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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

氷の令嬢ローレリアは大好きな王子に別れを告げることにした


「ジョシュア殿下、私たち婚約を解消いたしましょう」


 氷の令嬢ローレリアは、ズキズキと突き刺さるような胸の痛みから目を逸らし、大好きなジョシュア第一王子に別れを告げた。



***


 ローレリアがジョシュアと婚約したのは七歳のときだった。それから十年、ローレリアはジョシュアに夢中だった。


 理知的な白い額、憂いのある紺碧の瞳、彫刻のような鼻、柔和な微笑みを形作る薄い唇、柔らかに波打つ黒髪、ほっそりしているのに自分とは違う筋肉を持つ体躯。深く豊かな声で、名前を呼ばれるのが好きだった。


「読みたいって言っていた本、二冊手に入ったよ。一緒に読もう」


 ジョシュアは優しい。読書が趣味のローレリアと共に、同じ本を読んでくれるのだ。明るいけれど眩しくはない、静かで気持ちのいい部屋の窓際。大きな長椅子にふたりで腰掛け、ゆったりと本を読む。


 ローレリアもジョシュアも、本を読むのはとても速い。きっと、ジョシュアの方が速く読めるのだけど。ジョシュアはさりげなくローレリアの進み具合を見て、同じぐらいになるように調整してくれる。ローレリアが笑ったり、怒ったりすると、ジョシュアも「そこ、おもしろいよね」「あの展開は苛立ったよ」って言ってくれる。


 ふたりで色んなことを学んだ。勉強や乗馬、礼儀作法に語学なんかも。ジョシュアとふたりなら、難しい歴史も楽しく学べた。


 でも、いつからか、ジョシュアの瞳にローレリアが映らなくなった。ローレリアの定位置だったジョシュアの隣に、マドレーヌがいるようになった。


 ローレリアの妹、マドレーヌ。可憐で愛くるしい、あざとかわいい妹。



◇◇◇


「ジョシュア様は、マーヌのものよ」


 そう言って、ジョシュアの腕にギュッと腕を絡めると、ジョシュアは仕方ないなあって表情でマドレーヌを見つめる。思春期の男子はさりげない接触が効果的。母の教えは今回も的中した。


「斬新な女になりなさい。お淑やかなレディに囲まれた王子は、毛色の変わったイタズラ子猫が新鮮なのよ」


 母にそう言われて、天真爛漫なイタズラ少女を演じている。プクーッと頬を膨らませて拗ねてみたり、笑顔でピョンッと飛び跳ねてみたり、素朴なクッキーをプレゼントしてみたり。清く正しく美しい公爵令嬢の姉には、できないこと。


 マドレーヌは、姉のローレリアと同じ父を持つが、母は違う。マドレーヌの母は、愛人だった。正妻である、ローレリアの母が亡くなってから、まんまと後妻となったのだ。


「お継母様ではなく、お母さまと思って呼ぶように。マドレーヌのことも、異母妹などと思わず、本当の妹として仲良くやりなさい」


 綺麗事が大好きな父が、品行方正な姉に言う。正妻の娘とひとつ違いの愛人の娘を仕込んでおいて、ぬけぬけとしている父。マドレーヌからすると詭弁でしかないが、真面目な姉ローレリアは、期待に応えようと努力する。マドレーヌは、「お姉さま」となついてみせる。仲の良い家族ごっこ。皆が上手に演じていた。


 魔女の血を引くマドレーヌが、ローレリアの婚約者を取り込もうとするまでは。


「お姉さまは、欲しいものがあれば言いなさいって言ったわよね。ジョシュア様が欲しいの」


 マドレーヌのおねだりを、ローレリアはすげなく断った。


「ドレスやアクセサリーは譲ってもいいわ。でも、ジョシュア様はダメ。人は物ではないのよ、あげることはできないわ」


 ローレリアが珍しくピシャリと冷たい口調で言う。ジョシュアへの執着が見てとれる。それを横取りするのは、さぞかし胸が高鳴るだろう。マドレーヌはウキウキした。母と共に、魔女の術や魔道具、魅了の魔石、媚薬などを駆使して、少しずつジョシュアを籠絡する。


「あともう少し。公爵家も未来の王妃の地位も、王国も。手に入れるわ」


 マドレーヌはジョシュアの笑顔を見ながら、心の中でつぶやいた。



◯◯◯


 彼女の全てが好きだ。僕を見上げる潤んだ瞳。集中してるときに、口が尖って少しおかしな顔になるところ。意外とお転婆なところ。お茶菓子を選ぶときの真剣な様子。


「たくさん食べるとすぐに肉がついてしまいますの。少しだけ。好きなものを少しだけ。ですから、これぞというのを選びたいではないですか」


 照れくさそうに言い訳を述べる口。なんでもそつなくこなすのに、自信がないときは指がソワソワと動く。僕だけが知っている、彼女の素顔。



***


 マドレーヌがジョシュアの腕にまとわりついている。ローレリアは拳を胸に押し当てた。ジョシュアの優しい笑顔を見るのは、苦しい。今までは、ローレリアに向けられていたもの。


 苦しくても、辛くても、負の感情は顔に出してはいけないと教えられてきた。


「広い湖の水面のように。落ちた小石のさざなみを、深く受け止め、凪いでいるように」


 それが国母たる者のありかた。ローレリアの水面は、凍てついた冬の湖。もう、涙も枯れた。マドレーヌの頬をひっぱたければ、少しは心が晴れるかしら。見損ないましたって、冷めた目でジョシュアに言い放てば、溜飲が下がるのかしら。


 よりにもよって妹に心変わりしたジョシュア。無邪気なフリをして、姉の婚約者を奪うマドレーヌ。どちらも許せない。


「王城の屋上から、ふたりを呪いながら飛び降りてみたらどうかしら」


 ふたりの評判は地に落ちるだろう。文字通り、道連れだ。フラフラと、ローレリアは王城の屋上に向かった。燃えるような夕陽。ローレリアの残っていた理性が、溶けていく。


「ジョシュアのバカ。愛しているのに」


 マドレーヌ、あんな小娘はどうでもいい。見え透いた浅はかな女。それに引っかかったジョシュア、かすめとられた自分に腹が立つ。負けたのだ。そう、みっともなく、敗れたのだ。格下だと、無意識に見下していた腹違いの妹に。


「バカは、私」


 ローレリアの氷の水面を、夕焼けが照らす。


「ジョシュア殿下、私たち婚約を解消いたしましょう」


 ローレリアは、大好きなジョシュアにそう告げることを決意した。



◇◇◇


「しぶとい女ね、まったく」


 マドレーヌはギリギリと歯を食いしばる。


「どこに隠れているのかしら。屋敷にはいないんだけど」


 あと少しだったのに、消えてしまった。狂乱して醜態をさらすでもなく、追い詰められて自ら死を選ぶでもなく。


「修道院にでも行ったのかしら」


 公爵家の箱入りお嬢さんが、ひとりで修道院までたどり着けるとも思えない。


「居場所が分かったら、次は」


 もう少し強めの手段を取ろうか。マドレーヌはどうやってアレを虐めるか、ウットリと策を練る。さりげなくジョシュアとの会話を仄めかし、揺さぶりをかけるのは楽しかった。お茶に微量の薬を混ぜ、様子を観察するのも心躍る時間だった。部屋に忍び込み、ジョシュアとの思い出の品を盗んだり、壊したり。アクセサリーに細工を施し、人から不快に思われる呪いをかけたり。


「突き落とすのが簡単ね。芸はないけれど」


 呪いも魅了も薬も、強すぎるとなんらかの痕跡が残ってしまう。手っ取り早く単純な方法が、良さそうだ。


「階段か屋上か。高いところに誘導しなくては」


 トンッと背中を押すその瞬間、手に伝わるであろう感触を想像すると、ゾクゾクする。



◯◯◯


 トンッと背中を押された瞬間、ジョシュアは振り返ってマドレーヌの腕を取り、捻じ上げた。


「第一王子である私の暗殺未遂、現行犯だ。私への魅了や薬、呪いの使用も分かっている。マドレーヌ、余罪を徹底的に調べるから覚悟しろ」


 隠れて見守っていた衛兵にマドレーヌを渡すと、ジョシュアは長いカツラをはずした。ローレリアの髪に似せたカツラと女装、そして認識をあいまいにする魔道具。ローレリアのフリをして屋上で待つと、マドレーヌは簡単に罠にかかった。


「ジョシュア様、違います。そんなつもりはございませんでした。何かの間違いです」


 マドレーヌが大きな瞳に涙を浮かべながら、叫んでいる。ジョシュアは取り合わない。もう、この女に関わるのはウンザリだ。


 ジョシュアは私室に戻り、次々と届く報告に耳を傾ける。


「マドレーヌの母と父も取り調べております」

「マドレーヌの部屋から、大量の魔道具と薬が見つかりました」

「マドレーヌが自供を始めました」

「マドレーヌの母の部屋から、禁書の魔術書が見つかりました」


 ジョシュアの指示で、魔術書が隅々まで研究される。やっと、ローレリアにかけられた呪いが判明した。


「ほんのちょっとした手違いが積み重なって、重大な結果につながったようです」


 黙って先を促すジョシュアに、魔道士長がひとつずつ説明してくれる。


「ジョシュア殿下がローレリア様に贈られた首飾りですが、多数の防御魔術が施されておりますよね」


「そうだな。魅了、毒、呪い、物理攻撃などを防御できるようになっている。私の婚約者なのだ、いつ誰に狙われるか分からないから」


 王族だけが使うことを許される国宝級の魔道具を、ローレリアに持たせていたのだ。絶対に、ローレリアを守りたかったから。ジョシュアも同じような魔道具を持っているので、効果はよく知っている。


「マドレーヌとマドレーヌの母は、ローレリア様に少しずつ呪いや薬を仕込んでいたようなのです。しかし、ことごとく効かなかった」


「それはそうであろう。生半可な悪意は跳ね返せる代物だ」


「マドレーヌの母が、跳ね返った悪意を吸収して、溜め込んでおける肌着を作ったようです。複雑な魔法陣を縫い込んだ肌着」


 ジョシュアは一瞬息を止める。


「ローレリア様が、ジョシュア殿下に婚約解消を切り出されたあの日。ローレリア様は首飾りを外し、殿下に返そうとなさいました」


 ローレリアの手からジョシュアの手に渡された首飾り。すぐにジョシュアはローレリアの首に、首飾りをつけ直した。


「あの一瞬の隙間で、溜め込まれた悪意がローレリア様の全身を包んだのです。つけ直された首飾りは、瞬時に主の時を止めることで、主の命を守った」


「それが、ローレリアが氷になった理由か」


 ジョシュアは一瞬うつむいたが、すぐに顔を上げる。


「ローレリアを元に戻す方法は分かったか?」


 ジョシュアの祈るような問いに、魔道士長は静かに頷いた。



***


「ジョシュア殿下、私たち婚約を解消いたしましょう」


 目覚めたローレリアが最初に放った言葉。繰り返された別れの言葉。ジョシュアは、口づけすることで、その言葉を封じた。二度目の口づけ。一度目は氷の唇に、解呪の術式を吹き込みながら行った。



 冷たく固いローレリアの唇を、ジョシュアの温かい唇が覆う。溶けていくローレリアの服を、侍女たちがハサミで切り刻んだ。ローレリアの呪いの肌着は細切れにされ、暖かい毛布が代わりにローレリアを包む。


 ジョシュアは目をつぶって、ただローレリアの口をふさぎ続けた。ローレリアのかすかな瞬き、わずかなまつ毛の動きで、ジョシュアは目を開ける。口はつけたまま、魔道士長の様子を窺う。


 侍女に合図され目を開けたらしい魔道士長は、ローレリアの様子を見て力強く頷いた。


 ジョシュアはゆっくりとローレリアから唇を離す。そして、目覚めたローレリアに、二度目の別れを告げられたのだ。



 ジョシュアの涙がローレリアの頬に落ちる。ジョシュアは泣きながら、微笑んだ。


「それはできない、ローレリア。僕が愛しているのは、ローレリアだけだ。ローレリア、僕の話を聞いてくれないか?」


 弱っているローレリアを抱きかかえ、本物の口づけをする。ローレリアは弱々しく拒絶するが、ジョシュアは何度も何度もキスをした。ローレリアが話を聞くと言ってくれるまで。


 恥ずかしさと混乱からだろうか、真っ赤になっているローレリア。ジョシュアはローレリアに温かい薬草茶を少しずつ飲ませる。抱きしめたまま、今までのことをローレリアの耳元でささやく。


「まあ、私が氷に? 陰で氷の令嬢と呼ばれているとは聞いておりましたが。まさか本当に氷になるだなんて」


「僕の腕の中でローレリアが凍っていったときは、絶望したよ。氷になっても、生きていると分かったときは、少しだけホッとした」


 ジョシュアのまつ毛がかすかに揺れる。間近で見ているローレリアだけが、それに気づいた。


「君の妹と母をもっと早く捕らえていればよかったのだが。あのときはまだ、証拠が揃っていなかったのだ。泳がした結果、君を追い詰めてしまった。まさか心変わりを疑っていたとは。僕が君以外を好きになることなんてないのに」


「でも、あんなに嬉しそうに腕を組んでいたではありませんか」


「嬉しそうに見えた? すぐにやんわり離れたのだけど。そこは見ていなかった?」


「すぐに立ち去ったので」


「そう。誤解を招く行動をして、すまなかった。ローレリアを傷つけて悪かった。ごめん」


「私も、もっと早く、ジョシュア様に問いただしてみればよかったのですわ。ギリギリまで我慢して、極端な結論を出してしまいました」


「ローレリアの怒りはよく伝わってきたよ。氷になっているときの君の顔、すごく怒っていたから」


「まあ」


 ローレリアは両手で顔をおさえた。


「怒っていようが、氷になっていようが、君が生きていてくれるだけで嬉しかった。でも、今はもっと嬉しい。もう二度と離さない」


「まあ」


 ローレリアは、ジョシュアにきつく抱きしめられて、間抜けなまあしか言えなかった。


「公爵、君の父には引退して蟄居してもらう。後継者は君だけど、王太子妃と公爵を両方するのは大変だろう。優秀な家令か、遠縁の誰かに任せてもいい。候補を探しておく」


「はい、ありがとうございます」


「君の継母と異母妹。処刑ではなく、終身刑とする。魔力が強いようなので、色んな魔道具の実験体になってもらう代わりに、命を助けた」


 ジョシュアが少し怖い笑顔を浮かべる。ローレリアは背筋がゾクリとした。


「しばらく氷になってもらおうかな」


 平然と恐ろしいことを口にする。ローレリアはでも、止めなかった。


「私、思いますに。私がジョシュア様とふたりで幸せになることが、一番の仕返しではないかしら。あの子、私のことが大嫌いみたいですから」


 ローレリアもニコリと微笑んでみせる。ピクリとジョシュアの頬がひきつった。


「ふたりで幸せになろう」

「ええ」


 かつて氷の令嬢と呼ばれたローレリア。ジョシュアの寵愛を一身に受け、今では光の女神と呼ばれている。それを、たまに氷になる母娘が、ギリギリと悔しそうに見ているともっぱらのウワサだ。



お読みいただきありがとうございます。

ポイントとブクマを入れていただけると嬉しいです。

よろしくお願いします。

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[一言] 主人公に肩入れしてライバル異母妹を嫌わなければならないのでしょうが、クソ父に対して主人公は盲従していてマドレーヌがちゃんと人間性を見抜いて嫌っているという一点でガラッと評価が変わってしまいま…
[気になる点] >>誤解を招く行動 そもそも王子自ら囮になる様な真似する必要あったん? 下手すりゃ死んでたかもしれない上に主人公苦しめてさぁ……
2023/11/20 01:49 退会済み
管理
[気になる点] 血が繋がっていないとありますが、異母妹なら半分繋がっていると思います。
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