夫婦
柏木に何と言って連絡をすればいいのか。
いざ電話番号を知ったところで、工藤の連絡先を聞く「理由」が、幸代にはない。
「工藤くんの連絡先教えてくれる?」
そう聞いたら、柏木は絶対に「なんで?」と聞くだろう。
自然な理由を作らなければ、面倒くさいことになる。
柏木は中学の時から明るくておもしろくてクラスの人気者だった。
クラスの中心人物とも地味なメンバーとも、誰とでも分け隔てなく接する。
同窓会の幹事なんて面倒くさいに決まっているのに、いつも自分から皆に声をかけてくれる。
とてもいい人だと思う。
だが、彼はお節介なのだ。
中学時代、ちょっと一人になりたくて、お昼休みに学校の裏庭でぼーっとしていた。
そこに偶然柏木が通りかかったのだが、
「何か悩みがあるのではないか」としつこく聞かれてうんざりした。
聞き方を間違えれば今回も色々と詮索されるだろう。
何かいい方法はないだろうか・・・。
会社帰りに柏木の電話番号を表示させながら頭を悩まして歩いていたら、突然携帯が鳴った。
表示された名前は夫の修司だった。
「もしもし、幸代?今どこにいる?」
夫の声は明るく、機嫌がよさそうだった。
「今会社を出て、駅まで歩いているところだけど」
突然の電話で、何があったのだろうか?と思いながら幸代は答える。
「今日、会社早く終わって、もう帰れるんだ。幸代の会社の近所にいるから、久しぶりに一緒に帰ろう。駅で待ってて、すぐに行くから」
夫はとてもいい提案をしているだろうといった口調で話し、こちらの回答も聞かずに電話を切った。
「もう、私の返事も聞かないで!」
そう思ったけれど、考えてみればこれは久しぶりにちゃんと夫婦の会話が出来るチャンスだ。
今の電話の感じだと、夫は新婚当時と変わらない様子だ。
もしかしたら私の考えすぎで、私たちは仲が良い夫婦なのかもしれない。
ちょっとだけ気持ちがうれしくなった。
柏木の事はまたあとで考えよう。
幸代は早足で駅に向かった。
「今度の土曜日は、久しぶりに夫婦で出かけないか?」
車の中で夫はいきなりそう提案した。
突然迎えに来たと思ったら今度はデートの誘いだ。
夫はどうしたのだろう。
嬉しい気持ちよりも幸代の心はとまどいでいっぱいになる。
「いいけど、どうしたの?二人で出かけるなんて久しぶりだね。仕事は大丈夫なの?」
幸代が夫の提案の裏に何かあるのではないかと疑いながら尋ねると、
「なんだよ~もっと喜んでくれるかと思ったのに。いや最近幸代と全然話せてないからさ。たまにはいいかなって。いつも仕事ばかりでさみしい思いさせてごめんな」
と夫は調子よく答える。
ただ幸代の疑いは消えない。
「本当に何もないの?」
「うーん、実は二人で出かけた後さ、俺の友達の家でホームパーティーがあるんだ。
そこに一緒に参加してくれないかな?みんな夫婦同伴でくるんだ。なんだか盛り上がっちゃって、断れなくて」
やっぱり。
何もなく急に夫が誘ってくるなんておかしいと思った。
友人への手前、夫婦で参加せざるを得なくなったのだろう。
正直夫の友人たちとのパーティーなんて面倒くさい。
でも、今夫婦らしく行動しておかないと、本当に私たちは壊れてしまうのではないか、とも思う。
「私の知っている人、参加するの?」
少し不機嫌な口調で幸代は聞く。
するとその質問は想定済みだったのか、夫は素早くこたえる。
「あ、結婚式の二次会の受付をお願いしたちえがいるよ。
ちえの旦那と娘ちゃんもくる。
あとは、二次会幹事の佐藤と中村一家とか。意外と知り合いいるから、大丈夫だよ。
それに幸代なら初めての人とも上手く出来るでしょ?」
幸代をほめるコメントをしてくるなんて、夫は幸代に何としても来てもらいたいようだ。
何だか自分の立場が上になったようで、幸代はうれしくなった。
「今週、毎日早く帰ってきてくれるんだったら、行っても良いよ」
幸代はちょっと夫に意地悪を言ってみる。
「なんだよー。俺だって遅くなりたくてなってるわけじゃないんだよ。でもわかった。今週はがんばる!!」
夫はあくまで下手に出るようだ。
その日の帰り道は、夫といて楽しいと思えた。
久しぶりにちゃんと見た夫の顔。
大好きで大好きで結婚した夫。
この人と、人生を共にしようと決めたんだ。
工藤と会う努力より、夫と向き合う努力をしなくてはいけないんじゃないか。
柏木に電話をしなくてよかった。
運転する夫の横顔を見つめながら、幸代はその時、確かにそう思った。