君と光る原野へ:中編
《登場人物》
賀上将音
朝比奈明莉
――――2012年、一月。
僕たちは東京へ戻って来た。
でも彼女は二人で暮らしているアパートではなく、病院のベッドにいた。
そして僕は、まだあの事実を受け入れられず。
彼女の病室に行くことが出来ずにいた。
なんで……黙っていたんだろうか。
重たい話だったから、言いづらかった?
僕に言わずに、このままやり過ごそうとしていたのか……?
考えれば考えるだけ、心がすさみ始める。
やり場のない気持ちは、やがて自分に向き始める。
『お前が弱いから、打ち明けたくなかったんだよ。』
「そんなこと……無い。」
『包容力もない、男らしくもない、うじうじする弱虫野郎が。お前には明莉を支えられないんだよ。』
「やめろ……やめろ……やめてくれ!」
頭の中で自分と自分が言い争いをし続ける。
結局どうしようもなくなって、彼女の居る病室にやって来た。
ベッドに横たわりながら僕を見て、彼女はいつもと変わらないキラキラした笑顔を見せた。
「あー!やっと来たぁー、もう何してたの?」
「……ごめん、色々考えちゃって。」
「考えたって、何を?」
「いや、その……なんで病気のこと話してくれなかったのかなとか…色々さ。」
「はぁ~、そう言うことか。……ごめんね、色々と言わなくて。」
「いや、いいよ。気を使っていたんだろ……僕こんなヤツだし。」
「え?違うよ!それは違う!」
「じゃあ、どういうこと?」
「何と言うかさ、この幸せな関係が続いて欲しいなって思ったんだよ。
そしたら……病気の話とか、他の話も……怖くて言えなくなっちゃった。」
「……明莉。」
「ん?どうしたの将音。」
「結婚、しようか。」
「……え?」
「いや、一人で居るの怖いだろ。だから、二人で居られるように……。」
「将音……ありがとう、でも…ごめん。」
「え?ごめんって。」
「別れよう。本当はさ、次に会ったら、コレを言おうと思って待っていたの。」
「あの、明莉?」
「ごめん、そう言うことだから。……今日は、来てくれてありがとう。」
半ば強制的に話は終わり、咄嗟のプロポーズは敗北で終わった。
この先どうすればいいのか、分からなくなった。
僕は彼女と同棲したアパートに戻る気になれず、実家に戻った。
親も心配していたが、僕の心には大きな空洞が出来ていて。
彼女を思い返すたびに、むせび泣く日々が続いた。
――――一駅、二駅と進み、もう少しで美瑛と言う所まで来た。
電車の中は気温差でずっと暖かく、窓ガラスは曇ったまま。
その暖かな車内は、軽い眠気を誘ってくる。
瞼が重くなり、意識が遠のく。
『……もう少しで、約束の場所だね。』
「明莉!?」
思わず大きな声で、妻の名前を呼ぶ。
だが、そこに妻の姿なんて居るはずもなく。
僕の横の席には、大きめの木箱と、古びたデジカメしかなかった。
――――2012年、四月。
大学も二年生になり、明莉と出会って一年が経過した。
でも、今僕の横には彼女は居ない。
いつものキャンパスを探して歩いたけど、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
「まだ……退院出来てないのかな。」
「だれか、お探しですか?」
後ろから聞き慣れた声がして、振り向いたら彼女が居た。
「久しぶり、将音。」
「明莉……身体、大丈夫なのか?ていうか大学来て、大丈夫なのかよ。」
「あぁ、大丈夫だよ。お医者さんにもちゃんと許可もらってるし。」
「良かった……本当に良かった。」
「何だよー、死んだとでも思った?」
考えなかったと言ったら嘘になる、寧ろずっとそのことを考えて不安だった。
「そ、そんなこと考える訳ないだろ。縁起でもない。」
「まぁ、本当は……もうしばらくは大丈夫だったらしいんだけどね。ちょっと無理しちゃった。」
「無理したって、どうして?」
「ハハハ!まぁ色々あるんだよ!」
「……また、隠すのかよ。」
「……いやその、ごめん。」
明莉の表情を見ているだけで、グッと胸の奥を搔きむしられる感覚がある。
この一年、僕は明莉の側で何も出来なかった。
でも彼女は、僕に色々な思い出を、経験をくれた。
その中で、僕は明莉のことを…本当に愛し始めたんだ。
彼女の為なら、何でもする。……いや、何でもしてみせる。
「明莉、僕と結婚してください。」
「将音……言ったでしょ。別れてるんだよ、私たち。」
「…僕は分かれたことを認めていないし、このまま別れるなんて認めない。」
「そんなこと言ってもさ。」
「僕の意見を押し付けていることは分かっている、だけどこのまま別れたくなんてない。
我がままでもいい、明莉をこのまま一人にするなんて……僕には出来ないよ。
こんな僕だけど、君にまだ何も出来ていないし……君に本当の思いを伝えてすらいないじゃないか。」
「……何が言いたいの?」
「側に居たい……僕は、君が大好きで……君の側でずっと…一緒に居たいんだ。」
「……ありがとう、でもいいよ。無理しないで。」
「なんで?どうしてそんなに急に拒否するんだよ!理由も原因も、何も分からずおいていくなよ!」
「……ごめんね、やっぱり私が自分勝手だった。」
「明莉!」
逃げる様に僕の前から居なくなる彼女を、僕は追いかけた。
数秒の差で探しに出たが見つからず、校内を探したが完全に彼女を見失ってしまった。
咄嗟にスマホから電話を掛ける、少し遠くで聴き慣れた着信音が聞こえて。
その方向に行くと、いつも講義が終わった時に待ち合わせていた休憩所で、彼女が泣いていた。
条件反射で彼女を抱きしめる、明莉は小さく言葉を吐いた。
「ごめん……本当にごめん。」
「……二人になれる場所に行こう。」
人気のない場所に移動して泣き止むまで手を握り、少し落ち着いた後、僕たちはアパートに向かった。
それからも彼女はしばらく塞ぎ込み、窓から夕陽が差し込み始めた頃、ゆっくりと話し始めた。
「……そういえば、将音に何も話してこなかったね私。」
「……確かに、そうだね。」
「私ね、両親が居ないんだ。……中学の時にね、事故で亡くなって。それからずっと一人だったんだけどさ。施設に入って、死に物狂いで勉強とアルバイトして……大学入ったし、自由になったから恋愛でも!て思って。そんなこと考えてたらさ、まるで絵にかいた様な出会い方で将音に出会って、何かこの人だ!って思ったの。それから将音と仲良くなるうちに、こう直感から実感に変わったって言うか。……気付いたら、告白してた。」
少しずつ、紐解かれていく彼女の事象に、今更だけど自分の知らなさ加減に呆れてくる。
僕は、彼女のことを知ろうとしていなかったんじゃないか……と。
「それからはもうずっっっと幸せだった。一緒にカラオケ行ったり、買い物行ってりデートしたりさ。将音から同棲の話されたときなんて、もう幸せの絶頂だったし。とにかく、幸せで溢れてた。だって両親失くしてさ、友達は居たけど……ずっと一人だったから。やっと居場所出来たなって思たんだよ。そんなときさ、少し体調崩した時……病院で検査受けたときあったじゃん?そのときさ……言われたんだ。……癌だって。まだステージ2だけど、私って進行が早いみたいで……早急に何とかした方がいいって。怖いなって思ったけどさ、もっと怖くなって。その、この幸せが終わっちゃうと……思ったから。だから、クリスマス旅行が済んだら……打ち明けようって。それでまた、一人になろうって思ったの。」
「なんで、そんなこと……。」
「死ぬならさ、一人になろうかなって思って。」
「……。」
「ほら、何もいえないじゃん。」
「いや、そうじゃなくて…そうじゃなくて…。」
「こうなるからさ、話さずに…楽しいまま別れたかったんだよ。それぐらい…分かって欲しかったな。」
「……。」
自業自得の結果の言葉が刺さる。
でも、ここで彼女に何か言わないと…僕はこのまま終わってしまう。
「なら、もう分かれないし離れない。自分勝手に…僕の勝手に…僕のために、君のために生きたい。」
「何言ってるの?」
思ったことを口にした、今正しいと思ったことを口にした、それは間違いなかった。
それしか…頭に浮かばず、取り繕う言葉より素直な言葉が出たんだと…信じたい。
「それでいいの?自分の意志とか…ちゃんとそこにあるの?」
「どういうこと?」
「将音って、どっか自分がないんだよ…人に依存してるっていうか、そんな感じでいいの?」
「違う!これは僕の意志なんだ!依存でも、ましてや君の顔色を窺ってなんていない!僕は僕のケジメをつけたい。君を見送る。それが僕のケジメだ…。君を見送らずに、人生を、この先を過ごすなんてできないから。」
…本心がしっかり伝えられたのは、生れてはじめてだったかもしれない。
「……。」彼女はしばらく黙った後、僕に伝えてくれた。
「もう少し、傍にいて。」
「……うん。」
僕は、彼女のことを知って…小さくくすぶる覚悟を奮い立たせて、見えを切ることしかできなかった。
それが僕の、精いっぱいの、彼女への気持ちだった。
――――到着してすぐ、十勝岳の見える美瑛の駅前。
ここからバスに乗って近くまで行き…〝クリスマスツリーの木〟まで向かう。
…もう少しだよ、明莉。君との約束だったよね。…遅くなったけど、一緒に行こう。
『……うん、将音。』
「……。」
吹きすさぶ北風の隙間から、将音の声が聞こえたような気がした。
別れは、もう直ぐ傍まで来ていた。
次回、後編。