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言葉のお兄さんと、壁に耳あり

「じゃあ、お父さんが行っている間、ちょっとしたゲームをしようか」



お父さんと酒井さんがいなくなって、少し時間がたった後、高梨さんは、私達が立つ場所を大きく回り、私の真横に着いてからそういった。


「ゲーム、ですか?」


「そうです。正確には、澪ちゃんが今どれだけ言葉を理解しているのか、話せるようにするにはどうすればいいのか。それを測るためのゲームです。実際、どれほど言葉を理解しているのか。実際、どれほど人の話を聞き取れているのか。そういう目安を調べるゲームです。心理士や医師、教師も、どうすれば澪ちゃんがこれから何を学んで、何を身につければ話せるようになるのか、調べるんです」


「でも、その検査は、以前、自宅でもやりましたよ。役所の児童指導員という人が来て」


母がそう言うと、高梨さんは何度か頷きながら、まるで映画やドラマのようにゆっくりと、でも少し大きな動きでしゃがみ、私に視線を向けた。


「そうですね―――ただ、相談所の職員がしたは、簡易的なもので、澪ちゃんが上手く話せないのは何か、その性格や物覚えがどうかを計るものではないんです。つまり、『おおきな地図』を作るようなもので、集中して物事に取り組めるかどうか、話をちゃんと聞けるか、他の子に比べて何が得意で、何が苦手なのか、そういうのを計る検査です」


そう言うと、高梨さんは、一度息を吸い、ゆっくり吐き出した。


「先ほど、お母さんが酒井に渡してくれた検査結果は、私も見ました。それによると、澪ちゃんは人より繊細で相手の言葉をそのまま受け止めてしまうみたいなんですよ。ですから、人より傷つきやすく、間違った意味で捉えてしまう。ですので、今回のテストで、言葉をどこまでがわかるのか、何が苦手か、そう言う言葉の種を探すゲーム。いや、パズルと言った方がいいかな。それで、澪ちゃんの何が苦手で、何が得意なのかを調べたいと思います。そうすることで、お母さんの不安や澪ちゃんの必要なものが何かが分かるようになります。どうです?」

(嘘だ!!)


誰かがそう言ったような気がした。


いや、それは私かもしれないし、私が覚えている誰かもしれない。でも、ただひとつ言えるのは、それならなぜ、私が嫌だって分からないの。


私が辛くて、やめてほしいのが思い込みってされるの。そして、そんな私を誰も助けてくれないの。


ねぇ、悪い意味と捉えてるなら、どこがそうなのか、教えてよ。

小5だからって、それが分からないことがそんなにおかしいの?


(あの子と同じことを言ったはずなのに、毒舌とか言って、私がいつもワルモノ。私が嫌なことは誰も代わってくれない。ねぇ、そんな私っておかしいの!!)


疲れているせいか、私の心の過去の思い出に苦しんでいる間でも、私は、母に手を引かれ、場所を移動していた。体育館の入口を抜け、靴を脱ぎ、中のもう一つの扉を抜けた。


扉を抜けた先は大きな広場になっていて、真ん中に机や椅子。ちょっとした飲み物や食べ物を食べるスペースがあって、壁にいくつかの扉が並んでいる。


「偉いですねぇ。ちゃんと靴を脱ぎ、スリッパに履き替えられて! お母さんのーー」


そんな声が聞こえたような気がした。

母も楽しそうに笑いながら、子どもについての話を楽しんでいる。


「男の子は粗暴で、靴をちゃんと脱がないのよ」「スリッパなんか履かずに、廊下を駆け回って、元気なのはいいことなんですけどね」「へぇ、ケースワーカーの人も大変ですね」「あら、そんな乱暴な子どももいるんですか? それは大変ですね」


そんな声が聞こえたような気がした。いや、違う。声ではなく、音。カンカン、バンバン、ペチャクチャ。そんな高く大きな何かが、それが流れるプールのように、頭を直接叩くように、体に当たる。私は、その音に気持ち悪さと全身を覆う重さとなって、体を支えるのもイヤなっていた。


「こちらが各リハビリ、トレーニング室の待機所となります。こちらのリビングは、先ほど通った扉が防音遮断してくれるおかげで、外の生活音や騒音から守ってくれます。子どもによっては、ちょっとの音でも集中できず、訓練を行えない場合もありますので、こちらで休憩したり、気持ちを落ち着けてから、パズルを行う検査、リハビリ室へと移動します。壁に、1から6まで番号がありますが、各部屋ごとに行う検査、トレーニング内容が違います。今日は5番の検査室に、試験官のお兄さんが待機しています。澪ちゃん、ここまでよく頑張ったね。ここにはジュースやお菓子もあるから、少し休憩してから、自分のタイミングで、検査室へお母さんと一緒に向かってくださいね」


そう言い、高梨さんは、私の前に腰を下ろし、顔を向けた。


でも、私は、どうしてもその顔を正面から見ることが出来ず、お母さんに手を引いてもらって、ゆっくり、部屋の中央の絨毯やぬいぐるみ、ソファが置かれたエリアへと足を進めた。でも、そこに辿り着く前に、立ち止まり、五番の扉へ顔を向ける。


「大丈夫なの?」


お母さんが、少し心配そうに私の顔を見る。でも、私は構わないという感じで、足が動いた。というより、先生に似ている高梨さんと一緒より、試験の先生のいる個室のほうがまだマシだと思った。すると、


「お母さん。こちらを」


と後ろから、声が聞こえ、母はその何かを受け取った。


「本来は、飲食禁止なんですが、相談員や保育士同伴の限定で、テストの合間に水分補給は許可されています。試験官には、私が言っておきますので、もしよろしければ持っていてください」


そう言い、母は、頭を下げる。高梨さんが、私達をさけて、5番ドアに向かうと、ドアを軽く開けて中で何かを話す。その声は、私のところからは、よく聞こえない。でも構わず、足を動かそうとして、ドアをゆっくり開かれるのを徐々に大きくなっていくのを見る。


「では、澪ちゃん。頑張ってね」


そう言って、私と母が部屋に入るまで、高梨さんはドアをおさえて、明るい笑顔で見送った。






そこは小さな部屋だった。


木の椅子に木の机。私の目の前には、私の腰ほどの高さの少し大きめな赤いブロックが2つ、まるで壁や柵のように並び、その間の、入り口部分の床には、ジグソーパズルの1ピースのような凸凹の形が見えた。


床は、そのジグソーパズルの四角いマットで覆われているみたいで、私の見える範囲だけで、赤、黄色、白と可愛い色のマットがいっぱい見えた。ただ、あまりにも明るすぎて、正直、ずっと見ていると、目の疲れる巨大なパズルの床という感じ。


上には、カーテンのレーンを引っかけるフックがあって、私達がいる壁側には、学校で大人たちが座る(パイプ椅子?)固い椅子が端に置いてある。天井は明るく、壁は青か水色といったちょっと大人しめの色で、少しホッとする。


部屋の中央には、私たちが学校とかでよく使用する木の椅子と机があって、その上にはカルタやトランプで遊ぶ時に使う、ちょっと大き目な蓋つきの紙の箱が置かれている。


ただ、窓はなく、その代わり、部屋の奥には、外の絵だろうか。木や丘や空のような、いわゆる絵本とかで、私よりもう少し小さい子向けの子が好みそうな、そんな劇の背景のような絵が壁一面に飾ってあった。


だから、本当に何の音もしないこの部屋でも、まるで、いるだけで空気の重さに耐えるだけで、疲れてしまいそうなこの部屋でも、少し胸が軽くなったような、そんな気がした。


いや、多分気のせいだと思うけど、なんか、上手く思いつく言葉が思いつかなかった。いや、違う。多分、高橋先生とよく似ているあの高梨さんの近くからようやく離れられて、私はホッとしたのだと思う。その証拠に、私は、この部屋に入ってようやく。まともな息を吸うことができたんだと思う。中にいた、小林さんのおかげで。


私たちが部屋に入ると、そこに一人の若い男の人が手を振って、待っていた。

いや、男の人というには、ちょっと抵抗があると思う。だって、その人は、女の子のようなかわいい顔と姿をしていた。


高さは、下手したら私のお母さんと同じか、それより小さい。細い腕に小さな顔。大きな瞳に、アニメの活発な女の子のような明るい髪の色。白い眩しい肌。笑ったエクボの近くに見える八重歯が、子犬やハムスターを思わせる可愛さがあって、それこそ近所のお兄さんと同じ年齢、先日まで同じ学校に通っていると言われても、まるで不思議には思えないと思う。


それなのに、声は高いとはいえ、ちゃんと男の人のそれで、なんか反則だと思う。


「同じ反応をするんだね。さすが、親子」


そう反応を返された時のお母さんの顔って言ったら・・・。ちょっと、何頬を染めているのよ。お父さんに言いつけるわよ。って、本気でも思った。


でも、そんな子どものような面白いことをしていても、ちゃんと大人の人だと思った。


私の様子がおかしいのに気づき、ゆっくり、深呼吸をするのを待っていてくれた。お陰で、少し呼吸、胸の苦しさが収まったように感じた。


母が、その様子を見て、「さすが、言葉のお兄さん。子どものそういう様子を常にみているのですか?」と驚いていたけど、小林さんは


「いや、同僚の相談員がやたらにそういうのを気にするので、僕も真似てみたんですよ。本来、私達は医者じゃないので、そういう微妙な変化があれば、中断し、医者に指示を仰がないといけないんですが。そいつは、まず対処してから、医者に確認をしにいくんです。まぁ、医者からしては分かる範囲であれば、対処してもらえて助かるし、決して的外れなことをしているわけではないんですが、そのせいで敵も多くて」と言った。


母は「まぁ」と驚いていたけど、小林さんは「いや、悪いやつではないんですよ。冷静で指示も的確。逐一連絡もくれるし、忙しいと言ったら、ちゃんと時間を置いて、内容をまとめた資料もくれる。正直、技術職である私達からしたら、助かる場面も多い。でも、致命的に根回しベタでね。フォローが大変なんですよ」と頭を掻きながら、言った。


母はそうね。といった後、「そんなトラブルメーカーと関わり合いにならないように、注意しないとね」と私に言った。


でも、私は思った。


そういう小林さんも別にイヤという風には見えない。なんというか、コナンくんが子どもたちの暴走を仕方なさそうに止める、あのシーンによく似ている。だから、立ち回りが上手い高梨さんよりその人のほうがまだマシだと思った。少なからず、全くそんな経験をしたことがなさそうな人よりは。


少し落ち着いたお陰で、ゲームは順調だった。


最初の絵と言葉の意味を結ぶパズル。ようはカルタ何だけど、それはなんとか問題なくできた。元々、本やゲームは好きだったし、緊張したり、周りからないか言われる心配がなければ、普通に文字や数字を当てること自体は、さほど難しくはなかった。


ただ、ゲームに集中すると、次第に周りの音以外の音も聞こえるようになった。


「それは、色んな音を奏でるものです」

「それは、四角い箱や車などについているものです」

「そこからは音楽や色んな人の会話、日常会話などが聞こえてきます」


そういう小林さんのヒントを聞き、私は『ラジカセ』と書かれた四角い箱の絵が書かれた紙を取った。


「うん。連想するゲームは、大丈夫かな」


そう小林さんが言い、「じゃあ、次は少し難しい。最後の言葉にしようか」と言った。


「それは「はぁ、知らないわよ!! 友希人くんが来れなくなったのは、そっちのせいでしょ」目に見えなくて、それでもみんなの周りに必ずあるもの」


小林さんの声に混じって、誰かの怒鳴りつけるような微かな声が聞こえた。


「それは「あんたが、大丈夫って言ったから、似た症状を担当してた言語聴覚士の予定を空けてもらったの。それなのに、私に文句言うんじゃないわよ」楽しい時には早くなったり、辛い時には遅くなったりするもの」


心がざわつく。え、似た症状で私。つまり、私のせいで代わりの子の予定を空けたってこと。


「それは「だから、理事長の紹介で入ったアイツは、私じゃあ退職させられないって言ったでしょ!! 思い通りに動かないし、あんなタバコ臭い男。いくら怒鳴りつけても、一向に音を上げないのは、私のせいじゃないわよ!!!」数字で表すことが出来て、みんなが起きている場所を知らせてくれるもの」


私は、『時間』と書かれた紙に手を置き、取った。


(キーキー。甲高い音。やっぱりあの人、高橋先生と一緒なんだ)


「うん。連想は大丈夫だね。それじゃあ、次は、澪ちゃんの話す力。言葉の意味を教えてもらおうかな」


そう小林さんが言い、一枚の紙を取り出した。その間も、外から聞こえる怒鳴り声はまだ聞こえる。お母さんも小林さんもまるで聞こえていないみたい普通にしている。ねぇ、なんで誰も聞こえないの。ねぇ、もういい加減にしてよ


「わかったわよ!! まぁ、今日見た感じ、そろそろ限界みたいだし、明日ぐらいには終わるんじゃない。そのまま、ぽっくり逝ってくれたらいいのにね!!!」


その瞬間、私の中の何かがプツっと切れた気がした。私は、目を閉じ、前に突っ伏すように倒れ込む。


「おっと、大丈夫?」


誰かの声が聞こえたような気がした。そうだ。倒れたら、また誰かに迷惑がかかる。そして、また何か言われる。もう嫌だ、誰かに言われるのも、誰かが言われるのを聞くのも。


「……ちょっと、澪。大丈夫!!」


「……………………」


口が微かに動いた。でも、何を言っているのか、何を話しているのか、私の耳では聞こえない。ただ、薄っすら目が閉じる時、母が頷いて、何かを小林さんに言っている姿が見えた。すると、小林さんは頷き、奥から毛布を持って、戻ってくるのが見えた。


「もう、無理し過ぎなのよ」


そういう、お母さんの声が聞こえた。微かに小林さんの声の震えのようなものを感じた。でも、聞こえない。ふっと、夢見のような意識の中、まるで遠い向こうで聞こえる話し声のように、音が聞こえた。


「えぇ、私が外に働きに出てしまってから、今回の件が起こるまで何も言わなかったんです。昔から我慢強い子ではあったと思うんですけど、優しい子で、あまりわがままを言わなかったんです。言葉の発現が遅い子で、先生に聞いた時も『もし心配なら、言語教育を受けますか?』と言われたんですが、その後夫の転勤が決まり、引っ越しの後片付けで忙しい間に就学が決まったんです。小学1、2年の先生は、ちょくちょく様子を見に、お忍びで勉強を見てくれる優しい先生でしたので、大丈夫と思っていたんですが、小3、4は全然。


実は、今回の件で学校を訪れた際、小2の先生がこっそり教えてくれたんです。私から見ても、昔からの方法で、澪ちゃんに合わないと言ったことは何度かあったんですが、聞く耳を持つ余裕がなかったそうです。問題を抱えている子も多く、それ以上に親御さんが問題を抱えている家庭が多いため、何日も家に帰れない日が続いている姿を何度も見かけたそうです。その先生もお世話になったベテラン先生で、少し前『校内暴力』がニュースとして取り上げられた時からの先生だそうです。今でも、たまに特集されていると聞き、不思議に思ったんですが、実は、あの頃、中学生だった人が今親御さんになって、問題を起こすケースもあると聞きました。それで、もしかすると、娘まで手が回らなかったのかもしれない、と。ヒドい話ですよね。でも、それを聞くと、私、何も言い出せなくなってしまって――――」


そんな声が、夢の中で聞こえたような気がした。

私の意識は、そのままふっと、消えた。

第一話の澪視点は、ここで一時終了します。

次は、一つ閑話を挟みたいと思いますので、よろしくお願いします。


少しでも楽しんでくれたら、嬉しく思います。


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