5:七夕の夜に
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「セーラ、今宵は七夕。あの頃は知らなかったが、この世界に渡って来たのも七夕の日だった」
「マオさん、あの混乱していた中でよく覚えてるね!? そっか、今日は世界を渡った記念日なんだ」
私も数分だけとはいえ、異世界に行ってたんだよね。いや、ホント必死だったから、白い光と落下、マオさんの手しか記憶にないけど。
「うむ。七夕伝説になぞらえば、その記念すべき日に我らは出会ったわけだ」
「織姫と彦星の? ふふ。一年に一度どころか、一生に一度でも出会うことがないようなシュチュエーションではあったけどね」
ただ、実際七夕伝説ってそんなに美談でもないと思うけど。この場合は【一年に一度会える奇跡】のみにフォーカスしたと思えばいいのだろう。
「そう、そんな奇跡としか思えない出会いをし、晴れてこの良き日に夫婦となったわけだ」
「そうそう、夫婦になった…………なんだとう!?」
大きなエビ天が口に入る直前で止まり、衝撃のあまりめんつゆの中にボチャンと音を立て、落ちた。サックサクを味わいたかったのに、つゆに見事にインしている。
そんな日に着ていた初おろしのシンプルシャツには、めんつゆドット模様がついてしまった。泣ける。
「なぜ驚くのだ?」
「逆になんでマオさんは冷静なの!? いつ? いつの間に私達夫婦に? そもそも、マオさんって私をそんな風に見ていたことあった?」
基本的にマオさんは私に優しい。だけど、恋焦がれているような熱の籠った視線を感じたり、出掛ける時に手を繋いでくるとか……なんていうか『この人私のこと好きかも』と思うような場面が全く思い浮かばない。
あるのは紳士の嗜みのような、レディファーストとか、エスコートっぽいこと、重たい荷物持ちなど、そういったことだ。それでも十分嬉しくはあったけど。
「なぜとは……。セーラは我を異性として好いておるだろう? そして我もセーラを気に入っておる。実質、三年の婚約と言う名の同棲期間を経て、相互理解も図れていた。我はセーラと同じ日本で生活する為に【永住許可証】も手に入れ、晴れて朝一番に夫婦の届け出を提出したというわけだ……少し魔法は使用したがな」
「それも今朝!? 私が出勤した後に? サインの偽装は犯罪だよマオさん!!」
「何を言う? そんな偽装をするくらいならば、とうに婚儀も終えておるわ。先週二人で家飲みをした時にセーラ自らサインしたこと、よもや忘れたとは言わせぬぞ?」
「うそ! あの時!? だいぶ酔いが回っていた時を狙ったわね!」
新聞のチラシでも見せるように【婚姻届受理証明書】を渡される。妻はもちろん【星野 聖良】、そして夫には【星野 マオ】と記載されていた。
二度目の驚きには言葉が出ない。まさかの婿入り!? 元魔王を婿に迎えてしまってるけど!!
「騙し討ちのように思っているようだが、そもそも出会った時にセーラが我の血で血判の握手を交わし仮の契約、すなわち婚約のようなものがなされていたのだ。我はあの時、意思確認はしたぞ?」
「血判!? どう考えたってあれは手当だってマオさん知ってたよね? 意志じゃなくて『契約成立でいいな?』って言っただけじゃない! ねぇ、聞いてる?」
ツーンと素知らぬ顔で、話を続けるマオさん。答える気も言い訳もする気はないらしい。男らしい……って、そんなわけあるか!
「今日も本来であれば本契約を先に結びたかったが、夫婦となる以上は相手を慮る気持ちも持たねばなるまい? よって一応、この世界での婚姻契約の手続きを先に済ませたというのに」
「仮契約に本契約? 言っている意味が全然わからないし、頭に全く入って来ない!」
婿入りだけは、まぁわかる気がする。この先を考えれば、その方がどう考えてもいいもの。それに、この急な婚姻でも名前の変更とかしなくていいし、そもそも私が世帯主だから差し当たって大きな問題もないっぽい??
でも、初めからしていたという、仮だの本だのという契約とかさ、マオさんは何を思って結婚しようと思ったのかとか、大切な部分を端折り過ぎじゃないかと思う。慮るタイミングはそこじゃなくて、もっと前だよマオさん!
嬉しいけど理解が追い付かないし、わからないことだらけで、私は頭を抱えてしまった。
「しようのない妻だ」
マオさんはハァっと呆れたような溜息を落とすと、しなやかな長い指先をするりと私の顎に滑らせ、そのまま唇を塞いだ。
(えぇ!? この流れで? なんで??)
いつも淡々としていて、一緒に見ていたドラマでキスシーンが流れようとも、全く気まずい雰囲気にもならないし、むしろ『フッ』と後ろで小馬鹿にしながら見ているような、あのマオさんが!?
顎にあった指先は頬へと流れるように移り、もう一方の手はいつの間にか私の腰の方へと回っていた。
抱き締められながら啄むようなキスを、何度も角度を変えて繰り返した。
ようやく唇が離れた後、呆然としながらもマオさんを見上げると、少し納得がいってないような複雑な表情をしていた。
「まだわからぬのか?」
「?」
片手を取られ、マオさんの胸の中心に置かれた。心臓が早鐘を打っている様子が手の平から伝わってくる。確認が終わるとその手をまた取られ、今度は手の平にキスを受ける。視線は私を見つめたままだ。
「……我とて感情はある。少しは理解できたか?」
「マオさん……私に、ドキドキしてくれているの?」
表情や視線を見てもわかりにくい。けれどさっきの鼓動は演技ではないはず。何より本人が『感情はある』と言ったのだ。思っている通りなのであれば、これほど嬉しいことはない。
「そうだ……我はセーラを求めておる、セーラも我を求めよ」
「ふぁ!? も、もとっ……!」
「良い、な?」
「あ、ぅ……は、はいぃぃ……」
ハッキリ言って、【理解】という点においては、キスをされ、鼓動を聞いたからと言って理解できているはずがない。説明が省かれているのだから当然だ。
だけど、今までずっと知りたかった【マオさんの私への気持ち】という点においては、初めて見せてくれた感情とちょっとオレ様っぽい求愛の言葉に、私は『はい』以外言えなかった。
どうでもいいけど、マオさんとの初めて(出会いの時は除く)のキスの味は【めんつゆ風味】だった。
そして、魔族的婚姻の本契約は血の契約ということで、『【善は急げ】とはこういう時に使うのだな』と言って、早速その日の内に儀式は行われることとなった。夫、仕事が早い。
ただ、マオさんの言葉を聞いて、【急いては事を仕損じる】ってことわざもあったよね。と少し浮かんだけれど、感情がわかりやすく出ているマオさんの前では言わなかった。
何のためらいもなく自身の指を針で刺し、ぷくっと浮かんだマオさんの血を受け取った。次は自分が針を刺される番だと、私も指を差し出す。
普段、注射針を見慣れているとはいえ好きなわけではない。医療行為でもない為、緊張もしていた。
それに気づいたのかマオさんは『そう硬くならずとも良い』と言い、優しく抱き締めてくれた。
「でも、お互いの血と血で契約しないといけないんじゃ……?」
「如何なる理由があれ、セーラの身体に傷などつけたくはないのでな。それに、折よく我らは本日婚姻したのだ。ならば別の方法で契れば良い」
本日入籍。
外はもう月が出てますね……な、なるほど??
私はその日、マオさんからの愛と共に、親を除けば伴侶のみに明かされるという【真名】も受け取った。ただ……長くて一回では覚えられない、かも?
後に、なんでマオさんが別の方法で契約可能とわかっていたのか聞いてみた。すると『我らの世界では、聖女とは清らかな身体でなければそもそも選ばれぬからな』と言われた。えーーー……
さらさらと砂のように消えたい……聖女の定義が死ぬほど恥ずかしい!
でもこれで、「聖女として」また呼ばれたらという、大きな心配はなくなったのだった。
※手の平へのキスは【懇願】
マオさん的には、セーラが自分に好意をもっているのはわかっているから、「自分も同じ気持ちだ」と返したものの、信用しないからキスまでした。それでもハッキリしないセーラにドキドキしていることまで教え、手の平へキスし「受け入れてくれ」と完璧なるプロポーズをしている(つもり)
でも、セーラは半分くらいしかわかっていない残念女子