はじまり
幸代は今日ここに来たことを後悔した。
実家に届いた中学校の同窓会便りを、母の光子が幸代の家に転送してきたのは1か月前。
「自分には関係ない」とすぐにゴミ箱に捨てた。
その後、ハガキだけではなく幸代が登録しているソーシャルネットワークサービスでも同窓会のコミュニティーが立ちあがり、中学からの友達で唯一今でもつながりがある智子が一緒に参加しようと言うので、「出席」にしてしまった。
幸代たちは今年30歳になる。
女性も男性も、30歳は人生の一つの節目だ。
結婚、出産とおめでたい話、仕事で活躍している話。
同窓会の参加者は皆、幸せの絶頂かのようにキラキラしている。
いや、むしろ、同窓会というものは、幸せだからこれるのだ。
学生時代、地味だった人も、社会人になって幸せをつかめば、やっとみんなと対等に話をすることができる。
「やっぱりくるんじゃなかった」
幸せの絶頂から離れてしまった幸代は、皆の幸せを喜べるほど、強くは無かった。
「ねぇねぇ、工藤くんって覚えてる?」
幸代の元に料理のビュッフェを取りに行っていた智子が戻ってきた。
「工藤くんって、あの2年生の途中で転校した工藤くん?」
工藤という名前は一人しかいなかったけど、意外な名前が智子の口から出たので、思わず確認してしまった。
智子は急にひそひそ声になり、
「そうそう、親が離婚したとかで、学校やめちゃった子」
と答えた。
大人になった今では、3人に1人が離婚し、「離婚」という言葉も身近になった。
しかし、幼い幸代たちには「離婚」は「なかなかないゴシップ」であり、また離婚の原因が「工藤の母親の浮気」であったという噂が広まり、少し背伸びしたいさかりの中学生の間で、工藤は一躍有名になった。
彼はその後、家庭の事情から学校をやめることになったが、工藤自身は目立つタイプではなく、人気者でもなかったから、クラスのみんなは特に気にしなかったように思う。
ただ、幸代を除いては。
急に忘れていた工藤の名前を智子が口にしたので、幸代はわずかながら動揺した。
「工藤くんがどうしたの?」
智子に動揺を悟られないように、一呼吸おいて幸代は尋ねた。
智子は待ってましたといわんばかりに、一気に仕入れてきた情報を披露した。
「工藤くん、今社長になって、バリバリ活躍してるんだって。なんだか海外でも仕事してるみたいで、英語もペラペラ!背も高くなって、すっごいイケメンだよ。あんな同級生いたんだ!ってびっくりしちゃった。みんなに囲まれてたから、私は遠巻きに見てただけだけど」
「そうなんだー。あの工藤くんがね」
輝いている工藤の話を聞いて、嬉しい気持ちの反面、幸代はまたこの同窓会に来たことを後悔した。
幸せじゃない今の姿を輝いている工藤に見られるなんて、絶対に嫌だ。
「工藤くんの周り、さっきからゆきなたちが離れないよ。中学の時はさ、工藤くんの事バカにしてたのに。すごいよね。ちょっとあからさますぎやしない?」
そうだ、結婚したい年頃の女子たちにとって、現在の工藤は好物件。
手放すわけがない。
心配しなくても、私の存在に、気づくわけがない。
そう思うと急に、どこかで自分に気付いてほしいと思っている複雑な気持ちが沸き上がり、自分自身が嫌になる。
「そんなことより、智子は最近どうなのよ?あっちに座って話そう」
幸代は工藤の事を考えるのをやめ、工藤が見えない位置に移動した。
「もしかして、奥山さん?奥山さんだよね」
同窓会が終わりに向かう頃、いきなり声をかけられた。
声の主は工藤だった。
「奥山さんに会いたかったんだよ、ずっと」
16年ぶりに工藤の顔を見た。
同窓会でみんなにちやほやされているその顔は確かに美しかった。
その笑顔は今、幸代だけに向けられていた。
「久しぶりだね」
幸代はかろうじて自然に声を出すことが出来た。
「ねぇ、この後、2人で話せないかな?」
昔の工藤くんは、みんなの前で声をかけてくる事なんてなかった。
2人だけの秘密を、むしろ重んじていたと思う。
彼は、どうしてしまったんだろう。
「ごめん、今日は早く家に帰らないと」
幸代はどうしてか、素っ気なく答えてしまった。
すると横にいた智子が余計な事を言った。
「さっちゃん、今お姑さんの面倒見てるから、あんまり遅くなれないんだよね」
その言葉を聞いても、工藤は表情一つ変えなかった。
変わらない素敵な笑顔のままで
「そっか、奥山さん、結婚したんだ。おめでとう」
と言った。
「ありがとう」
なんで工藤にお礼を言わなければならないのか、涙が出そうだった。
でもしょうがない、誰も私の本当の状況を知らないんだから。
「そうだよ~幸代は結婚して、今幸せいっぱいなんだよ!工藤くん、二次会行くでしょ?」
すかさずゆきなが口を出す。
うまく、乗り越えた。
私の作り笑顔はいつも完璧だ。
ゆきなが工藤の腕を取り、二次会へと連れていこうとする。
でも、彼はその場から動かない。
変わらず、まっすぐ私を見ている。
「奥山さん、今、本当に幸せなの?」
この人には昔から何でもわかられてしまう。
だからこそ今の自分を一番見られたくなかったんだ。
その顔に見つめられると、もしかしたら彼が私の王子様だったんじゃないかって
いい歳こいて期待してしまった。
そしてこの日をきっかけに、うっかり、その手をつかんでしまうんだ。
その道が正しいものと信じて。