3 名前の代わり
「教会……」
ジロの居候先として案内された建物は、ヤタにとってはなんとも縁遠い場所だった。
「キミはそんな信心深い人間だっけ?」
「いんや、さっぱり。たまに仕事を手伝ってもらってるんですけど、それがたまたま教会の人間だってだけです」
「仕事の手伝いねぇ」
ヤタの胡散臭げな視線を背に、ジロは賑やかな声が洩れ聴こえる扉を開けた。
「あっ! ジロくんおかえりー」
「ジロ、おみやげはー?」
礼拝堂を駆け回っていた数人の子供たちが足を止め、扉を開けたジロに注目した。
「ただいまー。土産はないけど友達連れて来たっすよー」
誰が友達だ、と思いつつ、ジロに招かれてヤタは少女の手を引き礼拝堂へ入った。
「……ども」
ヤタが短く挨拶をすると視線が二人に集まった。
「なんで杖ついてるの? おじいちゃんみたーい」
「この子も杖持ってるよ。ヘンなの」
「へんなのー」
子供達に率直で無遠慮な視線と言葉をぶつけられ、ヤタは子供達ではなく自分をこの場に案内したジロを睨んだ。ジロはその視線に苦笑を以って応えた。
「こら、そんな風に言ってはいけませんよ」
礼拝堂の隅のドアが開き、穏やかな声が子供達を窘めた。
「人が二本の脚で歩き、獣が四つの脚で駆けるよう、その方達は三本の脚で歩いている。ただ、それだけの違いです。生きているということは、ただそれだけで尊いもの。どんな容であろうと皆、尊い命であることには変わりはないのですよ。それを忘れてはなりません」
「はぁい」
「ごめんなさい、神父さま」
黒い司祭服を着た男が諭すように語り掛けると、子供達は素直に反省の意を示した。
「失礼を致しました。私はこの教会の司祭とこの子達の親代わりを務めさせて頂いております、ファラリスと申します」
「どうも、ヤタです」
ごく丁寧に自己紹介をするファラリスに対し、ヤタは短く挨拶を返した。
「ジロさんのお友達ですか?」
「まぁそんなトコです。すんませんけど神父さん、この二人、しばらく泊めてもらえませんか? この街に来たばかりで、まだ住む所が決まってないんすよ」
「ええ、構いませんよ。すぐにお部屋を使えるよう、用意致しましょう」
ヤタの身元や詳しい事情を尋ねることもなく、ファラリスは柔和な笑みを浮かべてあっさりと承諾した。
「さあ、皆さん。そろそろ夕食の時間ですよ。手を洗って、お皿の準備をしていて下さい」
「はーい!」
子供達は揃って返事をすると、先程ファラリスが通ってきたドアから次々と出て行った。教会と併設された孤児院と繋がっているらしい。
「それでは私は少しお部屋を片付けてきますので、ジロさん、お二人を暖炉の部屋へ案内して頂けますか?」
「うす、了解です」
そうして客人二人は部屋が用意されるのを待つ間、暖炉のある部屋で茶を飲みつつ冷えた身体を温めていた。暖炉に火は入っていない。ヤタは慣れない気候に早くも音を上げているが、地元の人間からするとまだ暖炉を使うには時期が早いようだ。ちなみに出された茶は、勝手知ったる他人の家という具合でジロが淹れたものである。
「それにしてもこの子、全然表情が変わらないですね」
ヤタの隣にぴったりとくっついて座る少女を見て、向かいのソファに腰掛けたジロが言った。カップを両手で包み、ふうふうと息を吹きかけて熱を冷まそうとする動作は健常者と変わりがないが、やはり同じ年頃の子供と比べると少し違って見える。先程賑やかな子供達を見たばかりなので余計にそんなことを感じた。
「他人の顔が見えないんだ。他人の顔色を伺ったり、自分がそれに合わせたりする必要性を知らない所為じゃないの?」
「でも、本能的には備わってると思うんすよね。ほら、赤ん坊って誰に教わるワケでもなく笑ったり泣いたりするじゃないですか。あれって親に限らず、自分が大人に保護してもらえるように、本能的にやってるらしいですよ」
「へぇー」
ヤタは珍しくジロの意見に素直に感心した。ちなみに赤ん坊が丸い輪郭で愛らしい顔立ちをしているのも同様の理由であるらしい。
しかし本能はあっても長く表情を作らなかったことで顔の筋肉が動かなくなっている可能性はある。使わない筋肉は衰えていく。表情筋然り、声帯然り。ヤタも一年余りの療養生活で全身の筋肉が随分と落ちたものだ。
「よし、ちょっと笑わせてみましょう……――『先週、父が井戸に落ちてしまったんだ』『まぁ、お父さんは大丈夫だったの?』『ああ、昨日から助けてくれという声が聴こえなくなったから、もう大丈夫なんだと思うよ』――……どうっすか?!」
少女の反応を見てみるが、くすりとも笑う様子もなく茶を啜っていた。
「ううむ……やっぱ聴こえてないみたいっすね」
「俺は聴こえてたけど、どこで笑えばいいか解らなかったよ」
呆れたように言って、ヤタも茶を啜った。
「すみません、お待たせ致しました」
少し経って、部屋の用意を終えたファラリスが迎えに来た。
ヤタが席を立ち、ジロも荷物運びとして二人に続いた。荷物を置きに行くだけなので杖以外手荷物を持っていない少女はこの場で待っていてもらってもよかったのだが、ヤタが席を立つと当然のように手を握り横に並んだ。
「―――で、なんで同じ部屋?」
来客に用意された部屋にはベッドが二つ並び、その両方に清潔なシーツが掛けられていた。
「申し訳ありません。てっきり、ご兄妹かと……」
詳しい事情を伝えなかったのも悪いが、兄妹と判断するには歳が離れているように思える。顔立ちも似てはいない。よもや、杖で判断した訳ではあるまい。
「すぐにもう一つ部屋を用意致します」
「いいじゃないですか、一緒で。懐いてるし、誰かが傍で見ていた方がいいでしょうし。フロとかトイレなんかもその子一人じゃムリでしょ」
「ちょっと待って、俺が面倒見るの? 無茶言わないでよ、自分自身のことで手一杯だって」
無責任なことを言うジロに、ヤタは杖を軽く振り、脚が不自由であることを主張して抗議した。
「差し支えなければ、私がその子のお世話をしましょうか? 普段から子供達の面倒を見ていますから、お二人よりは慣れているかと」
「差し支え……ないとは言い切れないような……」
「まぁ、女の子ですしねぇ」
ファラリスの好意の申し出に二人は唸った。幼いとはいえ、女の子のそういった世話を初対面の男に任せてしまって良いものか。かと言ってヤタとジロの二人も初対面という点では大差はない。
「ああ、すみません! 小さくともレディですものね。失念しておりました……ですが私は神に仕える身。誓って、その子を不浄な目で見るようなことは致しません。それに――……」
面倒を見慣れた孤児院の子供達と同じように少女を扱おうとしていた自らの無礼に気付き、ファラリスは弁明をした。
「私は、男として不能ですから」
「そ、そうですか……」
心配がないことは解ったが、笑顔での自己申告にヤタはどう反応すべきか、そして少女にどういった説明をすれば良いのか迷った。
そのようなやり取りがあり、少女の身の回りの世話はファラリスが見るということで合意したのだが、結局は不要な心配であったらしい。
そもそも、彼らは少女の意思を尋ねることを忘れていた。
ファラリスが手を引いても嫌がる素振りは見せなかったが、バスルームに案内されたところで少女はファラリスを追い出し一人で用を済ませてしまった。食事も食器の位置さえ示してやれば、後はほとんど他人の手を煩わせるようなことはなかった。ある程度の日常生活での行動は自分一人でこなせるらしい。
(―――で、結局こうなるのか)
夜が更けて孤児達がそれぞれ部屋に戻って行った頃、ヤタも貸し与えられた部屋に戻っていた。
二つあるベッドの内、片方のベッドの上にヤタは腰掛け、盲目の少女もその隣にちょこんと座っていた。
「手が掛かるワケでもないし、まぁいいじゃないですか」
「独りぼっちの身の上です、さぞ心細いことでしょう……彼女が少しでも安心出来ると言うのであれば、どうか傍に居てあげて下さいませんか?」
そんな意見に押し切られる形で、結局は彼女と同じ部屋で夜を過ごす羽目になってしまった。
「なんでこうなるかなぁ」
ヤタの呟きに反応してか、少しだけ身体を揺らした。話し掛ければYES・NOで反応してくるが、基本的には無表情で微動だにしない。ただでさえ子供が苦手だというのに、ヤタは妙に自分に懐いてくるこの人形のような少女の扱いには困り果てていた。
(もう少しコミュニケーション取れるようにならないとなぁ……いや、それよりもこの子の身元を調べることが先決か)
住む場所も探さなければならない。あの神父ならばいつまでもここに居てもいいと言いそうだが、迷惑が掛かるだろうし、そして何よりここはヤタが苦手とする子供の巣窟である。なるべく早く離れてしまいたい。
別の宿に移るとしてもこの子はついて来てしまうのだろうな――と考えて、やはりまずは彼女の存在をどうにかすべきという考えに戻った。
のんびりと新しい生活を楽しむつもりであったのに、早急に片付けるべき問題が山積みだ。放り出して逃げるにしても、不自由な脚ではこっそりと逃げ切るのは難しい。
(俺ってもう少し要領良かったはずなんだけど……ままならないなぁ)
たった一年で、筋力以外にも色々な部分が衰えてしまったようだ。
「キミ、何て名前なの?」
答えようのない質問だと解っていながらそう尋ねた。案の定、答えようがないらしく少女は困ったように杖を揺らした。
「やっぱダメか……――いてっ」
返答を諦め掛けたところで、杖で脛を叩かれた。ヤタの反応で力加減が強過ぎたことに気付いたのか、今度は先程よりも軽く脛を叩いた。
「これって、確かさっきもあったよな……?」
YESとNOでは答えられない質問をして『わからない』と答えた後、その時は杖を持っていたので脚ではなく杖を叩かれた。試しに杖を差し出してみると、やはり杖を叩いてきた。
「おそろいだって言いたいの?」
少し間があって、杖で床を引っ掻いた。YESでもNOでもない答えだが、この場合『わからない』では意味が通らない。
「YESとNOの中間? 『微妙』ってこと?」
正解が出るまで続ける気なのか、少女はコンコンと何度も杖を叩いてくる。急かされているような気になって、ヤタは己の持てる推理力を総動員させてジェスチャーの意味を考えた。
「えーと、ちょっと待って……さっき俺が名前を訊いたんだから、その答え? 名前の代わり? 俺の名前を呼んでるの?」
コツン、と心なしか満足げな〈YES〉
〈ヤタ〉
どこか嬉しそうに――とヤタが感じたのも当然で、杖を叩く少女の口元は笑っていた。
(本当だ……ちゃんと笑えるのか)
ジロの言った通りだと感心して少女を見つめていると、大きな口を開けて欠伸をした。猫みたいに遠慮のない欠伸だ。
「眠いならもうベッドに入りなよ。俺ももう寝るし、灯りは――……キミには関係ないか」
ヤタは少女にベッドに寝るよう促すと布団を掛けてやり、灯りを消した。
名前を尋ねたヤタが望む答えは得られなかったが、思っていたよりも順調に意思の疎通は出来ている。この調子なら、彼女自身から身元に繋がるヒントを得ることも可能かもしれない。
しかし今日のところは長旅と、不本意な出会いの連続に疲れてしまった。明日のことは明日考えようと、ヤタはもう一つのベッドに潜り込んだ。
「おやすみ」
そう声を掛けると暗闇の中でぽふんっ、と布団を叩く音が一回だけ聴こえた。