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そこに、彼女はいた。灰色の煙の中で、そこだけ光が差しているように白かった。色素の薄い金髪。透き通るような白い肌。そして、あの電話の声と同じ、少し寂しげで、でも意志の強いブルーの瞳。紛れもなく、彼女だった。
「……湊?」
彼女が僕を見上げる。怪我はないようだが、ぐったりとしている。地上の空気が、彼女の体には毒なのだ。呼吸が荒い。
「エラ……!」
僕は駆け寄り、彼女の手を握った。冷たい。氷のように冷たい手だった。でも、確かに生きている。
「本当に……来てくれたのね」
「当たり前だろ!待ってろ、今助け出すから!」
「だめ……私、外の空気じゃ……長く生きられない……」
エラは苦しげに首を横に振った。遠くから、サイレンの音が近づいてくる。消防車、救急車、そして黒塗りの車列。あの「組織」の人間たちだろう。
間一髪だった。あと少し遅ければ、彼女は大人たちに囲まれ、僕の目には触れることもなく連れ去られていただろう。僕たちに残された時間は、あと数十秒しかない。
「湊、ありがとう」
エラは僕の手を弱々しく握り返した。
「私、ずっと空の上から見ていたけれど……地上は、こんなに温かいのね」
「エラ……」
「この手の温度、忘れない。……私の、最初で最後の、地上の思い出」
彼女は微笑み、そっと目を閉じた。次の瞬間、防護服を着た大人たちが雪崩れ込んできた。
「下がりなさい!ここは立入禁止区域だ!」
「君、離れろ!感染の危険がある!」
僕は強引に引き剥がされた。
「待って!彼女は友達なんだ!ひとこと言わせてくれ!」
僕の叫びは、サイレンと大人たちの怒号にかき消された。担架に乗せられたエラは、酸素マスクを付けられ、黒い車の中に吸い込まれていった。車の窓ガラス越しに、彼女が何かを呟いたのが見えた気がした。
『さようなら』ではなく、『ありがとう』でもなく。
飛行船の残骸だけを残して、車列は去っていった。僕は河原に一人、立ち尽くしていた。手の中には、彼女の冷たい手の感触だけが残っていた。
*
二学期が始まった。墜落事故のニュースは、無人観測機の不時着として処理された。中に少女が乗っていたことなど、どこにも報じられていない。すべては闇の中。あの夏の出来事は、僕の妄想だったんじゃないかとさえ思える。
でも。僕の学生鞄の中には、あの蛇腹折りの手紙が入っている。英語の辞書を片手に解読したその詩は、空の上から地上へ宛てた、切ないラブレターだった。
放課後の屋上。秋の風が吹いている。空にはもう、あの銀色のクジラはいない。僕はフェンスに寄りかかり、スマホを眺めていた。圏外になってしまった『空の上のエラ』の番号。
諦めかけてスマホをしまおうとした、その時。
ブブッ。
短く、震えた。画面が明るくなる。着信を知らせるランプが点滅している。表示された文字を見て、僕は息を呑んだ。心臓が、あの夏の日と同じように高鳴り始める。
僕は震える指で、通話ボタンをスライドさせた。ノイズの向こうから、懐かしい声が聞こえる。
『……Hello?湊、聞こえる?』
南半球の空からか、あるいは地上のどこかの施設からか。距離も、場所も分からない。でも、僕と彼女の回線は、まだ切れていなかった。
「聞こえるよ、エラ」
僕は空を見上げて笑った。この広い世界で、たった一つだけの秘密の回線。僕たちの恋は、まだ終わっていなかったのだ。




