヤタにはジロの行動に対してあれこれと文句を付ける権利はなかった。
三人連れ立って歩いているが、今回は珍しく、少女はジロと手を繋いでいる。身体が不自由な者同士で固まっていると、いざという時に身動きが取れなくなる。あまり治安が良いとは言い切れない街なので、危険を分散するため少女の身の安全はジロに任せていた。
「っていうか、名前屋さんと昔のあにさんとどういう関係があるんですか? あにさんの言う『昔』って、殺し屋やってた頃の話ですよね」
ファラリスの前では口に出すのを憚ったが、ジロの言う通り、死体処理の仕事をする以前のヤタは暗殺稼業を生業としていた。
「う~ん……関係はないけど……まぁ、色々とね」
ヤタは答えを濁した。
ヤタを襲った女はおそらくプロの殺し屋だ。しかも殺し屋であった頃のヤタを知っている。そんな女に連れて行かれようとしていた少女―――
ファラリスが無事に必要な情報を引き出すことに成功していれば事は簡単であるが、もはや無関係を主張するには無理がある状況になっていた。
「名前屋に裏組織に関する資料がいくらか置いてあるはずなんだ。いくら自分が育った組織のことだって言っても現状や他との繋がりは判らないし、昔のことだって記憶だけに頼るのは正確じゃない。資料をこの目で見れば気付くことや思い出すこともあるんじゃないかと思ってね」
「だからなんでそんなモノが名前屋さんに……? 付き合いがあったんすか?」
「だから、関係はないんだって」
「?」
結局名前屋とヤタの繋がりが見えず、ジロは首を傾げた。
「けどここまで来てなんだけど、無駄足になる可能性が高いよ? 鍵が閉まってたら中には入れないし、開いてたら開いてたで、中を荒らされて資料なんて残っていないかもしれない」
だからこそ、ヤタは自分一人だけで名前屋に行こうとしていたのだ。
ほんの一時期、店主不在の店の鍵を預かっていたこともあったが今は手元にない。名前屋の店が今現在どうなっているのかは行ってみないことには判らなかった。
しばらくして、目的の店の前に辿り着いた。外から見る限り、荒らされている様子はない。
「ダメだ、やっぱり鍵が閉まってる」
ノブを回してみると施錠されている手ごたえを感じた。
やはり無駄足になってしまったと言おうと振り返ると、ジロが何事かごそごそとズボンのポケットを探っていた。
「閉まってるなら開けちまいましょう……じゃきーん!」
そう言って得意気に取り出したのは一本のヘアピンだった。
「……なんでハゲてるのにそんな物持ってるのさ……」
ヤタは呆れたような顔でジロの頭と指に摘まれたヘアピンを見比べた。
「だからこれは剃ってるんですってば。こいつでちょちょいのちょいーっと……」
「そう簡単にいかないと思うけど……」
ヘアピンで簡単に開くような鍵であれば無法者によって既に破られていたことだろう。治安が悪いのを承知で店を構えているのだから、防犯対策は当然されている。窓という窓には格子がはまり、鍵も簡単にはピッキング出来ない複雑な構造の物が使われているはずだ。
「開きましたぜ」
「マジか」
鍵穴にピンを差し込んだかと思えば、ものの数十秒で開錠してしまった。完全な無駄足にはならなかったことに感謝すべきところだが、如何なる目的と方法で磨いた技であるのか疑わしい特技である。
「はいっ。どうぞ、あにさん」
ジロは自分の仕事は終わったと言わんばかりにドアを開ける権利をヤタに譲った。
ノブに手を掛けると、先程感じた手ごたえは感じられなかった。
「本当に開けやがったよ……」
今度こそ本当に呆れた態度でドアを開く――と同時に、小柄な影が飛び出してきた。
「とつげきーーっ!!」
「ぎゃあ!?」
店の中から飛び出してきた何かにぶつかり、ヤタは転倒した。
「あにさん!?」
店から飛び出してきたのは子供だった。しかも、一人ではない。体当たりをしてきた子供に続いて、箒を持った子供が二人飛び出してきた。
「フホー侵入だ! くせものだ! ドロボーだ!」
「入ってくんなー!」
箒を振り回し、倒れたヤタに追い討ちを掛けるように襲い掛かる。
「いたッ! なんなんだよ、いった……だッ!」
「わああっ! やめなさいって、コラ!」
少女を背に守りつつ、なんとかヤタを救出すべく箒を奪い取ろうとするジロ。
「はなせハゲー!」
「まって! そいつ、赤い頭だ」
攻防を続けていると、最初に体当たりをしてきた子供が何かに気付いて制止を掛けた。指摘に気付き箒を持った二人は動きを止める。その視線は、ヤタの頭部に集中していた。
「ホントだ、赤い……ってことは……」
「……ヤタ?」
子供達は攻撃を中断すると、集まって何事か相談し始めた。ちらちらとヤタの姿を盗み見ながら、言葉の端々で『赤い』と『ヤタ』という単語を繰り返している。
この隙に、ジロはヤタを引っ張り起こして救出した。
「どうなってんすか? あにさん、この子らと知り合いなんすか?」
「知らないよ。俺にも何がなんだか……」
「お前ら何やってるんだ!」
互いに困惑して様子を伺い合っていると、背後から声が飛んできた。
振り返った先に、両手に荷物を抱えた十四・五歳の少年が佇んでいた。
「こんな所にいて見付かったらどうするんだ、早く中に入れ!」
どうやらヤタ達ではなく、子供達に対する叱責のようだ。
「兄ちゃん、こいつヤタだよ! ヤタが来たんだ!」
一人にそう言われて、少年は横目に赤い髪の男の姿を見た。
「……そうみたいだな。何の用事か知らないけど、あんたらもとりあえず中に入ってくれ。ここじゃ目立つ」
ぶっきらぼうにそう言って、少年は子供達を引き連れて店の中に入った。
ヤタとジロは顔を見合わせ、何が起きているのか解らないまま少女の手を引いて後に続いた。
「なんでこんなに子供が……?」
店の中の様子を見て、ジロは呟いた。
薄暗い店の中には分厚いファイルで埋められた本棚が並んでいた。そしてその奥、部屋の入口を目隠しする衝立の陰から、何人もの子供達が恐る恐る顔を覗かせていた。
「キミ達は、孤児の集まりなのか?」
「ああ、そうだ」
奥にいる子供に荷物を引き渡しながら、先程の少年がヤタの疑問に答えた。どうやらこの少年が子供達の中で一番の年長で、リーダー的な存在であるようだ。
「隠れ家として使わせてもらっているんだ。電気も水も通ってないけど、屋根と壁があるだけでもおれ達にとってはありがたいからな」
この街には多くの身寄りのない子供が存在し、孤児達は互いに身を寄せ合って生活をしている。
年端もいかない子供達にまともな働き口などあるはずもなく、生計のほとんどは盗みによって立てられている。よって街の住人からは厄介者扱いを受け、孤児らは大人に見付からないよう居場所を転々としながら隠れ暮らしているらしい。
名前屋の店は、その隠れ家の一つ。先程襲い掛かってきたのは、街の人間に隠れ家が見付かってしまったと勘違いしての先手必勝の防衛手段だったようだ。
「キミ達はどうやって入り込んだの? 開いていたのか?」
「いや、鍵を貰ったんだ。条件付きだけど、好きに使って構わないって」
「!」
話を聴いてヤタの顔色が変わった。それに気付かず、ジロは質問を重ねる。
「条件って?」
「店の中の物を勝手に処分しないこと。それから―――」
少年はポケットから取り出した物を、ヤタに向かって差し出した。
「もしヤタって名前の赤い髪の男に会ったら、鍵を返すこと」
差し出されたのは一本の鍵。この店の入口の鍵だ。
ヤタは差し出された鍵には手を出さず、少年に向かって身を乗り出した。
「その鍵を誰から貰ったんだ? どんなヤツだった? いつ頃の話だ、それは?!」
詰め寄られ、少年は思わず半歩下がった。少年だけでなく、ジロもその勢いに驚いている。
「な……名前は聞いてない。でかくて、人相の悪い男だった。自分には必要ない物だし、直接返せるかも判らないから、お前らにやるって……ちょうど一年くらい前の話だったと思う……」
たじろぎながらもそのように答えた。
改めて少年が鍵を突き出すと、ヤタは黙ってそれを受け取った。
「…………」
俯き、無言で鍵を見つめている。その肩は微かに震えていた。
「あにさん、どうしたんですか……?」
「……っ、く……っ―――」
尋常ではない様子に、心配になってジロが声を掛ける。
肩に手が触れようとした瞬間、ヤタは勢いよく顔を上げた。
「―――……ぶはッ! あっはははははは!!」
吹き出し、上体を反らして弾かれたように笑い始めた。
「あにさんが壊れた……」
ジロと少年はぽかんとした顔で見つめ、他の子供達も遠巻きに怖々と笑う男を見つめている。盲目の少女だけがいつもの通りの無反応だ。
ヤタは周りの目を気にすることなく、腹を抱えてひいひいと笑い続けている。
「ははははっ! はぁー、アイツがねーぇ。返さなくていいって言ったのに……へーぇ、そうなんだー……く、ぐぐっ」
周囲には一切事情は伝わらないが、ヤタは一人で何かに納得した。本人もそろそろ笑いを止めたいようだが、どうにも止まらないらしい。
「あにさんの笑いのツボがよく解んないんすけど……」
「いいよ、解らなくて……あーダメだ、腹いてぇ……っ」
ヤタに集まった視線が驚きから呆れを含んだものに変わっても、もうしばらく笑いが治まることはなかった。