地上探訪ツアー記
週末、私は同僚のボニートに誘われ、地上探訪ツアーにやってきた。
地上から資源を採掘している業者が副業として始めたもので、バスを使って地上に作られたトンネルの中を進んでゆき、その要所に在る展望所を転々として地上の風景を眺めてゆくという人気ツアーだ。
本当はモーレイが最近できたばかりの彼女とデートで行く予定だったらしい。
地上ツアーは、海底では絶対に見ることのできない景色が見れるため人気が高く、なかなかチケットが取れない事で有名だが、初デートの前に彼女に振られたとあっては行く気も失せるだろう。
チケットを回されたボニートには彼女がたくさんいた筈だが、振られた男から回ってきたもの、というところに不吉さを感じたらしく、私に席が回ってきた。
モーレイには悪いが、前々から地上に興味を持っていた私にとっては幸運な出来事だったと言っていいだろう。
私とボニートはマリンピア中央駅からモーティヴを乗り継ぎ、地上トンネルの最寄り駅である東ラプチャーで弁当を買った後、観光バスに乗り込んだ。
バスは特別仕様らしく、天井も透明なガラスで覆われている。
私たちの席は後ろから数えて二つ目、右側のシートで、ボニートは私に窓際の席を勧めてくれた。
乗客が次々と乗り込んできて、私たちは前や隣、後ろの席に乗り込んできた乗客たちと軽く挨拶を交わす。
バスの座席がいっぱいになってしばらくすると、発車時刻になり、ドアが閉って、ガイドのお姉さんが前に立った。
それなりに美人なガイドの自己紹介もそこそこに、バスは推進エナジーを吹かせ、地上トンネルに向かってすいすいと走り出した。
「なぁ、知ってるかアルフォンシーノ、地上じゃ俺たち息出来ないんだぜ?」
「なんだ、そんなの子供でも知ってるだろ」
「もしトンネルが壊れたら俺たち死んじまうんだぜ?だからさ、万が一のために袋に水を詰めておくのってどうだい」
「お前、袋なんてかぶって死にたいのか?そんな間の抜けた死に方嫌だよ私は」
ボニートとくだらない話をしているうちに、バスは地上トンネルに差し掛かった。
直径三十メイタルはありそうな巨大な丸い口に、バスは真っ直ぐ飛びこんでゆく。
私は窓の外を見た。トンネル内部の壁は青く、薄いブルーのライトが天井から照らしている。
「暫くはつまらない光景が続くぜ」
ボニートが言った。
私は頷いて、シートにもたれかかった。
暫くすると、バスの速度が緩やかになった。
「お待たせしました。間もなく第一展望所でございます」
ガイドの声。そのまま少し進むと、分かれ道に差し掛かり、バスが左折した。
「おお……」
私は思わず声をあげてしまった。
青い壁のトンネルを抜けると、そこは分厚いガラスで創られた丸いドームだった。
窓の外には、始めてみる地上の光景が広がっている。
バスは、ドームの真ん中で停車した。
「第一展望所、〝波打ち際〟でございます。皆さまお降りくださいませ」
ガイドの言葉に従って、私たちはバスの外へ出た。
「すごいな」
「ああ、すごい」
私たちの目に飛び込んできたのは、輝く青と白の光景。
普段見慣れているはずの海が、外から見るとまるで別世界のようだった。
青い海は波を打って、白い砂浜に食らいつく。かと思うと、多くの白いあぶくを作りながら、すごすごと引き下がり、また食らいつく。その繰り返し。
私たちは子供のようにドームのガラスに張り付いて、外の光景を食い入るように見つめていた。
「あっ」
私は声を上げた。
ドームの外、ガラスのすぐそばを、小さくて赤いカニが一匹。無警戒に歩いているのだ。
「いいよなあいつら。地上を歩けるんだ」
ボニートがうらやましそうにそう言った。
「皆さま、上をご覧ください」
ガイドの言葉に、首を振りあげるとそこにも青と白の光景が広がっていた。
「あちらが『空』でございます」
「おお……」
私はその美しさに思わず言葉を失ってしまう。
どこまでも広がっているその空は、海底から見上げる水面とはまるで違っていて、きらきらとした輝きこそないが、透き通るような一面の青。
そこを、ふわふわとした白い雲がゆっくりと漂っていて、太陽がさんさんと輝いていた。
ふと、雲とは違う、もっとずっと小さい何かが二つ、白い翼を広げてすーっと、真っ直ぐに海の方へ飛んで行くのが見えた。
「皆さま見えましたでしょうか。今飛んでゆきましたのが〝鳥〟でございます」
「凄いな、地上を歩くだけでもすごいのに、空を飛べる生き物までいるのか」
ボニートはまたうらやましそうに言った。
私たちはしばらく景色を楽しんでいたが、一時間もするとガイドがまたバスに乗り込むように促した。
私はこの青い空をもう少し見ていたかったが、渋々ボニートと共にバスに乗り込んだ。
「次は第二展望所〝遺跡〟でございます」
今度はドームではなかった。
トンネルそのものの壁がガラス張りになっていて、私たちが景色を見ながら歩けるようになっている。
バスは私たちを下し、先行してしまった。
私たちは先導するガイドの後を、きょろきょろと首を忙しく回しながらゆっくりと歩いた。
目に飛び込んできたのは、とても無機質な光景だ。
先程のような美しさはないが、雄大な光景が広がっている。
たくさん穴のあいた高く細長い岩が、何十本と並んでいる。
「その昔、〝ニンゲン〟と呼ばれる種族が、この地上で繁栄していました」
ガイドは手を肩の高さまで挙げながらその光景を紹介した。
「この〝遺跡〟は彼らの住居の跡と言われています」
なるほど、言われてみればそれら立ち並ぶ大岩は、まるで私たちが海底に建てている住居そのものだった。
「彼らは栄華を極めましたが、地上の環境変化に適応しきれず滅んでしまったと言われています。もっとも、我々は地上の全てを調査出来ているわけではありませんので、この広大な大地のどこかに、ひょっこり生き残っているかもしれません」
暫く歩くと、トンネルの側面から小さなドームが張り出し、そこでバスが停車していた。
「それでは皆様、ここで一時間のお昼休憩とします」
小さなドームの中にはベンチと丸いテーブルがたくさん並んでいた。
ドームの目の前にニンゲンの住んでいた遺跡でもひときわ大きなものがそびえていて、穴からその中までがよく見えていた。
私とボニートは空いている席に着くと、駅で買った弁当を開け、食べはじめた。
「なぁ、アルフォンシーノ、ニンゲンってどんな姿をしていたんだろうな」
ふと、ボニートはそんな質問を投げかけてきた。
「さあな。案外私たちと同じような姿じゃあないか?頭があって、手があって」
「ヒレはどうだろう?水かきは?」
「地上で生きてた生き物だから、そんなのはないだろうね」
「きっと鰓はなかっただろうな」
「そうだな、たぶん、肺で呼吸していただろうし」
「どうして滅んじゃったんだろうな。遺跡を見たところ、俺たちと知能は同等くらいじゃないか?」
「そうかな」
と私は首を傾けて言った。
「私たちはたんに泳げばいいから、どんな高い建物でも建てようと思えば建てられる。しかし地上だとどうにかして石を積み上げなきゃならない。そんな方法思いつくか?」
「それは多分、俺たちに必要ないことだから思いつかないだけさ」
「なるほど」
私は頷いて、弁当の魚にかぶりついた。
昼の休憩が終わると、私たちはまたガイドに従って歩いて第二展望所を歩いていた。
バスは荷物を載せると、こんどは展望所の終点まで先行していった。
「なあボニート」
今度は私の方からボニートに話しかけていた。
「ニンゲンはどうして滅びたんだろう」
「さあな」
ボニートはそっけなく答えた。
「案外、滅んでないのかも。ガイドさんが言ったみたいに内陸に生き残りがいて。ああ、もしかしたら窓の外にひょっこり出てきたりしてな」
「まさか」
私は笑ったが、もしも、ということがあるかもしれないと思って、窓の外、特に物陰を注視しながら歩いた。
しかし、どうやらニンゲンは、少なくともこの近くには、もういなかったらしい。
私たちはバスに乗って、次にたどり着いたのは、また大きなドームだった。
「第三展望所、〝花畑〟でございます」
私たちはまたも、その美しさに圧倒されることとなった。
「これは……まるで珊瑚礁のようだな」
「いや、それ以上さ」
私の言葉に、ボニートはそう答えた。
そこに広がっていたのは圧倒的な緑と、その上に咲く赤、白、黄色の、美しい花々。
海中にも植物はあるが、此処までの美しさはない。
私たちはまたも、食い入るようにドームの外を見ていた。
花々は時折、ゆらゆらとその体を揺らしている。
ガイドの説明によれば、外では風というものが吹いているらしい。それは海流と似たようなもので、地上を満たしている空気が流れているのだという。
それをじかに感じることが出来ないのを、私たちはとても残念に思った。
じっと目を凝らすと、波打ち際で見た鳥やカニよりもずっと小さな生き物が、花から花へ、また花へ忙しく飛び回っていた。
「花の上を飛んでいるのは〝ハチ〟という生き物で、彼らは花の出す蜜を集めて巣に持ち帰り、自らの群れを養うのです」
ガイドの説明に、私は首を振った。
「花の蜜か。どんな味がするんだろうな」
「きっと甘いぜ。新鮮なマグロの刺身よりもずっと」
「そしてもっと植物的だろうな」
私は、また空を見た。
そこには先程と変わらない、力強い美しさが広がっている。
「お待たせしました。次が最後でございます。第四展望所、皆さま心行くまでお楽しみくださいませ」
今度もドーム状の展望所だったが、私は少し首をかしげた。
今までならばガイドが展望所の見どころを教えてくれていたが、今回に限ってはそれはなかったからだ。
外に出ると、今度の展望所は高台に作られていて、今までより広範囲が見渡せた。
「皆さま、あちらをご覧ください」
ガイドの声に、振り向く。
私は、その瞬間息をのんだ。
ボニートも声が出ないようだ。
「あれが、〝夕焼け〟でございます」
天高く力強く輝いていたはずの太陽が、海と空の間で、オレンジ色の弱弱しい光を広げながら、海の方へゆっくりゆっくり沈んでゆくのが見える。
空の青はもはや見えず、全てがオレンジ一色に染まる。
かと思うと、そのオレンジも黒を少しずつ上乗せされていった。
日が沈めば、待っているのは暗い闇の世界だ。
「いや、そうではない、のか……」
私は空を見上げて一人つぶやいた。
闇に上書きされてゆくそこに、白い光の粒が少しずつ顔を出してゆく。
太陽が消え去るにつれ、それは姿を増やしてゆき、太陽の残したオレンジ色がすっかり海の中に沈みきる頃には、空一面の黒を埋め尽くすかのように、白い光の粒がまき散らされていた。
「上をご覧ください。〝星空〟でございます」
私たち海底の住人にとって、夜は光のごくわずかしかない、闇の世界だった。
しかしここは、地上は違う。
それぞれ放つ光は弱弱しいが、それでも美しい星星が、優しく照らしてくれるのだ。
「あちらの大きな星が〝月〟でございます」
ガイドが差した方を見上げると、そこにはひときわ大きな星がぽっかりとうかんでいた。
彼女が言ういは、空はどこまでも広がっていて、その上には星星の海、〝宇宙〟があるのだという。
「まいったな……」
ボニートはようやく声をあげた。
「こんな良いものが見られるなら、やっぱり彼女を連れてくるんだった」
「モーレイを振った彼女に感謝するよ。でなければ私がこの光景を見ることは絶対になかっただろうから」
「おいおい、俺に感謝しろよ」
笑って、私たちはいつまでもその光景を楽しんでいた。
そして今度は絶対に彼女を作って来よう、と心に誓うのだった。
「なぁ、アルフォンシーノ。こんな説を知ってるか」
バスツアーが終わり、帰りのモーティヴの中で、唐突にボニートはつぶやいた。
「ニンゲンは、滅んだんじゃなくて、空の果てまで飛んで行った、って話」
「知らないが、夢のある話だな」
私には初耳だったが、あのどこまでも広がっていく空を思い返し、それが絶対にあり得ない話、というわけでもないような気がした。
ボニートは窓の外、海底都市を眺めながら、言った。
「もしそうだとしたら……海から出たニンゲンは、地上で繁栄し、空へ旅立って行ったことになる」
かれはふう、と一息ついた。
「海で生まれ、海でずっととどまっている俺たちは、どこへ行くんだろうな」
「さあな」
私は答えた。
「地球がもし丸くなかったら……私たちは地面に穴を掘るだけで宇宙を目指せたのにな」
「は、そいつはいいや」
ボニートは声をあげて笑った。
こうして、私たちのささやかな旅は終わりをつげ、明日からまたあわただしい、海の底での日常は始まるのだった。