3:職業、魔王から伝説の家政夫へ
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マオさんがこの世界にきてから一年が経った。
何にでも興味を持つマオさんはとにかく吸収が早い。一年前は『この世界のことは何もわからぬのでな』と言っていた不法滞在外国人の雰囲気は、もはやない。
小学生のひらがなドリルは半日でマスターし、カタカナは2時間、そして漢字は漢字検定2級のレベルまで書ける。スマホ頼りになりつつある私に、教えられる漢字はもうない。
我が家には備え付けの電話がないので格安スマホを契約し、マオさんへ与えた。説明書もきっちり2時間読み込めば、あっさり普通に使いこなしている。
今ではスーパーのクーポン付アプリなどがホーム画面にびっしり置かれている。
そして『時間が余るのでな』と家計簿までつけ出したマオさん。やりくりが素晴らしいようで、養っているのになぜか貯金が増えているというミステリー。今までの私がいかに丼勘定だったのかって話だけど。
それに、ママチャリやICカードを使って近場へ出掛けたりも一人でできるし、私よりもご近所さんとうまく付き合っている。
「魔王」というくらいだ、処世術なんてお手の物なのかもしれない。ある意味私の根城は乗っ取られたと言ってもいいけど、そこに悔いはない。
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そして気付けばマオさんがこの世界に来て、三度目の夏を迎えた。
正直三年も一緒に暮らしていれば、もはや家族のようなものだ。
日も浅かった頃は、魔王とはいえ恩人である彼に家事をさせていることに、不安と申し訳なさがあったけれど、本人からも『我は給金を得ることができぬのだから、役割分担とでも思えば良い。それに存外家事というものは終わりがなく飽きない』と伝説の家政夫でも目指せるんじゃない? と本気で思ったし、自分が専業主婦をやったとしても同じセリフは絶対に言えないと思う。
今では彼が欲しがっているフードプロセッサーを買う為、夜勤頑張ろう! とか、変わった香辛料が買いたいみたいだから週末専門店に連れて行ってあげよう! とか、私自身も何の為に働くのかという目標のようなものができつつあった。
この頃には心にぽっかりと開いていた穴もすっかり塞がり、まさに仕事もプライベートも順調そのもので、職場でも『最近、すごく調子が良いみたいね、彼氏でもできた?』と聞かれるほどだ。
『いえ、異世界からやってきた魔王が家で家政夫してくれているので!』なんて言えるわけがないので、『ふふ、どうでしょうね?』と曖昧な日本語で躱している。
早くに両親を亡くしていて一人残された私は、一人でも生きて行けるようにと看護師の道を選んだ。やりがいはもちろんあるし、それなりに自分に合っている仕事、そしてお給料も良い方だと思う。欲しい本、聴きたい音楽、着たい服、それらを買えるだけのお金も時間もある。それなのにふとした瞬間感じる寂しさに、悶々とした日々を過ごしていた。
「取れと言われて明日から有給を取ったけど、これといって予定はないんだよねぇ……」
ポストに挟まっていた【自分を見つめ直す旅をしよう!】と書かれた旅行会社系DMを見て、確かに今度海外にでも行って自分を見つめ直してみるのもいいかもしれないとぼんやりと思いながら玄関を開けた。
そして入った直後、足元に魔法陣のようなものが現れるや否や、光に包まれ、落ちた。
死にたくない! と、必死にもがいて、騒いでいた時、ふいに目の前に差し伸べられたマオさんの手に全力で縋った。
その後、その命の恩人をヒールで殴ってしまったんだけど、まぁ……うん。
マオさんから手を出されたのなんて、思えばあれくらいしかない。やっぱりマオさんも死の淵から急に蘇って混乱しての所業だったのだろう。夢うつつっていうか……いや、申し訳ない!
一緒に暮らす中で、たまに聞いていたあちらの世界での話。聖女が召喚されたら勇者の王子らと共に、魔王討伐に行かされていたと。勇者は一時的に弱体化はさせられても、封印はできない。魔王を封印できるのは聖女のみというのだ。
考えてみたら自分の不利にしかならない話を、なぜ私に教えたのか聞いたけど『よくわからぬ』と返された。
そんな話を聞いたせいか、少し想像してみた。仮に私が「今」異世界へ呼ばれたとして、マオさんも魔王に戻っているとしよう。
私、マオさんを封印なんてできる?
「無理だなぁ……」
「なにが無理なのだ? アジを開いて小骨を抜いて、塩・コショー・小麦粉・卵・パン粉をつけて油で揚げたものは口に合わぬか?」
違いますよ。今日のアジフライも揚げたてサックサクで最高に美味しいし、小骨もなく安心してかぶりつける素晴らしさ! お弁当用はシソ付きだと言うので楽しみです。
「ううん。今さら聖女にされたとしても、私にはマオさんを封印なんてできないなって。聖女じゃなく、ただの聖良はマオさんがいなければ、生活が成り立たないほど依存しちゃってるしね」
「フッ、セーラは存外ズボラだからな。聖女とは清廉潔白で慈悲深く、博愛主義者だと思っていたが……セーラに魔法が使えたら、一体何人の上司の頭の毛が抜けただろうか」
「すみませんね! 想像の聖女と違ってガッカリですか? ストレスの溜まりやすい職場なんです。ちょっと心の中で『朝起きたら落ち武者ヘアになってればいいのに』と呪うくらい良いでしょ!」
「ハハ、良い。それに我はセーラのような聖女の方が好ましいと思う。先ほどのイメージはあちらの世界の人間共が作り上げたものを言ったまでだ」
「そんな人って本当にいるのかしらね? つくづく良かったわ、聖女にならなくて」
「しかし、そうか……元の世界に戻り、魔王と聖女の立ち位置になってしまったら、か……。恐らく我もセーラに攻撃できないまま、大人しく封印されるであろうな」
「どうして? 私も攻撃されたいわけじゃないけど、仮にも魔王様なんでしょ? 国を守らなきゃいけないじゃない」
「どうしてだろうな……わからぬが、セーラが血濡れて苦しむ姿を想像しただけで、胸が苦しくなるのだ。それに、ここではセーラが主であろう? 主に手は出せまいよ」
そんなの、私だって封印なんてどういうやり方かわからないけど、目の前で勇者に傷つけられてトドメにマオさんを封印せよ! と命じられてもできる気がしないし、想像すらしたくない。
軽く頭を振り、目の前に座る彼を見た。
攻撃の為の武器ではなくて、フライパンや掃除機を持って家事を楽しむエプロン姿の魔王。人をいたぶってあざ笑うのではなく、色んな調味料に目を輝かせる魔王こそ、本来の姿だと私は思いたい。