1章 2. 2.
茜は、よく人とぶつかる女の子だった。
「なに、また喧嘩したの?」
「喧嘩じゃない」
「喧嘩じゃない、じゃないでしょ。そんなぶすっとして」
「………………」
「やめてよ、家の中でそんなぶすっとするの、めんどくさいから」
「ぶすっとなんてしてない」
「してるじゃないの」
「してない」
「してる」
「うるさいなあ、してないって言ってるでしょ!! お母さんは向こう行ってよ!!」
ぶつぶつ言う母親に向かって手近にあったものを出鱈目に投げつけると、それがたまたまガラスのコップ。それで今度は、本気で本気の家内闘争が勃発する……こんなことがよくあった。
こんな時、たいてい最終的に茜も母親もヒステリーに叫んで泣いてわめいて、割れたコップの数がふたつ、みっつと増えていき、時折、姉も参戦して、父親が帰るまで収束することはなかった。もっとも父親が帰ったからといって、決して単純に事態が良くなる、というわけでもなく、余計、複雑かつ深刻になることも度々だったのだけど。
「……それで、今回はなにで揉めたのよ?」
「茜のことよ、どーせくだんないことだって」
「まったく、毎日毎日、なにをそんなに喧嘩することがあるんだか。男の子ならともかく、女の子だぞ」
「……………………」
待ち合わせの時間に遅れた友達に理由を問い詰めたら、他の子に「そんな厳しくする必要ある?」と逆に問い詰められて喧嘩になった、校外学習でふざけ過ぎの男子を注意したら逆ギレされた、陰湿なイジメをする連中をしばき倒した、よく一緒にいるグループのひとりが通学路を無視しようとしてそれに反対して揉めた……云々。
茜が衝突する理由なんて、湧き出る泉のように尽きることはなかった。もっとも、それを家族の前で話すことはほとんどなかったけれど……(この時は、ある友達が別の友達の弁当のおかずを軽いノリで取って、取られた側の友達が苦笑いしながら言い返さないものだから、茜が双方に怒って、そして全員から茜がひんしゅくを買うことになった)。
要は人一倍、正義感の強い子だったのだ。
小さい頃からそう。
中学生になると、新聞を読み出したせいで、世の中のいろんなことに憤りを覚えた。
学校で起るいろいろな不正義に噛みついていって、いつもカリカリしていた。
いつもカリカリしているもんだから余計に誰かと衝突しやすくて、外で誰かと衝突するもんだから、家に帰るとなにかと親や姉とぶつかった。
そんな茜が、決定的な亀裂と直面するのは時間の問題だったのだ。
出る杭は打つ、どころか、根っから引っこ抜いて、新たに生えてくる芽さえ徹底的に封じ込もうとする……そんな社会ではなおのこと。
もっとも、そんな茜にも深く信頼の置いていた友たちがいた。
中学から一緒の、いっちゃんとまーちゃん。ふたりとも、とてもいい子だった。
ふたりとも真っ直ぐで、曲がったことはあまり好まない方。その中でも、いっちゃんはどっちかというとおとなしく、家で動画を見たりするのが好きな人で、まーちゃんはよくアウトドアに出掛けたりする、活発なタイプ。
なによりふたりとも、茜の鋼の正義感を理解して、人とよくぶつかる茜とも気が合う、茜にとってかなり貴重な友だちだった。
けれど後から振り返ってみれば、ふたりとの出会いは、茜を絶望の道へ辿らせるために運命が用意した、最後のレール……そう思えてならなかった。