第7話 森の隠れ家と、招かれざる「お荷物」
子どもたちの手を引く安岡は、狭い路地裏を進んでいく。
いや、正確には抱きかかえられた少年と、手を引かれる少女というのが正しいだろうか。
建物の壁に備え付けられた剥き出しの配管や、せり出した室外機。あとで片付けようと、空いたスペースに置いたゴミ袋の山など、道を塞ぐ障害物を避けながら、大人一人がやっと通り抜けられる細い道を慎重に歩く。
路地の出口に近づくと。安岡は建物の影に身を潜め、外に視線を向ける。
(・・・鉢合わせになったら、面倒だなぁ・・・)
そう思っての行動だったのだが、幸い、周囲に人の気配はなかった。本校舎と生活棟を結ぶ渡り廊下に視線を向けるものの、金具の擦れる音も、慌てて外に飛び出す姿も、見当たらない。それを確認すると、安岡はその場にしゃがみ込み、視線を背中の杏奈に向ける。すると、杏奈は、彼の背中に飛び乗り、友希人と顔がぶつからないように顔を横にし、安岡の首に手を回す。友希人も更に腕に力を込め、体を安岡に引き寄せる。
二人の準備が整うのを確認すると、安岡は、勢いよく立ち上がり、そのまま学園の裏手の雑木林に向かい走り出した。
歩いて2、3分。距離にして数メートル奥に向かった先、学園の建物からは若干死角になる場所に、子ども数人がなんとか遊べるほどの小さな広場が現れる
その中央。童話の“お菓子の家”と言うには、少しメルヘン過ぎるかもしれない。
ただ外壁は、少しくすんだ、ホームセンターで見かける木材のような黄土色。扉は、昔の診療所を思わせる上半身がガラス張りの扉で、その上には低いひさし屋根がついている二階建ての建物。
二階には、大きな窓に、平屋を思わせる青緑色の薄い平屋根。左右に三角の傾斜屋根があるため、正面から見ると『台形の額をした顔』のような、そんな和洋折衷を合わせたような二階建ての家。
某有名アニメ映画の“見習い魔女の下宿先”と“大きな猫のバスが出る主人公の家”を足して2で割った感じ、といえばイメージできるだろうか。そんなどこか隠れ家然とした佇まいと背後の鬱蒼と生い茂る雑木林の濃い緑。それが、まるで神社や森の隠れ家のような、外部の喧騒から離れたオアシスのような、そんな独特の安心感を抱かせた。
(・・・ただ、まぁ、だからといって、流石にこのツタはやり過ぎだろう・・・)
安岡は、建物を正面から見上げながら、内心でそう呟く。
二階の壁には、まるで絡みつくクモの巣のような縦横無尽のツタの迷路が広がっている。
それは、安岡には、田舎の祖母の家(まぁ、完全なイメージではあるが)といった、どこか古き日本といった。それこそ、後ろの背景の影響もあって、どこかおとぎ話の再現のような温かみのある佇まいを気に入っている。だが、女性(主に、大人の)からは不評で、虫が出るやら、建物が痛むやら、影で散々な話をしているのを小耳にした。だが、どっちかと言うと『廃墟みたいで気持ち悪い』いうのが、彼女らの本音だろう。
(・・・・・・・。)
思考が動こうとするのを、安岡は止める。胸に一物を生み出したような違和感を覚えながら、安岡は歩を進め、建物の手前、『静養室』の前で子どもたちを地面に下ろす。だが、杏奈はともかく、友希人は絶対降りないという感じに、更に腕の力を強めた。
仕方なく、安岡は友希人を抱え直すと、扉の取手に手を伸ばす。
その時、ドアの内側の鍵がカチャリと開く音がし、勢いよくドアが開く。
「・・・・・・・っ!!」
咄嗟に上体を逸らした安岡は、右足を前に出してドアの勢いを殺す。
足がストッパーの代わりとなって、ドアの角が安岡の鼻先でぴたりと止まる。直撃を防げたことに、安岡は息をつく。そのまま体を半身に構え、右手の杏奈を背中に庇うように移動させる。
「・・・あれ?? なんか、引っかかっているのかな??」
ドアの向こうからそんな女性の声が聞こえた。すると、何を思ったのか、一度ドアが戻すと、もう一度勢いよく開けられたーーーガツ! ガツ! ガツ!!
開閉するドアの風が、安岡の髪を揺らす。
幸い、靴のかかとでドアを受け止めているお陰で、痛みはない。だが、目の前を何度も通り過ぎるドアの角に、安岡は僅かに顔を引きつらせた。
「・・・ちょ、ちょっと! 人がいるから!!!」
安岡が、そう叫ぶと、ドアが止まり、その隙間から誰かが窺うように顔を覗かせる。
「・・・・・・あれ、信一さん。こんな朝早くから、どうしたんです!?」
安岡が足を戻し、態勢を直すと、開いたスペースを滑り込むように扉が開き、その影から少女が姿を表す。
小柄で中学生ぐらいの低い身長。背中まで伸びた長いウェーブのかかった黒い髪。目は少しタレ気味だが大きな瞳に小さな口。鼻はふっくらとした感じで、その結果顔の凹凸がはっきりとしつつ、どこか幼さを残す整った童顔(恐らく、身長のせいもあるだろうが)。白衣の下、薄いが微かに分かる胸の膨らみとそれに押し上げられるワインレッドのシャツ、白のスラックス。この静養室の主、心理カウンセラーの佐藤綾音が姿を現す。
「・・・どうしたじゃない。引っかかっていると思ったら、一度外に確認したらどうなんだ?(力任せに開けようとしやがって)」
内心悪態をつきながら、安岡は、ため息をついていった。すると、綾音は苦笑いを浮かべながら、言った。
「あはは、それは、ごめん、かな。てっきり、誰かのイタズラか。またドアのたてつけが悪くなって、開かなくなっただけかと思って。まさか、朝からこんな大きな荷物が届けられていたとは、思わなかったかな」
「・・・誰がお荷物だ。よく朝からそんな軽口を叩けるだけの元気があるな~~」
安岡が疲れたような声を上げて答えると、綾音はヤレヤレと言った感じに首を振りながら、言った。
「いや、安岡さんが朝から元気を吸われているだけですよ・・・。全く、朝から、な~んでこんな辛気臭い顔を見なきゃならないかな。・・・私の元気も水に来ないでくださいね?」
「わざわざトドメをさすようなことを言うなよ。これでも、なんとか顔に出さないように、踏ん張っている状態なんだからな」
「ふぅ~ん。それにしても、やっぱり顔色が少し悪いような。やっぱり、今朝、あれだけ怒鳴られて、心身が疲れても、仕方ないかな」
「・・・お前、わざわざ覗きに行ったのか?」
安岡は首を傾げながら言うと、綾音は愛想笑い浮かべながら、行った。
「まっさか。そんな人聞きの悪い。たまたま事務所の前を通ったら、聞こえてきただけかな。あれだけの大声でしたら、外までまる聞こえだったと思うかな」
「・・・それなら、止めに来てくれても良かったと思うけど?」
安岡がぼやくように呟くと、綾音はイタズラっぽい笑みを浮かべ、笑った。
「イヤよ。あんな台風のような危ないところに、わざわざツッコみたくないもの~。それに、昨日一緒に資料を作った時に、証明となる資料も持っていったんだから、それを見せればよかったのに、それをしないで、黙りこくっちゃう人の尻拭いなんて、出来ないもの~。それとも、女の子に自分の尻拭いをさせる気なのかな??」
「・・・うぐ」
安岡は苦虫を噛み潰したような顔をして、押し黙った。ただ、ふっと思いついたように笑い、行った。
「ただ、あの人にそんな方法は通じないだろうけどな。一ヶ月前、聴覚士の小林さんが入った時、どうなったか、忘れたわけじゃないだろう?」
「・・・確かに、あの時、しつこかったものね~」
そう言い、二人は顔を見合わせ、ため息をついた。
安岡がこの施設に働き始めてから三ヶ月、こういう叱責は日常となっていた。特に、彼女とのやりとりは、顕著で、資料を用意してもそれに目は通さない。読むのを無駄と拒否。誰かに助けを求めても、「これは相談員の問題ですから!!」と一蹴して、周囲の協力を仰ぐことを禁止した。特に、彼の現場の同僚である小林啓二に助けを求めた後、彼にしつこい尋問をし、業務の妨害をしたことを、彼は共通の友人である彼女、佐藤綾音から聞いている。そのため、このように協力を、こっそり、秘密裏に情報共有せざるを得ないというのが現状だったりする。
「・・・やはり、直接当たって砕けろで言い含めるしかないんじゃないかな~。そうすれば、見直して、仕事がやりやすくなるんじゃない??」
「・・・それが出来たら、苦労しないだろう。それに、話を理解し、建設的な話し合いが出来れば、こんな苦労していないと思うが??」
「・・・まぁ、無理でしょうね。あの人、男性と話す時と明らかにキャラ変えて、対抗心バリバリで話しているかな~」
綾音がそう言うと、二人は曖昧な笑みを浮かべ、再び大きなため息を吐き出す。
結局、何の問題解決の糸口もない。よく他人を変えられないというが、残念ながら、いくら自分を変えようと、他人がそれを認める理性と精神的余裕がなければ、何もならないのである。それこそ、それが原因で生活を死地に追いやられたりしない限り。
すると、綾音の視線は、なんとなしに安岡の顔からその背後へと向かい、安岡もその視線を追う。二人の子どもたちは、身を隠すように安岡の背中に身を寄せ合って立っていた。友希人は、不安そうに安岡の服の裾に力を入れ、杏奈は伺うように綾音の顔をマジマジと見つめている。その様子に、綾音は眉をあげる。
「・・・それで、終わったことをグチグチ言っても仕方ないけどーーーどうして友希人くんと杏奈ちゃんがここにいるんです? 今日の朝、発声練習の時間だったと聞いていてたはずかな~」
綾音に問われ、安岡は苦々しげに顔を歪めた後、愛想笑いを浮かべて軽い感じに話した。
「あはは、中止になったらしいよ。今朝、友希人くんが、朝の保育担当の職員から『今日、訓練担当の人が急に忙しくなったから、授業で練習することになった』って、言われたらしいんだ」
そう言われて、綾音は首を傾げる。
「それは、変ですね。小林さん、予定の変更の報せがわかったら、まず私か、友希人くんに直接言いにいく人なのに・・・」
「・・・あぁ~、あの人は、そういうことはしっかりする人だからな。俺もおかしいとは思うよ。でも、今朝、急に決まった話ということらしいから、もしかしたら、準備やらで手が離せなかったのかも、しれないな~」
安岡は、軽い口調で言いながら、やはり腑に落ちないという感じに、首を捻った。
すると、綾音は、何かを思い出したように手元のバインダーから一枚の用紙を取り出し、それを眺める。そして、「・・・そうか」と小さく呟きを漏らす。
「・・・何か、聞いているのか?」
「いいえ、私も今朝知った話なんですがーーー今日、新規利用者が体験説明会として、朝相談員と打ち合わせをするって話を、今朝、引き継ぎの看護師さんから聞いたんですよ。・・・すると、もしかするとーーー」
「・・・はぁ、それだな」
そう言うと、安岡は、自分の足元、現在も彼にしがみついている小さな少年に視線を向ける。少年、友希人は、恐る恐るという感じに視線をあげる。
小林啓二というのは、彼を担当する児童言語聴覚士だ。いや、正確には専任と言ってもいいのだが、彼は友希人や杏奈のような自分から発信するのが苦手な子に対し、根気強くコミュニケーションや意思疎通を図ることができる人である。正確には、彼自身の生い立ちの影響もあり、子どもの機微に敏感であると言えるのだが、逆にいうと落ち着きが無い子や知的な発達に極端なバラつきが見られる子は苦手であると言える。つまり、身体的構造の問題ではなく、精神的、環境的因子でここを利用しようと考えた子どもだと言える(ICF国際生活機能分類のモデル構造参照すると)。
ただーーー
「・・・はぁ、それなら、そう説明すればいいのに。なぜ、予定が合わないという説明で留めるだろうな」
「まぁ、あの人達にしてみれば、予定の急な変更という説明は理解できないと思っているんじゃないかな。実際、うまく話せない人の中では、急な予定変更の“こだわりが代わったこと”でパニックを起こす人がいるわけだし・・・」
「まぁ、それは理解できるが、それなら、教師陣に丸投げする前にできる手はあっただろうに・・・」
「・・・まぁ、それについては、私はなんとも言えないかな。ただ、実際、こうして静養室へ足を運んでいるわけだし、強ち間違った方法でも無いとも思えるけど・・・なんてね」
そう言うと、綾音は顎に手を当て、ふむふむと頷きながら答えた。安岡は、友希人の肩を掴むと、すっと、視線を合わせ、話しかけた。
「・・・ねぇ、友希人くん。綾音のお姉さんが言ってたんだけど、今日、友希人くんの担当している言葉のお兄さんが、友希人くんと同じく、うまく話せない、新しい子の手伝いをしなければ、いけなくなったんだって・・・。友希人くんは、そんな話聞いたかな?」
急に話を振られた友希人は、戸惑いながら、視線をアチラコチラに向けて、彷徨わせる。だが、安岡は、彼の手を両手で包み。
「・・・大丈夫。ただ、話を知っているか、聞いているだけだよ」
と、優しく問いかけた。すると、少年の口は、ゆっくり、何度も開け閉めを繰り返した後、消え入りそうな声で、それでもどこか懇願するような声で言った。
「・・・うん・・・うん。・・・しらない。・・・ぼく・・・その子の話・・・しらない・・・」
辿々しく、消え入りそうなゆっくりとした言葉を聞き、安岡は、ゆっくりと頷いた。
「・・・そうか。それで、友希人くんはどう思う? さっき、教室で笑われたくないって言ってたよね。今、友希人くんと同じような思いをした子が練習しているらしいよ。それで、友希人くんは、どうしたい??」
「・・・僕。できることを、頑張りたい」
安岡がゆっくりと問いかけるように言うと、友希人は、絞り出すようなか細い声でそう答えた。それを聞き、安岡はうんと頷き、友希人の頭をゆっくりと撫でた。
「よし、偉いぞ!」
「・・・えへへへ」
そう言い、友希人は恥ずかしいような笑みを浮かべた。
それを見ていた綾音は、呆れたようなため息を吐きながら、嫌そうな声で言った。
「・・・なんか、言わせてる感が半端ない感じがするかな~」
「失敬な!! 本人が頑張りたいと決意を、そんな風に言うんじゃない!!!」
「いや、安岡さんは、それでどうするか、考えがあるんですか~」
「それはこれから考える・・・」
「・・・だからかな~」
そう言い、綾音はヤレヤレと頭を振って、呆れる。




