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三本脚の鴉  作者: ナルハシ
2章
19/22

7 囮作戦

「寒い!」


 夜道を連れ立って移動しながら、アコヤはしきりに文句を口にした。

「今日はそんなに寒くないと思いますけどねぇ」

 ダウンジャケットとニット帽で防寒した先導のジロが振り返る。

「娼婦のフリしろって言うからあなた達みたいに厚着してないのよ、ほら!」

「うおっとと」

 ワインレッドの派手なコートの前を開けて見せたアコヤの格好はほとんど下着同然で、ジロは慌てて前に向き直った。寒さが増してアコヤもすぐにコートを閉じた。


「まったく……こんな格好ファラリスには見せられないわ……」


 強姦事件の犯人をおびき寄せる囮役をアコヤに頼むに当たって、果たして快く引き受けてもらえるのかという問題に直面した。しかしその問題はファラリスを介して交渉することであっさりと解消された。ちなみに危険な仕事だと判れば止められる可能性があったため、娼婦役だということはファラリスには伏せており「仕事を手伝って欲しいので交渉に協力して欲しい」としか伝えていない。


「で、わたしはその強姦魔とかいうのをおびき寄せてどうすればいいの? 殺せばいい?」

「いや、殺したらまずいっす。捕まえるだけっす」

 ファラリスに(ほだ)されてすっかり丸くなったものかと思いきや、血の気の多さは変わっていない様子だ。

「その調子なら、安心して役目を任せられるよ」

「わたしの役目はともかく、その子は何なの? 何のために連れて来たのよ」

 そう言ってアコヤはヤタと手を繋ぐルクスを指差した。

「連れて来たんじゃなくて、ついて来ちゃったんだけど……」

 夜を待って孤児院を出ようとしたところ、防寒をきっちりと済ませたルクスが出口で待ち構えていた。危険な仕事だと伝えていなかったのが裏目に出てしまい、大人三人が一緒ならば安心だろうと言ってファラリスはルクスの外出を引き止めてはくれなかった。まさかこうなることを見越していたのだとも思えないが、いつもならとっくに床についている遅い時間にも関わらず、昼寝をしていたお陰でルクスの目は冴えているようだ。


「ああもう寒い……! ちょっとあなた、何かあったかいもの買って来てよ」

「オレっすか? この時間に開いてる店ありますかね?」

「コーヒーならミルク多めで、砂糖いらない。ほら、早く!」

「へぇーい」


 アコヤは何度目かの同じ文句を言って、有無を言わせずジロを走らせた。

 道の端に立ち止まってジロの帰りを待つ。

「そういえば、孤児院に何しに来てたの?」

 ヤタも他人のことは言えないが、アコヤは今朝孤児院を出たばかりである。

「ナイフ、取られたままだったの思い出したから取り返しに行っただけよ。商売道具がないと困るもの」

 箒を握っていた理由の説明としては不十分だが、孤児院を訪れる口実としては一応成立している。

「殺し屋稼業続けるんだ?」

「なんで辞めなきゃいけないのよ?」

「ファラリスさんに何か言われたんじゃないかと思ったんだけど」

「ファラリスは生きるのに必要なことをやめさせるような人じゃないわ」

 確かに、そうでなければジロとヤタは裏稼業からとっくに足を洗わされているはずであるし、ファラリスもその手伝いを進んでするようなことはしないはずだ。

 アコヤは道の向かいに目を向けて、ジロがまだ戻って来ないことを確認した。

「ねぇ、ファラリスって女いるの?」

 ヤタが直接触れられないでいた核心部分に自ら触れてきた。

「いないと思うよ。神父って独身じゃないといけないだろうし」

「じゃあ、不能だって話は本当?」

 ヤタの口から変な音の息が洩れた。

「女の子がなんてこと訊いてんの」

「その女の子に娼婦の真似をさせているのはどこのどいつよ?」

 それもそうだなと気を取り直した。

「そう言っていたのは俺も聞いたけど、付き合いの長さはキミとそう変わらないからどこまで本当かは判らないよ」

「ふーん…………試してやろうかしら」

 不穏な呟きが聞こえた気がしたが気の所為だと思うことにした。

「ファラリスさんのこと訊くなら俺よりジロの方が詳しいと思うけど」

「嫌よ。からかわれそうだもの」

「軽そうに見えるだろうし実際軽いけど、情報屋としてはプロだから依頼として訊けば大丈夫だよ」

「そうやって訊くのも違う気がするわ」

 茶化されるのを嫌うのはそれだけ本気だということか。乙女心は複雑過ぎて男であるヤタには理解出来そうにはない。



「おまたせしましたー。いやー、まだ開いてる所あって良かったっす」


 人数分の飲み物を零さない程度の早足でジロが戻ってきた。流石に一人で四人分の紙コップを持ち運ぶのは無理があったので、店が用意した紙製の台座に差し込んで固定している。中身を確認しながらそれぞれに配る。

「はい、アコさんがミルク多め。ココアがあったんで、お嬢はこれで。眠れなくなるといけないすからね。あにさんも同じのでよかったっすかね?」

「うん」

「同じのって……子供(ガキ)なの?」

 文句も言わずルクスと同じ飲み物を受け取るヤタをアコヤは呆れた目で見た。

「いいだろ別に」

「あにさん割と子供舌ですよね。酒もそんな強くないですし」

「酒と子供舌は関係なくないか?」

 とはいえ酒に強くないのも食べ物の好みが幼いのも否定出来ないので黙ってココアを啜った。


「この辺りでいいすかね」

 温かい飲み物で暖を取りつつ、人気の少ない路地の街灯の下まで移動した。

「この辺が娼婦の『売り場』なんで、アコさんはここで立ってるだけでいいです。オレらは少し離れて見張ってますから」

「本当に売ってると思われて関係ない客が寄ってきたらどうするの?」

「そん時は適当に断ってください。どうしても困った時はオレらが出て行きますんで」


 ジロがアコヤに手順を説明している間、ヤタは特に何をするでもなく待っていたが、不意にルクスに紙コップを差し出された。

「え、何?」

 ヤタが杖を建物の壁に立て掛けて、まだ中身の残っているそれを訳も解らず受け取ると、ルクスは身を翻して夜道を駆け出した。

「え!? ちょ、ちょっと! ――ジロ、これ頼む!」

 両手の紙コップをジロに渡し、杖を掴んで精一杯の速度でルクスの後を追う。

「あにさ……お嬢?! ――アコさん、これ頼んます!」

「え、な、何?」

 ルクスの姿がないことに気が付き、紙コップをアコヤに無理矢理押し付ける。

「ちょっとぉ!」

 計四つの紙コップを持たされ身動きの取れなくなったアコヤの怒号に身を竦めつつ、ジロも駆け出した。



「くそっ、こっちじゃなかったか……?!」

 先に駆けて行ったヤタはルクスの姿を見失っていた。

 以前にも同じようなことがあり、その時はすぐに見つけ出すことが出来たが今回はそうはいかない。昼間と違って見通しが利かず、細い路地には街灯の明かりが届かない。建物の隙間もくまなく覗き込みながら走っていると、角を曲がった所で危うく歩いてきた男とぶつかりそうになった。

「すみません!」

「いや、こちらこそ――あ、あなたは……」

 相手がヤタの顔を見て何かに気付いたような反応をしたのでヤタも相手の顔を見返すと、見覚えのある相手だった。

「マツバさん?」

 死亡した少女の兄であり情報屋に調査を依頼した男だ。

 昨日妹を亡くしたばかりの男が夜更けにこんな場所で何をしているのか、疑問が頭の中を通り過ぎたが今はそれどころではなかった。

「女の子を見ませんでしたか? 昨日オレと一緒にいた、杖を持った女の子!」

「み、見てないです」

 ヤタの剣幕に気圧されるマツバ。すれ違っていないとなると、マツバが歩いてきた方向には行っていないということになる。

「こっちじゃないのか」

「迷子になったのですか? 僕も探します! 向こうを探してみますね!」

「お願いします!」

 マツバが手伝いを申し出たのでヤタは見落としがないか確認するため来た道を引き返した。




 *




 ルクスは立ち止まると、手を翳し周囲の様子を探った。ほんの数秒静止してから手を下ろすと、くるりと後ろを振り返った。そのまま来た道を歩いて引き返していると、横合いから声を掛けられた。

「お嬢ちゃん、こんな所に独りでどうしたのかな?」

 ルクスにとっては聞き覚えのない低い男の声。感心を示さず真っ直ぐに歩を進めるルクスに男は尚も話し掛けた。

「危ないなぁ、君みたいな可愛い子が独りで居たら、悪い人に襲われてしまうよ? ――こんな風に!」

 男はルクスに掴み掛かり、片手で口を塞いで羽交い絞めにすると、暗い路地に引きずり込んだ。

 小さな体はあっさりと引き倒され、男はその上に馬乗りに跨る。その過程で男の手が口元から離れたが、ルクスは悲鳴どころか呻き声の一つも発しなかった。

「怖くて声が出ないのかな? 大丈夫、怖くないよ……淫売ババアばっかり相手するのも飽きてきたからお嬢ちゃんは特別可愛がってあげるね」

 ルクスには光も闇も関係はないが、男の方はそうはいかない。暗闇の中、手探りで身体をまさぐる。


 荒く熱い息が頬にかかり、ルクスは僅かに身じろぎした。そして――――



「うちのお嬢に何してくれとんじゃゴルァァ!!!!」



 路地に飛び込んできたジロの蹴りが命中し、男の体は横に吹っ飛ばされた。跳び蹴りを放ったジロは着地に失敗し、勢い余って自らが蹴り飛ばした男と共に地面を二回転した。


「ジロ! ルクス!?」


 ジロの咆哮を聞きつけてか、ヤタも小走りで路地に駆け込んだ。

「あにさん、お嬢を!」

 暗闇の奥からの声に従い、手前に倒れていた小さな人影を抱き起こし明るい通りにまで引っ張って行った。その間にジロがスタンガンを使ったのだろう、ヤタはバチバチという音を背中で聞いた。

「大丈夫か、何もされてないか!?」

 ヤタは跪き、ルクスの着衣を確認する。幸い首に巻いたマフラーが解けかかっているだけで、目立った乱れはなかった。

 ルクスの両腕を掴んだまま、もたれ掛かるように脱力する。


「あにさん、お嬢は?!」


 スタンガンを片手に持ったままジロが路地から飛び出した。

「大丈夫そうだ。怪我もしてない」

「よ、よかったぁ~~……」

 ジロも気が抜けたのか、膝に手を突いてうな垂れた。

 いつまでも地面に膝を突いている訳にもいかないと顔を上げると、何かを握り締めたルクスの拳が目に入った。不審に思ったヤタはルクスの手を取って広げ、そこにあった物を見て背筋に寒気を覚えた。

「ダーツの矢っすね。護身用のつもりで持ってきたんでしょうか?」

 手元を覗き込んだジロは何気なくそう言ったが、ヤタは険しい顔で矢を取り上げた。

「没収」

「そんな危ないもんじゃないですよ。オモチャみたいなもんですし」

「ペン一本でも、人は殺せる」

 過保護だと笑おうとしたジロは途中で顔を引き攣らせた。


(解ってくれたものだと思ってたのにな)


 ヤタは無意識に伸びた手で自身の喉元を撫でた。


「ジロ、アイツが娼婦強姦の犯人か?」

「判んねぇっすけど、お嬢を襲ったのは事実です。最大出力お見舞いしてやったんでしばらく目は覚まさないと思いますけど、早いとこしょっぴいてもらいましょう」

 スタンガンを揺らしながらそう言ったジロの声には珍しく怒気が含まれていた。

「警察への連絡は俺がやるよ。ジロはマツバさんを捜してきてくれないか? さっきそこで会って、ルクスを捜すのを手伝ってもらったんだ」

「マツバさんって……依頼人のっすか?」

 何故こんな場所にいるのかとヤタと同じ疑問を抱いたが、今は一旦考えないことにした。

 ついでに置き去りにしたアコヤのことも頼む。怒られるのが目に見えているのでジロは渋い顔をしたが、了承して駆けていった。

 捜索は機動力のあるジロに任せ、ヤタはダーツの矢をポケットに仕舞い、入れ替わりに連絡用の携帯端末を取り出した。その手を軽く引っ張られる。いつものように、ルクスが手を繋ぎたそうにしていた。

 ヤタは端末を一旦ポケットに戻した。


「二度と、あんなことしないでくれ」


 ルクスの手を強く握る。

 手を握り返すルクスからの返事の合図はなかった。

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