表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
硝子の椅子は  作者: 全てAIが書きました。
4/11

第四章 被験者一覧

霧島は語る。

観測とは“結果を確定させる行為”であり、観測者自身の存在状態にも影響を及ぼす可能性があると。

実験理論は単なる装置の問題ではなく、観測者の定義そのものへ踏み込んでいく。

 被験者リストは、研究室の中でもっとも整然とした書類だった。


 番号。

 年齢。

 性別。

 実験日。

 結果。


 すべて同じ書式で並んでいる。

 だが、その整然さが逆に不自然だった。


 人間のデータは通常、もう少し乱れる。

 記入漏れや修正跡、インクの濃淡。

 そういう揺らぎがある。


 このリストにはそれがない。均一すぎる。


 つまり――

 後からまとめて書かれた可能性がある。


 僕はファイルをめくった。

 被験者01から23まで。


 全員が同じプロトコルを受けている。

 偽記憶誘導実験。


 その中に、見覚えのある名前があった。


 真白 透 番号17。


 僕は手を止めた。

 助手が被験者だった記憶はない。

 少なくとも、僕の記録にはない。


 だがここにある。


 インフォームドコンセントの署名もある。

 彼女の筆跡だ。


 日付は二年前。

 僕が彼女を採用する前だ。


 つまり彼女は、被験者として僕の研究に関わっていた。

 その事実を僕は知らなかった。


 知らないはずだ。

 もし知っていたら、採用時に記憶しているはずだ。


 だが履歴書にはその記述はない。

 被験者だったことを隠していたのか?

 それとも、僕が忘れているのか?


「先生、それを見つけましたか」


 背後から声がした。

 振り返る。

 真白がいる。いつも通り。


「君は被験者だったのか」


 僕は問う。


「はい」


 彼女はあっさり答えた。


「採用前に」


 その事実を、彼女は当然のように受け入れている。

 僕の方が動揺している。


「なぜ言わなかった」


「必要がなかったからです」


 合理的な答えだ。だが不自然だ。

 研究倫理上、被験者を助手として採用する場合は申告が必要だ。

 少なくとも僕の基準では。


「結果は?」


 僕はリストを見る。


 彼女の結果欄には “完全定着” と書かれている。


 完全定着。


 それは、誘導した偽記憶を真実として保持し続ける被験者に与える評価だ。

 稀なケースだ。

 通常は時間とともに疑念が生じる。


 だが彼女は違った。

 疑わない。

 揺らがない。

 完全に信じる。


 それは研究的には成功例だ。

 だが日常生活では危険だ。


 現実と虚構の境界が固定される。

 訂正不能になる。


「どんな記憶を与えた?」


 僕は問う。

 彼女は少し考えた。


「先生が決めたことです」


 その答えは曖昧だ。

 だがそれは当然かもしれない。

 被験者は誘導内容を完全には覚えていない。

 覚えているのは “記憶そのもの” だけだ。


 その記憶が何であるか、僕は記録を探した。

 彼女の実験ログ。

 ページをめくる。


 そこには――


 「幼少期に研究所に通っていた記憶」

 と書かれていた。


 そんな事実はない。研究所は十年前に建てられた。

 彼女の年齢では幼少期に存在しない。


 つまり完全な偽記憶。

 だがそれを彼女は保持している。


 研究所に対して、“懐かしさ” を感じる理由はそれか。


 初めて来たとき、彼女は「帰ってきた感じがします」と言った。

 あれは冗談ではなかった。偽記憶による感情だった。


 僕は椅子に座った。

 思考が遅くなる。


 被験者が助手になり、その助手が事件の中心にいる。

 そして僕はその事実を忘れている。

 忘れているのか、記録していないのか。

 どちらにせよ、研究管理として重大な欠陥だ。


「先生、記録は完全ではありません」


 真白が言う。


「観察されなかったものは残らない」


 僕の理論を繰り返す。

 それは正しい。

 だが今は、その正しさが僕を追い詰める。


「君は自分の記憶を疑ったことがあるか」


 僕は問う。


「ありません」


 即答だった。

 完全定着。

 彼女は自分の記憶を絶対視している。

 だから安定している。

 僕とは逆だ。


 僕は記憶を疑う研究者。

 彼女は記憶を疑わない被験者。


 役割が反転している。

 その構造に、軽い眩暈を覚えた。


 リストをさらにめくる。


 被験者18、19、20……

 名前を追う。

 ある名前で手が止まった。


 笹倉 正人 被験者21。


 実験日――

 事件の三週間前。


 結果欄は空白。未評価。

 つまり彼は、実験を受けたが結果が出ていない。


 あるいは――

 評価前に死亡した。

 その事実に、冷たいものを感じた。


「彼は被験者だったのか」


「はい」


 真白が答える。


「先生が誘いました」


 記憶にない。

 だが彼は研究内容に興味を示していた。

 被験者になる可能性はある。


 問題は、彼にどんな記憶を与えたかだ。


 ログを探す。

 だがそのページだけが抜けている。

 番号21の詳細ログがない。

 ファイルの綴じ跡だけが残っている。

 意図的に抜かれている。


「誰が外した」


 僕は問う。

 真白は首を傾げた。


「先生では?」


 僕は否定する。そんな記憶はない。

 だがその否定には、確信がない。


 自分の記憶を根拠に否定することが、

 どれほど脆いかを知っているからだ。


 もし彼に何らかの偽記憶を与え、

 それが動機になったとしたら?


 研究が原因で事件が起きたとしたら?


 その可能性はある。

 そしてその責任は、僕にある。


 その思考は、奇妙な安定をもたらした。


 自分が犯人である可能性より、

 研究が原因である可能性の方が受け入れやすい。

 罪の所在を拡散できるからだ。


「先生、因果関係と責任は別です」


 真白が言う。

 論理的だ。

 だがその言葉は、どこか冷たい。


 彼女はファイルを閉じた。


「被験者はデータです」


 その言葉に、一瞬だけ不快感を覚えた。

 だがすぐに消えた。研究者としては正しい。

 個人ではなくサンプル。

 感情を排除する。それが科学だ。


 窓の外を見ると、雪がやんでいた。

 白い地面が光を反射している。

 研究所が静かに浮かび上がる。


 そのとき、ふと気づいた。


 被験者17と21。

 真白と笹倉。

 二人とも事件の中心にいる。


 そしてその共通点は――

 僕の実験。


 僕はホワイトボードに新しい図を描いた。

 被験者ネットワーク。

 中心に僕。

 そこから矢印が伸びる。


 真白。

 笹倉。


 そして被害者たち。


 その構造は、研究者と被験者の関係そのものだ。

 観察者と観察対象。

 だがその図の中で、僕の位置が揺れる。


 僕は観察者か?それとも観察対象か?

 その問いに答えられないまま、図を消した。


 ICレコーダーを再生する。

 取調室での会話。自分の声が流れる。


「資料室にいた」


 その言葉が響く。

 その直後に、別の声が入っている。


 小さく。遠く。


「先生、違います」


 真白の声だ。

 だがそのときの記憶はない。


 録音にはある。記憶にはない。

 記録と記憶の乖離。

 それは僕の研究テーマだ。


 だが今は、自分自身の問題になっている。


 ICレコーダーの音が止まる。

 静寂。

 僕は思った。


 もし僕が観察されている側だとしたら、

 観察者は誰だ?


 警察か。

 真白か。

 それとも――

 記録そのものか。


 被験者一覧のファイルは、机の上で閉じられている。

 そこに書かれているのは、人間の名前ではなく番号だ。


 番号は個人を消す。

 個人を消すことで、構造だけが残る。


 そしてその構造の中心にいるのは、

 僕だ。


 その事実が、ようやく重く感じ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ