第9話「セクシャルマスターって、つまるところ変態だろ」
心地のいい陽光が降り注ぎ、小鳥のさえずりがどこかしこから聞こえてくる。そんな文句なく爽やかな朝の始まりに俺は自宅のトイレにこもり、ひたすら襲いくる腹痛に耐え続けてます。
「ヒロ君、大丈夫?」
「……大丈夫じゃねえよ」
ドアの外から響いてくる天使の声になんとか言葉を返す俺。
「つーかお前はいつまでもトイレの外に立ってんじゃねえよ……」
かれこれ30分ほど俺がトイレにこもってる間、ずっと天使はトイレのすぐ外に立って俺に話しかけてきます。正直やりづらいったらありゃしません。
「だって、心配なんだもん」
「……」
……なんか珍しくまともなこと言ってんな。
「それにヒロ君のうめき声がいい具合に私の笑いのツボを刺激して――」
「そっちが本音かい……って、ぐおお……」
「あはは。頑張れ頑張れヒロ君ー」
「ぐ……。いいからお前は……お袋に今日無理っぽいから……学校に欠席の連絡入れるように……伝えてこい……」
「はーい」
「はあ……」
夕べよりはいくらかマシになったものの、この腹痛は尋常じゃねえな……。
しかし、とりあえず体に害のあるものは含まれてないはずなのに、ここまで人の腹を荒らし回すとは……それにあの味はウマいマズいの領域を飛び越えてたしな……しかし、あえて表現するなら世界中のあらゆるマズさが競演して地獄の交響曲を奏でたような――うん。自分でも言ってて意味不明だ。とにかくあれは人の食い物じゃねえ。そして、腹一杯あれを食ってケロッとしてるアイツは究極の味覚音痴だ。
とにかく、今後天使はキッチンに近づけないようにしよう。
そして、天使の手料理は「デスクッキング」と名付け今後なにが起ころうとも口にしないように注意しよう……。
とにかく今日は腹の痛みが引くまで部屋で大人しく寝るか……。
ってことで、俺は食あたりの薬を通常の2倍飲み、天使をお袋に任せ(不安だな)、部屋へ戻った。
――7時間後。
「……ん」
目を覚ました俺はまだぼんやりする意識に身を委ね、しばらく心地いい布団の感触にくるまった。でも、けだるさとは裏腹に目を閉じても一向に眠気は感じなかった。どうやら、だいぶ眠っていたらしい。
「今何時だ……?」
俺はベッドから身を起こして、勉強机の上に置いてあるケータイを手に取った。
「ん? メール来てんな……」
俺はまだ覚醒しきってない意識を持て余しながら、無造作に受信メールを開いた。
『おう、広之。お前が学校休むなんて珍しいな。なんかあったんか? ―― いや、言わなくても俺には分かってる。分かってるから安心しろ。健康だけが取り柄のお前がただの腹痛で学校休むわけねーべ? な?』
異様に内容が長かったんで、途中で切りました。つーか、勝手に腹痛じゃねえとか決めつけたあげく「な?」とか諭すニュアンスを使ってくる勘違い野郎ってこんなにもウザいもんなんだな。
とりあえず続き読むか。
『女なんてこの世に腐るほどいるべ? 一回振られたぐらいでそんな落ち込むなって! お前には「セクシャルマスター」の異名をもつこの俺がついてんだろ? つーわけで学校終わったらお前んちに直行する。礼はいらんぞマイフレンド!』
――うぜえ。ムカつくとか腹立つとか通り越して、とにかくうぜえ……。つーか「セクシャルマスター」って、つまるところ変態だろ。
あんまり女から変態変態言われるもんで野郎、開き直ってやがるな。
とまあ、とにかく俺は速攻で『来んな』とメールを送り返した。しかし――。
10秒後にメールが返ってきた。
『遠慮すんな。もう着いたから』
「はあ!?」
と驚いたところでピンポーンと階下からチャイムの音が響いてきた。
「は〜い。あら〜、努君じゃない。久しぶりね」
ウザい奴来ちゃったよ……。とりあえず、部屋から下の様子伺うか。
「どうも、おばさん。相変わらずきれいですね」
「あら〜。やだわ。努君こそ相変わらず、お世辞がうまいわね」
「いや、いや、マジですよ。マジでストライクど真ん中です。幽霊じゃなかったら、今すぐその魅力に取り付かれ襲っちゃいますから」
いや、人の母親になに言っちゃってんのお前。
「やだわ努君ったら、もう」
まあ、お袋の場合笑って返せるからいいけど、そのうちマジで捕まるぞお前。
「はは、ところで美沙さんいますか?」
そうか。やっぱそれが目的か。あ、ちなみにうちの姉貴美沙っていいます。俺より二つ年上の高校三年生です。
「美沙ちゃんは部活の強化合宿に二日前から参加してて今いないのよ。明日には帰ってくるんだけどね」
「あ、そうですか……。じゃあ、広之いますか」
俺はついでかい。
「ええ、部屋で寝てるわ。どうぞ上がって」
ってことで、ウザい奴が家に上がってきます。つーか、もう学校の終わる時間帯ってずいぶん眠ってたみたいだな俺。そのおかげか腹の調子もずいぶんよくなったみたいだ。
「ん? あれ? おばさん。キッチンでなんか作ってるあのかわいこちゃん誰ですか?」
あ、天使の奴だな。まあ、あいつに天使の姿が見えるのは必然だ。つーか、今日びかわいこちゃん言う奴も珍しいな。
「ミリアリア・バレンタインちゃんよ。昨日からうちに居候してるの」
「い、居候! ちっくしょう広之のやろお! そういうことかあ!」
……いや、どういうことだ。
「彼女に一目惚れして片時も離れたくないとかそういうノリかあ! 俺に内緒で一人だけパラダイスってか、この裏切り者があ!」
いや、ふざけんなバカ野郎。
「うふふ。なにを隠そう二人は人には言えないことまで知り尽くした関係なのよ」
「な、なにい! 人には言えないような親密な関係! あ、あんの野郎ぉぉ!!」
間違った情報がさらにねじ曲がって伝わっちゃってるよ。
「許さん! 許さんぞ広之ぃぃ! 男同士の美しい友情を踏みにじりやがってぇぇぇ! そっちがその気ならこっちもでるとこでてやらあ! ってことで広之のいない間にこっそりいただきまーす」
いや、筒抜けだぞ。ってか、もっともらしい理由述べたところで(まあ、奴の独りよがりだけど)てめえは女と見れば誰彼かまわず抱きつきにいくじゃねーか。
「やは! 初めまして、美しいお嬢さん!」
どうやら、野郎はキッチンに入り天使に話しかけてるようだな。
「? あんた誰ー?」
「僕の名前は野沢努。広之の一番の友達さ。っていうか僕口べただから分かりやすくスキンシップで今の気持ちを表現すると――好きだー!!」
あーあ。こりゃ抱きつきにいったな。
「あっ」
お決まりのパターンだな……。
――静寂のち、10秒後。
「っぎゃあああああああ!!!」
ご愁傷さま。安らかに眠れセクシャルマスター。
……ドドドドドドドド。
「ん?」
なんか、すごい勢いで誰かが階段を駆けあがってんな。と思ったら部屋のドアが蹴破られ、努の奴が俺の部屋に突入してきた。
「って、お前なにドア壊してんだ、コラァ!」
「やかましいわコラァ! こちとら図画工作の成績六年間大変良いで通してんだよぉ!」
「……いや、なに言ってんのお前」
「ドアの一つや二つ余裕で直せるっつーことだよぉぉ! いちいち説明さすなこの裏切り者があ!」
つーか、それ小学生レベルの話だろ。とりあえず、後で弁償さすからいいけどよ。
あ、ちなみに紹介が遅くなったけど、この短髪を真っ赤に染めた、髪色以外さして特徴のない冴えない男が野沢努です。
もう充分分かったと思いますが、この男(変態)煩悩が服着て歩いてるような奴です。相手が女なら挨拶代わりに抱きつきます。
中学の頃からの付き合いだけど、こいつの言動はほんと犯罪スレスレです。まあ、そんなだから言うまでもなく女からはモテません。
「――って誰がモテないだこらあ!」
「いや、だからお前も人のナレーションにいちいちリアクションすんな。つーか、お前イフリート相手によく無事だったな」
「当ったり前だろがあ! 俺の死に場所はかわいこちゃんの胸の中って決まってんだよぉ! あんな、ムサキモいおやじ却下じゃボケェェ!!」
そう訳分からんこと叫びながら、努は俺につかみかかってきた。
イフリートの奴、しくじりやがって……。と、俺は心の中でそっと舌打ちした。
「んなことより、広之! てめーは俺に内緒であんなかわいこちゃんとウッハウハのキャッピキャピ(ハートマーク)りやがってええ! うらやましいぞ、こんちくしょおぉぉぉ!!」
「いや、俺とあいつはそんな関係じゃねーから。つーか、お前ドア弁償してけよ」
「くあぁ! あいつ! 今あいつって言った!? 俺もあんなかわいこちゃんをあいつ呼ばわりしてみてえぇー!!」
「……人の話を聞け」
「おっはようヒロ君。あなたの天使が腹痛にきく特製料理をこしらえてきましたよー」
と、最悪のタイミングで天使が俺の部屋に入ってきた。
そんで――。
「きさまあぁぁぁぁー!!」
「ちょ……おま……くるし……」
努の奴に胸ぐらを掴まれ、ブンブン前後に揺さぶられる俺。
「マイエンジェルってかあ! 僕だけの天使ってかあ!」
「……」
「あはは。なんか楽しそうだね」
「は! ミリーちゃん!」
天使の声で我に返った努は、俺の胸ぐらから手を離した。
「そ、そのお盆に乗せたものは――」
「特製料理第二弾! バレちゃん特製! 七時間じっくりコトコト煮込んだ愛と友情と裏切りのセレナーデ♪ 完成。ヒロ君どうぞ召し上がれー」
「ひ・ろ・ゆ・きぃぃぃぃ……」
「……」
……お前ら、少しは病み上がりの人間を労ろうって気にはならねえのか?
「はーい。ヒロ君、あ〜ん」
そう言って天使は器に入ったデスクッキングの内容物をスプーンにすくい、俺の口元に近づけてきた。
「……いらねえよ」
「なっ! きっさまあぁぁぁぁぁ!! 亭主関白気取りかあ! 俺は好物以外食わねえんだよってかあ!」
「うるせえよ! あんな異臭放つ緑色したドロドロのスープ飲めるわけねーだろ!」
そう言いつつ、俺はつかみかかってくる努を振り払った。
「えーヒロ君食べてくれないの? せっかく苦労して七時間も弱火にかけて放置してたのに」
ごろ寝して出来上がりってか。
「ぬうう! 安心しろミリーちゃん! 俺が代わりに食べてあげるから! だから、こんな薄情者とは手を切るんだ! ていうか、俺にもあ〜んして、はい、あ〜ん」
そんなことを言いながら大口を開けてる間抜け面を見て、俺はしみじみと思った。
こいつ、バカだ……。
んで――。
「はい。あ〜ん」
「ふっふっふ。悪いな、広之」
「……」
俺は黙って天使にあ〜んしてもらって嬉しそうな努を見守った。
「ああ、幸せ……。もう思い残すことはなにもな……い……?」
はい。昇天しました。口から泡吹いて倒れながらも、表情は幸せそうです。
「――ヒロ君?」
「だから、食わねえっての。つーか、なに入れやがった?」
「え? 納豆とイチゴジャムとにぼしとクサヤとバニラエッセンスだよ?」
明らかにすき焼きよりグレードアップしてんな……。
「とりあえず、救急車呼んどくか……」
「あはは。努君って面白いね」
「……」
――とりあえず一命はとりとめました。