8. 裏切りと断罪
バルドルとの密談から数日後。
王宮の広場には、王族、神殿関係者、貴族、そして選ばれた民衆が集められていた。
「聖女セラフィーヌ」の奇跡を、改めてこの目で見たい──それが名目だった。
「信仰の象徴にして、神の寵愛を受けた御方。
その力が真実であると、今一度、示していただきたい」
そう告げる神殿の代弁者は、にこやかに、だが逃げ場を与えない口調でセラフィーヌに語りかけた。
壇上に立った彼女の姿は、まるで処刑を待つ者のように静かだった。
足元には、いつかのように傷を負った者たちが並べられていた。老いた者、病んだ者、そして血を流す子供。
「あなたの手で、癒してください」
どこかで、バルドルが静かに頷いたのが見えた。民衆の目は、全て彼女の一挙一動に注がれていた。
静寂の中、セラフィーヌは一歩も動かずに言った。
「……私は、聖女ではありません」
その声は、驚くほど穏やかだった。けれど、瞬間に空気は凍りついた。
「私に奇跡の力はない。神の寵愛も、持っておりません」
貴族たちが眉をひそめ、民衆がどよめき、神官たちが顔を見合わせる。
ただ一人、バルドルだけが、静かに微笑んでいた。
沈黙は、ほんの一瞬、だった。
次の瞬間には、広場は蜂の巣を突いたような騒ぎに包まれていた。
「なんだと……?」
「偽聖女だ!」
「我らを欺いていたのか!」
貴族たちは顔色を変え、民衆は悲鳴と怒号を交えながら口々に罵る。
かつてセラフィーヌを崇め、賛美の言葉を惜しまなかった人々が──今や、手のひらを返す音が聞こえるほどだった。
「神の御名を騙った大罪人に裁きを!」
「魔女だ!あれは神に仇なす者だ!」
誰が言い出したのかは分からない。
だがその言葉は、たちまち群衆の中に浸透し、怒りと恐怖をもって火を点けた。
壇上に残されたセラフィーヌは、騒めきの海に飲み込まれながらも、ただ静かに立っていた。
民衆の罵声も、貴族の詰問も、神官たちの慌ただしい動きも、彼女の耳には遠く聞こえていた。
「──静粛に」
それはまるで、神殿に響く鐘のように、群衆の喧騒を断ち切った。
張り詰めた空気を纏い、階段をゆっくりと降りてきたのは、高位神官バルドルだった。
「皆さま、どうか……どうか落ち着いてください。
この場で騒ぎ立てることは、神の御心を乱すことにも繋がりましょう」
広場に沈黙が戻る中、彼はゆっくりと壇上に目を向け、続けた。
「我らが信じてきた“聖女”が、もしその名に偽りがあるとするならば──
それは大変なことでございます。ですが、だからこそ、我らは騒がず、秩序をもって真偽を見極めねばなりません」
「神殿としても、聖堂においてしかるべき審議を行い、神の御名にかけて、公正なる裁きを下す所存です」
その語り口は終始柔らかく、慈愛すら滲ませていた。
だがその目は、冷たく光る刃のようだった。
セラフィーヌの罪は、既に決まっていた。
この場におけるバルドルの言葉は、ただの演出──大衆が納得し、正義に酔えるための“儀式”だった。
セラフィーヌは、その日、「聖女」ではなくなった。




