第18話「許せ、親父……」
「やっぱり、普通だね……」
「やっぱり、普通ですわね……」
朝っぱらから、神妙な顔をして食事の席についている天使とパッソン。二人の真正面には、新聞を広げ今朝の記事に目を通している親父がいる。
普段どおりの朝の風景だ。しかし、何とか親父の「変わった」部分を発掘しようと、二人は昨日からあらゆる努力を試みていた。とりあえず、その詳細をざっと紹介しておくか。
1 親父がテレビを見ようとすると、電源を消してみる。んで、もう一度親父が電源を入れると、すかさず消す。その繰り返し。
2 耳元で「カムサハムニダ!」と怒鳴ってみる。その後「お前はもう死んでいる」とそっと囁く。
3 親父が風呂に入っている隙に、用意していた着替え、バスタオル等すべてを隠し、代わりに姉貴の下着を置いてみる。
4 親父がトイレに行こうとすると、先回りしてトイレにこもり鍵をかけてみる。
5 晩酌のビールにアリエヘングライマッズィーの実を盛ってみる。
6 寝室に侵入し、電灯のスイッチを切ったり入れたりを繰り返してみる。その後、ベッドを揺らしたり、洋服ダンスを開け閉めしたり、あたかもポルターガイスト現象のような行為を延々行う。
これだけでも分かるように、すべての行為は完璧たちの悪いただの嫌がらせだ。他にも多々あるにはあるのだが、説明するのも馬鹿馬鹿しいので省いておく。つーか、二人も後半からはただ単に親父のリアクションを楽しんでいるだけのように見えたのは、俺の気のせいか?
「なあ、広之」
新聞を広げながらも、記事に集中できない様子の親父が隣に座る俺にそっと声をかけてきた。
「なにか、誰かに見られているような気がするんだけど……気のせいか?」
「……気のせいじゃねえな」
あんた、さっきからたち悪い二人に見られてるよ、親父。
「……俺、なんか二人に嫌われるようなマズいことしたかな」
「いや、親父に非はまったくない」
ちなみに、昨日のうちに親父は天使二人の存在を認識だけはしていた。お袋のことで心霊関係に免疫があるとはいえ、それとはまったく別物の「意味不明」な生物、しかも姿の見えない未知の生き物からの一方的な声だけの自己紹介に、親父は困惑し狼狽しながらも、快く二人の居候を許可したのだ。ほんと、この親父は人がいいことこの上ない。
「それじゃ、私行ってくるね」
すでに制服に身を包み、身支度も済ませた姉貴が、一人早々に朝食を摂り終え、椅子から腰を上げる。部活の朝練があるため家族の中で一番に家を出て行くのはいつも姉貴だ。そんで、リビングから出て行こうとする姉貴の背中に、親父が慌てながらも控えめに、それでいて極力気を遣うような、端から見ててあまりにも気の毒な様子で姉貴に声をかけた。
「い、いってらっしゃい、美沙。気をつけてな」
姉貴は親父の声に立ち止まると、すっと振り返って親父に冷たいまなざしを向けた。父親を毛嫌いする難しい年頃の娘、そんな娘にどう接していいか分からない父親。そんな典型的な家族の型にはまることなく、今まで普通に仲のよかった二人だったが、姉貴は何も言わず分かりやすく不機嫌にぷいっと親父から目をそらすと、無言でリビングから出て行ってしまった。
あの姉貴がシカトか……。こりゃ、相当腹立ててるな……。んで、親父のほうを見ると、こっちはこっちで、突然地獄の底に突き落とされました、みたいな顔をして、呆然と固まっていた。
「うーん。美沙ちゃんったら、よっぽどヒロ君パパの女装趣味が許せないんだねー」
「ほほほほ。ミリー。あなたまだ、そんなこと言ってますの? 昨日、洋服ダンスあさってみましたけど、それらしいものは見当たらなかったでしょう?」
「甘いね、パッソン。プロの変態は他人のものをつけたがるものなんだよ。きっとヒロ君パパは美沙ちゃんのものを影で愛用してるの。中間管理職の隠ぺい工作とストレスをなめちゃだめだよ」
いや、お前が世の中間管理職の方々のなにを知ってるってんだ。つーか、まあ、確かに親父は中間管理職だし、聞いててなぜか説得力があるように聞こえてしまうが、親父は決してそんな変態ではないことをここではっきりいっとこう。
そもそも、親父が姉貴にシカトされたのも、元を辿れば全部こいつらのせいだ。昨日、親父が風呂に入っている間にこいつらが、用意していた親父の着替えと姉貴の下着をすり替えたもんだから、親父がそれを姉貴の部屋に返しにいく羽目になり、話がこじれたというわけだ。完全なとばっちりだな。
「……元気出せよ、親父。姉貴には、また俺からきちんと話しとくから」
俺はあんぐりと口を開け、固まったまま動けないでいる親父に声をかけた。おそらく、今の親父に俺の声は届いていないだろう。無理もない。これまで順風満帆に築いてきた娘との仲を、たった一夜にしてずたずたに引き裂かれたのだ。昨日からの一連の出来事を振り返ると、間違いなく親父が誰よりも天使から一番被害を被っている。奇人変人の枠の中に放り込まれた常人の親父に、俺は心から冥福を祈った(死んでねーけど)。
そんで、そんな親父をよそに天使とパッソンはなにやらごしょごしょと内緒話をして、時々笑い合っていた。何か悪巧みをしていることはあからさまだったが、俺も学校に行かねばならないし、ここでむやみにツッコむと、標的が親父から俺に切り替わってしまう恐れがあったので、そっとしておくことにした。許せ、親父……。
そして、時刻は8時を回り俺はたち悪い二人を残し家を後にした。真の親父の受難は、ここから始まる――。
――ってわけで、ヒロ君が学校に行っちゃったので、ここからは私、天使ことミリアリア・バレンタインがナレーションを担当しまーす。よろしくね♪ あ、ちなみに、パッソンもやりたがってたけど、お嬢様言葉がウザイってことで私が却下しときました。ってことで、話に戻るね。
ただいま時刻は、えーと、8時27分。そろそろ、家出ないと遅刻しちゃうわよ〜ってヒロ君ママが言ってるのに、ヒロ君パパったら、まだ固まったままなんだよね。よっぽど美沙ちゃんに無視されたのがショックなんだね。なんか、落とし物を拾って親切にその人に返そうとしたのはいいけど、なんか声かけるタイミング逃して、結局家までついていっちゃったのはいいけどやっぱり声かけらんなくて、そのままズルズルストーカーになっちゃいました♪ って顔して固まって――。
「ちょっとミリー! あんたなに訳分かんないうえに適当な説明してますの!? いい加減なことしてるとナレーション交替させますわよ!」
なんかパッソンが怒鳴ってるけど、私はさりげなく無視をした(ヒロ君の真似)。
「おいいいぃぃぃ!! あんな奴の真似するなぁ!」
ムッシムシ〜(私流)。
「そういうことじゃないのおぉぉ!!」
も〜うるさいなあ。なんか、もううっとおしいから、イフリート呼んで今日一日パッソン部屋に軟禁しよっと。
「ってわけでよろしくねイフリート♪」
「……ウス」
「おのれ、ミリィィィー――……」
バタン!(部屋のドアが閉まる音) カチャ!(内鍵かけた音)
さてさて。そうこうしてるうちに、ヒロ君パパは、身支度を終えてまさに家を出ようとしてるとこでした。うん。背広着込んでばっちり、いい感じに疲れた中年サラリーマンに変身しちゃった。んもう、ここで「変!身!」とか言ってくれれば笑えたのに、ヒロ君パパったら、笑いのセンスないんだから。決めポーズはもちろん、カツラとってハゲ頭を誇らしげになでながらガッツポーズ。そこですかさず決めゼリフ。
「ストレス戦隊! ハゲリーマン!!」
ってことなの。
うん。つまりね、私ヒロ君パパの頭絶対カツラだと思うんだよね。だって、絶対おかしいでしょ? ヒロ君パパって髪の毛普通にあるんだよ? ヒロ君が言うにはヒロ君パパって今年44歳の中小企業の課長なの。それなのに髪はふさふさで短髪できまってるし、体型もなんかスリムだし、優しそうな朗らか顔してるから、なんかメガネも似合ってるし、これって絶対おかしいと思うの。
だって、中間管理職だよ? 上司と部下の板挟みだよ? やけ食いしなきゃやってらんねーんだよ? いつか上司絞め殺してやろうと思ってるんだよ? ね? おかしいよね、絶対。
でも、昨日お風呂上がりに髪の毛引っ張ってみたけど、取れなかったんだよね。私が思うにヒロ君パパには絶対なにか秘密があるんだよ。
ってことで、私今からその秘密暴くためにヒロ君パパの会社についていこうと思うの。そんで中間管理職の生態をきちんと調査して、家族のみんなにも報告してあげようと思うの。そうすればきっと「てめえに生きる価値はねえ!」って叫んじゃいたくなるようなとんでもない秘密が明らかになって、美沙ちゃんだってきっと機嫌直すよ。うん。女装趣味なんてもったいぶるより、実はホモでしたってカミングアウトしちゃえば、美沙ちゃんだって、分かってくれる――わけねーじゃん。あっはは。
ってわけで、これから私ヒロ君パパのあとつけちゃいまーす。調査報告は次回ってことでお楽しみにね♪ チャンチャン♪