4 快気祝い
「本当に連れて行く気なの?」
「仕方ないじゃないっすか。神父さんが連れて来いって言ったんですから」
病院からの帰路、ルクスの手を引くヤタと紙袋を手に提げたジロの後ろを、アコヤも付いて歩いていた。
てっきり病院を出た所で見送るものとヤタは思い込んでいたが、ジロは最初からファラリスの言いつけで教会に招くつもりでいたらしい。
「何を考えてるんだ、あの人は……」
元はアコヤの迎えもファラリス自身が行う予定であったと言うのだから、肝が据わっているのか、馬鹿にお人よしなだけなのか。
アコヤの怪我の処置をして病院に送り届けたのはファラリスだが、そうなる原因を作ったのもまた彼自身だ。その原因が事故であったならばまだ美談にもなるが、それは紛れもなく故意による行動だった。
尋問の手段として行われた拷問。しかしそれは幸福を得る為の試練――アコヤの幸せを願っての行為だった。
(理解が出来ない)
ヤタは裏のある人間とは付き合い慣れているが、ファラリスには裏も表もない。常に傍に居る人間の幸福を願い、その実現のために尽力する。悪事に手を染めることはあってもそこに悪意はない。
無償の愛、しかしその愛は悪意よりもある意味ずっと恐ろしい。だからヤタはファラリスが苦手だった。
ちらりと後ろを歩くアコヤの様子を見る。
「何よ」
「いや、なんでも」
睨まれて、慌てて視線を前に戻す。相変わらず不機嫌そうではあるが、後ろから突然刺してくるような気配はない。
手は出さないと約束したが、その約束にファラリスの存在は含まれていない。二人を引き合わせて何も起こらない保証はなかった。
「もしもの時は、ちと体張りますよ」
ジロが小声でそう言ってスタンガンを隠している腰の辺りを軽く叩いた。ファラリスの言いつけに従ってはいるが、ヤタと同じく完全に信用しているつもりもないようだ。
結局何事もなく、順調に教会の前まで辿り着いてしまった。
教会には入らず、迂回して併設された孤児院の方へと向かう。向かう先で入口の扉が開き、黒い司祭服姿の男が外に出てきた。少し慌てた様子だったが、向かってくる姿に気が付くなり安堵した表情になった。
「おかえりなさい、遅いので何かあったのではないかと思いました。ヤタさんも一緒にお迎えに行って下さっていたのですね」
どうやらジロとルクスの帰りが遅いのを心配して様子を見に出てきたところだったらしい。慌てる姿を見られたのが少し恥ずかしかったのか、ファラリスははにかんだ微笑みを一同に向けた。
ルクスがヤタの手を離しファラリスの方へと駆け寄った。服にしがみ付き、鼻面を押し付ける挨拶をする。
「ルクスさんも、ジロさんのお手伝いありがとうございました。外は寒かったでしょう」
コツン。ルクスは杖の先で地面を弾いた。これはファラリスの問い掛けに対する返事だ。弾いた音が一回ならば〈YES〉、二回ならば〈NO〉の合図。その二つに該当しない返事の場合は杖の先で地面を擦るような動作をする。
ファラリスが冷えた頬を手で軽く挟み込んで温めてやっていると、開いたままの扉から小さな女の子がひょいと顔を出してきた。
「神父さま、ルクスちゃん帰ってきたの?」
最初に顔を出した女の子の声に反応したのか、他の子供達も次々と顔を出す。
「ルクスやっと帰ってきたー!」
「おかえりー」
「あ、ヤタさんだ! こんにちわー!」
一人がヤタに挨拶をすると、他の全員も「こんにちわー」と挨拶を繰り返した。軽く手を挙げて、礼儀正しい子供達に挨拶を返す。
「ルクスが帰ってくるの待ってたんだよ。またダーツの勝負しよう!」
「みんなで新技あみだしたの、すごいんだから!」
早く早くと急かしながら子供達はルクスの手を引っ張って行った。孤児院に預けた当初は子供達が目と耳の不自由なルクスを敬遠しないか不安に思っていたが杞憂だったようだ。
ダーツの新技なるものが気になるのでヤタもルクスに付いて行きたかった――要は現実から逃避したかったのだが、諦めておつかいを完遂することにした。
振り返るとアコヤは少し離れた箇所に留まっていた。目でこちらに来いと示すと、素直に近付いてきた。
「退院おめでとうございます」
アコヤになんと声を掛けるつもりなのかと警戒していたが、ヤタ達が慎重に歩いてきた地雷原に裸足でひょいと飛び込むようなことをファラリスは言った。
「すみません、本当なら私がお迎えに行くべきだったのですが、急な会合が入ってしまいまして……」
「別に」
申し訳なさそうに言うファラリスに対し、アコヤは素っ気なく答える。今のところ不審な動きはないが、態度には何か違和感があった。
もしもの時に備えてジロはさりげなくアコヤの背後に回る。ファラリスはその様子には気が付いていない。
「そうだ、お洋服のサイズは大丈夫でしたか?」
「胸が苦しいわ」
「それはすみません……少し大きめの物を選んだつもりだったのですが、年頃の女性の服のことはよく判らなくて」
「…………」
拷問の報復のために突然暴れ出すのではないかと警戒していたが、逆に妙に大人しい。アコヤは斜め下の方を見てファラリスと視線を合わせようとはしない。
(もしかして怯えてる……? いや、違う……?)
植えつけられた恐怖が大きさに身が竦んで動けないでいるのかと思ったが、それにしては様子がおかしい。
視線を逸らしているようで実はちらちらとファラリスの顔を盗み見ている。その瞳は潤み、頬は薔薇色に火照り――――
ヤタとジロは同じ考えに至ったのか、二人同時にその場で回れ右をして身を屈めた。
「ちょっ……どういうことなんすかあにさんっ」
「俺に訊かないでよっ。ファラリスさんに尋問された人って皆あんな感じになるのか?」
「あ、いや、そんな頻繁に尋問お願いしてるワケじゃないですし、毎回人格変わっちゃうような訊き方してるワケじゃない……デスヨ?」
尋問の実態について知らぬ存ぜぬの体を装っているジロはしどろもどろになりながら曖昧に否定した。
「元々ヒドイことされるのが好きなタイプだったーとか、ヒドイことされた後に急に優しくされてコロッといっちゃったーとか……?」
「飴と鞭ってこと? サーカスの調教じゃないんだから」
そうは言ったものの、他に現状を言い表す言葉を思い付かない。
「あなた達何やってるのよ。気持ち悪いわね」
ちらりと様子を伺うと、不審な男二人をじとりと見つめるアコヤと目が合った。慌てて姿勢を正す。
「あのさ、その服って」
「ファラリスが用意したのよ。わたしの趣味じゃないわ」
「似合う物をと思ったのですが、やはり女性の服選びは難しいですね」
趣味ではないと言われファラリスは苦笑いする。確かに以前見たアコヤの服装と比べると地味で清楚な印象なのが気になっていたが、問題があるのはそこではない。
「神父さん、自分で服届けに行ったんですか?」
「ええ、時間を作ってなるべくお見舞いに行くようにしていましたので、その時に」
つまり心配を余所に、二人は既に何度も顔を合わせていたということになる。
「おいこら情報屋」
「いや、無茶言わんでくださいよ。オレしばらくここ離れてたんですから。てゆーかあにさんだって情報屋ですからね?」
そういえば養父のその後を病院にいたアコヤがどうやって知ったのか、疑問に思うのを忘れていた。事情を知るファラリスから話を聞いたと考えれば話は繋がる。
下調べ不足という情報屋にあるまじき初歩的なミス。そこに気付いてさえいれば無駄に身構える必要もなかっただろう。
「それで、わたしはなんで呼ばれたの? くだらない用なら帰るわよ」
「快気祝いに一緒にお食事でもいかがかと思いまして。子供達もいるので騒がしいのがお嫌でなければ、ですが」
「別にいいけど」
子供好きとも思えないが、悩む素振りはない。
「よかった。夕食にはまだ時間がありますから、とりあえず温かいお茶でも。ひとまず中に入ってください」
中に招き入れようとするファラリスに従うが、扉を潜る前にアコヤは足を止めた。
「ねぇ」
「はい?」
相変わらず視線を合わせようとしないアコヤに、ファラリスは律儀に小首を傾げてみせる。しばらく待って、ようやく再び口を開く。
「服、趣味じゃないけど嫌いじゃないから」
ファラリス破顔したのを最後に、二人はヤタとジロの視界から姿を消した。
「大丈夫なんすかね?」
「大丈夫なんじゃない? やるつもりならとっくにやってるさ」
「でも、ナイフは取り上げちゃってましたし」
「ペン一本でも人は殺せるよ」
その技術と度胸をアコヤは持ち合わせている。初対面で問答無用に襲い掛かられた経験のあるヤタには、アコヤが何かを企んで機会を伺うような慎重な行動を取るとは思えなかった。
「じゃ、俺は帰るから」
踵を返したところで腰のベルトを素早く掴まれた。
「何言ってんすか、あにさんも一緒にメシ食いましょうよ」
「いや、ただでさえ人数多いんだから迷惑だろ?」
「いやいや、あの神父さんがそんなことで迷惑だと思うワケないじゃないですか。あにさんがいればお嬢も喜びますし」
「ルクスの名前を出せば俺が何でも言うこと聞くと思って――って、おい、こら、引っ張るな!」
前に歩き出そうとすると倍の力で後ろに引き戻される。
「逃がしませんぜ」
抵抗虚しく、いつになく真剣な顔をしたジロに孤児院に引きずり込まれた。
その後ヤタは賑やかな食事の時間を過ごし、遅くなったからと言いくるめられてアコヤと共に孤児院に一泊。事件性のある出来事は何も起こらず朝を迎えた。
事件性はなかったのだが、ファラリスと視線を合わせようとしないまま食事の準備と片付けを率先して手伝う義妹の姿を見る羽目になった。
「何を見せられたんだ、俺は」
ひたすら理解が追いつかず寝室で頭を抱えるヤタの肩を、もう一人の義妹は慰めるように一度だけ叩いた。当然のように同じ部屋で眠る準備をしている。
別々のベッドで眠りについたはずのルクスが朝には同じベッドに寝ていたが、これについても事件性のある出来事は何も起こらなかったことを繰り返しておく。
 




