4. ひとつまみの優しさと沈黙の祈り
神殿の奥深く、隠されるようにその部屋はあった。
煌びやかな帳と香の香る静寂の中、セラフィーヌは重厚な鍵を開ける。
聖女の間、それは代々の聖女だけに許された、秘密の部屋だった。
その奥の石板棚に、革で綴じられた一冊の古びた日記が収められている。
これは聖女の日記だ。
過去の聖女たちの言葉が綴られた書物が眠っていた。
セラフィーヌは白手袋の指先で、革表紙をなぞる。
『奇跡とは命の燃焼である』
『聖女の力とは、すなわち命の燃焼。人の世に干渉するたび、その灯火は削られていく』
──その言葉に、セラフィーヌの指先が震えた。
ページを繰るごとに、確信は深まっていく。
記されていたのは、歴代の聖女たちが奇跡のたびに衰弱し、ある者は二十を迎える前に亡くなったという記録。
(命を削る?まさか、あの子が。シャルが?)
「くだらない」と、セラフィーヌは鼻で笑いかけて──笑いきれずに目を伏せた。
あんな煤けた下女の命が、奇跡の代償になるというのなら神はなんて悪趣味なのか。
セラフィーヌは本を閉じ、立ち上がる。
「バカバカしい。あんな子一人の命が……」
そう言いかけて、言葉が喉に詰まる。
──「ご主人様……!」
藁の中で顔を上げ、目を輝かせたシャルの姿が脳裏に浮かぶ。
あの、壊れかけた身体で、それでもセラフィーヌを見て心から嬉しそうに笑っていた顔。
利用されているのと知らずに真っ直ぐにセラフィーヌを慕い好意の眼差しを向けてくる愚かな犬………なのに。
セラフィーヌはぎゅっと唇を噛み、震える指で額を押さえた。
その日を境に、セラフィーヌは奇跡を見せることをやめた。
*
「どうか、この子を……!」
「聖女様、お願いします、ひと目だけでも……!」
民が泣きながら手を伸ばしても。
王太子・アレクシスが穏やかに「どうかお願いできないか」と頼んでも。
さらには皇太后が厳しく問いただしても、セラフィーヌは何も言わなかった。
微笑みだけを浮かべ、言葉も祈りも差し出さずに。
理由など、説明できるはずがなかった。
なぜなら自分ですら、それを理解していなかったのだから。
それでも、彼女は一歩も譲らなかった。
そんなある日。
久しぶりに訪れた小屋の中、藁の上でシャルはセラフィーヌの側で膝を着き彼女を見上げる。
「……ご主人様、最近……出かけないね」
セラフィーヌはシャルの言葉には答えず、老馬の鼻を撫でている。
「……いいの?お出かけしなくて……」
シャルの声は弱々しいけれど、どこか嬉し気だった。
少し前までセラフィーヌは忙しくて一緒に居られる時間があまり無かった。
だけど今は動きづらくなったシャルのそばに居てくれる。
それがなによりも幸せだった。
「……あなたは、寝てなさい」
それだけを告げて、小屋を出る。
その背に、シャルは何も言わなかった。
けれど──その日から、民の間に流れる噂は一気に加速した。
「最近、聖女様は奇跡を起こしていないらしい」
「本当に……神に選ばれた方なのか?」
「もしかして、最初の奇跡も、偽物だったのでは……?」
祈りは結果を求める。
民の望みは“奇跡”であって、“沈黙”ではなかった。
そして、皮肉にもセラフィーヌの“優しさ”が、彼女を追い詰める火種となっていく。




