追う
幸代は毎朝ひとりで7時半の電車に乗る。
マンションに住んでいた時は、夫と朝の時間を合わせて
途中まで一緒に通勤していたが、今はそれも別々。
義母の家で暮らし始めたタイミングで、夫は勝手に車を買ってきて、車通勤を始めたのだ。
幸代の通勤時間は、マンションで暮らしていた時よりも30分長くなった。
でも大好きな音楽を聴いてボーとする時間は、あの家にいるよりは何倍も良いと今は思う。
いつも心が少し元気になる、明るい曲をリピートして聴いているのに、工藤の事を考えていたら、急にバラードが聴きたくなった。
中学生の時の工藤を思い出す。
工藤の家と幸代の家は、ご近所同士だった。
中学の入学式でそれを知った母親同士は、いつの間にか仲良くなり、工藤の母親に用事が出来た時など、工藤はよく幸代の家にごはんを食べに来ていた。
男の子がいない幸代の母は工藤の事を自分の息子のようにかわいがり、幸代も小柄だった工藤を少し弟のように感じていた。
しかし工藤と幸代にそのような交流があった事実を、中学の同級生は誰も気づかなかったと思う。
「工藤ってさ、なんか暗いよね」
ある日、クラスの中心人物だったゆきながそう言い始めた。
工藤は決して暗い子ではなかったけれど、本が好きで、あまり積極的にクラスメイトたちと関わろうとはしない子だった。
今までクラスで工藤の話題なんて出たことがなかったのに、ゆきなの一言で一気に「工藤は暗い子」のレッテルが貼られてしまった。
もし工藤が家に遊びに来ているってばれたら、私も「暗い子」の一員になる。
そうなったらどうしよう・・・。
ゆきなの教室における影響力は絶大だ。
自分まで被害に遭いたくない。そう思ったのは事実だった。
しかし幸代は工藤に「学校では話したくない」と言ったことは一度もなかった。
工藤の事を大切に思っていたからだ。傷つけたくなかったからだ。
でもきっと、幸代の気持ちを工藤は全部わかっていたんだと思う。
工藤はそういう子だった。
いつの間にかお互い「学校では一切話さない」というルールが出来た。
今まで通り、工藤が家に来た時は色々なことを話した。
クラスメイトの話も、合った出来事も。
母親が料理を作るのを待っている間、勉強を教え合ったりもした。
でも学校では秘密。
そしてそのまま、工藤は学校を辞めた。
「奥山さんに会いたかったんだよ、ずっと」
「ねぇ、この後、2人で話せないかな?」
クラスの誰もがかっこいいと思う姿に成長した工藤は、皆の前で幸代にそういった。
不安や悲しみに支配されていた幸代を、幸せにしてくれる出来事だった。
どうして逃げ出したりしたのだろう。
もう一度、工藤に会いたい。
何か工藤に関する情報はないかと、思い始めると止まらなくなり、
会社の最寄り駅で電車を降りると幸代は智子に電話をかけた。
3コール目で智子は電話を取った。
「幸代、どうしたの?ビックリした!何かあった?」
電話は時々するけれど、忙しい平日の朝はかけたことがない。
少々不自然だったようだ・・・。
「智子、忙しい朝にごめんね。昨日の同窓会で私、急に帰っちゃったから、何か智子に悪かったかなって。
気分を悪くしちゃってたらやだなって、思い始めたら居ても立っても居られなくって」
見えないと分かっているけれど、携帯電話を耳と肩ではさみ、両手を合わせた。
「なーんだ、そんなこと。全然気にしなくていいよ!むしろお義母さん大丈夫だったかなって心配してたんだ」
智子はおおらかで明るく、優しい。
「ありがとう。こっちは大丈夫だった。智子、ゆきなとかに囲まれて、あれから気まずくなかった?二次会とか行ったの?」
朝の忙しい時間だ、本題を早く聞き出さなければと幸代は焦る。
「ううん、私もあの後帰ったよ。ゆきなのお目当ての工藤くんも帰っちゃったから、
結局二次会もなかったのかも」
「そうなんだ・・・」
それでは智子は工藤の連絡先を知らないだろう。声が自然とがっかりしてしまったのかもしれない。
智子は笑ってこう言った。
「工藤くんの勤務先、丸の内らしいよ。幸代の会社も近いでしょ?そのうち偶然会えるかもよ。
あ、それよりも幹事の柏木に連絡とったほうが早いか。やつなら工藤くんの連絡先知ってると思うよ」
智子はもしかして、エスパーだったのか。
私の心の声は、本当は声になっていたのだろうか。
「え、なんで工藤くんの話?」
幸代は低めの落ち着いた声で尋ねる。
「こんな朝っぱらから電話してきて、何かあるにきまってるでしょ。同窓会の時のあの様子からして、工藤くんの話以外、思いつく?
まぁ皆の前で恥ずかしかったのはわかるけど、幸代のあの態度はちょっと冷たかったし、幸代だったら気にしてるじゃないかなって思っただけ。
とにかく、柏木に連絡とってみなよ。番号知らないんなら、あとでメールするから」
持つべきものは、古くからの友人。
智子は工藤とのことを何も聞かず、幹事の柏木の連絡先を教えてくれた。
これだけで幸代は一歩、工藤に近づけた気がした。