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紅と蒼  作者: 詩旅真詩
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1章 1. 5.

「やっぱり、これじゃ、駄目か。まあ、そうだろうとは思ってたけど」


 蜜月は、肩をすくめて言った。


 髪は、少し伸びたろうか。


 背も、少し伸びたろうか。

 

 声は少ししゃがれて、少し低くなったろうか。


 けれども、そこにあったのはやっぱり、以前とそっくりの蜜月だった。物心のついた時には既に葵の世界にいた……馴染む前から馴染んでいた、唯一無二の友。


 ふたりでよく探索したマンションの屋上で、身をかがめて、少女が言う。


「久しぶりね、葵」


 どういうカラクリか、屋上から発せられた蜜月の声は、はっきりと葵の耳に届いた。特段、声を張り上げた様子もないのに。


 と、不意に、蜜月が降ってきた。


 三階建ての屋上から。


 葵が目を見張る前で、大した衝撃音もなく、軽やかにアスファルトへ着地する……屋上から飛び降りて、痛がる素振りひとつない。


 蜜月は、まっすぐ葵を見つめて言った。


「どうしたのさ、そんなカタい顔して」


 話しぶりだけを見ると、前とそれほど変わったようには見えない。


 しかし、その内側から、じんわりと染み出していた……隠しきれぬと言わんばかりの覇気(はき)が。


 葵はそこに、明らかに異様な力を見て取った。


 葵には馴染みのない、けれども、不思議とはっきりそれとわかる……異常なくらいの膨大なエネルギー。


 葵は返す言葉がわからなかった。じっと見つめ返していると、蜜月は小さく笑った。


「なに驚いてんの。テレビに出る時に、こうなることくらい覚悟しなかったの?」


 まだ事態を飲み込めないでいる葵に、蜜月は呆れたようにため息をつく。


「そんなアホみたいな顔しちゃってさ。あんな華々しい花火を打ち上げた後で、知らぬ存ぜぬが通用するとでも思ったわけ?」


 それで葵は察しないわけにはいかなかった。


 蜜月は、すべてをわかっていることを。


 わかった上で、こうして葵の前に立っていることを。


「……これが、お見舞いなの?」


 やっと葵の口から出てきたのは、そんな言葉。葵は真っ白になりそうな頭をなんとか支えながら、努めて冷静を装おうとした。


「だとすれば、ずいぶん派手なお見舞いだね……」


 蜜月は肩を(すく)めると、あっけらかんとした口調で返した。


「まあ、なに……たるんでるんだろうなあ、と思ってね。ぴりりとした一撃をお見舞いしてあげたってわけ」


 蜜月はゆっくりと、一歩を踏み出した。


 その足が歩を踏むにつれて、巨大な力が周囲の空間を奇妙に歪めて、震わしていく。まるでかげろうみたいに、蜜月の周りの空気がうつろいで、背景と()ける。


 電線が弾けるような音を立てる。マンションや家屋の電球や街灯やらが瞬いて、空気が焦げたような臭いを出した。


 ここまでの言動で明らかなのは、ただひとつ。


「蜜月、あなた……」


 それは、蜜月が姿を見せた時から、葵がその実、気が付いていたこと……そのくせ、知らず知らず気付かないふりをしていた、ひとつの事実。


「その力……」


「なかなかいい感じでしょ?」


 葵は(うつむ)いた。


「なに、それ……」


「なにって、見たまんま」


「…………。きいてないよ。そんな力があるなんて……」


「そりゃ、そうでしょうよ。言ってないんだから」


 蜜月は、素っ気なく言う。


「でも、うちもきいてないけどね、葵のその力」


 蜜月の責めるような口調に、葵の声は小さくなる。


「……いつから、そんな力を?」


「もうホント、最近よ。ほとんど葵と変わらないんじゃないかな。たぶんだけど」


 ふと蜜月は、からからと乾いた笑い声を立てる。


「なに、葵、自分だけだと思ってたの? そんなわけないじゃん」


 葵は、あくまで慎重に顔を上げた。


「……今から、どうしようって?」


「そりゃ、決まってる」


 蜜月の手が、握って、開く。


 そこに信じられない力が集中して、渦を巻くのが葵にもわかった。


 そして、その意味するところも。


 葵の努めた冷静は、あっけなく崩れ去った。


「……私を殺そう、って?」


 蜜月は、かすかに笑みを浮かべて、ゆっくりと葵に近づいてくる。


「なんで……なんで? なんで、私を殺そうとするの?」


 哀しみを押して、葵は絞り出すように言葉を吐く。


「親友じゃなかったの……?」


 蜜月は足を止めると、呆れたように、


「葵、なんもわかってないんだねえ」


 葵は再び俯いた。


「だって、自分のことだって……この自分の力のことだって、なんもわかってない……」


 蜜月はまた、息を吐く。


「葵はいっつもそう」


 蜜月の声の調子が急に変わって、葵がふと、顔を上げる。蜜月は哀しみを引き絞るような、苛立(いらだ)ちを(にご)すような、そんな表情だった。目は細く、わずかに俯きがちで、唇は少し力んで、眉は鋭く寄っていた。


「ぼんやりしてて、いっつもなんにもわかってない。人の気持ちも、なんにも。でもなんだか飄々(ひょうひょう)としてさ、知ったような風で、なんでもそつなくこなしちゃって。そのくせ、自覚がない」


「……そんなことが、理由なの?」


「なにが」


「そんな……そんなことで、私を殺そうとするの?」


 蜜月はまた笑みを浮かべる。


「だから、葵はなんもわかってないんだって」

 

すると今度は奇妙にも、葵の方が唐突な苛立ちを感じた。


「わかってない、わかってない、って、仕方ないじゃない。わかってないもんはわかってないんだから……。別に、こんな私になろうとしてなったんじゃない。いつの間にか、こうなってたんだもん。そんな言い方、ひどい……蜜月、そんな言い方ない……」


 蜜月は小バカにするように鼻を鳴らす。


「ふうん……じゃあ、どうするっていうのよ?」


「……親友だと思ってたの、私だけ?」


「うちもそうだよ」


「じゃあ……なんで……」


「だからだって」


 わけがわからなかった。


「葵、うちはさ、今でも親友だと思ってるよ……それどころか……それどころかね……まあ、だからだよ」


 やっぱり、わからなかった。


「ほかの人にね、先を越されないように、うちがやるしかないんだって。まあ、仕方ないことなんだよ。葵はなんにも知らないようだから、わかんないかもしれないけどさ」


 まったく、わけも、事態も、理解できなかった。


 理解はできなかったが、なにが起ろうしているのか、それだけは明らかだった。


 蜜月の手にこもった力の高まりは、とうとう目に見えるまでになっていた。赤く熱を発して、じりじりと焼けるような光を放っている。


 葵はひどく戸惑った。それ以上に動揺した。


 蜜月は、おかしくなってしまったんだろうか。理解不能な力を得たせいで。炎を操るようになって、自分でも不可解なほど苛立ちやすくなった葵みたいに。


 葵の内側で、不意に、強烈な感情が沸き起こった。


 それは怒りだった。


 行き場のない、マグマの坩堝(るつぼ)を掻き回すようなぐつぐつとした怒りだった。またしても唐突に降りかかってきた、暴力的な理不尽……それに対する、底の知れない激しい怒り。


 蜜月は、葵の内側に溜まる熱を感じ取ったのか、すっ、と表情を消し、低く構えるような姿勢を取った。


 それから、すり足を慎重に後ろへ運んでいく。


「葵、念のために教えといてあげる」


 警戒に目を細めながら、蜜月は言う。


「さっき話してる間に、そこら中の電位をいじっといたから、下手に動くと四方八方、雷の巣になるよ」


 葵は、もはや聞いてはいなかった。


 エネルギーだった。


 葵は今や、エネルギーそのもの……身体(からだ)の内側から煮え繰り出す熱、それを放出するだけの、人の形をした、動力の塊でしかなかった。


 事はほんの一瞬だった。


 すり足で街灯まで到達した蜜月が、一瞬で街灯に沿って宙を飛んでいく……足ひとつ動かさず、足裏と街灯の柱との間に火花だけを生んで上昇する。まるで、足裏に磁石がついているように。目に見えないロープで、引っ張られでもしているように。


 その高速の移動中に、蜜月は見た。


 蜜月の身体(からだ)が空に移った……その刹那(せつな)、危険な雰囲気を(まと)っていた葵の身体(からだ)が、バネを打ったように弾け、一歩を出す。すると、蜜月の宣告通り、手摺(てす)りから、金網から、マンホールの蓋から、あらゆる所から無数の放電が起り、葵に向かって襲いかかった。


 その葵が、全身、見事な赤い炎に包まれて、蜜月に向かって飛んできたのだ。上下左右、全周を覆って襲い来る雷を、いとも容易く弾きながら。


 驚愕した蜜月が、先端に力を溜め込み、槍のように雷撃を勢い放つ……その破壊的な威力を持つはずの雷撃まで、葵はあっけなく、紙吹雪でもくらったかのように正面から受け止めた。


 そして最後に、蜜月は見た。


 葵が軽く払った手の先から、爆発的な猛火が(ほとばし)る……その火炎が、蜜月の視界を逃げ場もないほどに埋め尽くした。


   *


 葵はまたしても、無力感に打ちのめされていた。


 ふと気付くと、自分が……いや、自分であって自分でない自分が、なにをしたのか、鮮烈な光景とともに蘇ってきたのだ。


 その惨禍(さんか)が、今、目の前に拡がるそれ。


 街灯はおろか、あれだけ蜜月と黄金の時間を過ごしたマンションまで跡形なく瓦礫となり、周囲の建物まで巻き込んで、そして……瓦礫に埋もれたのか、はたまた骨まで残らず蒸発してしまったのか、蜜月の姿は見当たらなかった。


 不可解に吹き荒れる風だけが、つむじを巻いて残っていた。


 瓦礫(がれき)を掘り返して確かめる勇気なんて、葵にはなかった。


 葵は立ち尽くしながら、ぽつり、呟いた。


「私、なんで……」


 葵は、自分が、いや自分の身体(からだ)が、はたまた自分の力がなにをしたのか、それはよくわかっていた。


 それでも、遠くにこだまするサイレンを耳に聞きながら、理不尽に打ちのめされるしかなかった。


 葵は唐突に叫んだ。


「私の身体(からだ)が……私の身体(からだ)が勝手にやったんだ!」


 その叫びも、ほとんど無意識に出たもの。


 後は、ただただ立ち尽くしていた。


 サイレンはだんだんと近づいてきた。


 葵が辛うじてできたのは、その場から遁走することだけだった。


   *


 それからしばらくして、不自然に留まっていたつむじ風が、空へと消えた。


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