5 調査開始
翌日、ヤタは孤児院で朝食を摂った後一度住処に戻り、昼過ぎに迎えに来たジロと再集合した。
「珍しく、ルクスは置いてきたんだな」
ジロが孤児院を経由すると必ずと言っていい程の確率でルクスを一緒に連れて来ていたものだが、今回は珍しくその姿がない。
「仕事ですからね、毎度毎度連れ回すワケには。お昼寝してたんでこっそり出てきました」
同行を強請られれば振り切れる自信はなかったようだ。
今日は一日歩き回ることになりそうなので片手が空いて歩きやすくなるのは助かる。ルクスと手を繋いで歩くのは大抵ヤタの役割だが、お互いの足やら杖やらが絡まって転ぶのではないかといつも冷や冷やしている。
「それで、まずは何から調べればいいの?」
「とりあえず、あのランちゃんって子に変わった様子がなかったか病院の方で聞き込みしてみようかと」
「そういうのは警察がもうやってるんじゃないの?」
病院は事件があった現場だ。流石にそこでの聞き込みを怠るほど警察は怠慢ではあるまい。
「そうでしょうけど、警察じゃ訊き出せない話なんてのもありますからね。どうでもいいような話の中にも重要な情報が混ざってたりしますから、聞ける話は何でも聞いときませんと」
確かに、警察相手では萎縮してしまって世間話などする余裕はないだろう。対してジロのような人当たりの良いお喋りが相手だと、言わなくてもよいことまでベラベラと喋ってしまいそうである。
「でもさ、マツバさんはあの子は起き上がれるようになったばかりだったって言ってなかった? 重病で病室から出られないような状態だったならあの子のことを知っている人は少数だろうし、限られた人間から得られる情報で新しい発見なんてあるかな?」
「おっ、あにさんナイス記憶力です。そうなんすよ、あの兄さんが言っていた通りランちゃんはしばらく意識不明の重体で、動けるようになってからまだ一日・二日くらいしか経ってなかったらしいんです」
自殺なのだとすれば、一命を取り留め動けるようになった途端に自ら命を絶ったことになる。その僅かな期間に彼女を自殺に追い込む程の激的な出来事があったとは考えにくい。だとすれば以前から自殺を考えていたのか――想像は膨らむが、今自分達に必要なのは推理ではなく情報だ。情報が揃わない状態での推理はただの憶測に過ぎない、ヤタは一旦思考を中断させた。
「やっぱあにさん情報屋の素質ありますね。会話の中の些細な情報も聞き逃さない!」
「煽てたって何も出ないよ。キミだって憶えてたじゃないか」
一連の会話を記憶していたことは口振りから判る。会話の一部を憶えていたくらい、そう大したことではないように思える。
「そういやキミが手帳やメモを持っているところを見たことがないんだけど、得た情報はどこで管理してるんだ?」
「どこって、ここっすよ」
そう言ってジロは自分のこめかみを指先で突いた。
「全部記憶してるのか?」
「取捨選択はしていますから一言一句間違いなくってワケにはいきませんけど、役に立ちそうなことは大概。誰でも簡単に見られるような物に記録して、盗まれでもしたら商売になりませんからね」
ジロは本拠地を構えず常に各地を転々としている。膨大な量の情報も脳に詰め込んでおけば簡単に持ち運ぶことが可能であるし、知らぬ間に盗まれる心配もない。なんでもないことのように言ったが、常人が簡単に真似出来る芸当ではない。
「ただのちゃらんぽらんじゃなかったんだな」
「見直しました? あ、コレ企業秘密ですよ。盗める場所にあると思われてた方が安全なんで」
その理由をヤタは身を持って理解している。もし情報が自身の頭の中にしかないと知られれば、それを強引に手に入れようという輩が現れた時、危険に晒されるのは我が身となる。
今はもう自由に動かすことが叶わない右足の付け根が鈍く疼いた。
「オレの仕事が信頼第一なのは自分の安全を買うためってのが大きいんですよ。こっちも買い手さえいりゃお得意さんの情報だって売りますから、お互いリスクはあります。けどそこを割り切って金の分の仕事はきっちりやる、代わりに依頼人にはこっちの安全を保障してもらう。『信頼』なんて言葉は安っぽいですけど、要は金っすよ。金の繋がり」
「なるほど、俺とは金の繋がりがなかったから信頼関係がなかったってワケか」
「うぐ」
得意気に語っていたジロが途端に喉を詰まらせたような声を出した。
「……判ってますって。次オレが何かやらかしたら、世界中の不幸が全部オレの所為になるんでしょう? リーチ掛かってるんですからもうあにさんを裏切るようなこと出来ませんって」
「うん、判ってるということを判ってるよ」
「試すようなこと言わんでくださいよ……」
仕事を始めるのはまだこれからだというのにジロは一気に疲れた顔になった。
「ところでさ、今更疑問なんだけど、キミの仕事に俺って必要?」
ヤタの問いに、ジロは意外そうに目を瞬かせた。
「何を今更。いくらオレの記憶力が凄くても限界がありますからね、もう一つ脳みそが欲しいと思ったから誘ったんすよ。」
一人ならばもっと早く歩くことも出来るだろうに、ジロは当然のことのようにヤタの歩調に合わせている。
ジロは素質があると言うが、ヤタは情報屋としては素人だ。以前は情報通を気取っていたがそれは死体処理業をしていた頃の人脈があって成せていたことだ。今はもうその人脈はなく、自由に動き回れる脚もない。
「俺は、キミみたいに全部憶えておくなんて芸当は出来ないよ?」
「オレと全く同じことをする必要なんてないでしょう。あにさんなら憶えていなくても上手くやるんじゃないすか?」
ジロの言う通り、能力を使いこなせば記憶力に頼って情報を管理する必要はないのだが、ヤタはそのことを直接話した覚えがない。
「なんのことだか」
なにせ相手はプロの情報屋だ、知られていたとしてもそう不思議ではない。しかしジロは知らぬ体を通しているのでヤタも白を切り通している。お互い直接訊ねようとしないのは腹の探り合い――というよりは意地の張り合いに近い。
依頼人ではない以上『信頼』なるものは得られていないのだ。そんな相手にわざわざ手の内を明かす必要はないだろうと考える。
ヤタはジロに信頼されていない。
精々、軽口交じりに企業秘密を打ち明けられる程度の関係でしかないが、今のところその待遇に関しては異議を申し立てる程の不満はなかった。
件の病院に到着し、まずはランの主治医だった人物に話を訊きに向かった。情報屋二人のことは捜査協力をしている探偵としてカトが事前に話を通していたようで、すんなりと話を訊くことが出来た。
「ええ、ランさんと最後に話をしたのはおそらく私だと思います」
すんなりとはいったが、快くとまではいかなかったのは仕方のないことだ。職業柄患者の死には慣れているはずだが、院内での患者の自殺となると訳が違う。医師は憔悴している様子だ。
「その時、どんな話をしたんすか?」
「調子を訊ねて、ランさんに施した治療について説明をしました。ご家族には既に説明していた内容と同じものです……それ以外は、特に」
会話を思い出し得る限り再現してもらったが、変に思える部分はなかった。医学の専門的な知識がない二人には治療の内容におかしな部分があったとしても気付きようがないが、それはランにも同じことが言える。医師との会話の中に自殺の引き金になった原因があったとは考えられない。
「意識を取り戻してから、ランさんは私に『ありがとう』と言ってくれたんです。あの子には確かに生きようとする意思があった……それなのに……」
それ以上この医師からは有益な情報を得られそうにはなかったので、二人は礼を言って退室した。
それから病院の関係者に聞き込みして回ったが、やはり動機に繋がりそうな情報は得られなかった。
「最後の診察に立ち会った看護師さんの話も聞けましたけど、判ったのはお医者の先生の話との矛盾はないってことくらいっすかね」
「口裏合わせてなきゃだけどね」
「もちろんその可能性は考えとかないとですけどね。あにさんは何か気付いたことありました?」
「んー……一回考えを纏めたいかな。というか、そろそろちょっと休みたい」
「あー、そうっすね。んじゃその辺座っててください。オレ、売店でなんか買ってきますんで」
買い物をジロに頼んで、ヤタは待合室の椅子に爺むさい掛け声と共に腰掛けた。幸い診察を待つ患者は少ないようなので椅子を一つ占領しても迷惑にはならないだろう。
(さて……)
一度深呼吸をして、目を瞑る。自分にだけ聴こえる声で件の少女の名を呟くと、死の直前の記録に焦点を絞った。
ノックの音。医師と看護師が病室に入る。それに合わせてベッドから半身を起こした。
医師は身体の具合を訊ね、異常がないことを確認してから手術の内容の説明を始める。麻酔、輸血、縫合……時折意味の判らない専門用語も登場したが、極力判りやすく、理解しやすいであろう言葉を選んでの丁寧な説明。
用事を終えた医師らが退出し、再び一人きりになる。
しばらく何もせずベッドの上に座っていたが、やがて落ち着きなく身体を揺すり始めた。身体を折り曲げ、自分自身を抱き締める。それでも落ち着かず、二の腕を強く握り締める。立てた爪が皮膚を削り取る。
次第に呼吸が乱れてゆき、身体のあちこちをガリガリと掻き毟る。
どうにか自分を落ち着かせようと小さく蹲るが、効果はない。
チェストの上のペンケースが目に留まる。
急いで掴み取り、中からカッターナイフを取り出す。勢い余ってペンが数本床に転がり落ちたが気に留めることはなく、カッターの刃で自らの首を切りつけた。
二度、三度、刃を動かすが、爪で引っ掻いたのと大差のない傷が増えるばかりだ。依然呼吸は乱れたまま、一瞬だけでも乱れを整えようと大きく息を吸った。
「おねがい……」
力を込めて、首筋に刃を強く押し当てる。
「おねがいだから……出て行って――――!」
鮮血が、シーツを赤く染めた。




