1章 1. 3.
その時……その時までは、あくまで半信半疑だった。
なにしろ、いまだにあれは、信じがたいことには違いなく、それに葵がやったと確証づけるものも、なにもないのだから。
なぜ、葵があんなことを出来たのか、ともかくそれがわからなかった。
それくらい、あり得ないことだったのだ。
けれど、今となっては疑う余地はない。
あれは確かに、葵がやったことだ。
*
「恐かったろう」
「奇跡だわ、ホント、奇跡だわ……」
「きっとこの子は、カミサマにでも好かれてるんだろうな」
「とにかくよかった……葵が無事で」
「警察もマスコミも、ホント失礼だな」
「まったくよ。この子があんなこと、するわけがないのに」
「犯人は地獄に堕ちればいいのに……」
……云々。
葵が帰宅するなり、両親は言葉を散弾銃さながらに浴びせかけた。それから日がな一日、葵の周りをほっつき回っては、動作のひとつひとつにまで手を貸そうとする。
葵はため息をついた。
なにしろ、その犯人は誰あろう、当の娘……ふたりの言うことに従えば、地獄に堕ちるべきは葵自身。葵は内心で複雑な思いを抱きながらも、それ以上に息が苦しくなってきた。
「本当に、大丈夫か?」
「痛いとこ、ない? 歩ける?」
「うん。大丈夫」
「遠慮しなくていいんだよ。いつでも手を貸すから。階段上がる時、ご飯を食べる時、どんな些細なことでも言いなさい」
「恐かったら、お父さん、ずっと傍にいてくれるって。会社だって休むって言ってるんだから」
「大丈夫だって」
ソファーから立ち上がって、トイレに行こうとする時にまで両親が腕を貸そうとして、葵はとうとう声を荒らげて抗議した。
普段、ただでさえ怒りを見せたことのない葵の逆鱗に、両親はかなり驚き、それどころか慄いたらしい。
「まあ、葵も疲れてるンだな……そうさ、当然だよ。ヒドい思いをしたんだから」
「そうよね、そりゃ気も立って当然よね……」
それ以降は葵と距離を取って、遠巻きに眺めるような感じで接してきた。ただ、その距離の取り方もまた、ずいぶん微妙なもの。それはそれで、葵は辟易してしまったのだけど。
再びソファーの中に沈み込んだ葵は、ちょっとした罪悪感を覚えていた。
流石に、言い過ぎちゃったかな……。
今思い返してみれば、そんなに怒るほどのことでもなかった気がする。
どうしちゃったんだろ、自分……。
怒鳴った時のことをつらつら思い出しながら、けども頭はなんだかぼんやりして、葵は目に入る映像を見るでもなく見ていた。
ニュースでは、駅の爆発のことが何度も何度も取り沙汰されていた。
「なんと恐ろしいことでしょう……ここはあの日本でしょうか。こんなおぞましいテロは前代未聞です。犯人の残虐さには、ただただ言葉を失うばかりです……」
葵はその話しぶりを聞いて、少し、ムッとした。
「犯人の足取りどころか、犯行手段の手掛かりひとつ掴めていないということですが、××先生、これをどう見たらいいんでしょうか……」
「そうですねえ、社会が不安定になると、こういう事件が増えますから。ついこの間だって、神來村で猟奇殺人があったところなわけでね……」
「本件、被害総額は数十兆円、死者数は云十万人とも言われており、他とは比べものにならない規模にも思えますが……にしても先生がおっしゃる通り、最近はこのような大難が多いですね。先日も不可解な放電の……」
スマホを開けば、ネットを飛び交う言葉はいちいち、過激の際を極めたものばかり。テレビよりもいっそう神経を逆撫でするもので、葵はとても直視できなかった。
しかもその情報ときたら、根も葉もない、どころか大地さえもない出鱈目で溢れている。こんな虚言がまかり通るなら、そのまま地球がなくなっても驚くにあたらない。
火難のように降ってくる非難を前に、葵はつい、不服を申し立てずにはいられなかった。
「私だって、そんなこと、したかったんじゃない。
みんな、私とおんなじ境遇になってもみてよ。そんなこと言われても、ってなるに決まってる……」
だって、いつの間にかそうなってたんだから……。
テレビでは、最後に一瞬、「奇跡の生存者」にマイクが向けられたインタビューが流れ、次の発電所の火事へと移っていった。
直前に映った自分の顔を思い返しながら、ふと思う。
私、こんなにも退屈そうな顔してたんだ……。
まあそんなこと、どうでもいいといえば、どうでもいい……そんなどうでもいいことが気になってしまう自分がなんだかおかしくって、葵は低く笑いながら、指の先に灯る、小さな炎を眺めていた。
*
葵が家で安静療養を過ごした期間は、三日間。
念のために入院していた三日と合わせて、六日の間、学校を休んでいたことになる。
「葵、蜜月ちゃんから連絡よ……」
「蜜月? なんで?」
「またお見舞いしに来てくれるって」
「……え? ……お母さん、言ったの?」
「だって、ねえ、蜜月ちゃんだから……そりゃあ言わないわけには……ねえ?」
「……いや、『ねえ?』じゃないよ。お見舞いって……もう退院もしてるのに」
「葵が伝えてなかったことの方が、びっくりしたくらいよ……まったく、昔はあんなに仲良く遊んでたのに……」
葵の額に、ピシっと青いスジが走る。
「やっぱりあれかしら……中高違っちゃったのがよくなかったのかしら」
「…………ねえ」
「ホント、幼稚園入る前からのいわゆる幼馴染み、って感じだったのに」
「……ねえ、あのさ……」
「まあ、しょうがないのよね……そうよね、そういうもんよね」
「ねえってば!」
母親がリビングからそそくさと捌けていく。その背中を、ぐっ、と睨んでから、葵はため息をついた。
だって……自分で起こした爆発でお見舞いに来てもらうなんて、そんなバカげた話、ある?
三日……その三日は、なにかにつけて苛立った。
親の態度のよそよそしさに、テレビの報道、ネットの声、知人たちからのメッセージ……どれを取っても、気に障るものだらけ。挨拶に来ると言っていたらしい蜜月からは、なぜか連絡がない。それはそれで無性に腹が立った。
けれども、それは葵にとってかなり妙な話……なにせ、いつもぼんやり、無感覚に生きてきたのだから。怒りを覚えるなんて非常に希有で、なんなら苛立つという感覚さえも稀だった。
その苛立ちの焔が爆発したのは、ほんの些細なこと。
ちょうど葵は干物になっていた。
ベッドの上で伸びきって、ぶらぶら上半身を投げ出して遊んでいた。そのすぐ目の前に、のそりと這い出してきたのだ。びっくりするほど大きな蜘蛛が。
特大の蜘蛛。
脚から脚まで、手の平ほどもある。ビーズみたいないくつもの眼が、赤く光っていた。
そんなバケモノみたいな蜘蛛が、机とベッドの隙間から、葵の眉間を目がけて突き進んできた。
普段なら、葵は目を輝かせたはずだった。蜘蛛はもともと、大好きだったから。
小さい頃に曾祖母から「蜘蛛はカミサマ」と教えられてから、一種、畏敬の念さえ抱きながら、蜘蛛と付き合い続けてきた。
目と鼻の先に、なかなかお目にかからないような立派な蜘蛛が現れて、流石の葵も仰天した。
とはいえ、いつもならすぐ、驚いた以上の喜びで心は躍っていたはず。
それが、あの瞬間はいったいどうしたというんだろう。
あの瞬間、なにかが違っていた。
驚かされたことに、強烈な理不尽を感じてしまったんだろうか。
ふと我に返った時には、蜘蛛は炎の中で小躍りしていた。
自分のしたことに葵が慌てて、水を持ってくるべきか、いや下敷きではたいた方がいいだろうかとうろうろする間に、見事な生き物は焦げて動かなくなっていた。
葵は呆然とした。
無性に哀しくさえあった。
あの時はさっぱり感じなかった罪悪感を、なぜだか今、強烈に感じていた。
そうして、痛感せざるを得なかった。
あの時……駅を木っ端微塵に吹き飛ばしたあの時も、やっぱり葵がやったのだと。
そして、葵の身体の中に、炎を操る超常の力があることを。