8 見送り
通報から数分後、現場にパトカーが到着し数名の警官が速やかに犯人の確保へと当たった。遅れてカトも面倒臭そうに車から降りる。
「本当に捕まえてくれるとはなぁ。恐れ入ったぜ」
感心半分、呆れ半分といった感想。
「嬢ちゃんが襲われたんだって? 囮だの危ねぇことやらせてねぇだろうな?」
「んなことしませんって!」
ジロが力強く否定する。ルクスを使って犯人を誘き出したのも同然の結果にはなったが、それは意図していなかったことなので嘘は吐いていない。
本来囮役を引き受ける予定だったアコヤはこの場にはいない。殺し屋という職業柄、警察との相性が最悪であるため離れた場所に待機して姿を隠していた。
「この人達に危ないことをさせたのはあなたなのではないですか? あなた達は遅れてやって来て、怠慢もいいところですね」
会話の流れから事情を察したらしいマツバが口を挟む。相変わらず警察への敵意を隠す気はない。
カトはやれやれと軽く肩を竦める。
「あー、そう言うマツバさんはどうしてこんな所に?」
それについてはヤタ達も疑問に思っている。この辺りは娼婦の売り場だ。所用で出歩くにしても、今のマツバに似つかわしい場所だとは到底思えない。
「最近強姦事件が多発していると聞いていたので、もしかしたら昔ランを襲った犯人なのではないかと居ても立ってもいられず……」
つまりはヤタ達と同じ考えに至り、独自に調査をしていたということらしい。
「気持ちは解りますがね、民間人が危険に首を突っ込むのは感心しませんよ」
「警察が不甲斐ない所為でしょう。現に犯人を捕まえたのは探偵さん達じゃないですか。二年前に警察が犯人を捕まえてくれてさえいればランは死なずに済んだかもしれない」
マツバの警察への不信感は二年前の事件の未解決が起因しているようだ。
「原因が今回の犯人かってのは取り調べしてみないことにはまだ判りませんがね」
気絶したままの犯人がパトカーに押し込まれる姿を見るに、目を覚ましてから事情聴取を終えるまでには時間が掛かりそうだ。自ら事情を説明する言葉を持たないルクスへの事情聴取は時間が掛かることが想定され、もう遅い時間だということもあり翌日に持ち越しとなった。どの道犯人の取調べの結果を聞きに行かなければならないので、用事を一編に済ませるにはそちらの方が効率は良いという理由もある。
「お前ら明日警察署来いよ。んじゃ、ごくろーさん」
この場での仕事を終えて、カトはパトカーに乗り込み速やかに去っていった。
「僕も明日話を聞きに行きます。犯人のことが気になるので……」
「じゃあ、事情聴取が終わる頃に連絡しますんで」
「判りました。それでは皆さんお気を付けて」
翌日の約束を取り付けてマツバもこの場から去った。
「オレらも帰りましょうか」
「うん。俺はアコヤを拾って帰るから、ルクスのこと頼むよ」
ヤタは繋いでいた手を引き剥がしてジロに押し付けた。
「……あにさん、怒ってます?」
「何を?」
「まぁ気持ちは解りますけどね。お嬢は無事だったし犯人も捕まったし、結果次第でランちゃんのことも解決するしで万々歳、ってことで良かったと思いましょうや」
そのようなつもりはなかったヤタは聞き返したが、ジロは勝手に納得したように頷いた。
「お嬢のことは責任持って送り届けますから、あにさんも気を付けてくださいね。多分アコさん怒ってるんで」
「気を付けろってそっちか」
いつもの軽口を叩くジロに手を引かれたルクスが振り返ることはなかった。その背を見送ってから、ヤタはアコヤが待つ路地へと向かった。
「遅い」
案の定文句を言われたが、思っていたより立腹している様子ではなかった。
「先に帰っていてくれても良かったんだけど」
「待てって言われたから待ってたんじゃない……まぁ、変なタイミングで動いて警察に見られても面倒だったし」
どのような経緯であろうと警察に目を付けられるのは殺し屋として死活問題だ。ここいらでの売春行為自体が褒められたものではないので、不良少女と間違われて補導でもされては堪ったものではない。
「他の奴らは?」
「皆帰ったよ。送っていく」
「別にあなたに守られるほどか弱くないけど?」
そう言ってコートの裏地に仕込んだハンティングナイフをちらつかせる。
「どっちかって言うと、キミを襲うヤツの身が心配だから」
「あっそ」
軽口に取り合わず、適当な返事をしてナイフを仕舞った。
大人しく送られることは了承したもののヤタの歩調に合わせて並んで歩く気はないらしく、アコヤはヒールを鳴らして自分のペースで歩く。送ると言ったヤタがその数歩後ろをついて行く形だ。
「悪かったね、付き合って貰ったのに出番なくて」
「まったくだわ。何のために呼ばれたんだか」
「埋め合わせはするように言っておくよ、ジロに」
アコヤが孤児院に赴くための口実を与えてやれば文句は出ないだろうという姑息な考えで、ファラリスのいる孤児院に居候しているジロに丸投げした。実際、文句が出る気配はなかった。
「で?」
アコヤは振り返りもせずそう言った。
「で、って?」
「その脚でわざわざ送って行くなんて言うから、まだ用があるのかと思ったんだけど」
無理を押して女性を家まで送り届けるような殊勝な男だとは思われていないらしい。
「別に用があったワケじゃないけど……なんとなく、ルクスと帰りたくなくて」
「ふーん。あなたあの子にべったりって感じだったけど、そんなこともあるのね」
それは逆だろうと言いたいところだが、おそらく判っていてわざと言っているので深く取り合わないことにする。
「そういえば、アコヤはあまりルクスに懐かれてるようには見えないけど?」
「お父様に言われて迷子を迎えに行った時に初めて会ったんだもの。それまで『妹』の存在も知らなかったわ」
初対面にも係わらずルクスは迎えに来たアコヤに大人しく従っていたが、あの時ルクスは何かを確かめるようにアコヤの匂いを嗅いでいた。アコヤに信頼する『お父様』と同じ匂いを嗅ぎ取ったため疑いを持たなかったのだろう。
「一緒にいる時間はあなたの方が長いんじゃない?」
「だよなぁ、やっぱり……」
それなりに付き合いが長いと言われれば訊けることもあったが、これでは助言を求めることは出来ない。
喉を圧迫される苦しみを思い出す。
あの時ルクスはヤタを殺せと言う養父の命令を、涙を流し拒んだ。ヤタはその涙を信じていた、彼女が殺人に手を染めようとすることは二度とありはしないだろうと。だからこそ、綺麗なままの手に握られた凶器の存在にショックを隠せなかった。
「あの子の考えてることが解らなくなった」
「喋らないんだか喋れないんだか知らないけど、表情も読めないし、あの子が何考えてるかなんて解るわけないでしょ」
「それは、アコヤはルクスのことをよく知らないから……」
「あなたは全部完璧に解ってたつもりでいたの? 一緒に居た時間の差なんて、たかだか一ヶ月程度でしょ。それで自分は全部解った気になってたなんて、意外と高慢なのね」
高慢、と言われてぐうの音も出ない。確かに今の口振りだと自分が一番ルクスを理解していると言わんばかりだ。
「お父様の話だとあの子、皮膚で感じた振動を自分の言葉に置き換えて理解してるってだけなんでしょ? それって、こっちが伝えたことが正しく伝わってるとは限らないってことじゃない。大体、言葉が通じていれば心の中まで全部読み取れるってものでもないわ」
アコヤは常識を語るようにそう言う。言葉は通じているものの、ファラリスを慕うようになったアコヤの心情をヤタは理解しかねているのだから、説得力はあった。
犬や猫を相手にしているのと同じようなものでしょ、とアコヤは付け足す。繰り返しの躾によって動物は人間の命令を聞くようになったり、人間は動物の挙動により機嫌を推し量ることが出来るようになったりする。しかしそれは学習による推測であり、お互いがお互いの言葉や考えを完全に理解していると証明することは誰にも出来ない。
ルクスは特別な子供だ。身体的なハンデを抱えていながら類い稀な感覚で常人並、あるいはそれ以上の身体の動きを可能としている。
特別だからこそ、自分には出来ないことが当たり前に出来るものだと思い込んでいた。
ヤタは言葉を発しないルクスの考えを理解出来ない。同様にルクスも言葉として発せられた内容ならまだしも、ヤタが伝えていない考えまでは理解出来ない。
言葉が通じる通じない以前の問題だ。自分は誰よりもルクスを理解したつもりでいて、実際はルクスに理解を押し付けていた。高慢な上に他力本願、それに気付かされて顔から火が出る思いをした。
先を歩いていたヒールの音が鳴り止み、これまで一瞥もくれなかったアコヤが唐突に振り返った。
「ここまででいいわ」
周囲を軽く見回したが近くに人が居住するような建物はない。こんな所でいいのかと思ったが、家までついて来る気かと問われ、住処を知られたくないのだと察した。
アコヤは薄っすら笑みを浮かべてみせる。今まで見せてきたシニカルな笑みではなく、悪戯っぽくからかうような笑み。
「可愛い妹と仲直り出来るといいわね」
自分の方は可愛いと思われていない自覚があるのか、そもそも喧嘩をした訳ではないので仲直りも何もあったものではない、などと言い返す間もなくアコヤはさっさと踵を返して歩き去ってしまった。
「そういうのじゃないんだけどな…」
聞く者のいない言い訳を呟いて、釈然としない気持ちのままヤタは自身も帰路についた。
*
事件から一夜明け、警察署にて被害者であるルクスへの事情聴取が予定通り執り行われた。とは言ってもルクスは形式上同席したに過ぎず、実際に話をしたのは現場に居合わせたヤタとジロである。
「思ったより早く終わりましたね。マツバさんには連絡してあるんでしばらくロビーで待たせてもらいましょ」
「おいジロ、ちょっといいか」
聴取を終えてロビーに向かおうとしたところジロだけがカトに呼び止められた。
「前に頼んでた件なんだがな……」
「ああ、はい。アレっすね」
二人がヤタは関わっていない依頼の話をし始めたので、ヤタは断りを入れて先にロビーへと向かうことにした。ルクスについて来るよう促したが、彼女は差し出された手を取らなかった。普段であればヤタが嫌がってもルクスは手を繋ぎたがるものだが、何が気に入らないのか今日はずっとこのような調子だ。ジロとは抵抗なく手を繋いでいたので、ヤタが避けられているというのは明白だった。
こちらが歩き出せばそれに追随するのでそのまま階段を下る。ロビーの隅に設置されたベンチに腰を下ろすとルクスもその隣に腰掛けたが心なしか普段より二人の距離は開いている。
ヤタはルクスに何か話しかけようと思ったが、答えが返って来ないと判っていて手を繋がない理由やもっと近くに座らない理由を尋ねるのは、まるで自分がそれを望んでいるかのようで躊躇われた。
それに、今はしなければならないことがある。
ヤタは誰にも聴こえない声で男の名を呟いた。先程の事情聴取で訊き出しておいた、昨夜ルクスを襲った暴漢の名だ。
ランの死の原因がこの男にあるのであれば、名前さえ判れば事件は解決したも同然だ。証拠にはならないだろうが、ヤタの能力により事実は判明する。それを基に裏を取る作業は警察かジロにでも任せればいいだろう。
目を瞑り、意識を沈める。
「――――あれ……?」
間抜けな声を洩らして、目を開けた。
もう一度目を瞑り、今度は更に深く過去に潜り込む。
そして再び目を開け、首を捻る。
「どういうことだ……?」
事件解決間近と高を括っていたが、名前から得られた事実は予想外のものだった。
ここで得られた事実も一つの答えである。しかし、これでは事件解決に至らない。
不用意に能力を使えば知りたくもない他人のプライベートを暴くことになる。それはヤタの望むところではない、だからこそヤタは一度この能力を手放したのだ。そしてそれを行うのはまだ能力の扱い方を取り戻し切れていない自身への負担も大きい。しかしこれ以上正攻法で調査を続けて新しい事実が手に入るとも思えない。情報が出揃った今でこそ、能力を使う価値があるのではないか。
(気が進まないけど……)
しばらくの思案の後、ヤタは先程とは別の名を呟いた。
――――ラン。
深く、深く、過去を人生を、その者の名の意味を識る。
「そうか……解った気がする……」
事実を重ね合わせることで、以前は見逃していたあの時の彼女の行動の意味を理解することが出来た。
「何がですか、ヤタさん?」
目を開けると、目の前に男が立っていた。たった今呟いた名前の主に深く関わり、長く寄り添っていた人物。
ヤタは、その男の名を口にする。
「犯人……キミだったんだね、マツバさん」




