3 依頼
嫌な予感に限って、悉く当たるものだ。
廊下の先のドアの横に警備員が立っている。異様な雰囲気なのは遠くからでも見て取れた。
ヤタは歩調を速め、先頭を行くジロに首の後ろに顔を寄せた。
「関わるのはまずいんじゃなかったのか?」
「もちろんまずいっすよ。オレだって行きたくないですって」
そう言いながら振り返ることもなく進み続け、警備員に軽く会釈をして病室に入ってしまった。ヤタもルクスの手を引いて後に続く。
部屋の中にいたのは予感の通り、数名の警察関係者であった。
今まで故意に接触を避けてきた人種だ。一斉に視線を向けられ、ヤタは思わず尻込みした。
「よぉ、待ってたぜ」
痩身で猫背の中年が軽く手を挙げる。
「うす、お待たせしました。こちらがさっき話してたあにさんです」
「ヤタです」
ヤタのことは相棒としてある程度事前に伝えられていたようだが、雑な紹介に一応訂正を入れた。
「ああ、カトだ。ジロ、そのニイちゃんはいいんだがそっちの嬢ちゃんは――……」
カトと名乗った刑事はルクスを見て咎めるような口調になった。咎められるまでもなく、幼い少女を連れ込むに相応しい場所ではないことは一目で判る。
鑑識の人間がベッドの上に横たわる遺体の周りを取り囲んでいる。ルクスよりも少しばかり年上に見受けられる少女の遺体。真っ白なシーツに染み渡った鮮やかな赤色が、少女がまだ死後間もないことを物語っている。
「……――まぁ、いいか」
(いいのか)
カトはルクスの手元の白杖に気付いて、見えなければ構わないだろうと判断した。確かに凄惨な光景を目の当たりにする心配はないが、血のにおいや周囲の話し声で現状は理解していることだろう。しかしだからと言って取り乱して邪魔になるようなことはしないので、妹であることだけを伝えると傍に置くことは黙認された。
「ニイちゃんはこういうの大丈夫かい?」
「ええ、まぁ」
警察の前で『死体処理をしていたので見慣れています』と答える訳にもいかず、曖昧に言って誤魔化した。
「で、本題なんだが。そちらのご遺体についてだな」
依頼の内容はジロから聞いていた通り、ベッドに横たわる少女の身辺調査だった。
少女の死因は頚動脈を切られたのが原因の失血死。凶器はベッドの傍に落ちていた血の付いたカッターナイフでほぼ間違いはない。首には頚動脈に達した傷の他にもいくつか真新しい傷があり、致命傷に至るまで何度も切りつけたものと思われる。
「ためらい傷みたいっすね」
「だろうなぁ。カッターの指紋は詳しく調べてみんと判らんが、自殺の線が濃厚だ」
ヤタは遺体の周囲を見渡す。チェストの上とその周囲の床にペンケースと筆記用具が散らばっているが、それ以外に荒らされたり誰かと揉み合ったりしたような形跡はない。ペンケースは被害者の少女の私物で元からこの場所にあったことは間違いないらしい。
何かのきっかけで衝動的に自殺に踏み切り、ペンケースの中からカッターナイフを取り出し自ら首を掻き切った――と、素人推理ではそのような状況に見えた。警察の見解も似たようなものなのだろう。そうなると、重要なのはその『きっかけ』が何であるかだ。
「そこであんたらの出番ってわけだ」
つまり依頼の内容は彼女の自殺の動機の調査だ。
「これって情報屋の仕事なの?」
情報屋というよりは探偵の仕事に思える。それもフィクションの中の探偵の仕事だ。実際の探偵の仕事は素行調査などの地味な仕事がほとんどで現在進行形の刑事事件に駆り出されるなんて話は小説や演劇だけの話だ。
「探偵と情報屋の違いなんて、善良であるかどうかの違いだろ?」
ジロに尋ねた質問の答えがカトの口から返ってきてヤタはぎょっとした。口振りからして、この男は二人が『善良』ではないことを既に把握している。
「いやね、あにさん。オレだって不本意なんすよ、こーゆー依頼は。でもですね……」
「色々と目溢ししてやってるんだ。たまには善良な人間の手伝いもさせてやらんとな」
「……そういうことっす」
管轄内での非合法な活動を見逃して貰う代わりにこき使われているようだ。ジロが行きたがらなかった理由に納得する。相棒である以上ヤタも他人事では済まないが、使われることに異存はなかった。警察は苦手だが善良を自称するような人間は比較的付き合いやすい。コネクションは有効に使わせてもらうのが賢い身の振り方というものだ。
「安心しな。情報料は出してやっからよ」
「割安っすけどね」
ジロによる悲しい補足。足元を見られているようだが払ってもらえるだけ有り難いと思うしかない。しかし警察が外部に調査を依頼した場合、依頼料は経費で落ちるのであろうか。カトがポケットマネーから出すとも思えないので、警察の信用のためにも金の出所は明らかにしない方が無難だろう。
「そう身構えんなや、ニイちゃん。一応こっちでも調べられることは調べるし、自殺であることは揺らがんだろうから調べるのは動機くらいなもんさ」
ヤタがまだ情報屋としての経験が浅いことも伝わっているらしい。ジロはカトの方から声を掛けてきたような言い方をしていたが、もしかするとジロがカトに簡単な仕事を割り振って貰えるよう頼んだのかもしれない。
(変な所で気ぃ遣うなってのに)
調査対象の少女はまだ学生で、生前の行動範囲は限られている。移動の自由が利かないヤタの負担にならない狭い範囲での調査になりそうだが、もとより情報を地道に足で稼ごうという気はなかった。
(自分の能力とも上手く付き合っていかないとな)
『名前』からその名を持つ者の人生を知る能力。
疎ましく思い一度は手放したこともあった力だが、ジロの誘いを受けて情報屋になると決めたのと同時に自信の能力とも向き合い直す決意をした。
上手く使いこなすことが出来れば歩き回って情報を集める必要はなくなる。安楽椅子探偵ならぬ、安楽椅子情報屋といったところか。
しかし現在はブランクからか自分の意思通りにコントロールするのが難しくなっている。まだ調整が必要な段階なので簡単に終わる仕事ならばそれに越したことはない。今回は素直に厚意として受け入れて、肩慣らしとさせて貰うことにした。
「けど、本当に自殺なんですか? 何か不審な点があると聞きましたけど……」
ジロに連れ出された際にそう聞かされたことを思い出した。カトは面倒臭そうに溜息を吐く。
「こっちはただの自殺で済ませたいところなんだがな――――」
「ランは自殺するような子じゃない!!」
聞いた事のない男の声に遮られ、声のした出入り口の方向に目を向けた。若い男が部屋に入ろうとして警備員に押し戻されている。
「あの人は?」
「被害者のお兄さんのマツバさんだ」
警備員がしきりに元いた部屋に戻るように訴えているので、現場に居合わせたか事情聴取の為に呼ばれたかして別室で待機していたのだろう。身内の死に居ても立ってもいられず、現場に飛び込んできたようだ。
カトは小声で「この調子なんでな」と言って青年を顎で指してから、押し問答をしている警備員に助け舟を出しに行った。
「貴方達は自殺で済ませようとしているのでしょう?! そんなはずはないんだ、やっと起き上がれるようになったばかりなのに、自殺する理由なんてあるはずがない!」
「まぁまぁ、落ち着いて。後でゆっくり話は聴かせてもらいますんで、もう少し待っていてくださいよ」
自殺の可能性を強く否定する遺族の姿を目の当たりにして、カトが言わんとするところに合点がいった。自殺の動機が存在しないのであれば他殺の可能性は完全には否定出来ない。形だけでも捜査しない訳にはいかないだろう。
相当に取り乱していたらしく、同じような内容の発言を三回ほど繰り返したところでマツバはようやく明らかに部外者である三人の存在に気が付いた。
「その人達は……?」
そう言いながら視線はルクスに注がれていたのは致し方のないことだろう。この中でも特に異質な存在だ。
当のルクスは我感ぜずと、光を映さない瞳でベッドのある方角を見つめていた。邪魔にはなっていないが、遺体を取り囲み忙しそうにしている鑑識員達は居心地が悪そうである。
「あー、まぁ何と言うか、探偵みたいなもんっす」
ジロが代表して返事をしたが、場がややこしくなるだけなので実際の身分は言わず曖昧に誤魔化した。
「探偵……? 貴方達も捜査してくださるのですか?」
幸いフィクションの探偵と現実の探偵の区別が付いていないタイプの人間だったようで、あまり追究されることなく存在を受け入れられた。
「お願いです、探偵さん! ランは自殺をするような子じゃないんです。ちゃんと調べて、自殺ではないと証明してください!」
身を乗り出して、またしても警備員に押さえられる。その勢いにジロは少したじろいだ。
「いや、でも警察もちゃんと捜査してますし、オレらはただの手伝いで……」
「警察の捜査は信用なりません」
その言葉には警察に対する明らかな敵意が含まれていた。
「手厳しいね」
そう唸って、カトは顔を背けた。マツバには見えないようにべっ、と舌を出していたので、堪えている様子ではない。信用されていないという自覚は充分にあるのだろう。
「必要なら、僕から正式に調査を依頼して費用もお支払いします。だから、どうか嘘偽りのない真実を明らかにしてください!」
「わ、判りました、判りましたから……! とりあえずコッチも警察の捜査が一通り終わらないことには動けないんで、また詳しい話は今度にしましょう?」
ジロは完全にマツバの勢いに負けてしまった。あたふたと連絡先を交換し、ようやくマツバは引き下がっていった。
「すんません、あにさん。そういうことになりました……」
ぐったりとした様子でつるりとした頭を下げるジロ。
「まぁいいんじゃない? やることは変わらないだろ?」
カトの言葉を借りれば善良であるかどうかの違いだけだ。堅気の人間に善良な人だと勘違いされている点については多少後ろめたさを感じるが。
「刑事さんも、なんかすんません」
ジロが謝ることではないと思うが、結果的に警察を裏切ってマツバの味方をしているような形になってしまったことを申し訳なく感じているようだ。
カトは思案顔で自身の腰に手をやる。
「あちらさんか情報料払うってんなら、こっちからは払う必要ねぇな」
気にするどころかちゃっかりしていた。ヤタはそんなのだから市民から信用されないんだと口から出掛かるのを耐えたが、言ったところであっけらかんとしている姿しか目に浮かばない。
「今日のところはこれ以上判ることもないだろうから、あんたらももう帰っていいぞ。何か判ったら連絡寄越す」
そう言ってカトはマツバに事情を聴きに行くのか病室を出て行った。実質警察からの依頼はキャンセルとなったが、何か判ったら情報を寄越せと暗に言っていることは伝わった。
「ルクス、行くよ」
話が終わるのを大人しく待っていたルクスに声を掛ける。現場に入ってからずっとベッドの方を向いて佇んでいたが、いつの間にか出入り口の方に身体の向きを変えていた。
――――何かを視ている?
ヤタはルクスの瞳が暗闇しか映さないことを知っている。しかし、彼女の視線の先に暗闇以外の何かがあるように思えてならない。
ルクスは嗅覚と触覚で五感の不足を補っているがそれは他人から聞かされた推測でしかなく、本人の口から語られた事実ではない。
五感以外の『何か』で知覚しているのであれば、それが何であるかはルクス自身にしか判り得ない。
第六感――ヤタが持つものに似た何某かの特殊な『能力』。
「あにさん?」
ジロの声と、手に感じた熱で我に返る。視線の先にルクスの姿はなく、すぐ隣でいつものように手を繋いでいた。
一瞬だがルクスの視線の先にあるかもしれないものを探して姿を見失っていた。二・三度瞬きして、そこに白い壁とスライド式のドアしかないことを確認する。
「なんでもないよ」
思いがけず仕事の依頼を得た情報屋の二人と一人は病院を出て、そしてすぐ病院に引き返した。
「遅い!」
独り迎えを待ち続けていたアコヤにこっぴどく叱られたが、マツバの乱入で予想より時間が掛かってしまったことを説明してなんとか納得してもらえた。
実は当初の目的をすっかり忘れて一度病院の外に出てしまったとは口が裂けても言えず、ヤタとジロはその事実をそっと胸に仕舞い込んだ。




