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三本脚の鴉  作者: ナルハシ
1章
4/22

4 孤児院の朝

「ヤタ」

「ヤタ」

「ヤタ」

 

 恨みがましい声が重なって、何度も名前を呼ぶ。


「どうして私が殺されなければならなかった」

「よくも俺を殺したな」

「許さない、お前を許しはしない」


 うるさいな、言われなくたって解ってるよ。

 キミたちを殺したのはヤタだ。

 だけど、それは『ヤタ』であって『俺』じゃない。


「逃げるつもりか」

「忘れた振りをして、犯した罪から逃げる気か」

「ヤタはお前だ、(たが)えるものか」


 違えてるっての。


「ヤタ」

「お前がヤタだ」

「お前が、お前が―――」


 いいさ、好きなだけ恨めばいいよ。

 どうせ俺には忘れることも逃げることも出来ないのだから。


 だけど、いくら恨まれたって俺はキミたちを少しも怖いとは思わないよ。

 だってキミたちはもう死んでいるのだから。

 死んだ人間に現在も未来もありはしない、あるのは過去ばかりだ。

 死んだ人間に出来ることなんて何もないと、俺は知っている。


 俺は死んだ人間を怖いとは思わない。


「ヤタ」


 亡者達の腕が伸びて、蔦のように首に絡み付く。

 息の根を止めようと首を締め上げてくるが、俺は少しも苦しみはしない。



「それはアンタの名前じゃない」



 子供の声が聴こえた。

 首を締め上げてくる亡者達の後ろに、子供が一人佇んでいた。


「それがアンタの名前のはずがない。その名前はあの人のモノだ。あの人に返せ」


 亡者達と同じ、恨みがましい眼。

 だけどただ一人、俺が『ヤタ』であることを否定する声。


「ボクにはわかる。その名前は―――」


 そうだよ、キミはよく解っている。


 だけど、ゴメン。

 返してやることは出来ないんだ。

 これはもう俺のものなんだ。それに、アイツはもう――……



 その子供は泣き出しそうな顔を隠すように背中を向けると、どこかへと走り去って行った。

 亡者達はまだ首を絞め続けている。


 少しも苦しくはない。


 だけど、この胸に圧し掛かる重みは一体何なのだろう―――





 *





 昨晩ベッドに入った時は寒くて仕方がなかったというのに、目を覚ましたヤタの身体はじとりと汗ばんでいた。

(嫌な夢だなぁ)

 首を撫でて自分がまだ生きていることを確認していると、肘に何かがぶつかった。

 布団の中に自分以外の何かがいることに気付き、ヤタは布団を捲り上げた。

「えっ、ちょっとなんで――……いったああああッ!!」

「あにさんおはようございまーす。もう朝メシ出来てますよー……って何を朝から愉快に大騒ぎしてるんすか?」

 短いノックの後、ヤタを起こしに部屋に入ったジロはベッドの上の光景に気付き、


「おんやまあ」


 いやらしく口元を歪めた。

「何か言われる前に言っとくけど誤解だから。昨日は別々に寝てたはずだけど起きたらこの状態だったんだ、俺は何もしていない。あと、脚挟まって動けないから助けて」

 そう言ったヤタの胸の上では、隣のベッドで寝ていたはずの少女が寝息を立てていた。自力で抜け出そうにも傷めた脚が圧し掛かった身体に潰されて身動きが取れず、ジロに助けを求めた。

「はーいはい、っと」

 誤解だと納得して貰えたのか怪しい返事をして、ジロはベッドに歩み寄ると少女の肩を軽く揺すった。

「お嬢ー、お嬢ー。起きてくださーい、あにさんが圧死しちまいますよー?」

「何? その『お嬢』って」

「だって何て呼んだらいいか判らないんですもん。何かテキトーに名前付けます?」

 確かに呼び名がないと不便ではある。しかしヤタは少し考えて首を横に振った。

「いや、やめとこう。ヘタに懐かれても、情が移っても困る」

「もう充分懐かれてると思いますけどねぇ……おっ、起きたかな? おはよっす、お嬢」

 無意識のものだろう、喉から言語になり切らない音を発して少女が身じろぎをした。一旦身を小さく縮めて、それからゆっくりと顔を上げた。

「おはよ」

 光を持たない瞳と目が合ったヤタが朝の挨拶をすると、少女はそれに応えるようにべちり、とヤタの顎の辺りを叩いた。寝惚けている所為か、力の加減は強めである。

「……やっぱ、何かしたんすか?」

「顔を貸せ、ジロ。俺がこの子の代わりに朝の挨拶をしてやる」

 疑わしげな視線を送ってくるジロに、ヤタは平手打ちの構えをして見せた。





「おはようございます……おや、その顔はどうなさいました?」


 食器を片付けていたファラリスは起きてきた二人に挨拶をした後、その後ろで頬を赤く腫らしているジロの存在に気が付いた。

「安易に他人を疑ってはいけないという教訓を叩き込まれました」

「? ……それはとても良い教えですね」

 小首を傾げてファラリスは微笑んだ。

「すみませんファラリスさん、寝坊してしまって……」

「構いませんよ、昨日はお疲れだったのでしょう。どうぞ、ゆっくりなさって下さい」

 テーブルの上には二人分の食事だけが残されている。昨夜の夕食は子供達と一緒だったが、まるでおそろいのように杖を持った二人組は好奇心の的にされ、ヤタは子供達の質問責めに遭った。この時間まで起こされなかったのは子供達と食事の時間が重ならないよう、ファラリスが気を利かせたのだろう。

「ジロさんはコーヒーでも飲まれますか?」

「いや、いいっす。ちょっと出なけりゃいけないんで」

 ジロは既に食事を済ませているらしい。気付けば小脇にダウンジャケットとニット帽を抱えていた。

「すぐ戻って来るんで、後でその子の情報集めに行きましょうや」

「ん、判った」

 ジロを見送り、ヤタは少女を椅子に座らせてから自分も席に着いた。


「ご一緒してもよろしいですか?」

 ファラリスは食卓に着いた二人の前に温め直したスープを並べた後、ティーセットを乗せたトレイを手に同席を申し出た。

「ああ、はい。どぞ」

 承諾を得ると、トレイをテーブルに置いて食事を始めたヤタの斜め前の席に着いた。

「ジロさんに伺いましたが、ヤタさんはジロさんと長いお付き合いなのですね」

 ファラリスは自分の分の紅茶をカップに注ぎつつ、ヤタに尋ねた。思えば教会に着いてからというもの、常に孤児達やジロといった騒がしい人間が傍に居たため、この神父と二人きりでゆっくりと話す時間というのは初めてだった。正確に言うとこの場に居るのは少女を入れて三人なのだが、彼女は基本的に会話に入ってくることがないので数に入れていない。

「まぁ、それなりに。仕事上の付き合いでの腐れ縁ですけどね」

「でしたら、私が言うまでもないかもしれませんが……彼ならばきっと、その子の帰るべき場所を見つけ出して下さいますよ」

 ジロの情報収集能力はヤタも感心するところなので、その辺りは期待している。情報の出処は謎が多いが、その内一つは昨日明らかになったばかりである。

「そういや、ファラリスさんはアイツの仕事を手伝ってるって聞きましたけど?」

 ファラリスはあまり他人の事情に深く探りを入れるようなことはしない。喋りたくないことまで喋る必要がないので、そういった点でヤタはなかなか好感の持てる相手だと思っている。

 ジロが自分から多く話し掛けることで相手を釣り、釣られた相手に情報を喋らせるタイプだとすれば、ファラリスは深く踏み込むことなくじっくりと相手の話を聴き、安心した相手が自主的に話をするように誘導するタイプと言えるだろうか。

「人の集まる場所には様々な情報が集まります。それに、ここは教会ですから。他人には明かせないような秘密も、自然と集まってくるものです」

 教会には懺悔室があり、信者が罪の告白をしに訪れる。そしてその教会の司祭はその罪の告白を聴く。

「そういうのって、守秘義務とかあるんじゃないですか?」

「ええ、もちろん。……ですが、寄付金だけで孤児院の運営を賄うというのは、なかなか大変なものでして」

「……なるほど」

 司祭の立場を利用して手に入れた情報と引き換えに、ジロと金銭の取引をしているということのようだ。


「神の教えに背く行いです。ですが、信仰は心を満たすことが出来ても、空腹までも満たすことは出来ません。私の願いは一人でも多くの人々に命の尊さを知って頂くこと……言ってしまえば、神の教えはそのための教本の一つでしかないのです。命の尊さを知るにはまず、自らの命の大切さを知らなくてはならない。しかし、私一人の力では全ての者に手を差し伸べることは不可能。ならば私は、せめて手の届く範囲に居る子供達だけでも飢えさせることなく、心も満たして差し上げたい……それが叶うのであれば、私は神に背を向け、この手を汚すことも厭いはしません」


 慈愛と打算が隣り合わせになっている。ヤタはファラリスの考えについては意見を述べず、食事の礼を言った。

「ごちそうさま。美味しかったです」

「お粗末様です。食後のお茶はいかがですか?」

 精錬潔白を主張する人間よりも腹に一物抱えている人間の方が、手放しには信用出来ないと判り切っている分、付き合いやすい。それに手の届く範囲に居る限りはヤタも慈愛の恩恵に与かることが出来る。

「もらいます」

「お嬢さんも?」

 〈YES〉と机を叩いた。

「飲みたいそうです」

 ファラリスは笑顔で承ると、ポットの茶葉を新しいものに入れ替えた。






「ただいまーっす」


 食後の茶を飲み終え、更に一時間程経過してようやくジロはヤタ達の部屋に姿を見せた。

「遅かったじゃないか」

「いやぁ、すんません。この時間から開いてる店がなかなか見付からなくって」

 どうやら用事のついでに買い物をしてきたらしい。手には大きめの紙袋が提げられていた。

「昨日あにさん寒そうにしてたんで、外出るんなら上着がいるなぁと思いましてね。俺からの快気祝いです。じゃーん!」

 そう言って袋から引っ張り出したのは黒いトレンチコートだった。所謂サプライズプレゼントというものだが、コートを見たヤタは付き合いで喜ぶ演技をしてやるようなことはせず、思いっきり顔を顰めた。

「それ俺が着るの? 似合わない。絶対似合わないって」

「んなコトないですって。杖に合うように選んだんですから、ビシッと決めればバシッと決まりますよー」

 ヤタのように若い男が杖を突いて道を歩いていると嫌でも目立ってしまう。そこでジロは杖をファッションの一部にすることで違和感を緩和させようと考えたらしい。

 その気遣いはありがたかったが、普段から動きやすい服装を好むヤタは気取った服装が少し苦手だった。加えて、トレンチコートはそれなりに身長が高くないと着こなすのが難しい。ヤタは、あまり背が高い方ではない。

「折角買ったんですから、とりあえず着てみてくださいよ。スリーサイズもばっちりですぜ!」

「なんで俺のスリーサイズなんて知ってるんだよ、気持ち悪いな……そんなもの俺だって把握してないよ」

「まぁスリーサイズは冗談ですが、サイズは合うと思うんで。さぁさぁ!」

 ジロに囃し立てられて、ヤタは渋々とコートに袖を通した。風を通しにくい生地であるため、外を出歩くには確かに良さそうではある。ボタンを閉めると、ジロに杖を渡された。

「おお、やっぱ良いカンジじゃないですか! ねー、お嬢ー?」

 ベッドに腰掛けた少女に同意を求める。すると少女はヤタの許へ近付き、袖を撫でてから床を一回杖で小突いた。生地の触り心地がお気に召したらしい。

「そうそう、お嬢にもいいのがあったんで買ってきましたよー」

 紙袋を探り、マフラーとミトンの手袋を取り出した。

 マフラーを首に巻き付けてやっている間は無抵抗だったが、手袋をはめてやろうとすると少女はさっと手を引っ込めた。

「ん? 手袋は嫌っすか?」

 少女は逃げ隠れるようにヤタの傍に寄り添うと、その手を引き寄せて握った。

「あー、あにさんと直接手を繋ぎたいからいらないってことっすかー? なんすかなんすか、あにさんばっかり。なーんかずるいですよー」

「どういう種類の嫉妬だよ、それは」

 ジロは不満げに唇を尖らせた。ヤタからしてみれば、ただでさえ自由の利かない身体だというのに纏わり付かれて動きにくいことこの上ない。代わりに手を繋ぎたいと言うのなら任せてしまいたいくらいだ。

「オレんち男兄弟ばっかだったんで妹に憧れてるんですよ。てゆーか、男だったら可愛い女の子に一回くらい『お兄ちゃん』って呼ばれてみたいものでしょうよ」

 別にヤタは少女にお兄ちゃんと呼ばれてはいない。呼ばれたいとも思っていないので同意を求められても困る。そもそも彼女は喋ることが出来ないようなので無理な注文だ。

 スキンヘッドに白けた視線を送った後、ヤタは真剣な声色で少女に話し掛けた。


「今から出掛けるけど、もし迷子になってもこういうスケベ親父について行っちゃいけないよ?」

 〈YES〉


「ひでぇや、二人とも……」


 オレあにさんと歳変わんないですよ、とジロはぼやいた。

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