5 お迎え
「お待ち下さい、ヤタさん」
ヤタがジロと共に少女を連れて出掛けようとすると、孤児院を出る前にファラリスに呼び止められた。
「どうしました? ファラリスさん」
「お出掛けになるのでしたら、こちらをお渡ししておこうと思いまして……教会にいる間は、こちらは施錠していることが多いので。ジロさんにも預けてはいますが、念の為ヤタさんにも」
そう言ってヤタに手渡したのはキーホルダーの付いた鍵だった。もしかしなくとも、この孤児院の入口の鍵だろう。
「なんか……随分と可愛いですね」
キーホルダーには四葉のクローバーを模った鈴がぶら下がっている。普段は子供達に持たせている物なのだと思えば納得だが、大の男の持ち物として相応しいかと問われれば首を傾げてしまう代物だ。
ちりん、と軽やかな音が鳴って、それに反応したのか傍らの少女が鈴に向かって手を伸ばした。
「触りたいんすかね? ……あにさん」
ジロに促されて、ヤタは少女の手に鈴を差し出した。
「ほら、葉っぱが四つになってますよ。判ります?」
ジロが鈴を指で撫でさせて形を説明する。少女は鈴を手の中で転がしてみたり振ってみたり、興味津々という様子だ。
「気に入ったのでしょうか? よろしければ、そちらはその子に差し上げて下さい」
「んじゃ、杖にでも付けましょうか」
元の持ち主が承諾したので、ジロはキーホルダーを鍵から外すと少女の杖のストラップに付け替えた。
「ホルダーないけど大丈夫ですか? 失くしません?」
「んー……まぁ、気を付けるよ」
「おや、可愛らしい」
ジロがキーホルダーの外された鍵をヤタの手に戻しているとファラリスの声が聴こえ、二人は声の主に注目した。
「ふふ、初めて彼女の笑った顔を見ました。よほど気に入って下さったのですね」
「えっ?! その子、笑ったんすか!?」
顔を綻ばせて少女の顔を覗き込むファラリスに倣って、ジロも素早く正面に回って顔を覗き込んだ。しかし表情を変えたのはほんの一瞬の出来事であったらしく、ジロが見た時には無表情で杖に付いた鈴を揺らしていた。
「ああっ、惜しい! お嬢、もう一回、もう一回笑ってください!」
拝む真似をしてみるが、その姿が少女の目に映るはずもない。
「あんまり無理強いしない方がいいんじゃない?」
「でも、あにさんだって見たいでしょう?」
「俺はもう見た」
「ええっ、いつの間に?! ずるい、なんでオレだけ見てないんですか!」
知らないよ、と答えてヤタは少女の手を引いた。
「それじゃあ、行ってきます」
「はい、お気を付けて」
ジロは尚も不平を主張し続けていたが、はいはい、と適当に宥められてファラリスに送り出された。
「で、行き先は駅でいいの?」
ジロより先に歩き始めたヤタの足は自然と駅の方角へと向かっていたが、念のために改めて行き先を尋ねた。
「はい。情報がまったくのゼロなんで、まずはこの子を見かけたことがある人がいないか、ひたすら聞き込みしてみましょう」
「地道だなぁ」
「情報集めは地道なもんですよ」
ジロの売る情報は信憑性が高いと評判だが、その分商品としての値も高い。それこそぼったくりではないのかと思えるような膨大な金額を請求されることもあるが、それが適正な値段であるということをヤタは身を持って思い知ることになった。
(なるほど、これは大変だ)
駅で聞き込みを開始して数時間が経過したが、今のところ得られた成果はゼロに等しかった。
杖を持った子供は珍しいだろうからすぐに目撃情報が上がると考えていたが、いくら目立つ容姿でもいつ、どこで、誰と一緒に居たのかなど、すれ違っただけで記憶しているような通行人はそうそういない。たまに「見掛けた」という証言があったかと思えば、それは昨日ヤタ達と一緒に居た姿を見掛けたという、参考になり得ないものばかりであった。
時間は正午を回り、ヤタ達は情報集めを一旦中断して昨日も利用したコーヒーショップで軽食を摂っていた。
「空振りかもしれないな。昨日だってこの子を知っている人物は現れなかったんだ、今日になって見付かるとは思えないよ」
サンドイッチを齧りながら、ヤタは疲労を滲ませ愚痴っぽく言った。
「目撃情報がないならないで、それも貴重な情報ですよ。この辺りの子じゃないってことが判りますからね。そん時はそん時で、また別の場所を調べればいいんです」
「地道というか、途方もないな……」
情報収集の極意のようなものを伝授されたが、ヤタにとっては疲労感の増す話だった。
「まぁ今日のところは、もうちょっとここで粘ってみましょうや」
「あの……すみません」
二人が方針を話し合っていると、別の声が割り込んできた。
声を掛けてきたのはまだ二十歳に満たないであろう、若い女だった。
「その、わたし……」
「もしかして、この子のお姉さんっすか?」
男二人相手に萎縮しているのか、用件を切り出しにくそうにしていたのでジロが助け舟を出した。すると予想通り、というよりは期待通りの応えが返ってきた。
「は……はい、そうです! はぐれてしまってから、ずっと探していたのですが……貴方達が保護してくれていたのですね。助かりました、ありがとうございます」
「いやぁ、こっちもこの子の身内を捜してたんですよ! 早い内に見付けてもらえて良かった。ね、あにさん」
「うん……」
ジロがヤタに同意を求めるが、何か考え事をしているのか、気のない返事が返ってきた。
「どうしたんすか? ……あ、もしかしてお嬢とお別れするのが寂しくなっちゃったんですか?」
「いや……」
「まぁ、気持ちも解からんでもないですけどね。ほらお嬢、お迎えが来ましたよ」
ヤタの気持ちを勝手に解釈すると、ジロは少女を席から立ち上がらせて、迎えに来た女性に向かって軽く背を押してやった。
少女は女性の身体に触れ、顔を胸の辺りに近付けた。臭いを嗅いでいるようだ。どうやら、触覚と嗅覚を使って姿を確かめているらしい。
「本当に、ご迷惑をお掛けしました。何とお礼を言っていいか……」
「いえ、気にせんでください。じゃあ、お嬢。お元気で」
ジロがそう言うと、女性は礼を言って踵を返そうとした。しかし少女は動く気配を見せず、振り返りかけた女性が手を引いた。
「ほら行くよ、アリス」
手を引かれ、少女は誘導に従って歩き出した。
「あの子、アリスって名前だったんすね。ねぇ、あにさん―――」
少女の背中を見送ったジロが席に戻ろうと振り返ると、知らぬ間にヤタが立ち上がっていた。視線は店から出て行く姉妹に送られている。
「あにさん、どうかしました?」
「偽名だ」
「へ?」
傍らに立て掛けていた杖を手に取り、店のドアへと向かった。
「え、ちょ、あにさん?」
状況を飲み込めないジロは、店を出て行くヤタの姿とテーブルの上の食べかけのサンドイッチをおろおろと見比べた。
(ああもう、何やってんだ、俺は)
杖を持った少女とその手を引く女の後を追いながら、ヤタは心の中で毒吐いた。
(素性を偽っていたからって、それが俺に何の関係があるって言うんだよ)
脚を引き摺りながら、自問自答する。
何か事情があるのかもしれないが、ここで別れてしまえばもう二度と会うこともないだろう。再会する見込みのない相手の事情なんて、気にするだけ時間の無駄だ。
(関わってきたのはあっちの方だ、俺じゃない。あの子に何かあったって、俺には何の責任もないじゃないか)
それなのに自由の利かない身体に鞭打って、雑踏の中で姿を見失わぬよう早足で突き進んでいる。
少女が何かを訴えてきた訳ではない、意思表示の方法が限られている彼女が訴えられるはずもない。気にして欲しいとは一言も言われていない、けれど彼女の境遇を思うと、言われなくともこちらの方から気にしてやらねばならぬ気になってしまう。
(いつだってそうだ……俺は関わろうとなんてしていないのに、向こうが勝手に近付いて来て俺の目覚めを悪くする……)
―――干渉するのが嫌いだなんだと言っている割に、よく他人に世話を焼いていると思っただけだ。
心の中で言い訳を続けていたが、不意に、以前投げ掛けられた言葉を思い出して不機嫌な顔になった。
(うるせぇよ、朴念仁)
その言葉を言った怖い顔の知人の口調を真似て言い返してみた。もちろん、心の中で。
仮に目の前にその人物がいたとしても、こんな口調で直接言い返せる度胸はヤタにはない。
「……ったく、なんでわたしがガキのお迎えなんてしないといけないのよ。お父様の頼みじゃなかったら引き受けなかったわよ、こんなこと」
駅を出て、人目に付かないであろう建物の陰に入り込むと、アコヤは盲目の少女の手を振り払った。
「巣立った子供を呼び戻してまで捜させるなんて、あなた随分と気に入られてるのね」
棘のある口調でそう言って少女を見下ろすが、何も反応を示さない。目が見えないだけではなく耳も聴こえないのだということを思い出し、舌打ちをした。
「こんなので、何ができるって言うんだか……お父様があなたを育てている理由が解からないわ。どうせなら、わたしを最後にしてくれればよかったのに……」
反応がないので独り言のように文句を言い続けていたが、唐突に少女は腕を持ち上げた。
手の平を正面に向けて翳し、そのまま半回転して今しがた通ってきた道の方を向く。
「!」
近付いてくる音に気付き、アコヤは伸ばされた少女の手を取った。
聴き覚えのある音に顔が綻ぶ。しかし姿を見せたのは期待していたのとは違う人物だった。
「あのー……」
黒いコートを着た赤毛の男。少女を保護していたスキンヘッドと一緒にいた男だ。脚が不自由なのか、軽く息を弾ませ、年齢には似合わない杖を突いている。
「……何か?」
アコヤは再び少女の姉を装い、近付いてくる男に用件を尋ねた。
「いや、その子に鈴を返してもらうのを忘れてて……気に入ったようだから預けてたんだけど、それ借り物なんだ。持ち主に返さないといけないから、返してもらえるかな?」
そう言って、少女の杖に付いたキーホルダーを指し示した。
「そうだったのですか、それはすみません。すぐにお返ししますね」
キーホルダーを取り外そうと、杖のストラップに手を掛ける。その感触に気付いた少女はコツコツ、と杖で地面を叩いた。
「ちょっと何? 動かさないでよ」
「嫌がってるよ、その子」
「え?」
男の言葉に、アコヤは首を傾げた。
「なんかおかしいとは思ったんだよ。一晩行方知れずだったってのに、この子を気遣ってやるような言葉の一つも掛けてやらない。耳が聴こえないって解っていたんだとしても、お姉さんを装うんなら、もう少し心配するフリをするべきだったんじゃない?」
演技の粗を指摘され、息を飲む。瞬間的に見開いた目を鋭く細めて目の前の男を睨んだ。
「あなた……一体何なの……?」
アコヤは上着の下のホルダーに手を伸ばし、後ろ手に愛用のハンティングナイフを構えた。