第6話 「先生」と呼ぶ少年、無言の少女。
お久しぶりです。今回はルビ振りしています。話すのが苦手な子の台詞なので、下が訳。上が、実際はこう聞こえるという意味ですので、そのつもりで読んでください。
ここ『滝野川総合支援学園』は、隣の『桜川メディカル医療センター』の運営している児童向けの特別支援施設である。
いわゆる福祉施設の一つで、内部に一応、治療施設もある。だが、別に病院のように医師や看護師がいて、薬が出されるわけでもない。いや、実際に必要なら、すぐ隣の親元に入れれば済むのだから、その必要がないというのが正直な感想だろう。ただ、“必要ない”と“問題ない”とは、その性質は、全く異なる。
そのため、治療というより、“緩和ケア”というのが、むしろ近いのかもしれない。疾患や病気を“治す“というより、それ以上悪くならないようケアをする。可能ならリハビリをして、社会に出るための準備をする場所。
だが、ここで生活する子どもたちにとって、そんな理由はどうでもいいこと。
“疾患や病気を治せば普通の生活が送れる”。そう言われたほうが、まだいくらか希望はあったのかもしれない。
いや、そんなことを言うと、実際、小児科で長期入院して、今も病気と戦っている子どもたちとってはなんとも腹立しい話かもしれない。だが、残念ながら、世間では、原因が“何であるか”が重要で、そうでない人間は、批判の対象でしかない。
つまり、これだけ科学が発展した現代社会において、“原因不明”というのが、そもそも許せないことらしい。一昔前なら“お狐様に化かされた”や“悪魔に取り憑かれた”というオカルトめいた理由で納得したというのに、なんとも妙な話である。
ただ、残念ながら世間とは、そういう理解の及ばない出来事に対し、否定的で排他的だ。
いや、自身を“癒やす”オカズのネタになるオカルトの方が、むしろ需要があるとさえ言える。
つまるところ、これが“治るもの”か、そうでないのかーーーつまり、世間のご立派な“常識” とは違うと揶揄され、蔑まれ続けて、心が疲弊した子どもたちだ。
聞こえにくい、分かりにくい、遠回しで回りくどい、過激な発言……。社会から“普通じゃない”というレッテルを貼られた、いわゆる“不思議ちゃん”や“電波”と呼ばれる子どもたちが集まる“変わり者”を隠すための『鳥かご』。そんな子どもたちが集まる場所。
(・・・って、なんてヒドイ言い草だ。俺も、その世間の毒牙に犯された一人だと言うのになぁ・・・)
そう安岡は、皮肉げに心のなかで毒づき、溜めていた鬱憤を吐き出すように、ゆっくりと息を外に吐き出す。知人の紹介でこの施設……いや、『学園』で相談員として働き始めたのだが、結局、外も中も一緒なのだと思い知らされる日々だった。働いている職員もまた、平気でレッテル貼りをする人間ばかりで、会話をすれば、言葉を歪め、歪曲して受け取られる。
いや、本人にその自覚はないことは、安岡にもなんとなく分かる。ただ、それまで培った“価値観”。いや、歴史がそれを許さないだろう。それまで見聞きした情報。無意識の刷り込み。周囲の環境や噂話。『18歳までに身に着けた偏見のコレクションでしかない』そういう言葉を残した偉人もいる。つまり、いくら否定しようとプライドがないと言おうと、彼ら、彼女らの生活歴により培われた“偏見”からは、逃れられない。それが人の業だと思うのだ。
先ほどのやりとりもそうだ。過去に相談すれば、「自分が指導員だから、私に聞きに来るのが普通でしょ」とクレームとして怒鳴られる。 ではと相談をすれば、「ねぇ、こんなこと、聞かなくても分かるでしょ。あんた、何を勉強してきたわけ? 普通、調べてから相談するよね」と馬鹿にされる。 ならばと、調べるために資料の閲覧を求めれば、「はぁ?! 担当者でもないあんたに、見せられるわけがないでしょ!! 馬鹿じゃないの!!」と怒鳴りつけられる。(どうやっても、詰んでいるよな)そんな過去のやり取りを安岡の脳裏にフラッシュバックのようにちらつき、頭を抱えていた。
ここは、建物の裏―――いや、相談室のある建物。『生活棟』の裏手。
グラウンドから見える相談室の職員通用口が表とするならば、ここはその反対側。日陰者の隠れ家というのが正しいかもしれない。
『滝野川支援学園』は4つの建物で構成されていて、安岡がいる『生活棟』。右手に校舎。左手に正門。校庭を挟んで正面に体育館兼訓練所(いや、リハビリ施設が妥当か)の順に立ち並び、上から見ると大きな“コの字”になっているのが特徴。
時間は、朝8時30分。
朝のホームルームの時間であるのが幸いし、支援部にわざわざ視線を投げかける人は、誰もいなかった。職員通用口を開けた安岡は、校舎を見て、ベランダに誰もいないことを確認した後、近くの植え込みに隠れるように、相談室を迂回した。
出勤時に校庭で、束の間の自由時間を謳歌する子どもたちの黄色い声が聞こえていたが、今はない。そのことに少しホッとした思いが脳裏を掠めながら、足早にその場を後にする。
生活棟の裏側は、鬱蒼とした荒道となっていた。雑草は数は少ないが伸び放題であったし、所々に水たまりのぬかるみもある。一応、砂利が敷き詰められているが、それも所々凹んでいる。外壁に隣接していることもあり、通りは非常に薄暗い。右手の白い高い塀の所々が苔で汚れており、左手の室外機や剥き出しの配管からはブオーンという空気の流れる音が聞こえていた。
安岡は、少し屈み込みながら、奥へと向かった。幸い、人はいなく。普段なら厨房の職員が、そこでタバコを吸いながら談笑していることに一抹の不自然さを感じながら、ゆっくりと歩みを進め、ちょうど通りの真ん中あたりで、腰を下ろし、懐から携帯灰皿とタバコを取り出し、火を点けて、今に至る。
「―――はぁ~。ゴホッ!! ゴホッ! ゴホッ!!」
大きなため息と共に、タバコを吹かしたのがいけなかったのか。
安岡は、大きく咳き込む。ようやく吸い込んだ空気を、まるで拒絶するように。体を少しくの字に曲げ、呼吸が落ち着くのを待った。
タバコを吸い始めたのは、いつからだったのか。そもそも、安岡自身タバコ自体は嫌いである。友だちに勧められて吸い始めたわけでもなく、あの当時、タバコを吸うことが一つのステータスのように唱えられていた。ただ、大学時代と新卒しばらくして、タバコを始めた。酒か、薬か、タバコか。いずれかの理由で、タバコが残った。それだけだと、安岡は自身を慰めながら、もう一本吸い始める。
そうやって、なんとか、頭の中の思考を切り替えようと、呼吸を繰り返していると、突然、背中に衝撃がきて、安岡は驚く。
「・・・先生。大丈夫。何しているの?」
振り返ると、安岡の背中に、少しアンバランスな顔をした少年が抱きついていた。頭は小さいのに顔は少しでかい。目の左右の高さは若干あっていなくて、左目が右目より少し低い。気持ち某有名アニメの玉ねぎ頭の彼に近い見た目をしている。最も、彼ほど、頭が尖っていないし、顎もそこまで大きくはない。二等辺三角形の上を平面にした、ちょっと細めの台形の顔。そんな少年である。
髪はキレイに切り揃えた短髪。口も少し動きがぎこちなく、左端があまり動いていない。彼が、昨夜、件の生徒『渡辺友希人』。この学園で数少ない、俺を慕ってくれる生徒である。ただ、何故か、俺を“先生”と呼びたがる、困った子でもある。
そのため、『さ行』と『っ』が言いにくいらしく、よく言い忘れる。ただ、決して国語の成績が悪いわけではなく、先日、癖字ではあるが、ひらがな・カタカナの書き取り問題を出したところ、問題なく書ける。ただ、書き数が多くなると手が止まるらしく、先日教師陣からの報告書にて、『漢字の書き取りは小学1年レベル』と書かれていた。
最も、それはただ思い出すのに時間がかかるというだけで、急がせなければまだ十分なんとかなるレベルであると、安岡は考えている。
「結希人くん。先生じゃないだろう。俺は、相談員。校舎で勉強を教える先生や訓練所で一緒に話す言語聴覚士じゃないんだから」
「うぅん? 先生は先生だよ。訓練所のお兄さんは、他の子といつも一緒だし、僕は先生と一緒に練習するほうが楽しいし」
「俺と練習するほうが楽しいか。いや、それは嬉しいけど」
安岡は、苦笑いを浮かべながら、頭を掻いて、悩む。
教師陣の中に、自分の領域を侵された。教師より教えるのが上手い。という感じに憤慨する(いや、そこまではいかなくても、気分を害する)人がいる以上、できれば、分別ができる年齢になるまでは言い方を変えてほしい・・・。
そんな思考が彼の脳裏を過ぎり、そこで、あることに思い出す。
「あれ? そういえば、今日は滑舌、発言練習の予定を、朝行う予定じゃなかったか? なのに、なんでこんなところにいるんだ?」
すると、さっきまでの楽しそうな雰囲気の顔が、友希人の顔からストンと抜け落ちた。それこそ、まるで最初からなかったかのように、顔に張り付けた仮面が消えたように表情から消えた。
10・・・20・・・30秒。
まるで彫刻のように固まり、動かなくなった少年は、ゆっくりと腕から力が抜き、その場に立ち尽くした。安岡は、振り返り、ゆっくりと視線を合わせように、膝立ちになる。
すると、友希人は、手を上げ、安岡に恐る恐るという具合に近づくのを、ただ呆然と待ち続けた。決して、焦らせず、友希人がしたい動きを、待ち続ける。そして、友希人が、安岡の首に手を伸ばした瞬間、彼は、腕を広げる。
「・・・どうしたんだ? 友希人」
抱きついた子どもに向かって、安岡はゆっくりと、でもどこか固い口調で話しかける。それは、まるで子どもをあやすのに不慣れな大人のようでもあった。ただ、少年は、何度も口籠るように、呼吸を繰り返した後、声を震わせて言った。
「今日、(保育士の)お兄さんが言ったの。訓練所のお兄さんが忙しくて、来られないの」
「・・・そうか。・・・残念だったな」
「・・・・・・でも、学校に行った時、聞いたの。授業で問題ないから、大丈夫だって…」
「・・・・・・」
言葉が出てこなかった。
そんなの、まず本人の意思確認をするべきじゃないのか。そして、話し合うべきではないのか。
「やだ!! また、みんなに言われるの。笑われるの!! ヤダゃ!!」
友希人は、首をブンブン振りながら、訴えた。
そうなると、やれることは決まっている。安岡は、そう考えた。
「静養室で勉強しようか。俺のほうで、連絡しておくから」
安岡がそう言うと、幼い少年は、彼の腕の中でゆっくりと頷いた。
安岡が、少年を抱え、その場を後にしようと立ち上がると、背中を引っ張られるような感覚がして、一度動きを止めた。
中腰のまま、ゆっくりと振り返ると、背の低い幼い少女が彼の服を掴んで立っていた。髪は短く、眉上で切り揃えられた所謂おかっぱ頭という髪型の少女が立っていた。
安岡の口から、自然とため息のような息が漏れた。それは、あまりに無意識な行動で、そのことに気づいた安岡は
(やはり、メンタルにきているな)と心の中で呟いた。
少女の服を掴む力が、少し強くなったような気がした。
「杏奈ちゃんも、一緒に行くか?」
中腰からもう一度座り直した安岡は、首だけを向けて、彼女に語りかけるように、ゆっくりとした口調で言った。すると、彼女は、手を差し出し、ゆっくり頷いた。
「じゃあ、すまんが、一度服を離してくれない。このままじゃ、動けない」
そう言い、彼女が服から手を離すのを待ってから、安岡は、その手を取り、静養室へと足を向けた。




