表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

2. 聖女になるには、犬が要る。

セラフィーヌ・グランヴィルは、王都の中でも指折りの名門、グランヴィル侯爵家の一人娘。

氷のような瞳に、炎のような情熱を宿しながら、それを誰にも見せることなく、今日も優雅にティーカップを傾けていた。


「ねえ、シャル。私って、どう思う?」

今、彼女は隣に膝をつく侍女に視線を落とした。

煤けた灰色の髪。紺色の瞳。薄い体に侍女の制服は似合わず、まるで首輪でもつければ完成する犬のようだった。

けれど彼女、シャルは、恍惚とした顔で主人を見上げている。


「ご、ご主人様は……もう、いちばんです!」

「ふぅん。相変わらず使えない犬ね」

セラフィーヌはくすりと笑ったが、そこに怒気も嘲りもなかった。

ただの事実確認だった。

この犬に思考力を求めるほうが、間違っている。

彼女にとってシャルは、飾りでも、侍女でもない。

ただのペットだ、それ以上でも以下でもない。


ふと、机に置かれた新聞に目がとまった。


《現聖女、ついに崩御。次代聖女、神託により選出予定》


──聖女。王に次ぐ、いや、時にそれ以上の国民的権威。

神の声を伝え、奇跡を起こす存在。


「ふぅん……聖女、ね」

その言葉に、シャルが首を傾げる。


「ご、ご主人様……セイジョって……ご飯ですか?」

セラフィーヌは噴き出しそうになるのを堪え、呆れたように笑った。


「ちがうわよ。痛いのを治したり、病を祓ったりする“神様の手先”みたいなものよ」

「…そ、それなら……シャル、できます……!」


シャルが、まっすぐな目で言った。

セラフィーヌは一瞬だけ沈黙し、それから小さく笑った。

信じていなかった。信じられるはずがなかった。

ただの煤けた犬が、神の手先如く傷を癒せると?そんな都合のいい話があるはずがない。


「ほんとうに……?」

彼女は席を立ち、窓辺の籠へと歩み寄る。

その中には、小さな白い鳥がいた。

セラフィーヌが気まぐれで買い、毎朝の慰みとした優雅な玩具。


彼女は何のためらいもなく、鳥の片翼を掴むと、折った。

ぱきり、と乾いた音がした。鳥が苦しげに羽ばたこうとして、倒れる。


「さあ、やってご覧なさい」

セラフィーヌはそれを床に落とすと、シャルの前に投げるように差し出した。


血の滲む小鳥。ぴく、ぴくと震える命。

シャルは、躊躇わなかった。

這うように鳥へと近づき、指先でそっと抱きしめるように包みこんだ。

すると彼女の手のひらが淡く輝く。

淡い光が灯り、まるで風が吹いたかのように物が揺れ、シャルの瞳が夜を裂くように、金に染まった。


だが光はあっという間に消え、シャルが両手を開けば小鳥は翼を震わせて立ち上がった。


「……っ……ぴ……」

鳴きながら、宙へ舞い上がる白い羽。

窓の隙間から、光の中へと飛んでいった。


「……あなた、本当に……犬ってだけじゃなかったのね」

セラフィーヌの唇が、ゆっくりと歪む。


けれど、それは喜びではなかった。

その目に宿っていたのは、抑えがたい興奮と、得物を見つけた猛禽のような欲望、そして揺るがぬ確信。


「……これは使えるわ」


それは、獲物を手に入れた捕食者の言葉だった。




その日神殿の祭壇前には、数多の聖女候補たちが並んでいた。


「“次代聖女の神託は、候補者を前にして下される”」

神殿の神官が読み上げるその文言に多くの候補者が動き出す。

泣き叫ぶ子を抱く者、血を流した老人の前に手を掲げる者。

だが、何も起きない。

神託も奇跡も、微笑みさえ下されない。


大理石のような神殿の階段を、セラフィーヌはゆっくりと、けれど確かな足取りで登り祭壇の前に進み出た。


「わたくし、セラフィーヌ・グランヴィル。次代聖女として、ここに立ちます」

一瞬、沈黙。

そして神官たちの間に、抑えきれぬどよめきが広がった。


「……私が、この国の未来を担う者です。さぁ!奇跡よ!」

まるで神に向かってさえ命じるような口調で。

誰もが戸惑う中、突如として空気が震えた。

セラフィーヌの足元に伏せられていた病人の身体が淡く光を放ち、焼けただれた肌が滑らかなものへと変わっていく。


「まさか……!」

「これは、奇跡……!」


セラフィーヌは動じない。

ただ、目線を遠くに向け──ほんのわずかに、神殿の裏手へ視線を逸らした。


そこには、ただの侍女服に身を包んだ煤けた髪の少女。

小さな手を組み、目を閉じ、祈っている影があった。


──それでいいのよ。見えなくていい。

あなたは“私の奇跡”なのだから。


「……神よ。この身を器として、あなたの声を届けましょう」


そう、セラフィーヌは高らかに宣言する。


“聖女”とは、信仰と演技の化身。

誰よりも神に近い顔をしながら、誰よりも地に足をつけた嘘をつく者──。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
セラフィーヌさんドSすぎて怖い
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ