12 明るい未来?
駅へと向かうと、その入口の前に待ち合わせの相手の姿を見付けた。
ジロは少女の手を引いて近付いて来るヤタの姿に気付き、少し驚いたような顔をした。
「あにさん、無事でしたか……っ」
ヤタはジロの声を聴いてようやく日常に戻ってきたような気分になり、軽く息を吐いた。
「ジロ……――っ!」
その名前の口にした瞬間、脳を焼かれるような感覚を覚えてヤタは目を鋭く細めた。
少女の手を引き、早足でジロの許へ向かう。
「ジロ、てめぇ!」
ヤタは怒りを露にして、ジロの喉元に杖を突き付けた。
「ど……どうしたんすか、あにさん……」
「俺を売ったな」
駅構内に入ろうとしていた通行人が何事かと足を止め、すぐに通り過ぎて行った。
ヤタの剣幕に冷や汗を流しつつ、ジロは笑顔を取り繕った。
「何言ってんすか、オレがあにさんを売るワケ―――」
「ならどうして俺に『無事か』と訊いた?」
迷子になっていた少女を心配するのならばまだ解るが、それを捜しに行ったヤタの安否を尋ねるのはどこか不自然だった。まるで、捜しに行った先で何かが起こることを予測していたような反応だ。
「変だとは思ったんだ。養父がすぐにこの子の居場所を突き止めたことも、俺が一緒にいることを知っていたような反応をしたことも……俺を誤魔化せると思うなよ、ジロ」
ジロはしばらく何も言わなかった。
しばらくの間沈黙して、それから一言「敵わねぇや」と呟いた。
「はい、売りましたよ。お嬢の居場所と、あにさんの情報」
取り繕うことなく、さらりと肯定した。
「相手がどんなヤツか知っていて、この子を帰すための手引きしたのか」
「オレは求められた情報を売っただけで、それ以上の手伝いはしていません。これは本当です。取引相手が情報をどう使うか、どんな行動に出るか、そこまでは関与していません」
「だけど、どうなるか予想はできていただろう! その結果、この子がどんな想いをすることになるのかも!」
ヤタは杖を押し付けて詰め寄る。ジロは、片手で杖を掴んでそれを押し返した。
「あにさん。オレはあにさんを慕ってますよ? ……だけど、オレが今回信頼に応えるべきはあにさんじゃなくて、依頼人の方だったんです。それがオレの仕事なんです。解るでしょう、あにさん?」
「ああ、解るさ! 俺だってそうするし、そうしてきた!」
ジロの言い分は充分に理解出来る。信頼がなければその仕事が成り立たないことも、信頼を寄せる相手を己の利益を基準に決めることも。
理解出来るからこそ、腹立たしかった。
しばらく睨み合いを続けていたが、やがてヤタは杖を突き付ける力を弱めた。
「一回だ」
そう言って、ヤタは杖で地面を突いた。言葉の意味合いが解らず、ジロは険しい顔のまま首を傾げた。
「一回だけ見逃してやる。俺も一度だけそうやって命を拾ったからね。だけど、今回限りだ。もう一度同じようなことがあれば、その時は―――」
「オレを殺しますか?」
ジロはその後に続くであろう言葉を予想した。動揺した様子はない、既に覚悟を決めているような眼だった。
殺される覚悟ではなく、何が何でも生き延びてやろうという覚悟。
そんなところまでが自分に似ていて、それが余計に腹立たしい。ヤタはその眼を見て、軽く息を吐いた。
「そんなこと、俺の身体でできると思う? やだよ、そんなしんどそうなこと。返り討ちに遭うのがオチだって」
「……じゃあ、どうするんすか?」
ジロはまだ警戒を解いていない。ズボンの腰に挟んだスタンガンに手を伸ばそうとしているのを感じながら、ヤタは言った。
「恨む」
「へ?」
実力行使ではなく曖昧な精神攻撃を宣言されて、ジロは面食らった。
「何か俺に不幸が降り掛かったら、それを全部キミの所為にして恨んでやる」
「え……全部って、どこまで……?」
「大きな事から小さな事まで、全部」
「例えば事故で怪我したり?」
「キミの所為だ」
「道端で犬のウンコ踏んだりとか?」
「キミの所為だな」
「明日世界が滅びたら……?」
「当然キミの所為だね」
何が起きようと全てジロの責任である。あまりの規模の大きさに、ジロは眉根を寄せて困った顔になった。
「オレそこまで責任取れないっすよ」
「だったら、そうならないようにどうしたらいいか、自分で考えろ」
考えろと言われてジロは視線を彷徨わせ、それから困った顔のまま笑った。
「やっぱ、敵わねぇや」
少し嬉しそうな態度に、ヤタは水を差す。
「言っとくけど、俺がどう思うかと、この子がどう思うかは別問題だからね」
ヤタの傍らに寄り添う少女を見下ろす。表情からは感情を伺うことが出来ないが、彼女もジロに売られたようなものだ。ヤタが許したからといって、彼女もそれで納得したとは限らない。ジロは苦い顔になった。
「お嬢も、本当にすんませんでした……」
ジロが謝罪の言葉を口にすると、少女は繋いでいたヤタの手を離し、身体を押してジロから距離を取らせた。
白い杖を両手で握り締める、そして、
「いっだ!!」
杖を振りかぶり勢いよくジロの脛を打った。
この行動にはさすがにヤタも驚き、顔を引き攣らせた。
「な、ナイススイング……」
「す……脛はヤバイっす、脛は……」
脚を抱えて蹲るジロ。その横を、程よく無関心な通行人が不思議そうな顔をして通り過ぎて行った。
「これでチャラにするってさ」
「もうお嬢には逆らえる気がしねぇです……」
少女は満足げに一回だけ杖で地面を小突き、再びヤタの手を握って定位置に戻った。
*
ヤタがホテルで一人暮らしを始めてから数日が経った。
狭い部屋にかろうじてベッドとバスルームだけがあるような安ホテルである。長く住み続けるにはいささか不便であるが、そう長居をする気はないのでひとまずはそれで充分であった。現に、今日中にでも新しい住処を決定する予定である。
ベッドの上で着替えをしていると、ノックの音と名前を呼ぶ声が聴こえた。
「はいはーい。ちょっと待ってー」
人前に出られる程度に着衣を整えて、杖を手にドアへと向かった。ヤタが鍵に手を伸ばす前に、カチリと音がしてドアノブが回った。
「おはようございます、あにさん!」
「ジロてめぇ、勝手に開けてんじゃねーよ」
「いや、なかなか開けてくれないんで女の人でも連れ込んでるのかと、つい」
新居はセキュリティの高さを第一条件にしようと、ヘアピンをポケットにしまい込むジロを見てヤタは決意した。
「つーか、わざわざホテルに住まなくても神父さんの所にいりゃあ良かったじゃないですか。その方が、お嬢も喜びますし」
「面倒見てもらう子供を一人増やしてしまったんだ。俺までいつまでも世話になる訳にはいかないよ」
先日の事件の後、養父の許を離れ行き場所を失った少女はファラリスの孤児院で面倒を見てもらうことになった。それと同時に、ヤタはそれまで世話になっていた孤児院の許を離れたのだった。
「そういうの気にしないと思いますけど?」
「……実を言うと、ちょっとあの人苦手なんだよ」
「そうなんすか? すごくいい人ですよ?」
「それは否定しないけど……悪意がなくて、自分が怖い人間だとも自覚していない『聴き上手』はちょっと怖いかなって」
何かを見透かしたかのようなヤタの言葉に、ジロは微かに動揺した反応を見せた。
「え、怖いってあにさん、神父さんが尋問で何したか知ってるんですか……?」
「『何か』したの?」
「え、いや、まぁ~……」
ファラリスが行った尋問の手段をヤタは伝え聞いてはいない。しかし反応を見るに、ジロの方は初めからその手段を把握していて彼に尋問を任せていたのだろう。言葉を濁して、気まずげに視線を彷徨わせた。
「そ、そういや、神父さんの所に多額の寄付があったそうですよー。匿名で!」
ジロは反撃とばかりに話を逸らし、今度はヤタが気まずげな表情になった。
「解ってて言ってるだろ、ジロ……」
「相当お嬢のこと気に掛けてる人がいるんですね~」
「そういうのじゃなくて、自分の為にやっただけだよ」
「ほほーう?」
ヤタ自身は否定している訳でもないというのに、知らぬ振りを通してニヤニヤとした視線を送ってくるのが実に鬱陶しい。
「俺に関わった子供が不幸になったら目覚めが悪くなるんだよ。だからこれは俺が気持ちよく暮らすための、未来への投資ってヤツ」
「それは、過去に子供を不幸にしたことがあるから言ってるんですか?」
「!」
何かを見透かしたかのような言葉。先程のジロ以上に、ヤタは動揺した反応を見せた。
「……キミは、何をどこまで知ってるんだ?」
「それは、企業秘密ってヤツです」
互いに沈黙した。二人の間を緊張した、気まずい空気が流れる。
「……やめよう。お互いに腹の探り合いみたいなことは」
「……そうっすね。子供の前でケンカみたいなことするのは教育に良くなさそうですしね」
腹の探り合いになれば互いが痛い思いをすることになるのは、もとより判り切っていたことである。空気が部屋全体に充満する前に、痛み分けということで早々に話題を打ち切った。
「てゆーか、なんでこの子もついて来てるのさ?」
この日は新居を探すために土地勘のあるジロに付き合ってもらうよう頼んでいたのだが、件の少女も当然のように一緒について来ていた。先程ジロがドアを開けるなり、するりと部屋に入り込んでベッドの上に腰掛けていたのであった。
「だってあにさんに会いたいって言うんですもん。ねー?」
少女がそのように言ったということはまずないだろうが、そういった意思表示があったことは間違いないのだろう。すっかり少女の下僕役が板についてきたジロである。
「……そうだ、この間の話だけど」
「どの話ですか?」
ふと思い出したように話を振られたが、ジロには何の話か心当たりがなかった。
「一緒に情報屋やらないかって話。あれ、やっぱり受けようかと思うんだけど、まだ受け付けてる?」
「え!? いや、そりゃまあ受け付けてますけど、どういった心境の変化で?」
一度誘いを無下に断られているジロは、ヤタの申し出に驚いた反応をした。理由を尋ねられ、ヤタは束の間真剣な顔をした。
「お金がないんだ」
切実な理由だった。未来への投資とやらに財産を注ぎ込んだ結果、一気に懐が寂しくなってしまったらしい。
「でも、汚い仕事は嫌だって言ってたじゃないですか」
「まぁ、そうなんだけど……」
「だけど?」
「汚い仕事は儲かる」
それもまた切実な理由だった。
元はジロの方から申し出た話なので断る理由は特にない。二つ返事で承諾して嬉しそうに――と言うよりは何やら企むような笑みを浮かべた。
「じゃあ、これからあにさんはオレの部下って事になりますね」
「えー、それはなんか嫌だなぁ」
「えー、じゃないっすよ。オレの方が情報屋としては先輩なんですから当然でしょう。お嬢もそう思いますよね?」
同意を求めると、少女は〈わからない〉と杖で床を擦った。ニュアンスとしては『さあ、どうだろうね?』というところだろう。
「あーそうですよねー。お嬢はあにさんのことばっかりお気に入りですもんねー。どーせどーせオレなんてー」
同意を得られず拗ねたように唇を尖らせたが、携帯端末の呼び出し音が鳴ると同時に真顔に戻った。
「おっと、仕事の電話だ。オレ先に外出てますんで、用意できたら来てくださいね」
そう言って電話を取ると、ジロは端末に話し掛けながら部屋を出て行った。
用意とは言ってもあとは防寒着を着込むくらいのものだ。
黒いトレンチコートに袖を通す。似合わないと文句を言いつつも防寒着としては重宝していた。ボタンと腰のベルトを締め、杖を手に取る。
「よし。行こうか、ルクス」
準備完了して少女に呼び掛けたが、返ってきた答えは〈NO〉だった。
「え、行きたくないの? 留守番してる?」
〈NO〉
マフラーを巻き直して外に出る用意をしているので出掛けたくないという訳ではないようだが、何かがお気に召さないらしい。
数日会わない間に反抗期に突入したのかと頭を悩ませ、ヤタはある考えに至った。別の呼び方を試してみる。
「……お嬢?」
〈YES〉
立ち上がり、ヤタの手を握った。
コツンと杖をぶつけ、早く行こうと急かす。
ヤタは少し複雑な気分で傍らの少女の姿を見下ろした。
「ジロも気に入られてるじゃないか……」
なんだか少し面白くない気分になり、腹いせにヤタはこの事実をジロには知らせずに置いた。
1章 了
 




