仮装に紛れて
ハロウィンに間に合いませんでした(泣)
太陽が空を橙色に染める頃、街の若者や子供は異装をして特別な夜を過ごしていた。アンネもまた、とんがり帽子をかぶり魔女に扮して、黒猫や狼男との会話を楽しんでいた。
この街、スレージア特有の仮装祭は、ある意味仮面舞踏会が近いのかもしれない。
名は名乗らずに、日常会話を楽しみ、或いは自分がしている仮装に成りきって、夜を過ごすというものだ。
またひとり、私に話しかけてくる人がいた。
「お嬢さん、ちょっとよろしいかね?」
低めの声の主の方を向くと、黒い帽子を目元まで被ったマントを着た男性だった。この人は吸血鬼の仮装かな?
「はい、なんでしょう」
男性は、私を見ると一瞬目を大きくした。
「今日は何日だろうか?」
こんなに仮装している人がいて、且つ目の前の男性も仮装していると言うのに。今日はハロウィン以外ありえないじゃない!こんな斬新な会話初めてよ。
「もちろん31日ですよ」
「えっと、10月31日ということで良いのだろうか?」
「えぇ。1468年10月31日、ハロウィンよ」
すると男性は指を折ってなにかを数えながら、暫くの間私に聞き取れないほど低い声でぶつぶつ言い出した。そして、突然手を打った。
「ハロウィン!どうりで貴女のような魔女や、包帯男がたくさんいるわけだ」
……これは突っ込んだ方が良いのかな?それとも極度の天然?
「あなたも仮装してるじゃないですか。そのマント、もしかして吸血鬼ですか?」
吸血鬼と言った時に、体がビクッと反応した気がする。少しオドオドしながら、私よりも若そうな男性は答えた。
「我輩が吸血鬼に見える……、まあそんなところだな」
「違いました?」
「いいや、いかにも、我輩は吸血鬼である」
吹っ切れたのかさっきまでと打って変わって、けれども笑顔で言ってきた。その笑顔と変わりようにドキッとしてしまった。よく見ると、とても端正な顔立ちをしている。
「先程までの無礼は申し訳なかった。もう少し、貴女と共に話をしていてもよろしいかね?」
「ええ、構いませんよ。吸血鬼さんはこの街の仮装祭は初めてですか?」
「実はそうなのだ。この街は中々良さそうだから、しばらく滞在しようかと思っていたのだ。よければ我輩にこの辺りを案内してもらえないだろうか?」
「わかりました」
スレージアに生まれて24年、街の案内ならお安いご用だ。しかしこの男性、若そうなのに口調が古風だ。これも設定のひとつなのかもしれないけれど。
アンネと吸血鬼は、道に点々と置かれたカボチャのランタンに照らされた街を歩いていく。
「この建物はちょうど100年前にできたんですよ」
「100年か……」
何か小声で言っているけれどよく聞き取れない。
「どうしました?」
「いや、古いなと感心していただけだが」
「古い建物なら、スレージアには500年前の建物もあるんですよ。ここからは遠いですが」
「それは凄い。今度是非行ってみたい」
「建物って時代を感じますよね」
「いつも変わらずそこにあるのだからな。称賛に値する」
ぐるっと一周して、元の場所に戻ってきた。空は暗さを増して、星の白色が映えてきていた。
「スレージアだったかな、この街は随分と魅力的だ。我輩は暫く滞在させてもらうかもしれん」
「私が育った街ですから、良く言われると嬉しいですね」
「故郷か、我輩には良い思い出は無いな」
「吸血鬼さんの故郷ってどこなんですか?」
「もちろんトランシルバニアだ」
「そうでしたね」
「そうだ、滞在するとはいったが、如何せん我輩はこの街どころかこの国にすら初めて来たのだ。さすがに今日は夜も更けだから止めるが、後日もし時間が許すのならまた案内してもらえないかね?貴女の説明はとても分かりやすく、何より街への愛着が感じられて良いのだ」
ちょっと変な人だけれど悪い人では無さそうだし、それに何処か惹かれるものがある。幸い家事なら適当に言い訳を作っていつでも抜け出せる。
「そこまで言うなら良いですよ。明後日にでもどうですか?」
「引き受けてくれるのか、有難い。明後日だな、ではまた同じ頃ここに来る」
「昼頃では駄目なんですか?」
スレージアの夜景は落ち着いて見えるから確かに良い。けれど夕方だと時間が限られてしまい、あまり数多くは紹介できない。
「すまない、お願いしておいて悪いが日が出ている内はどうも忙しくてだな」
「いいですよ、分かりました。では考えておきますね」
「有難い。ではまた明後日」
「それでは。ハッピーハロウィン」
「ハッピーハロウィン」
吸血鬼さんはミイラやフランケンシュタインの怪物に紛れて消えていった。そういえば、名前聞いてなかったな。また会うならお互い名乗っておいた方が良かったかもしれない。
□□□□□□□□□□
明後日、曇っているのでこの前よりも暗い。それでも吸血鬼さんはすぐに見つけられた。全く同じ格好で立っていたからだ。ハロウィンならば周りに馴染みさえするそのマント姿は、今日は浮きまくりだ。一緒に歩きたくないなと一瞬思ってしまった。
「こんばんは、お嬢さん」
「こんばんは、一昨日は名前を言ってませんでしたね。私はアンネと言います。吸血鬼さんは?」
「我輩の名前か……吸血鬼さんで構わないのだが」
こっちが名乗ったのに言わないと言うことはそれほど名前を知られたくないのかな?少し懐疑心を覚えたけれど、一昨日会ったばかりの人だしな。それにしても、そんなに吸血鬼にハマったのかな。
「じゃあ吸血鬼さん、早速ですが今日は北の方に行きますよ」
「我輩は分からんから何処へでもついていこう」
一昨日のように説明しながらゆっくり歩いていく。目的地はもちろん500年前からあるらしいマヌステリス教会だ。
一時間程歩き、スレージアの街の歴史や特徴まで説明し終えた頃、マヌステリス教会に着いた。
「この教会が500年前に出来たものなのか。確かに年季が入っているようだな」
「マヌステリス教会です。この街で一番大きな教会で、今でも礼拝で使われているんですよ。まだ中に入れるでしょうから、見てみます?」
「折角だし入らせてもらおうかな」
入ってみるとまず目を引くのは、10メートルはあろうかという巨大なステンドグラスだろう。夜だから生憎光は差していないので輝く様を見せられなくて残念だけど、燭台に置かれた無数の蝋燭にほのかに照らされているのもまた、美しかった。
隣の吸血鬼さんは立ち止まって見入っているようだ。私も初めて見た時は感動したものだった。
ところが、吸血鬼さんは突然教会を出ていってしまった。私も慌てて追いかけると、外でハアハアと息を切らして、苦しそうに顔を歪めていた。
「持病の、発作が、出てしまった。説明も聞かず、置いてきてしまってすまない」
「それより体調は大丈夫ですか?」
「あぁ、落ち着いてきたようだ。心配かけてすまない、もう大丈夫だ」
肩で息をする吸血鬼さんの顔色を伺うと青ざめている。その上、若干目が血走っている。どう見ても体調悪そうにしか見えない。
「大丈夫では無さそうですよ」
「……そうだな。我輩がお願いしたのにこんなことになってしまい本当にすまない。このお礼はいつか必ず返そう」
「いえいえ、体調の方が大事です。それに、吸血鬼さんと一緒にいることが出来て楽しかったです。私にはそれで十分です。ところで泊まっている所はここから近いですか?」
「この教会からだとそう遠くは無い。アンネ殿のような若い女性を一人にさせてしまうのは心苦しいのだが」
「もう若くなんか無いですし大丈夫ですよ。お気持ちだけ受け取っておきます。吸血鬼さんこそお大事にしてください」
「申し訳ない。ではさらばだ」
いかにも衰弱しているような弱々しい後ろ姿は、黒いマントを羽織っているため直ぐに暗闇に紛れて消えてしまった。
□□□□□■■■■■
あれから約1年経った10月30日、吸血鬼さんとは決まって日が落ちてから、何度か会った。この決して広くはないスレージアの街で何度も遭遇するのは、そう珍しいことではない。
一度街を出て南の方の海辺へ行って星を眺めたり、食事を奢ってもらったりもした。恋人ではもちろん無かっただろうけれど、付き合っているように勝手に思っている節もあったのかもしれない。
会うときは流石にあのマント姿では無かったが、いつも何かに堪えているようではあった。
そして、今日は大事な話があるといわれ、最初に会った場所で待ち合わせをしていた。毎回そうだったように、今日もまた私があとから来る形になってしまった。ここ何ヵ月かで、スレージア周辺の街に奇妙な殺人が立て続けに起こっているから、明るい内に会いたかったのだけれど、やっぱり夕方に会うことになった。時間だけはどうしても譲れないらしい。
待っていた吸血鬼さんは、久しぶりにマントを着ていて、雰囲気も去年のハロウィンの日に会った時の格好そのままだ。ふと、洋服を着ているよりもマント姿の方が似合っているのではと言いかけたけれど、流石に失礼かなとも思い、黙っていることにした。
「こんばんは、今宵も月が綺麗だ」
「ほんとですね」
「そして貴女もお美しい」
「今なんと?」
「唐突だが、実を言うと我輩は、昨年のハロウィンの日に逢った時からアンネ殿の美しさに心を奪われていたのだ。所謂一目惚れだが、アンネ殿に出会ったのは運命では無いかと思ってしまったのだ。貴女に逢う度、我輩の傷ついた心は貴女の内面の美しさに癒されていた。しかし、我輩は貴女にとても大事なことを言わないでいた。いつもアンネ殿を欺いていたことが、我輩の心を如何に締め付けていたが、真実を伝えたら離れてしまうのではと考えると怖かったのだ。そのことは謝ろう。けれども、我輩はもう貴女のことを考えずにはいられない程の"愛"というものを知ってしまった。この気持ちを伝えた上で聞いて欲しい」
私もあなたを魅力的に感じていました。声には出さないけれど心の中で呟いた。それにしても、嘘をついていたなんて何を言い出すのだろう。格好からして思い当たることはあるけれど……。
「我輩、この格好、そしてこの犬歯」
大きく開けられた口には、とても人工物には見えないが、普通では有り得ないほど長く鋭い犬歯が生えていた。
「見ても信じてもらえんかも知れないが、冗談などでは無く吸血鬼なのだ。名はドラキュラ伯爵五世と言う。貴女から名前を聞かれた時に、失礼だとは思いつつ答えられなかったのはそういう訳だ。こう見えて御年155歳になる」
信じがたい話ではあるけれど、そう考えると今までの不審な行動も説明がつく。昼間に見かけたことがない事や、マヌステリス教会での苦しそうな顔も。
その時、私の頭の中に恐ろしい想像が浮かんできた――吸血鬼ということはもしかして私既に血を吸われているのかもしれない。はっとして首筋を触ってみても痕は無いけれど。
「我輩は神というものが好きではないのだが、今までもこれからも貴女の血は一滴たりとも吸わないと、神に誓っていい、いや誓おうではないか」
その言葉は信じたいが、何せドラキュラを名乗る人だ。いいや、人ならぬ悪魔だ。私が吸血鬼なんかに惚れるはずがない。きっと初めから悪魔に騙されていたのだ。なんと恐ろしいことだろう。
私は無意識の内に背を向けて走り出していて、気付いたら号泣していた。がむしゃらに走ったからか足が痛む。幸い追っては来ていない。
でも私はもうこの街にはいられない。"悪魔にたぶらかされた女"だなんて知られたらどうなることか。何故去年のハロウィンに私が悪魔に目をつけられてしまったのだろうか。私は天からこんな罰を貰うほど悪い人間だったというの?ああ、神様、こんな私をどうかお許しください。
アンネは1469年のハロウィンから依然行方不明である。偶然か必然か、アンネが行方不明になってから、スレージアの周りで殺人事件は再び起きることはなかった。