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三本脚の鴉  作者: ナルハシ
1章
11/22

11 涙の止め方

 目の前に、男が立っていた。


 袖が広く裾の長い、動きにくそうな装束。

 前が見えているのか疑わしい、顔に掛かる長い黒髪。


「いつまでこんな所にいるんだ。さっさとあの子の所に行ってやれよ」

 話し掛けると、男は髪の隙間から鋭い視線を送ってきた。

「俺を見てどうするのさ。もっと他に見てやるべき相手がいるだろ、キミには」

 男は何も言わず、あの時と同じ眼で睨み付けてくる。


 あの時と同じ――そう考えて、この男が今もこんな場所に居るはずがないと気が付いた。

 死んだ人間に現在も未来もありはしない。だから、今見ているのはこの男の過去の姿だ。

 死んだ人間に出来ることなんて何もない。だから、睨まれたところで少しも怖いとは思わない。


「キミも難儀な性格だよね。昔のことなんて忘れてしまえば楽に生きられただろうに、わざわざそれを掘り返して憶えておこうとするなんてさ」

 返事など返ってくるはずがないと解りきっていながら、過去の姿に向かって語り掛けた。

「死んだヤツの苦しみを知って、それに何の意味があるって言うんだ? それは、キミなりの罪滅ぼしのつもりだったのか?」

 今はもう存在しない姿に、自らの記憶の中の存在に問い掛ける。


 男の唇が微かに動いた気がした。


「死んだヤツが何を偉そうなこと言ってるのさ。死んだヤツにできることなんて、何もありはしないよ」


 男は睨み付けるのを止めて、ふっと目を逸らした。


「ああ、解ってる。だから、俺にやれって言うんだろ? ……だけど、そんなことが俺にできるのか?」


 男は何も答えない。過去しか持たない男に答えられるはずがない。

 先程何か言われた気がしたのも、きっとそんな気がしただけだ。

 死者に語り掛ける行為は所詮、自分自身の記憶に語り掛けているだけに過ぎない行為だ。


 だから、過去の自分(ヤタ)への問い掛けに答えたのは現在の自分(ヤタ)自身だった。


「……キミがやれたことを、俺ができないワケないだろ。解ってるさ。だって、俺自身のことだ」


 そう答えると、男が微かに笑ったような気がした。

 こんな根暗男の笑った顔なんて、過去にも見た記憶はない。


 だからこれもきっと、そんな気がしただけだ。





 凛。





 温かなものが頬に触れた。

 霞む瞳の焦点をなんとか合わせると、目の前に泣き顔があった。


(ああ……この子は泣くこともできるのか)


 首を絞めながら少女はぼろぼろと涙を零していた。零れた涙が、ヤタの顔の上に落ちて頬を伝う。

 ジロの言っていたことは本当だったと少し感心はしたが、出来れば見たくはない表情の変化だった。


(まるで、俺が悪いみたいじゃないか)


 だから子供は苦手なんだ――そう思いながら、ヤタは両手を伸ばした。

 指先が少女の濡れた頬に触れる。

 こめかみを撫で、更にその後ろへと手を伸ばす。

「?」

 ヤタの手が、少女の後ろに覆い被さっていた養父の耳を塞いだ。

「何のつもりだ、ヤタ?」

 養父はその行動に怪訝な顔をしたが、少女の手を押さえる力を緩めることはなく、構わず首を絞め続けさせた。

 喉を圧迫され、呻き声すらもまともに発せない。


 ヤタは声にならない声で、一つの『名前』を喉の奥から搾り出した。





 *





―――今、一体何が起きた?


 養父は、身体を抱き締めるようにして地面の上に蹲っている自らの状態に気が付いた。

 咳き込む音が聴こえて顔を上げると、先程まで自分に組み敷かれていたはずのヤタが上体を起こし、喉を押さえて呼吸を整えていた。その傍で、少女が涙を流しながら座り込んでいる。


 納得がいかなかった。

何故、自分はヤタを解放してこんな所で蹲っているのか。

何故、殺そうとしていた自分が『死にたくない』という考えに襲われてしまったのか。


突然感じた痛みと苦しみ、そして恐怖の正体は一体何なのか。


「それは、その人が死ぬ直前に感じたことだよ」


 内面を見通したかのように、ヤタが心の中の疑問に答えた。

「『その人』……誰だ、それは……?」

「さっき名前を言っただろう? 昔、ヤタが殺した――キミが殺させた、最初の人だよ」

 ヤタは足を引き摺って養父の傍まで歩み寄ると、身を屈めて額に触れた。

「これが、二人目」

 先程とは別の名前を呟くと、養父は処女のような悲鳴を上げてのた打ち回った。

「名前が持つ記憶の一部分に触れさせる……こんな使い方したことなかったけど、やってみればできるものだね」

「な……何なんだ、これは……何故、私がこんな思いを……!?」

「キミは忘れてしまっているだけだろうけど、ヤタは名前すら知らなかったその人達のことをわざわざ調べたんだ。調べて、自分が殺した人達の死の記録を知った。殺しを芸術作品だって言うならさ、殺しを命じたキミもそれを知ってみなよ」

 どこか他人事のように淡々とそう言って、ヤタは三人目の名前を呟く。

「ひぃ……ッ! やめてくれ! 死ぬ……っ、死にたくない!」

「直前までの記録だから実際には死にはしないさ。事実、ヤタは自分の人生は散々否定しておきながらも、その人達の人生を全て受け入れてみせた。だからと言ってキミにも同じことができるかどうかなんて、俺には保証できないけれど……大丈夫だよ」

 触れられ、名前を口にされると瞬間的にその人間に『なってしまう』。養父はこれ以上頭に触れられないよう頭を抱えて亀のように身体を丸くした。


 養父の情けない姿を見下ろしていたヤタは、首を回して少女の様子を伺った。

 彼女はまだ泣き止んではいない。



―――大丈夫。子供の泣き顔を見せられることの方がよほどキツイ。



「……だからキミみたいなヤツを壊したところで、俺の心は少しも痛まないよ」


 ヤタは再び養父に視線を戻し、その丸くなった背に手を触れた。





 *





 少女は涙を流し続けていた。

流れる涙を手で拭うようなことはしない。泣いた時、そうやって涙を止めようとすることを知らないからだ。

涙の止め方を彼女は知らない。教えてもらっていない。だから、溢れてくる涙をただ流し続けるしか出来なかった。


 コツンコツンと、いつもの『音』が肌に触れた。

 大好きな音。落ち着く音。けれどいつもの音とは少し違う。

 杖を突く音と、足を引き摺る音。


「ルクス」


 名前を呼ぶ音。

 近付いてきた人間の正体に気付いて、少女は杖を手に取った。


〈ヤタ〉


 涙で顔をぐしゃぐしゃにした少女に杖を叩かれ、ヤタは困ったような顔になった。

「ごめん、ルクス。キミの帰る場所をなくしてしまった」

 少女の養父だった人物は虚空を見つめ、何事かぶつぶつと呟き続けていた。この様子では子供一人の面倒を見るどころか、自分自身の面倒も見ることは難しいだろう。

 少女は涙を流し続けている。ヤタは子供の泣き止ませ方を知らない。

「え、えーっとさ……アイツ――お父様はさ、一度その道を進んだらもうその道を進むしかなくなるって言ってただろ?」

 とりあえず――盲目の彼女にとっては関係ないが――視線の高さを合わせるように少女の前に膝を付いた。

「けどさ、俺は人間って割と何度でも引き返してやり直しができると思うんだ。でもその分、しんどい思いをして回り道をしなければならなくなる。回り道なんて、なければない方が良いに決まってると思うんだ……けど……えっと、聞いてる?」

 つまりは道を違えなくて良かったということを伝えたかったのだが、未だに混乱の治まらない少女はヤタの話を理解するどころではないようだ。

 ヤタはどうしたものかと考えて、少女の頭に手を置いた。


(あ、これすごく悪い人っぽい)


 養父と同じ手段を使ってしまったことにすぐ気が付いたが、手を置いてしまった手前、引っ込める訳にもいかず髪を撫でた。

(まぁいいか。どうせ俺もそんなにいい人でもないし……)

 そのまましばらく頭を撫で続け、そろそろ涙も止まっただろうかと考えたところで少女に飛び付かれた。

「ぐえっ」

 勢いよく首にしがみ付かれ、支え切れずに尻餅を付いた。

「ちょ、絞まる絞まる。死ぬからっ」

 大袈裟にそう言うと、少女はびくりと肩を震わせて身体を離した。

「あー……嘘。これくらいじゃ死なないから」

 べちり、と頬を叩かれた。これはおそらく挨拶ではなく、怒りの意思表示だ。

 ヤタは頬をさすり、苦笑いをした。

「……それにしてもさ、そもそもキミはどうして俺に近付いてきたの? お父様に似ていたから?」


 少女の身元は判明したが、結局のところその部分だけはよく解らないままだった。

 養父の言うことを信じるならば、ヤタと少女の出会い自体は全くの偶然であったらしい。

 杖の音が養父と似ていたというのは納得出来るが、感覚の鋭い彼女がそれだけで勘違いしてしまったとは考えにくい。ならばにおいだろうか、とヤタは自分の襟元を引っ張ってにおいを嗅いだ。

 二十代半ばで老人と同じ体臭を放っているとは信じたくない。共通しているにおいがあるとすれば、それは『他人の』血のにおい――しかしヤタが最後にそれに触れたのは一年も前のことだ。いくら鼻が利くとは言っても、それほど昔のにおいを嗅ぎ取れるものだろうかと首を傾げる。


「それとも、もっと他の何かを感じ取ったとか? もしかして、これが何かの能力?」

 尋ねてみたが、少女は杖で地面を引っ掻いただけだった。

 ヤタは杖に縋って立ち上がると、土埃で白く汚れたコートを手で払った。

「……まぁいいか。ジロも待ってるだろうから、行こう」

 〈YES〉

 

 手を繋ぐ。


 いつの間にか、涙は止まっていた。

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