2 迷子
「どうしたんですか、その子?」
「そんなのこっちが訊きたいくらいだよ……」
帽子を手に店を出てきたジロは、見知らぬ十歳くらいの少女に袖を掴まれて頭を抱えているヤタの姿を見て、目を丸くした。
「迷子ですか?」
「多分ね。しかも目が見えていないらしい」
「マジすか? ……ありゃ、本当だ」
少女の目の前で手をひらひらと振ってみるが、正面を向いたまま何の反応も示さない。
「お嬢ちゃーん、こんな所で一人でどうしたのー? パパかママとはぐれたのー?」
「…………」
ジロが顔を覗き込み話し掛けてみるが、手に持った白い杖を少し弄んだだけでやはりこれと言った反応は返ってこなかった。
「……まずいっすねコレ、耳も聴こえてないのかもしれませんぜ」
「マジか……」
ただでさえ困った状況だというのに、二重苦の相手ともなるとどう扱うべきかさっぱり解からない。
「どうしたらいいんだ、コレ……」
「どうって、迷子はおまわりさんの管轄でしょう」
途方に暮れるヤタに対し、ジロは至極常識的な回答を寄越した。
「……行く? 警察」
「それはちとまずいっすね……」
後ろめたい内容が山ほどある手前、どんな形であれ警察と関わり合いになりたくないのはヤタもジロも同じだ。迷子の少女を挟んで男二人は途方に暮れた。
「とりあえず、しばらくここで様子見てみます? 親が捜してるかもしれないですし、そんなに広い駅でもないからここでじっとしてれば見付けてもらえるかもですよ」
「そうだね。いくらなんでもこの子一人で出歩いてるなんてことはないだろうし、そうしてみよう」
そして二人は行き交う人々に注意を向けながら少女の迎えを待ったが、十分、三十分、一時間経ってもそれらしい人物は現れなかった。
「おかしい……絶対におかしい」
大人しく袖を掴んだままの少女と並んで立ち、往来に目を凝らし続けていたヤタが疲れた顔でぼやいた。徐々に人通りが少なくなり見通しも利くようになったのだが、少女の姿に気付いて向かってくる者は一向に現れようとしない。
「あにさーん」
しばらく場を離れていたジロがチケット売り場の方から小走りで駆けてきた。
「駅員に確認してみたんすけど、迷子を捜してるって人の情報は入ってないみたいですよ」
公共の場で迷子を捜すのならば、探す側はまずその施設のスタッフに心当たりがないか尋ねるだろう。そう考えてジロは駅員にそのような人物が現れていないか尋ねて回ったのだが情報は得られず、段々と嫌な可能性が濃厚になってきた。
「考えたくはないですけど、もしかして置き去りにされたんじゃ……」
「俺もそんな気がしてる」
音量に係わらず少女の耳には聴こえていないものと思われるが、二人は習性で背を向けて声を潜め会話した。
「どうしよう、今からでも駅員に押し付けて――……」
しばらく少女から目を離していると、ずっと袖を掴んでいた感触が消えた。不思議に思い振り返ると、少女は腕を突き出し手の平を正面に向けて翳していた。
(何やってるんだ? この子……)
ずっと黙ったまま袖を掴み微動だにしなかったのだが、この一時間で初めて別のアクションを見せた。
突き出された手の平にそっと触れると、手を繋ぐように握りこんできた。
「あ、駅員はダメですよ。あと三十分でストが始まるそうですから」
人通りが減っているのはそれが理由のようだ。ストライキが始まると列車の運行が停止し、参加する職員は意地でも働かなくなる。迷子だと言って引き渡しても預かってはもらえないだろう。
正直なところ、これ以上関わり合いたくはない。しかし一人残して去るには良心の呵責が大き過ぎる相手だ。
「しゃーない。とりあえず、オレんちに一緒に連れて行きますか」
少女の処遇を考えようと相談する前に、ジロがそう提案した。
「キミの家? ここに拠点があるのか?」
ジロはここへは仕事で訪れたと言っていた。てっきりホテルに滞在しているものと思っていたが、そうではなさそうな口振りだ。
「仕事であちこち飛び回りますからね、各地に拠点は用意してますよ。 ……つってもまぁ、知り合いの所に居候させてもらってるんですけどね」
「迷惑になるんじゃないか?」
「そこは問題ないと思うっすよ。子供の扱いにも慣れてるし、寛容な人ですから。あにさんも泊まる場所決めてないなら、一緒に泊めてもらえると思いますよー」
陽が沈むのが早い季節だ。今から寒空の下、重い荷物を抱えて宿を探し回るのは骨である。泊まる場所を提供してもらえるのならば、ヤタとしてはありがたい話だ。
「多少騒がしいのは我慢してもらうことになりますけどね。案内します」
そう言ってジロが先立って歩き出した。
「移動するよ。行こう」
ついつい聴こえていないということを忘れて話しかけてしまう。ヤタが掴まれた手を握り返し軽く引くと、少女は白い杖で地面を軽く小突いてからヤタについて歩き始めた。
「……なんか、この子すごいっすね」
しばらく雑談しながら道を歩いていると、ジロが少女の方を見てそんなことを言った。
ジロの肩にはヤタのダッフルバッグが掛けられているが、これは先程のように強引に奪った訳ではない。杖を突きながら重たいバッグを抱えて歩くだけでも大変だというのに、少女がヤタの手を握ったまま離れようとしないのでバッグはジロに預けていた。
「何が?」
「ほとんど杖使わずに、すいすい歩いてるじゃないですか」
視力に障害を持つ者は杖で進行方向に障害物がないかを確認しながら歩く。しかしこの少女は杖を持ってはいるものの、手に提げているだけでほとんど動かさずに歩いている。手を引いているヤタを信頼しきっているのだろうか。手を引いているのが見知らぬ相手だということに気付かず知り合いだと勘違いしている可能性はあるが、どちらにしてもよほど信頼していないと身を任せきるのは難しいように思える。
「本当に目、見えてないんですかね?」
少女は杖で地面を軽く弾いた。
「ん?」
その動きに気付き、ヤタが足を止める。
「どうしたんすか、あにさん?」
「今のって、もしかして合図なんじゃないか?」
「合図?」
ジロも足を止め、少女に注目する。確信を得るために、ヤタは少女に尋ねてみた。
「質問するよ。キミは、目が見えないの?」
コツ。
杖先で地面を一回叩いた。
「もしかして今のは『YES』? え、それじゃあ耳が聴こえてないかもってのは勘違いだったりするんすか?」
コツコツ。
「二回は『NO』? 勘違いじゃない? ……あれ? だったら何で質問に答えて……?」
「今のは訊き方が曖昧だろ、意味を取り違えたのかもしれない。もう少し確実なので試してみよう。……キミは、男の子ですか?」
地面を二回叩く。どう見ても彼女の性別が男であるようには見えないので、やはり二回のノックが『NO』の合図のようだ。
「キミは、俺達がキミの知り合いではないことを理解している?」
〈YES〉
「キミは、自分がどこから来たのか解る?」
〈NO〉
「とりあえず俺達について来てもらうけど、キミはそれで構わない?」
〈YES〉
質問を繰り返してみて、とりあえず彼女に迷子の自覚があることは解った。
「なんで俺にくっついてきたの?」
少女は考えているのか少しの間動きを止め、それから杖の先で地面を引っ掻いた。
「今のは何の合図ですかね?」
「YESとNOじゃ答えられない……『わからない』って意味かも」
ジェスチャーの意味を議論していると、少女は自分の杖でヤタの杖を軽く叩いてきた。杖から伝わった振動に何事かと視線を向けた瞬間、ヤタの胸に少女が飛び込んできた。
「うぉっ! な、何?!」
突然のことに対応出来ず足元がふらついたが、ジロに支えられ転倒は免れた。
少女はヤタの服にしがみ付き鼻面を胸に押し付けている。
「な、なんなの……?」
「なーんか随分と懐かれてますねぇ」
ヤタの脚では子供でも一人分の体重を支えるのは辛い。気を遣ってジロがやんわりと少女を引き剥がした。
「でも、こんだけ会話出来るってことは、やっぱり耳は聴こえてるんすね」
コツコツ。
「ん? 『NO』? やっぱり聴こえてない?」
「そりゃ聴こえてないからこそジェスチャーで会話してるんでしょ? 耳が聴こえるんだったら普通に喋れるはずだよ」
音が聴こえないということは、自身の声帯から発せられる声も聴くことが出来ないということだ。自分の声が聴こえないと発音がスムーズ出来ず、言語障害にも繋がる。そのため難聴の人間は声でコミュニケーションを取る機会が少ないが、そもそも生まれつきだとすれば声や音といった概念自体を知らない可能性もある。
「でも、聴こえないんだったらオレ達の言葉も解らないんじゃないですか?」
「それもそうか……ん? あれ?」
聴こえていないはずなのに質問には答えているという不思議にヤタもようやく気付き、首を傾げた。
パンッ!
「わっ?!」
唐突に破裂音が響き、ヤタの身体が跳ねた。しかし少女は特に驚いたような反応は見せなかった。
「聴こえてるけど喋れない、ってワケでもないんですかねー?」
どうやら反応を見るためにジロが手を叩いたらしい。無反応の少女を見下ろしジロも首を傾げる。
「もしかしたら、これって何かの能力なのかもしれないですよ」
「能力?」
「あにさん聞いた事ないですか? たまーに、本当に幽霊が見える奴っているじゃないですか。それと同じ感じで、超能力や魔法みたいな能力を本当に使える奴がたまにいるらしいですよ。もしかしてこの子はソレなんじゃないかと思いまして」
「ふーん……」
ジロの説明を聞いて、ヤタは信じるかどうかという以前に、興味なさそうな反応をした。
「ま、とりあえずは簡単な内容なら意思疎通出来るって解ったからなんでもいいさ。それより今は、早く風の当たらない場所に入りたいよ」
「それもそっすねー」
ひとまず疑問は隅に追いやり、二人は目的地に辿り着くことを優先させた。
「行くよ」
〈YES〉
ヤタが手を握りエスコートすると、少女はそれに素直に従い二人について歩いた。
(子供は苦手なんだけどなぁ)
不本意にも子供に懐かれやすい自身の星回りを呪いつつ、手を繋いで歩く少女をちらりと見やる。
「せめて、名前が判ればいいんだけど」
小さな声で、そんなことを呟いた。