1章 1. 6.
なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
葵は口の中で呟いた。
あの場から駆け出した葵は、家には帰らなかった。後ろめたさのせいか、はたまたなにかを恐れてのことか……ともあれ、知らず知らず駆け込んだのは、近くの高架下。それからずっと、ささやかな公園の滑り台の裏側で、小さく丸まっていた。
遠く、サイレンの音が聞こえてくる。
指先で、赤い灯が揺れている……その灯を見つめながら、葵は思う。
なんで、こんな力を持つことになったんだろう。
こんな、理不尽で、破壊的な力を。
いや、それについては心当たりがまったくない、というわけでもない。
これまでを振り返ってみれば……確かに、思い当たる節はある。
つまりそれは、
「ふと思っちゃったから。『ぜんぶ燃えちゃえばいいのに』、って」
一方で、それも結局は、同じ問題に突き当たってしまうだけ。
「なんで、『ぜんぶ燃えちゃえばいいのに』なんて、思うようになったんだろう……」
そうなるともう、葵は答えを持ち合わせてはいなかった。
顔を上げた葵の目の中、時の中で、大して変哲もない日常が過ぎていく。
そそくさと歩いていくスーツ姿、買い物帰りのおばあさん、公園を囲う無骨な網柵、剥き出しの壁に剥き出しの高架下、少し離れたところにあるコンビニ、その前でたむろする、ガラの良くない数人の若者。
その若者たちが、公園の方……つまり葵の方に向かって歩いてくる。
葵は本能的に、警戒を強めた。
その若者たちは二十歳前後の男たち。それも複数人だ……今葵がいるのは、暗くなりつつある夕暮れ、しかも高架下の粗末な公園である。
それは、自分が襲われることの恐怖……ではなかった。それよりも、また自分が惨事を起こしてしまわないかという、己への恐怖だった。
若者たちは、目をギラギラ光らせて、柵を蹴り飛ばしながら遊んでいる。ときに、仲間の背中を蹴り飛ばす。たがいに組み合って、押し飛ばし合う。そうして、だんだんと葵の方に近づいてきた。
身を強張らせる葵の前で、その若者たちはきゃっ、きゃっ、とうるさく騒いで……そのまま、通り過ぎていった。
肩の力が抜けていく……葵は、若者たちの陽気でいい加減な後ろ姿を眺めながら、ぼんやりと思う。
彼らは、学校に行っているならば、まっさきに先生から目をつけられるタイプのグループだろう。はっきし言ってしまえば、不良と言われるような連中だった。
そんなあの人たちが、これまで「ああなりたい」と思って、「ああなった」ということがあるんだろうか。
おそらく、あのうちの何人かは、家庭の状況が良くはなかったはず……かなりヒドい家庭もあるに違いない。それも、決して低い確率でもないだろう。
あのうちの何人かは「別の生き方ができたなら」と、心のどこかで思っているかもしれない。
もちろん、「ああなりたい」と思って「ああなった」場合もあるだろう。
それでも……もし「ああなりたい」と思って「ああなった」んだとしても……「ああなりたい」と思う自分になろうとした、ということはあり得るんだろうか。
つまり、不良になりたいと思う自分になろうとした、ということが。
いや……その答えははっきりしている。
その問いが行く着く先は、どこにもない。
ただひたすら延々と遡って、遡って、遡るだけ。
それこそ、生まれた瞬間まで。
不良になりたいと思う自分に、その自分になろうとする自分になろうとする自分に……いつまでも、こうやって遡ることになってしまう。
つまり、「ああなりたい」と思うこと自体も、本人にはどうしようもなかったわけだ。
結局、彼らが「ああなった」のは、彼らにはどうしようもなかった……そういうことじゃないか。
いや……と葵は思う。
あの人たちだけじゃない。
サラリーマンだって、学校の先生だって、親だって、どんな金持ちだって、どんな幸福な人生を送っている人だって、変わらない。
そして、葵自身だって。
「こうなりたい」と思ってそうなった、ってことは根本的にあり得ないし、「こうなった」のは本人にはどうしようもなかった……。
不意に気が付いた。
「そう……こんな変な力を持つようになったのも、『ぜんぶ燃えちゃえばいいのに』って思うようになったのも、いつの間にか、そうなってた。どっちも、私にはどうしようもなかった」
そして叫んだ。
「そう、私にはどうしようもなかった!!」
叫んだ勢いで立ち上がる。
すぐに座り込んだ。
外はもう、だいぶ暗くなっていた。
これじゃ、家に帰るのは遅くなる……きっとあの親は心配する。
それだけじゃないかもしれない。
蜜月のことを蜜月の親から聞いて、葵のことをとうとう疑い出さないとも限らない。
そこまで考えが至って、葵はやっぱり立ち上がった。
それなら、どの道いつまでもこうしていられない……いずれは避けて通れない。なら、早ければ早い方がいい。
とにもかくにも、葵には仕方なかったんだから。
*
家の近くで、葵の足は急に止まった。
葵の家、緑の屋根をした一軒家の前で、くるくる回る赤い光が、ひとつ、ふたつ、みっつ……葵は途端にくるりと身体の向きを変えて、知らない人のフリをして素通りした。
顔を真っ青にしながらも、葵は必死に頭を働かした。
もしかすると警察は、蜜月と戦闘したマンションと葵の家の近さを不審に思って、葵のことをまた疑い出したのかもしれない。もしかすると、葵の両親のことまでも疑い出したのかも……。
葵は首を振った。
いや、どうして警察が来たかよりも、重要なのはこれからどうするかだ。
このまま家に帰るのが得策とは思えないけれど、このまま帰らないままというのも得策とは思えない。
警察が葵のことを怪しいと既に睨んでいるなら、帰るのは最悪の選択肢、一方、警察が事情聴取程度のつもりなら、このまま帰らない方が悪手だろう。
つまり、やっぱりどうして警察が来たか、っていうことが重要なわけで……。
そんなことをつらつら考えていると、不意にバカらしくなった。
どうして、こんなことに、葵にどうしようもないことに振り回されて、こんな苦痛の中で頭をひねらせないといけないのだろう。
そう思うと、再び、やるせなさが募っていくのを感じないわけにいかなかった。
葵にどうしようもないことが積み重なって、葵の世界をどこまでも、徹底的にぶち壊してくる。
すべては、この意味不明の力が悪いのだ……いや、この力を持つようになったきっかけ、葵に「ぜんぶ燃えちゃえばいいのに」と思わせるように仕向けたなにかが悪いのだ。
そう、その中には当然……。
はっ、いけない! 気付いた時には遅かった。
葵には、沸々と感情のマグマが煮える感覚があった。
そして葵の身体は、がむしゃらな力に流されるまま、内に滾るマグマを、どうしようもなく噴き出していた。